『パパ、だ~いスキ』と言われたパパの映画日記

こどもが二人とも小学生になったけど、「パパだ~いスキ!」と言われてる間は、タイトルを変えませんが。

「ありがとう」 芸風を変えた仙頭武則

2006年12月04日 | 映画
「車いすやギプスの子を見ていると、おれが現役で大きなけがもせず、活躍できたのも、この子らが身代わりとなって守ってくれたおかげやと、ホンマ思いますわ」
「身体障害者野球を応援する会」の理事長も務め、ことあるごとに阪神・赤星らにボランティアをすすめる“世界の盗塁王”阪急・福本豊の言葉を思い出しました。

シンプルなことなのに、よく忘れることがら~「ありがとう」の一言、お辞儀、一日楽しく過ごせたこと、そして誰かに生かしてもらってるってこと~大震災の跡地の一角に居を構えてる私は、子育てを通じてそういうことの大事さをあらためてわかったつもりになってたけど、実際大震災を経験し這い上がってきた者だけが遂げた境地というものは、わかりそうでわからないもんで実に身にしみやすい映画でした。

さっきの人永瀬正敏?いや見間違いやろ、まさか彼がこんな役をと思わせるトップシーンから釘付けです。
圧巻の大震災のシーンは、やっぱ特撮はドラマがあってこそやなと思い、樋口真嗣も勉強になったと思います。
殊に焼け野原と化した長田の商店街に立ちつくす赤井一家のシーンは、日本映画もこういう画が撮れるようになったな~とつくづく感慨深い気持ちになりました。
特撮監督は仙頭武則。
河瀬直美との離婚で男を下げたと思われたプロデューサーのはずである。
なんで彼が?
こんなこともできる人なの??
大震災のシーンが上手く撮れてることは、後のいろんなベタなシーンを納得させる上でよかったです。
町内会の採決シーンや、ゴルフバッグ様のシーン、奇跡のショット、最後の一押しと、様々なベタは「実話を元に」なんでどこから実話でどこまで映画かわからんけど、それら全部は“大震災であれだけのことを経験して這い上がってきた人だから”ということで、全て納得できました。

主演の赤井英和は、元ボクサーというだけでなく、飛田市場の漬物屋の倅でもあるんで、根っからの商店街人演技は、演技云々を超えたオーラがでててまさに適役でした。
彼のおかげでベタも倍増してたけど、あの髪の毛の色の変さだけはようわからんかった。
ヨメさん役の田中好子との『芋たこなんきん』ばりの夫婦会話シーンもオモロかったです。
薬師丸ひろ子の、キャディさんメイクにちょっとだけ萌えました。
友情出演じゃなくてこの映画では賛同出演の方々が素晴らしく、皆がこの映画をよい物にしようと出演を快諾した姿が目に浮かびます。
もし自分ならと思うとたまらないトヨエツはもちろん、
一瞬ウルトラマンに見えた佐野史郎、
鶴見辰吾の最近の悪役ぶりから、こいつ援助物資パクルやろと思わせといて、実は思いがけない人、
それからなんと年に2~3回しか見ることのできない生きた化石芸人テントまで呼びよせ、さらにテント路線をなんとなく引き継いでいるMrオクレさんまで出すなんて、なんかあるなと思ったら、仙頭武則は宝塚育ちの人でした。
なるほど、WOWWOWの『J・MOVIE・WARS』で培ってきた人脈から、それまで小洒落た映画やツッコまれやすそうな娯楽映画ばっかりプロデュースしてきた人が、なぜこうもベタな映画をと思いましたが、彼がいつも通りプロデュースだけでなく、脚本も、特撮も、そして役者集めまで一手に引き受けた理由がわかります。
「前日までそこにいたのに、実家の宝塚に母をおいて、なぜ自分は東京に居るんだろう」

河島英五が、次女アナムが生まれた知らせを聞き新幹線の中で書いたという曲「生きてりゃいいさ」をエンディング曲にチョイスしたこともナイスです。


★★★★