京都楽蜂庵日記

ミニ里山の観察記録

囲碁の中押しと言う事について

2018年04月09日 | 日記

囲碁の中押しと言う事について

 

 打そむる碁の一目や今日の春 

 掲句は、戦国時代の武将で織田信長や豊臣秀吉につかえたと言われる斉藤徳元が碁の正月での打初を詠んだものである。徳元は関ヶ原の戦いのあとは浪人となり江戸に出て俳諧で身をたて、日本で最初の俳書とされる「俳諧初学抄」を著した。徳元にならって碁にかかわる拙句をいくつか。

 待ちわびて碁石を磨く桜時

 碁の師匠作ってくれし木の芽和え

 長考はいつまで続く金鳳花

 碁に負けて後の月見る長者町

 カンとばかり石を敲けば九月尽

 大石の頓死も知らず峰の月

 中押しの客に食わさん崩れ柿

 秀策の棋譜を並べし冬星座

 人も碁も愚形ばかりの歳の暮

 碁会所の障子の人影(かげ)の大晦日   

               

                 

 小学二、三年の頃だったろうか、父親に無理矢理、碁盤の前に座らされた。「取り囲んでたくさん相手の石を取った方が勝ちだ」とルールらしきものを教えられたので、ひたすら父の打つ白石を追いかけて取ることに専念した。後になって、碁の勝敗は自分が囲った地の多寡によって決まるという事を知った。父は、碁の基本は戦いであるという考えで、最初わざとそんな教え方をしたようである。その後、大学時代に大阪教育大学教授であった高木豊氏(故人)に本格的に教わった。高木氏はアマチュアの六段ぐらいであったが、お宅が京都御所の近くの上長者町にあり、晩遅くまでおじゃまして打ってもらった。その頃は貧乏で娯楽も少なく、学生はたいてい麻雀か囲碁かダベリングで時間をつぶしていた時代である。八句目に出て来る秀策というのは江戸時代の有名な碁打ちの事で、ごく普通の穏やかな手を打つだけで負けなかったという名人である。その本因坊秀策の打ち碁集などを読んだりしたが、しょせん次元が違う話でなんともならない。

 ともかく碁歴六十年を数え、本棚に碁書を並べ日曜のNHK囲碁講座は欠かさず視聴し、枕元に詰碁集を置く涙ぐましい努力をしているが強くならない。もともと生まれつき脳のシナプス回路がこのゲームに向いてない事や集中力に欠けるせいだが、三つ子の魂百までもで、相手の石を追い回して取りに行くクセが直らず、大抵、反対に自分の大石がボロボロに取られて惨敗してしまう。こんなへぼ碁の趣味でも良い事の一つは、手談を通じて親しい友人が出来ることである。もっとも、長年の碁友は気心が知れているせいか、お互い口が悪く、勝っても負けても、憎まれ口をたたきあって別れる事が多い。そんな碁仇だが、いつもの約束の時間に現れないとなんだか寂しい。そんな時は、ぶつぶつ言いながら、仕方なく一人で碁盤に石を並べることになる。町内には碁キチが沢山いるせいか、信じられことに大晦日も営業している碁会所がある。普通の家庭なら一年で一番忙しいはずの大晦日に、灯りのともる夕方まで碁会所にいる客も客だが席主も席主だ。いずれも、帰宅してから除夜の鐘が鳴る頃まで奥さんと一悶着あるのは覚悟せねばならない。

 さて、中押し(ちゅうおし)という言葉である。囲碁で使用する特殊な言葉は沢山あって劫(こう)、持(せき)、中手、長生、止長などであるが、なかには「駄目(だめ)を押す」のように日常用語に取り入れられているものもある。中押しも囲碁特有の用語で、碁の試合の途中で大差がつき一方が投了して勝負がつく事を中押し勝ち(負け)という。直近の国政選挙の結果である自民一強はまさに政治の中押し状況といえる。我々の周りにも不本意ながら中押し状況は生ずるが、そのような時は何が敗因を反省した上で、結果にこだわらず盤をふき清めて再生を目指す必要があろう。

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