お湯の国 日本

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菅江真澄の道(外ヶ浜づたひ・・・浅虫温泉)

2019年08月06日 |   ✒文学逍遥 紀行

映像:菅江真澄が見聞したであろう外ヶ浜浅虫温泉の現代の様子(鳥瞰図風に撮影)

紀行家:菅江真澄は青森県・秋田県の各地を巡行して詳細に日記に書き残している。
その中には温泉地に関するものも数多く、江戸時代の温泉地の様子を調べる重要な
手がかりとなり、温泉史を紐解く資料でもある。青森県の代表的な浅虫温泉も記述。

記述:菅江真澄遊覧記二 ー 外ヶ浜づたひ{天明八年(1788)7月6日}ー
  『かくて浅虫の浦につくと煤川の岸に・・・少し高い岩のたっているのを肌赤島
   ・・・鳥の形をしたのを鷗島・・・鳥居の見えるのが湯の島・・・出湯の村に宿をと
   った。・・・滝の湯、目の湯(椿館)、柳の湯、おお湯、はだか湯などが、た
   いそうきよらかに湧き、また軒を連ねた家々のうしろにも湯があってよい』

  『・・・「とりわけこの津軽というところは温泉の数がたいそう多い」と答えた。
   どこと何処にと尋ねると、「ご存知のとおり、関の湯の沢、碇ヶ関の湯、大
   鰐、蔵館、嶽、湯谷(湯段)、切明、酸か湯、下湯、温湯、板留、要目、沖
   浦、二升内、大川原、田代、根子、猿、笹内、・・・・そしてこの浅虫です」』


解説菅江真澄は奥の細道を源義経北帰行の伝説を辿るかのように歩き、此の後、
   安潟、油川、三厩から船で蝦夷地(松前藩)に渡って見聞をしたのである。
   入国・出国の厳しい江戸時代、資金力・手形などを考えれば、スパイと間
   違われても致仕方ないだろう。三河の出身で膨大な日記等は後に津軽藩に
   疑われ
多くを没収され、半ば追放の様な形で秋田藩に移住する。津軽藩は
   徳川家康の宿敵石田三成の子孫を匿っていたので幕府の諜報活動、津軽藩
   防御など時代の政争があった事は否めない。紀行家の他に何か任務を感ず。

参照菅江真澄(紀行家・歌人)探訪紀行


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