朝イチの熱々のコーヒーうまーい!
珈琲豆でコーヒー淹れると思い出すのだが、
実家亡父はよくコーヒーを飲んでいました。
家で飲むコーヒーは、
インスタントコーヒー一択の時代。
でも、だんだんと、
珈琲豆も手軽に手に入るようになり、
家でドリップしたコーヒーを飲み一言。
「パンチがない」
インスタントを足していた思い出。
先日の凧あげのとき、
2行くらいの作り方の説明文が
添付されていました。
簡単に書くと、
・付属の棒を差し込むこと。
・糸を結ぶこと。
の2点。
小2〜小6くらいの子どもたちが、
「えー、どうやるの、どうやるの⁉︎」
とわきゃわきゃ。
今から凧あげするぞ!という高揚感から
文字の意味が頭に入らない、
という雰囲気もありました。
でも、小2、3くらいの子どもたちは、
本気で「え?わからない」と持ってきます。
子 「この棒、いるの?」
私 「いるよ。差し込むとこあるって書いてあるよ。」
子「え?わかんない。」
私「凧に差し込むとこがあるんだよ。」
子「……」
凧を裏表めくるけれど、
差し込むところを探すには、
めくる速度が高速だ。
「ゆっくりめくってごらんよ〜。
でさ、この棒、差し込めそうなとこ、
ないかなーって見てごらんよ〜。」
そう言うと、
ゆっくりめくって、探す風な視線になった。
「あったー!」
棒を渡すと、
「どうやって入れるの?わかんない!」
そ、そうなのか。
老眼で目を凝らして、片一方入れて見せて、
「同じようにして入れてごらんよ〜」
で、凧の形となった。
あとは糸を結びつけるだけなのだが
「どうしたらいいの?」
と持ってきました。
おや?と思い見ると、
風が強い場合、弱い場合と、2箇所、
糸を通すところがありました。
それに戸惑ったのかな?と思い、
私 「今日は外の風、強い?弱い?」
子 「強い!」
私 「じゃ、強いとき、って方に糸結んだら
いいよ!」
子 「わかったー!……結べない…」
私 「真結びでいいよ」
子 「…できない…」
私 「…?リボン結びとかじゃなくて、
ただ結んだらいいよ。」
子 「…?ただ結ぶのって?
やったことあるかな〜?」
ということで、結んで見せましたが、
「ああ〜!」という感じではなかったので、
一緒に数回やりました。
こういうやり取りを4人とし、
真結びのとこは4人とも?という感じでした。
わーい!できたー!と、
屈託なく喜ぶ子どもたちを見ながら、
低学年の子たちは真結びをすることって、
日常生活であまりないのかなーと
思いましたが、どうなのでしょう?
私がその場で接した4人の子どもたちは、
例えば、棒を差し込む所を探すのに、
探すという動作に対して、
めくる動作のスピードが合わないなぁという子が2人。
真結びは4人ともできなかった。
だから、今の子って云々言うつもりは、
全くないない。
ただ、
子どもたちが自分でできることが減ると、
子どもたちの自由度が下がるよなーと、
そっちのことの方が気の毒に思った。
今の子どもたちは、
「色々なことを体験させよう!」と
教育的にも家庭的にも、
色々なリクレーションやイベントがあるように思います。
でも、その体験はもしかしたら、
大人目線の
「自分たちの子供時代あったら楽しかったのにな!」に偏っているかもしれないなぁ、と
ふと思ったり。
今の子どもたちに必要な体験って、
もう少し日常的な、生活に密着した
地味な体験を積むことかもしれません。
自分のこれからの日常生活を
自由に泳ぎ回れるように。
頭の先からつま先まで、
手の指隅々使うような、
そんな日常の楽しい体験が必要かもなぁと
子ども食堂後、日を追うごとに思うことでした。