大阪城と粉もんの旅です。JRのずらし旅を利用。
朝2番電車に乗る。ご飯は尾西、お菜は駅で。
6:00発 東京、ひかり1号博多行
朝食 東北復興弁当〜東北6県食材の料理が美味しかった。今回で第11弾。人気がある。
野菜のうま煮〜大増、前回のお菜セットはなく、単品売りに変わっていた。
両方とも西尾久の大増製造、販売がJR東海だった 。
8:22着 新大阪〜駅構内を移動。
お土産の下見は買いたい物ばかり。
スカイツリーの部品の会社のポスター。日本中の企業が関わっている。
関西限定販売のカール。
大阪城に行く電車に乗る。
環状線の車両は持ち手が高く、座席横の手すりもない。低身長の私は辛かった。
桜ノ宮駅は大塚愛のさくらんぼが発車合図。
9:00着 大阪城公園前〜大阪城まで歩く。大阪城ホールは斎藤和義さんがコンサートを開く所。
石像や壁絵など見る物が多くて飽きず、距離を感じない。サイクリングやランなど運動を楽しむ人が多い。
大阪城は観光客が多く、並んでいる。
豊臣秀吉は農民から関白になり天下統一を果たした立身出世No.1の人物だ。
入口脇に残念石がある。小豆島で石垣作りに切り出したが使わずに置かれたままになったものを運んで展示した。筑波の地質博物館で小豆島の事が書いてあった。
外国の観光客が目立つ。インド女性の何人かは民族衣装だった。きれいだから勇気を出して日本語とジェスチャーで一緒に写真を撮りたいと伝えたら、応じてくれた。ありがとう。
電車で通天閣に向かう
狭い商店街に大勢の人。
通りを出たら派手な看板で圧倒される。主張が強い。レトロな店が並ぶ。射的などの温泉地のゲーム屋さんがたくさんあるし、遊ぶ人も多くいる。商店街を歩くだけで楽しい。
12:00着 串カツだるま〜並ぶ。店頭で宴会する人、通りすぎる観光客、お店の看板。見る物が多くて待ち時間が気にならない。新世界セット(どて焼き付き)を頼む。キャベツは料金が必要になった。
初めて大阪弁「おおきに」を聞いた。
13:00 たこ焼き、がんがん〜店頭で食べる人が多いので買いやすい。生地が柔らかく熱い。取り皿や人数分の箸も付けてくれる親切な店。
交差点で何で皆んなが立ち止まってるのかと思ったら通天閣が見えた。
建物の中に入ってグリコのコーナーを見た。オモチャ付きキャラメルからブリッツ、ポッキー、チョコボール、パピコ、ジャイアントコーン、温めずにOKなカレーや親子丼、子供の頃から今でもお世話になっている。お菜の素レトルトシリーズは美味しくて重宝したのに近ごろ見かけなくなった。
一旦外に出たが、気を取り直してスライダーに挑戦する。入口で誓約書を書く。私は年齢制限ギリギリ。滑ってる女の子のきゃー、ぎゃーの悲鳴が面白い。だいたい10秒以内で降りてくる。カーブは体が振られて怖かったが声は出なかった。空や電灯の色の変化を見る余裕があった。到着したら逆立してる感覚だった。
各商店には大小のビリケンさんがいるがここのビリケンさんが本物。何でこういう名前、姿、表情なのか分からないが皆んなに愛されてるのは分かる。街のアイドル状態。(翌日の吉本に由来の説明があった。)
筋肉マンのゆでたまごさんは2人セット。ここが地元だと知った。
懐かしい抱っこちゃんがいた。子どもの頃いつも私の腕にいた。
通天閣の高さが1番分かる場所。床が透明で迫り出した場所に行った。足がちょっとすくんだ。上の階の外も風を感じて強風や雨の日を想像すると怖い。
エスカレーターに乗らず階段でトコトコ400段降りたら膝が笑った。
通天閣は思ったより楽しかったし思った以上に長く遊んでいた。
15:00着 マクドナルド〜桃スムージー、暑くて歩き疲れた。座りたい。
電車でホテルに向かう。
17:00着 相鉄フレッサイン 北浜〜少し寝る
18:30着 ちゃんぽん亭〜夕飯、近江チャンポンの店。柚子、出汁が効いて薄味で美味しい。丼は小さいが麺をほぐしたらたくさん入っていた。炒めたキャベツがシャキシャキ。
味変の生姜もお酢も良かった。しば漬けも酸っぱいけど美味しかった。
ようすけ、茂木の柚子ラーメン、そしてここが私の三大ラーメン屋です。
19:15着 7-11でデザートを購入。なるべく大阪風を選ぶ。どん兵衛きつねうどんはW印。味付け海苔おにぎり・おかか、タコ飯おにぎり、白バラコーヒー牛乳、ロイヤルミルクティーモナカ。
ラーメンでお腹いっぱいなのに食べてしまった。今日は粉もんの1日だったから朝と夜はご飯で〆ることにした。
店内の飲む栄養剤の前で男の子に「消化剤はどれですか?」の携帯を見せられた。キャベジンを選んであげた。翻訳ソフトは広告では知ってるが実体験するのは初めてだ。言葉が出来なくても外国旅行が出来るのだ。携帯を使いこなすと知らない世界が広がる。インド女性にもこういう風に話しかければ良いのだ。
21,773歩歩いた。
【大阪城】
NHK大河ドラマの影響で豊臣秀吉が建てた城を堺雅人が最期まで守った所と言う印象がある。
石垣は城主への忠誠心の証であり、城主は富と権力の誇示になる。大手門には特に大きな石を据え置くが、本当に巨大だった。家くらいある。川を利用して運搬したというが信じられないくらい大きい。
徳川時代が長過ぎたから秀吉の部下も合わせて残った遺物が少ないようだ。
戦争は勝者と敗者が出来る。結果、敗者を否定することで新しい時代が始まる。城の場合、次の殿様がそのまま住む時も有るが家康はそれを望まなかった。
冬の陣を耐えた城も夏はダメだった。攻めるより守る方が大変なのだ。
城の運命的ダメージは破壊と火事。名古屋城も爆撃で燃えた。
日本の家屋は美しいが木と紙は1番弱いところだ。
秀吉の天下統一の功績は大きい。そのおかげで徳川の時代の基礎が出来たというのを家康は知っているのだろうか。
秀吉は天寿をまっとうして幸せだったろう。ただ2世への引き継ぎが上手く出来なかったし、長く政治に関わり過ぎた。もっと早く後継者に家督を継がせ自分が見守り育てれば安土桃山時代の歴史の長さが変わっていただろう。
日本の掌握後、更に目を外国に向けて朝鮮出兵をしたのだから野心家だったのが分かる。その点、徳川は鎖国をして特定の外国しか受け入れなかったから日本の文化が栄えたのだ。
大阪城の悲劇は秀吉の長期政権の失敗で起きたと思った。
小学生の時プラモデルで秀吉の兜を作った。太陽の光を表したような中心から四方に広がる角の兜を複製でも良いから見たかった。
【食い倒れ】
大阪は食い倒れの街だ。あれ程店が並んでるのにどの店も繁盛している。
大阪発祥で全国に広がった店が多いとこの旅行で知った。大阪湾の魚、周辺の酒どころ、地場野菜に恵まれた立地と大阪商人の富が美味しい料理を作り上げたそうです。
私も食い倒れたかったがお腹の容積に限りがあった。