心と体を通して見えてきたもの

個人的な生まれ変わりの体験談。心とは?カルマとは?人間の本質や使命とは?
といったことを考えてます。

第2章 心を通して №176

2008-08-04 11:28:15 | Weblog
スワミ・ヴィヴェーカーナンダという人が書いた『ラージャ・ヨーガ』(日本ヴェーダーンタ協会発行)という本の中には次のように書いてあります。
『インドの哲学者たちによりますと、全宇宙は二つの材料からできています。その一つを、彼らはアーカーシャとよんでいます。それは偏在の、すべてのものに浸透している存在です。形を持ついっさいのもの、結合の結果であるいっさいのものは、このアーカーシャから展開したのです。空気に、液体に、固体になるのはアーカーシャです。太陽に、地球に、月に、星々に、彗星になるのはアーカーシャです。人間の体、動物の体、植物、我々が見るいっさいの形、感覚で捉えられることのできるいっさいのもの、存在するいっさいのものはアーカーシャです。それは知覚することはできません。それは実に精妙なので、すべてのふつうの知覚の限界をこえています。それが粗大になったとき、形をとったときにはじめて、見ることができるようになるのです。創造のはじめには、このアーカーシャだけが存在します。この周期の終わりには、固体も液体も気体もすべてふたたびアーカーシャにとけこみ、次の創造のときに同じようにこのアーカーシャから出てくるのです。
何の力によってこのアーカーシャが、宇宙につくられるのでしょうか。プラーナの力によってです。アーカーシャがこの宇宙の無限、偏在の材料であるのと同様に、このプラーナは、無限かつ偏在的に現れているこの宇宙の力です。一つの周期のはじめと終わりには、すべてのものはアーカーシャとなり、宇宙間のすべての力はプラーナに還元します。次の周期には、われわれがエネルギーと呼ぶものすべては、われわれが力とよぶものすべては、このプラーナから展開するのです。動きとして現れているものは、プラーナです。引力として、磁力として、現れているものはプラーナです。肉体の活動として、神経の流れとして、思う力として、現れているのはプラーナです。思いからもっともひくい力にいたるまで、いっさいはプラーナの現われに他なりません。心のにせよ肉体のにせよ、宇宙のすべての力の総計は、それらの原始の状態に還元される時、プラーナと呼ばれます。「有も無もなかったとき、闇が闇をおおっていたとき、そのときには何が存在したか。そのアーカーシャが、動かないで存在した」プラーナの物理的な動きは止まっていましたが、それが存在することに変わりはありませんでした。一つの周期の終わりには、今まで宇宙に現れていたエネルギーはしずまり、潜在的になります。次の周期のはじめに、それらは動き始め、アーカーシャにはたらきかけます。するとアーカーシャからこれら様々の形が展開し、アーカーシャが変化するにつれて、このプラーナも、これらすべてのエネルギーの現われに変化します。このプラーナについて知り、これを支配することがプラーナーヤーマの目的です。
これはわれわれに、ほとんど無限の、力の獲得への道をひらくものです。たとえば、もしある人がプラーナを完全に理解し、かつそれを支配することができたとすると、地上に、彼のものではない何の力がありましょう。彼は太陽や星々をそれぞれの位置から動かすことが、原子から最大の太陽たちにいたる。宇宙間のすべてのものを支配することができるでしょう。なぜなら彼はプラーナを支配するのですから。』
(プラーナが波動のようなものではないかと、私は考えています。また、アーカーシャは波動によって運ばれる情報や意識のようなものではないでしょうか?)

以前ハイアーセルフについて説明した時、ハイアーセルフは宇宙の一部として完全な形で、最初から存在していると言いました。また、魂の部分であって、総体ではなく、本質であり、生まれ変わりのすべての情報が蓄積されているので、すべてを知っている部分と言えると説明しました。
私達は魂を持ち、その魂は肉体の中に閉じ込められていると考えがちですが、そうではなくて、大きな魂の中に、小さな肉体が閉じ込められた存在なのです。ですから、魂は肉体の中にとどまり、肉体の中だけで活動することも、肉体を魂の一部分として扱うこともできます。
魂は物理的次元を超え、時間系列を超えた生命システムであり、不滅で、広大無辺で無限で多次元であり、より高いレベルに瞬時に移行することもできる、知性を備えた霊質を持っています。
真空も物理的次元を超え、時間系列を超えていて、万物創造の最も根本の実質として生命を生み出し、不滅で、生まれることも死ぬこともなく、広大無辺で無限で多次元なものとして存在します。
私達魂は、この生命の根源の場である真空から生まれたのですから、この真空へ還ることができます。
私達は魂として、存在の根源であり、無限のものである真空を体験することができます。
真空は無色透明な宇宙意志そのものです。過去にあったことも、今あることも、これから未来に起こることも、すべての真実があるがままにあります。そこに時間はありません。ですから真空では、未来や過去を自由に見ることもできます。少しでもこの真空に触れたことがある人の中には、過去や未来を瞬時に知る体験をして、過去世や来世を垣間見たり、未来を予知したりする人もいます。
未来を予知したからといって、それがそのまま将来現実になるとは限りません。今日、明日のことであれば、現実になる確率は高いでしょうが、時間的に余裕があればあるほど、そのことが現実化する時までにいくつもの選択肢がありますから、自由に選びながら生きている時間が長いほど、確率も低くなる可能性が出てきます。未来を予知したからといって、それは絶対的なものではなく、選択の自由が与えられているのですから、相対的なものなのです。
ノストラダムスの大予言というのがありましたが、予言が当たらなかった理由がここにあります。長い時間の経過の中での、私達一人一人の選択が、このような予言を回避する結果になったと考えられます。
私達一人一人が人類全体の将来に影響を与え、予言とは異なる現実を作り出せるだけの変化をもたらすことができるのです。このような大きな変化をもたらせるだけの大きな力を私達は持ち、知らず知らずのうちにこの力を使っています。
私達が現実と考えるものは、私達自身の考えと行動によって、創造されたものであり、現実に起こっているすべての原因は、私たち自身の内面から始まっています。
さらに言えば、私達の外側に広がっているこの現実は、すべて私達の内面の反映なのです。
この三次元空間の私達の心の中には、過去と現在という限定された世界しかありません。そのため私達が悩んだり苦しんだりするのは、心にある過去の記憶や経験から考えて行動しようとするから起こることが多いようです。
№177

ひとりごと
暑いですね。
あまりの暑さに、頭が働いていないような・・・
変な日本語で書いてたら、許してください・・・

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