大護摩壇
相島虚吼の句碑
雛の座に カチカチ山の 屏風哉
登山口 道に画きて 教えけり
放屁虫 貯へもなく 放ちけり
飼い主を 甘ったらかす 炬燵かな
魯山人観音
水子地蔵尊
お地蔵さんの後ろにこっそり写っている碑が、大金光明最勝王経の写経塔です。
道了堂
読めない。ごめりんこ。
川谷尚亭寿碑
福良竹亭寿碑
正岡子規句碑
ほろほろと 石にこぼれぬ 萩の露
本堂(吉祥林)
・・・創価学会か!?
田村木国の句碑
狩りくらは 大月夜なり 寝るとせん
釈迦如来白仏像
座禅石
青木月斗の句碑
門前すでに 丈余の 萩の盛りかな
新西国第12番霊場御詠歌碑
長尾宗斤の句碑
早春や 枯れたるものに 光あり
北向延命地蔵尊
本来の御仏のおまつりの方位とは逆に、お地蔵さま自体が下座(南)に下り、お参りされる方を上座(北)に捉えるという、非常に珍しい“方違い”のお地蔵さま。
従って、このお地蔵さまの前に立ち至心に合掌・礼拝すれば、瞬時にして仏の位に昇るとされ、大きなご利益を賜うという。
延命橋
日清戦争の従軍記者として中国へ渡った子規は、帰国の船中で吐血、故郷松山で療養する。この碑の句は、その句集『寒山落木』中にあり、一時回復した子規が東京に戻る途中、当時中津にあった当院に立ち寄り詠んだものである。 その後も病は良くならず、明治35年東京に36歳で没した。死の前日には絶筆となった有名な句を残している。 |
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「をとといのへちまの水もとらざりき」
「痰一斗糸瓜の水も間にあはず」(当山に本句の銅板短冊あり)
「糸瓜咲て痰のつまりし佛かな」 (絶句)
化粧水がわりに使われるヘチマ水は、旧暦の8月15日、中秋の名月の晩にとったものは薬になるという言い伝えがあった。子規がこれら三句を詠んだのは、その2日後であった。この絶筆から彼の命日は糸瓜忌とも呼ばれるようになった。
萩の寺では、弟子である高浜虚子、青木月斗など壮々たる俳人たちの集う句会が催され、俳句のメッカとして重要な役割を果たす。子規をはじめとした色紙、短冊、屏風に書かれた数多くの奉納句が当山に伝わる所以である。そして9月の萩まつり道了祭には、「子規忌ヘチマ供養」と「萩の四季俳句会」が開催され俳句を愛する多くの人が、今も吟杖を曳いて来山する。
(萩の寺サイトより引用)