インドちゃんの子どもと書くな!子供と書け!!

障がい者と書くな!障害者と書け!!

台湾へ行け

2007-11-27 10:33:16 | Weblog

<食中毒:群馬の高校生91人、修学旅行先の中国で感染>

http://mainichi.jp/select/jiken/news/20071114k0000m040117000c.html

 

群馬県は13日、修学旅行で中国を訪れた県立沼田高校(斎藤実校長)の生徒91人が発熱やおう吐などの症状を訴え、うち7人からノロウイルスを検出したと発表した。3人が入院したがいずれも快方に向かっている。 

 県保健予防課などによると修学旅行は6~10日までの4泊5日で、2年生184人と教職員11人が北京などを訪問。8日夕に生徒4人が体調不良を訴え、帰国までにさらに10人が発症、帰国後の11日をピークに12日までに計91人が発症した。

 生徒を直ちに帰国させずに、修学旅行を継続したことについて、同高の田村吉広教頭は「旅行中には感染の拡大を想定することは難しかった」と話している。【塩崎崇】

 

 

なんで、シナに行くねん?アホか!死ぬぞ。

 

現に食中毒で死ぬ思いをしとるやないけ。

 

台湾へ行け!!シナとは別の国である親日の国。古きよき時代の日本の名残ある台湾へ行け!!

 

新婚旅行は台湾へ


父・秀雄逝く

2007-11-23 22:32:56 | Weblog

平成19年11月14日23時頃、父・秀雄が永眠いたしました。享年63歳。

 

生前の皆様から戴きましたご厚誼に厚く御礼申し上げます。

 

昨年食道癌を患い、3ヶ月ほどで退院しましたが。今年の夏頃から放射線治療の後遺症らしきものが出て、10月20に再度入院いたしました。

 

放射線治療が原因で気管に穴が開き、そこからばい菌が入ったため激しい、激しい頭痛に悩まされました。8日間も絶食を余儀なくされ、そのため体が弱り、水を飲んでも吐き出す状態です。肝臓など数箇所への転移も見られ、医師からは「治療の施しようがない。日々衰弱するのを待つだけ」と言われました。

 

実際、日に、日に衰弱して行きました。物が食べれない、水が飲めない、麻酔で抑えなければ耐えられない程の頭痛・・・

 

生きている限り、この苦しみが続く。

 

父の決断は11月14日、23時頃でした。一挙に血を吐き、ナースコールをしたみたいです。血を吐いた後も相当苦しんだのでしょう。

 

最初に病院に到着したのは弟です。弟が到着すると、必死で医師が心臓マッサージをしておりました。30分以上マッサージを続けていただいていたようです。弟が手を握ると、暖かい。まだ生きている。しかし、弟は「もういいです」と医師へ告げました。すると、だんだんと、暖かかった手が冷たく成りだしたそうです。

 

わたくしは、13日の夜、仕事終了後病院へ向かいました。ある、大事なことを父に伝えるために。

 

しかし、父は寝ておりました。見舞いの際、いつもスポーツ新聞を差し入れするのですが、新聞をテーブルの上に置き、また来るつもりでその日は帰りました。しかし翌日の14日に逝去したのです。

 

弟はほぼ毎日お見舞いに行きました。ほとんど会話らしい会話はなかったようですが、月曜日に父の手を握り、「がんばれよ!」と言ったそうです。すると父は涙を流して「ありがとう」と一言いいました。あの父が涙を流した・・・。それだけで驚愕です。逝去した日の午前中、弟の妻がお見舞いに行きました。仕事の前に行ったそうです。彼女も手を握り「がんばれよ!」と言ったそうです。すると父はやはり涙を流し「ありがとう」と言いました。

 

もう長くはない、と父は分かっていたのでしょう。

 

前日に私はお見舞いに行きました。顔を見ることはできなかったが、テーブルに置かれたスポーツ新聞を見て、来たことは分かったでしょう。それを見て、果たして涙を流したのでしょうか・・・

 

母もほぼ毎日お見舞いに行きました。おばあちゃん(父の母)はまだ存命で、しょっちゅうお見舞いに行ってました。水曜日も母、そしておばあちゃんがお見舞いに行きました。

 

あれだけ好きだったタバコも“ふかす”のが精一杯で、母が「ビール飲むか?」と尋ねても、「要らない。飲む気がしない」と答えたそうです。そして、その夜大量の血を吐き、父は逝ってしまいました。しかし苦しかったようです。苦しんで、苦しんで、苦しんで、苦しみながら死んでしまいました。「血を吐いた後一瞬で死ぬ」と医師からは言われていましたが、実際は血を吐いた後も相当時間苦しんだようです。

 

私は、お酒が飲めません。タバコも吸いません。いくつかの理由があるのですが、最大の理由は父の酒癖の悪さ、ヘビースモーカー振りです。お酒を飲んだ後の父は始末に負えませんでした。他人に迷惑をかける飲み方をします。そんな父を見るのが嫌で嫌で・・・

 

盆・正月と親戚が集まりますが、わたくしは極力参加しません。なぜか?父がお酒を飲んでいる姿を見るのが嫌だったからです。

 

父を殴ったことがあります。父を罵ったこともあります。「おまえ、人間として最低や」と。

 

しかし、違います。人間として最低なのは、この俺なのです。詳しくは書けませんが、俺ほど最低な人間はいません。

 

謝りたかった。会話を交わしたかった。そして、大事な大事な、父が喜ぶ話をしたかった。伝えたかった。

 

しかしそのチャンスは永遠に奪われてしまいました。

 

そんな父ですが、父はわたくしの背中を押してくれました。自分の命を削って・・・それは、新しい家庭を築くことです。切れそうで、切れそうで、もう切れてしまったと思った関係もギリギリ繋がっていました。おそらく父のお陰なのだと思います。

 

16日が通夜で、17日が告別式でした。16日はわたくしの誕生日でもあります。自分の誕生日に父を見送ることになるとは・・・

 

おやじ。ありがとう。ほんまにありがとう。今まで育ててくれてありがとう。

 

面と向かって言えなくてごめん。照れくさかってん。

 

でも、おやじ。おやじは最高のおやじやったぞ!!!!!!

 

ありがとう。


大江健三郎

2007-11-13 20:58:29 | Weblog

<集団自決「軍命令だった」  大江健三郎さんが証言

http://www.47news.jp/CN/200711/CN2007110901000732.html

 

太平洋戦争末期の沖縄戦で、軍指揮官が「集団自決」を命じたとする本の記述をめぐる訴訟は9日、大阪地裁(深見敏正裁判長)で引き続き口頭弁論があり、「沖縄ノート」の著者で被告の作家大江健三郎さん(72)が出廷。慶良間諸島の座間味、渡嘉敷両島での集団自決について「軍の命令だったと考えている」と証言した。

 ノーベル賞作家が自らの著作に関して法廷で証言するのは極めて異例で、歴史教科書の記述をめぐる問題とも絡み、内容が注目されていた。裁判は次回口頭弁論の12月21日に結審、来春にも判決の見通し。

 大江さんは、証言に先立ち陳述書を提出。この中で「集団自決は戦争下の国、日本軍、現地の軍までを貫くタテの構造の力で島民に強制された。命令書があるかないかというレベルのものではない」との考えを示した。

 【共同通信】

 

<「軍の命令だったと考えている」と証言した>。そう考えるのは君の勝手だが、で、なぜそう考えるのですか?理由がなくても「そう考える」だけで意見として成り立つのなら、嘘でもなんでも声高に言い散らかしたもんの勝ち、ってことになりますよ。だから、それはあなたの「意見」ではなくて、ただの感想。「好き嫌い」を述べただけになります。もちろん、好き嫌いでものを言うのはその人の「勝手」です。

 

しかし、「軍の命令であった」方が都合がいいから、「そう考える」ってな証言を裁判の場で縷々と述べるとは、なんちゅー人間や?こんな人間が作家をやってる。しかもノーベル文学賞を受賞している。こいつにノーベル文学賞をくれてやるなら、池田大作にノーベル平和賞をくれてやれ!!(爆笑)

 

ちゃっちい詩人の称号ではなく(爆笑爆笑)

 

 

<「集団自決は戦争下の国、日本軍、現地の軍までを貫くタテの構造の力で島民に強制された。命令書があるかないかというレベルのものではない」との考えを示した>って・・・

 

って、をい!

 

この(わざわざ)問題(にされてしまった一連の不幸な流れ)は

命令書があるかないかというレベルのものだ!!

 

それ以上でも、それ以下でもない。


靖國神社へお供え物を!!(バージョンアップ)

2007-11-08 15:37:46 | Weblog

べしみさん。あんたはエライ(小松政夫?)!

 

ほんま尊敬しまつ。

 

みなさん、リンク(脳天氣なプチナショ)がありますので、「もっと靖国神社へお供物をご奉納しよう!」(2007年11月6日)を(もちろん、この記事以外も)お読み下さいね。

 

引用してよければ、ここに引用させていただきますが?

 

以下、コメント欄を転載

 

えー、拙文です。
冗漫なw前半部は省略しまして、大事なところを引用させていただきます。

(引用開始)

(前略)
池上本門寺大堂に並べられたお供物は、信徒門徒からの奉納品であった。
残念ながら、崇敬者からの奉納品に限っての量と比較すると・・・靖国神社の方が少ない。

別に、お供物の多寡が全てであるとは思わないが、二百数十万柱の英霊に対してはもっと報恩のお供物が有っても良いと思う。

そろそろ各百貨店では、お歳暮商戦を迎えてあの手この手で贈答品を買わせようとやっきになっている。
送料や価格の何%かを割引にしてまで、お歳暮の贈答品をやりとりさせようとしている。
郵便局やコンビニでも通信販売で申し込みが出来る仕組みまで完備されている。

そこで、提案したい。

お歳暮の送り先リストに”靖国神社”を是非とも入れて欲しい。
そして、靖国神社へは「年賀」として年末に届くようにして欲しいのだ。
5千円で豪華な二升(清酒一升瓶二本)の箱詰めが贈れる。
こんなかたちでも、靖国神社の英霊に感謝・奉慰・顕彰の誠を示すことが出来るのである。

なお、「物じゃないんだ。心からの祈りこそが大切なんだ。」と云うご批判もあろう。
勿論、その通りであって、まず、その本筋は押さえておかなくてはいけないとは思う。
しかし、私個人は、英霊に対して色々なかたちで感謝・奉慰・顕彰の誠を示したいと思うのだ。

(引用終了)

 


またまた

2007-11-07 01:25:26 | Weblog

「南京の真実」関連も、既に2007年7月5日に書いてます。

 

前回探すの邪魔くさかったといわれたので、真に遺憾ながらリンクを貼っておきます。

 

ほんま、お小遣いためて、小額でも寄付お願いします<m(__)m>

 

ついでにあさってたら、これ(2007年4月15日)もこれも(2007年3月27日)中々ええこと書いてますな。惚れ惚れやね。