インドちゃんの子どもと書くな!子供と書け!!

障がい者と書くな!障害者と書け!!

忙しい

2007-07-21 00:54:59 | Weblog

7月29日(参院選当日)まで、あまりにも忙しくて、ブログの更新は不可能です。

 

楽しみにしておられる方、ごめんなさい(そんな人いないってか?)。

 

恐ろしいくらい忙しいのです。せめて、2時間以上眠れる時間が欲しい・・・

 

倒れそぅ。

 

 


アホ日新聞

2007-07-13 18:55:12 | Weblog

<盧溝橋事件70年―もう一歩、踏み出す勇気を>

http://www.asahi.com/paper/editorial20070707.html

ちょうど70年前の1937年7月7日、北京郊外の川にかかる橋の近くで発砲事件が起きた。盧溝橋事件である。この争いをきっかけに日中戦争は拡大の一途をたどり、太平洋戦争を経て、日本は敗戦を迎える。

 いまも盧溝橋は健在だ。建造されたのは12世紀と言われる。当時のものがどこまで残っているのかは分からないが、重厚な石造りや欄干に並ぶ獅子像は長い歴史を思わせる。

 そのほとりの村に、抗日戦争記念館がある。事件をはじめ日中戦争の歴史についての展示が並んでいる。先生に連れられた子どもたちや人民解放軍の兵士たちが学習に訪れる。時折、日本からの観光客も足を延ばす。

■日中戦争の「起点」

 「七七事変」。盧溝橋事件を中国ではこう呼ぶ。満州事変が起きた9月18日と並んで、7月7日は民族屈辱の日として記憶されている。その後、45年まで続く悲惨な日中戦争の起点との認識だ。

 いま多くの日本人が戦争を振り返る時、思い浮かべるのは真珠湾攻撃の12月8日であり、敗戦の8月15日だろう。中国人にとって今日という日は、それに匹敵する記憶を呼び起こす。七夕を祝う日本とは大違いだ。

 その日に、私たちがこの社説を掲げるのは、この1年が日中両国にとって特別の意味を持つと考えたからだ。

 盧溝橋事件から70年、そして12月の南京大虐殺からも70年。中国や米国で最近、南京大虐殺などの映画がいくつも作られている。米議会では、旧日本軍の慰安婦問題をめぐる決議案が本会議でも可決されようとしている。好むと好まざるとにかかわらず、今年は歴史と向き合わざるを得ない年なのだ。

■記憶にずれがある

 少し、歴史をおさらいしておこう。

 日本の中国侵略は、盧溝橋事件の6年前、1931年の満州事変が一つの起点だった。翌年、満州国が建国され、それらが原因となって国際連盟からの脱退につながる。日本は国際的な孤立への道を突き進む。

 戦争が本格化したのは、盧溝橋事件の後からだった。日本軍は戦闘を中国各地に拡大していった。さらに日独伊三国同盟を結び、インドシナ半島を南下するなどして、英米などとの対立は極まった。その結果、太平洋戦争に突入し、最後の破局に至る。

 日中戦争の歴史は、そのまま中国の近代史に重なる。国家存亡の危機であったのだから当然のことなのだが、一方、日本にとっては米国との戦争、とりわけ広島と長崎への原爆投下といった被害の方が深く記憶に刻まれがちだ。

 この記憶のずれが、友好をうたいつつも、ぎくしゃくしてきた日中関係の根底に影響しているのは間違いない。

 抗日戦勝利と言っても、被害の大きさは日本とくらべものにならないし、中国が日本を屈服させたわけでもない。戦後、賠償を放棄して「ゆるした」のに、日本はその重みを受け止めていないのではないか。中国は軽んじられている。そんな屈辱感も重なっているのを見逃してはならないだろう。

 反日デモの嵐が吹き荒れた一昨年春。デモ参加者の怒りには、さまざまな要因が絡まっていたことだろう。その一つに、江沢民時代に強化された「愛国教育」の影響があると言われた。

 揺らぎだした共産党支配の正統性を立て直すために、抗日戦争を学習させ、結果として日本への怒りを再生産することになった、という見方だ。

 その面があるのは確かだろう。中国の歴史研究にしても、政治権力から独立して自由に行われているとは言い難い。しかし、だからといって、日本による侵略を自らの近代史の中心テーマと受け止め、記憶し、世代を超えてそれを受け継ごうという中国人の心情を批判することはできない。

 いまの中国では、知日派の人々でさえ、戦争の歴史の話になると表情を変えることが少なくない。民族感情の渦が代々受け継がれていることを、私たちは意識しておかねばならない。

■首相の南京訪問を

 残念な世論調査結果がある。米国のピュー・リサーチセンターの今春の調査によると、中国を「かなり嫌い」「どちらかと言えば嫌い」とする人が日本では67%にのぼった。調査の対象となった47カ国・地域で最も高かった。同じように中国人にも日本を嫌う傾向が強い。

 今年は、日本と中国が国交を正常化して35周年にもあたる。盧溝橋事件からの70年間の半分は、関係正常化の年月でもあったのだ。それなのに、こんな数字が出てしまうことを私たちは深刻に受け止めなければなるまい。

 政治の役割は大きい。安倍首相になって、両国関係が修復の方向に動き出したのは歓迎すべき動きだが、もう一歩、勇気を持って踏み出せないものか。

 例えば、南京大虐殺をめぐる論争を建設的な方向へ押し出す。犠牲者数について中国は30万人と主張するが、いくら何でも多すぎないか。一方、あれは虚構だと言われれば、中国側が反発するのは当然だ。両国の歴史共同研究で冷静に検討が進むことを期待したい。

 そうした中で、日本の首相が南京を訪れてはどうだろう。小泉前首相や村山元首相は在職中、盧溝橋の抗日戦争記念館を訪れた。論争は専門家に任せ、現地を訪ねて慰霊する。中国の人びとからも、国際社会からも歓迎されるはずだ。

 この年を、感情と怒りがぶつかり合う年にしてはならない。

 

以上、全文引用しました。

何やねんこのうんこ文章わ。一行ごとにツッコミ所があります。いちいちツッコムのじゃまくっさいくっさいんで、みなさん順次ツッコンで下さい。上から順番に2個だけにしとくわ。

 

ツッコミ1:「ちょうど70年前の1937年7月7日、北京郊外の川にかかる橋の近くで発砲事件が起きた」

「発砲事件が起きた」って、何を他人ごとみたいな書き方しとんじゃい!!発砲したんはどっち側(日本?蒋介石?)なんじゃい!!!それをはっきり言わんとあたかも偶発的な事件であるかのように装ってもみんなちゃんと知っとるんじゃ!!(怒)

「いま多くの日本人が戦争を振り返る時、思い浮かべるのは真珠湾攻撃の12月8日であり、敗戦の8月15日だろう。中国人にとって今日という日は、それに匹敵する記憶を呼び起こす。七夕を祝う日本とは大違いだ」

ツッコミ2:お前は、何人やねん!!

 

もう飽きた。飽きた。飽きたんやーーーーーーーーーーー


屁理屈よりも真心を

2007-07-12 00:59:19 | Weblog

<小学校教諭、特定男児を名指しし全児童に作文書かせる >

http://www.sankei.co.jp/kyouiku/gakko/070711/gkk070711000.htm (産経新聞)

 

<奈良の小学教諭、特定の子で「彼の嫌なところは」作文指示>

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20070711i201.htm (読売新聞)

 

<教諭、同級生に「児童の困った点書いて」 奈良の小学校>

http://www.asahi.com/national/update/0711/OSK200707110034.html (朝日新聞)

 

奈良・小学校:特定の男児の「困っていること」書かせる>

http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/edu/news/20070711k0000e040035000c.html (毎日新聞)

 

『日本経済新聞』と『聖教新聞』を捜したけど記事はなかった(笑)

 

この“事件”について、それぞれの新聞社の記事を読み比べて下さい。同じ一つの“事件”についての説明ですが、微妙に違うでしょ。

 

たとえば、「毎日:学級会の時間に男児に対して「困っているところ」と「良いところ」を作文にして書くよう指導」「読売:男児が授業中に教室内を歩いたり、私語を繰り返したりして落ち着きがないため、5月下旬の学級会の時間、級友に用紙を配り、男児について「嫌いなところや好きなところを書きなさい」と作文を指示した。男児にも、同様に書かせた」「産経:男児が授業中に歩き回ったり、私語をしたりして落ち着きがないため、学級会で「男児の困っているところや、なければよいところを書いて」と用紙を配布。男児にも書かせた」「朝日:授業中に男児が歩き回るなどとして、学級会で本人も含めた全児童に「男児の困っている点と良い点を書いて」と求めた」

 

毎日では、問題行動を起こした男児にも書かせたことが分からない。学級会の間、この児童が何をしていたのかが明瞭ではない。それと、「嫌いなところや好きなところ」(読売)、「困っているところ」と「良いところ」(毎日)、「男児の困っているところや、なければよいところを書いて」(産経)など、全然違うと思いませんか?

 

「読売」は、「そんなの書かなくていい」と言ったと書いてるが、「読売」と「毎日」は「やめて」と言ったと書いてる。同じようで、これも全然違うのではなぁい?

 

こういう記事は続報が皆無なので、真相は闇の中?に包まれるのかなー?

 

ところで、この教師の指導ですが、果たして稚拙であったのでしょうか?謝罪すべき大問題であったのでしょうか?親はまず、子供を叱責し、しかるべき教育を施す必要があったのではないのか?この親がこの子を9年間(小3なので)育てた結果が、「授業の邪魔」をし、学級会で問題にされる子供だったのではないのか。子供が傷ついたら、ぎゅっと抱きしめてやれ。きつく抱きしめてやれ。話しを聞いてやれ。学校に乗り込み、変な自尊心を植えつける前にすべきこと。それは、自分の子供を真心で抱きしめることだ。


見出しは「教師が生徒の腹をける」しかし、その実態は・・・

2007-07-10 21:28:38 | Weblog

<校内で女子生徒ける、男性高校教諭を逮捕・・・埼玉>

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20070707i203.htm?from=main2

Click here to find out more!

 「調べによると、岡村容疑者は6日午後9時ごろ、同校の校舎1階で、2年生の女子生徒(16)の腹をけり、軽傷を負わせた疑い」

 

もう、「容疑者」になってしまうんや。「容疑者」と呼ばれて、今後生徒を「指導」することができるのか??

 

 「岡村容疑者は校舎2階で、バンド活動の打ち合わせをしていた2年生7~8人のグループに帰宅するよう注意。生徒が持っていたライブで配るアンケート用紙1枚を持ち去り、取り返しに来た女子生徒らともみ合いになったという」

 

「午後9時ごろ」ということは、随分夜遅い。そんな時間まで学校に居残りして学校行事とは無関係の「バンド活動の打ち合わせ」をしていたことを、教師が咎め、帰宅を促すのは当然。アンケート用紙を持ち去り、どのような内容か確かめる行為も正常な、真っ当な行為である。

 

 「調べに対し、岡村容疑者は「足の裏で押しつけただけ。生徒に囲まれて危険を感じやってしまった」と供述している」

 

いや、蹴ったんでしょう。腹が立ったから(笑)ついつい足が出てしまったのかもしれない。この気持ち、分かるな~(笑)

 

さて、本題。むやみやたらと暴力を振るったり、蹴飛ばしたり、つねったりするのはいかんことだし、やってはいけないことだろう。しかしこれが「教師対生徒」になると相当範囲まで許容されるのでなければ、教師は生徒を指導することは事実上不可能になる(実感。しみじみと)。ある程度の理不尽さを許容し、指導を受けるとは、教えを戴くとは、斯様に理不尽なものであり、それを通過儀礼の如く乗り越えて初めて一人前の大人になるのだ、という社会通念を再構築しなければ、教師は“なめられて”しまう。

 

世の中を“なめて”しまった若者ほど、やっかいで手に負えないものはない。それは、警察に対しても言えるだろうし、裁判官に対しても言えるだろう。つまり、権力に対する畏怖心がないと、社会はうまく機能しないのだと思う。権力に対して(たまに反感を持ってもいいが)は一目置く、という共通認識がってこそ、人は向上心を持ち、行く行くはあのように偉くなりたい、と立身出世を夢見て努力をし、それが活力となって社会をよりよい方向へ導くのではないだろうか。

 

今、大人は子供に嫌われたくないと、スリスリ子供に擦り寄っている。教師は生徒から好かれたいと「やさしい教師」を演じる。大人は自分の子供と「友達の関係」を構築し、それを“素晴らしい”理想形のように語り合うアホンダラが山積している。

 

努力をしなくても、夢を見なくても、働かなくても生きていける世の中は究極のユートピアに見えるかもしれないが、それは実は個が溶解したエゴの塊、烏合の衆であり、社会を構成することは不可能な世の中になってしまう。「自分のことしか考えることが出来ない」日本人が巷間溢れている所以である。結果、自分の人権を、権利を、快楽を最大限拡大解釈し、それらを利用し、神聖不可侵なものとして大声でそれら権利を主張するが、しかしその対価である義務については頬かむりを決め込む節操のない人種の横溢することになった。この状況、まさに悲憤慷慨である。

 

度々触れている「現代日本人の想像力の欠如」と、この事態は同根ではなかろうか。なぜここで怒られるのか?なぜ、このようなことをすれば怒られるのか?さっぱり分かっていないのである。冗談抜きで、本当に全くこれっぽっちも分かっていない人間が横行している(「なぜ人を殺してはいけないのですか?」という有名なフレーズがありますね)。このようなクソガキを相手にしているわしが言うのだから間違いない。

 

<ビニール製屋根で滑り降り遊びの女子中学生が転落、重体>

http://www.asahi.com/national/update/0710/OSK200707100011.html

 

何でも認めて来た結果、我慢をさせなくなった結果がこの様です。想像力のない人間は自分が死ぬか、他人を死なせてしまうのだ。 

 

まさに、麦秋の嘆である。


映画『南京の「真実」』

2007-07-05 00:48:59 | 初めての人は、ここから読め

間違った、嘘の歴史を糺すことは、我々の役目。真実を知っている者が本当のことを知らない者に根気良く伝えていくしかない。

 

今年は、南京陥落70周年という実に中途半端な年。この中途半端な記念年にシナは反日プロパガンダ映画を作製する。聞くところによると、10種類以上の嘘、捏造で固めた滅茶苦茶な映画だそうだ。

 

これらの映画の大半は我々日本人の目にも、世界各国の人の目にも、よほどのことをしない限り触れることはないであろう。シナの人間が下品に品格をまた落とすだけである。かわいそうな奴らだ。

 

ところが、かわいそうと哀れんでいられない事態が進行中である。それは、あのハリウッドが南京映画を作製中なのである。AOLがスポンサーとなり反日・侮日映画を製作している。南京大虐殺で日本人がいかに悪行を働いたか、という嘘を土台にした映画をハリウッドが作製し、世界に配信するのだ。これは笑い事ではない。

 

この捏造映画の題材になったのは、アイリス・チャンの『ザ・レイプ・オブ・南京』である。この段階で、「あー、あの本か。史上空前の偽書を題材にした映画なんて、信用できるか」ときわめて正常な、普通の反応をできる人は、世界中を探してもそうそう居ないであろう。池田大作が書いた本、というなら「気持ち悪い~~~~」という反応も期待できるが、アイリス・チャンという世紀のうそつきを知っている人は残念ながら少ない。

 

この本は、知る人ぞ知る、これまた世紀のうそつき吉田清治の『私の戦争責任』という呆れた偽書を土台にして書かれたものだ。偽者をベースにして書いた本が本物のわけがない。つまりアイリス・チャンの『ザ・レイプ・オブ・南京』も偽物ということになる。

 

吉田清治はうそつきである。なぜ、そうと断言できるのか?それは吉田清治自身が“嘘”を認めたからである。かれは韓国の済州島で日本軍として韓国人慰安婦を奴隷狩りし、日本軍の性奴隷としました、という「告白」をこの本で行った。その後、秦郁彦さんら専門家が調査した結果、全くのデタラメということが判明した。そして、吉田清治本人も“嘘”をついて本を書いたことを認めたのである。なぜそんなことをしたのかは分からない。目立ちたかったのか、誰かからお金をもらって嘘の証言本を書いたのか、頭がおかしかったのか、今となっては、その理由に関してはもう誰にも分からない。

 

“嘘”が判明したのは明らかだ。しかし、一度点いてしまった「火」はすぐには消えなかった。「従軍慰安婦」という性奴隷を持った国として、日本を日本軍を糾弾し貶める勢力(朝日新聞や日教組や公明党や創価学会など)は「従軍慰安婦」キャンペーンを大々的に宣伝して回った。日本軍がかつて女性を奴隷狩のように強制的に連行し、日本軍人の慰安婦にした、という“唯一”の“証拠”が“嘘”と判明したのにもかかわらず、である。朝日新聞は吉田清治の本を立派な本である、素晴らしい本であるとして、何度も紹介した。しかし、吉田清治本人が“嘘”を告白した後も、その告白を隠し続け、未だに「従軍慰安婦」日本軍強制連行大キャンペーンを展開している。その他のメディアやサヨク政治家、運動家、創価学会、日教組しかり、である。「従軍慰安婦」の大本は吉田清治の「告白」なのである。しかし、その張本人の吉田清治自身が“嘘”であったと告白したのだ。何度でも言う。“証拠”は捏造されたものだったのだ。だから、この本を論拠とした言説は全て“嘘”である。

 

もう一度言おう。「従軍慰安婦」強制連行の証拠とされた本を書いた本人が、“嘘”をついていたことを認めたのだ。

 

この本を土台としてアイリス・チャンは本を書いた。そのアイリス・チャンの本を土台として“日本軍の悪事を暴く”映画をAOLが出資し、ハリウッドが製作するのである。そんな映画が「本物」で「真実」なわけがない。大本の“証拠”が捏造なのだから。しつこいが、もう一度書く。“証拠”を提供した張本人が“嘘”であり“捏造”したことを認めたのだ。その本を土台とした書かれた本を基に、映画を作成するのだ。そのような映画の製作が認められて良いわけがない。

 

AOLの副会長レオンシスはアイリス・チャンの『ザ・レイプ・オブ・南京』を読んだそうだ。そして感銘を受け映画を製作し、その利益をこの事件を記憶に残すため財団に寄贈すると称している。しかし、これまでこのブログでも散々書いてきたが、南京で虐殺はなかった。「従軍」慰安婦もいなかった。いくつか復習すると、『中央宣伝部国際宣伝処工作概要1938年~1941年』という極秘文書によると、1937年12月1日から38年10月24日(南京入城は1937年12月13日)の間に、国際宣伝処は300回も記者会見を行っている。参加者は平均50名。外国人記者や外国駐在公館職員は平均35名。その300回のうち一度も「南京で虐殺があった」「日本人が虐殺をした」「レイプをした」という報告を行っていない。なぜか?そんなものはなかったから、報告のしようがないからだ。もう一つ。当時日本軍と戦った蒋介石は、南京戦直後の1938年1月から開かれた国際連盟理事会に出席したが、ただの一度も南京で日本軍が虐殺をしたと語っていない。国際連盟へ提訴も行っていない。なぜか?そんなものがなかったから、提訴もくそもないからである。

 

では、なぜレオンシスそこまで「偽善者」振るのか?答えは簡単。シナの市場でおいしい思いをしたいのである。シナ市場へ進出したいのである。利益を財団へ寄贈するなどはただのポーズ。本音はお金儲け。日本のことなどどうでもいい。こういうのを「偽善者」という。

 

しかし、我々日本人にとっては、「どうでもよくない」。では、どうするか?日本が「真実」を伝える映画を作って対抗するのも一つの方法である。ということで、チャンネル桜社長の水島総さんが中心となって、『南京の真実』という映画を製作中である。

 

水島社長の話によると、『南京の真実』は二本製作するようだ。一つは、小学生や中学生でも簡単に「真実」が理解でき、「そうだったのか」「知らなかった」とまさに「真実」に邂逅できる内容のものを作る。もう一つは、上演時間は7時間になろうと、8時間になろうと、完璧なものを製作し、いかなる資料批判にも耐えうる映画にする、とのことであった。一筋縄では行かないと思うが、ぜひとも映画を作成していただき、「真実」を全世界にアピールしていただきたい。

 

ただ一つ問題がある。それは制作費である。チャンネル桜も負債を抱え、倒産寸前まで追い込まれた。水島社長は私費を投げ打って、放送形態を変えてでもチャンネル桜を存続させた。そのような人である。このような人が日本にいることを、同じ日本人であることを、誇りに思う。話しがそれたが、もちろん映画制作には莫大な製作費用が要る。水島社長は私費をチャンネル桜存続のために使っている。まったく余分な費用がない。

 

そこで、製作支援を我々日本人の一人一人がする必要がある。3億円の制作費が必要だが、集まったお金は1億円を超える程度。

 

もし、今回この映画制作が失敗すれば、もう二度とこういう類の映画製作は不可能であろう。なぜなら、もう一度同額の寄付金を集めることは不可能であるからだ。

 

私も寄付をしました。まだ1回だけだが、あと数回寄付をしようと思う。これがラストチャンスだと思うから、可能な限り協力したい。今年、この映画製作に失敗すれば、日本は世界から永遠に間違った、嘘の悪のレッテルを貼られ、未来永劫謝罪と賠償をし続けなければならなくなるだろう。他国の「犯罪」は棚上げし、日本一国だけを悪者にし、お金を国土を資源を奪い取られ続けるだろう。

 

今現在日本に生まれ生活をしている全ての日本人に、これから生まれてくる全ての日本人にこのことを分かってもらいたい。日本の「真実」の歴史を知ってもらいたい。右だとか、左だと、思想の問題ではない。「本当」の日本を、「本当」の日本の歴史を知ってもらいたいのだ。そして、靖国神社とはいかなる神社であるのか、護国神社はいかなる神社なのかを知ってもらいたいのだ。まだまだ先は長いが、この世に存在する、そしてこれから生まれてくる全ての日本人に分かってもらえるよう努力を続けていく。

 

本当に取り返しのつかないことになる。皆さん、『南京の真実』製作にご協力下さい。我々の子供、孫の世代になったとき、嘘、でっち上げにより、日本は世界から孤立してしまう。

http://www.nankinnoshinjitsu.com/


久間防衛大臣の発言 その2

2007-07-04 01:05:01 | Weblog

いやはや、久間のおっさんんはこれで何度目?という感じであほなこと言うてますんで、不愉快やけど「あっそ」と「内心忸怩たる思い」で聞き流したわけですわ。TBSの捏造報道に唖然として、久間の発言内容を深く考えてなかった。ところで、TBSの捏造報道は全く話題になりませんな。びっくりするような捏造報道やで。

 

新聞を読んだときは、「無条件降伏」との言葉に気をとられて、内容をちゃんと見てなかった。そこで、今回もう一度記事を読み直して、久間のおっさんが何を言うたかちゃんと確認してみた。

 

このおっさんの言うてること、めちゃくちゃやな。戦争は、軍と軍が戦う。武器を持っていない一般市民を攻撃することは、たとえ戦争状態にあっても許されない。諸君の中には、戦争を行えば、一般市民をどんどん撃ち殺しても許される、それが戦争というものさ!と思っている人もいるかもしれませんが、軍服を着ていない、武器を持っていない、一般市民に対する攻撃は国際法違反であり、本来許されるものではありません。実際にイラク戦争でも、軍需施設を狙った爆弾が病院に落ちてしまった、といって米軍のえらいさんが言い訳するようなシーンがありました。病院なんて攻撃して言い訳ないからです。戦争にはルールがある。決して無差別に相手国を攻撃することが許されるている訳ではないのです。

 

1945年8月6日、午前8時15分。ウラニウム型原子爆弾が広島市にある島病院の上空で爆発した。これは一般市民を大量殺戮したジェノサイドである。8月9日にはプルトニウム型原子爆弾を長崎市に投下した。合計20万人以上の一般市民が地獄の苦しみを味わいながら死んでいった。

 

これは、ナチスドイツの民族浄化に匹敵する戦争犯罪である!まさに「人道に対する罪」「平和に対する罪」を犯したA級戦犯だ!A級戦犯として処刑されるべきは、アメリカである! アメリカは日本のなんちゃら慰安婦という、嘘、でっち上げの架空出来事に対してしょーもない決議案を採択してる暇があったら、一度でもいいから広島・長崎に花束を持ってやってこい!他国についてごちゃごちゃ言うて偉そうにしてる暇があったら、貴様らの蛮行を悔い改めろ!

 

「しょうがない」で許されることでなはい。容認されることではない。この発言はシナが日本を攻撃する口実を与えたことになる。「しょうがないという思いで攻撃する」「攻撃されてもしょうがないと思え!」シナ人はえげつない人種なので、必ずこういう理屈で攻撃してくる。北朝鮮が核を使用しても、「しかたない」という思いで理解するのか!?決して敵国(シナや北朝鮮)に付け入る隙を与えてはいけないのだ。久間は政治家失格!


久間防衛大臣の発言

2007-07-01 12:16:10 | Weblog

土曜日たまたま家にいて、普段TVという実にくだらんもののスイッチをオンにすることはないのですが、なぜかたまたま我が家の書斎にあるTVのスイッチを入れました。毎日放送の「ブロードキャスター」というニュース番組なのかバラエティー番組なのか分かりかねる番組が画面に現われ、いつもならこの段階でTVのスイッチがオフになるのですが、500円でモーニングが食えるなどの特集を放映しておりまして、そのままTVを見ることにしました。

 

特集が終れば、すぐにTVの電源をオフにするのですが(私には、ダラダラとTVを見続ける習慣がない。あれだけ大好きな野球ですら、何時間もTVの前でじっとしていることは不可能です)、ちょっと見てみようと、中学生以来初となるダラダラTV鑑賞を行いました(ほんまダラダラTVを点けたのは、中学生以来ですわ。わし、高校生の頃からTV番組のくだらなさに気付きましたから)。

 

すると、久間防衛大臣が大学で講演を行い、そこで「原爆はしょうがなかった」だの、「ソ連に北海道を占領されずに済んだ」だのと発言をした、という報道をしておりました。わたくしは「あっそ」という程度で聞いておりました(しかしその後の報道の凄まじさ、野党や与党(某宗教団体を母体とする党)の噛み付き方。実に異様ですね。揚げ足を取ることのみっともなさに呆れ返ってしまいますわ。もちろん、久間の発言は100パーセント容認できるものではありませんが、様々な事情や歴史を知っているわしとしては、内心忸怩たる思いで聞くこともできるけど、聞き流すこともできるのです。だから「アホか」と思いつつ、聞き流しました。それが「あっそ」の意味です)。そうなのです。私は「あっそ」という程度で聞き流したのです。ところがそのニュースを伝える原稿を読んでいるアナウンサーの次の言葉に私は飛び起きました。それは、「原爆投下は仕方ない・・・これがあったから日本は無条件降伏をし、戦争を終らせることができた」(ビデオに撮ってた訳ではないので正確な引用ではありません)との内容でした。無条件降伏・・・・・・???無条件降伏をした????

 

読売、朝日、産経、毎日全ての新聞をチェックしました。しかし、どこにも久間大臣が「無条件降伏」という発言をしたことが書かれていません。

 

おい、こらっ!筑紫哲也という人間の屑を看板にニュース番組を装い嘘をついてコミンテルンの手先となって日本人を洗脳し続けている反日放送局がっ!!久間のおっさんは、「無条件降伏」って言うたんか!!!???!!???

 

言うてないんやったら、これ、大問題やぞ!捏造報道やぞ。納豆でダイエットが可能という嘘を報道した番組、放送局はエライことになった。言うてもいない「無条件降伏」という言葉を言ったかのように報道したことは、嘘、捏造、プロパガンダではないのか!!??

 

ちなみに、日本は未だかつて「無条件降伏」をしたことは一度もありません!!有名なポツダム宣言は、以下のように書かれております。次の第五条を見よ。

http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/documents/texts/docs/19450726.D1J.html

 

「五 吾等ノ条件ハ左ノ如シ」って、ちゃんと、「条件」が付いとるやないか!!日本は無条件降伏をしたことは一度もないのだ。この「事実」を広め、久間ではなく、TBSを糾弾せよ!!