インドちゃんの子どもと書くな!子供と書け!!

障がい者と書くな!障害者と書け!!

公立の塾??

2006-04-28 20:59:07 | まじめな話。私にほれるなよー

読売新聞(日付をメモるの忘れた。オンラインの記事も削除されている。なんで?)によると、来年度経済的理由などで塾に通えない子どもを支援するため、退職した教員OBを使い、授業料無料の“塾”を全国でスタートさせるとのこと。通塾する子供との学力格差(小4~小6で通塾率37%、中学生で通塾率51%)を解消することが狙いで、放課後、土日に補習授業を行うらしい。教員OBの確保は希望者を事前登録する「人材バンク」のような制度を整備する計画とのこと。

学校の先生は何をしてるのですか?授業について来れない生徒は、ほったらかしで、教員OBにお任せするのですか?わしらが小学生の時、給食を時間内に食べきれないので(嫌いなものが出されたりするから)、昼休み時間も黙々と食べていたり、放課後一人残されて食べているものもいた。小生は食べ物に関する好き嫌いは当時皆無だったので(今は、、嫌いな食べ物がたらふくあります。居酒屋に行く奴等の気が知れません)、そのような経験はしなかったが、今思うと、先生はよく子供たちに付き合ってくれてたんだなぁ~と思う。宿題忘れを放課後のこして最後までやらせたり、テストの再テストを妥協することなく何度でも繰り返し解かせる、あるいは、友達同士で教えあうこともあった。少なくとも自分が預かった生徒は、放課後残してでも、土日に出てきてでも、責任持って指導するべきではないか。そういう気概はないのかな。鵜川昇『子供を喰う教師たち』(プレジデント社)には、「定時に登校して、定時に退校するという、およそ専門性の高い仕事とは無縁の勤務になって」おり、午後4時30分にはさっさと下校を開始し、8時間労働を守り、教職調整額を受け取るのも当然の権利と思っている「労働者」と化した学校教職員の話が載っているが、教師の仕事に「対価」を求めた瞬間、彼は教師ではなく、単なる「労働者」に成り下がってしまう。行動の基準は、「損」か「得」か?この唯一の価値観を自己の行動規範とすると、電車の中で松葉杖をついているヨボヨボのおじいさんに席を譲ることは「不運」であり「損」としか思えないだろうし、「対価」を得られない「人への親切行為」は「損」以外の何ものでもない。教師がこのような損得勘定で仕事をして、「公心」を持った人間が育つわけがない。

また、高い授業料を取っている塾に通う子供は、無料の塾に通う子どもをどう思うだろうか?無料の塾に通い、ベテラン教員OB(というより、期限切れの再利用?デガラシ?)から指導を受ける生徒は、高い授業料を取っている塾に通う子どものことをどう思うだろうか?「あいつは、ビンボーやでー」と陰口を叩かれはしまいか?文部科学省は、真剣に考えてこの結論を出したのか?(藤原正彦『国家の品格』を思い出した)

読売新聞の記事を読み進めていると、次の一文に出会った。「・・・講師への謝礼などについては、今後さらに協議する予定だ・・・」え?報酬があるの?授業料無料の塾なのに?当然税金からだよな・・・

はっはーん。特殊法人作るんでしょ~。ほんで、特別会計からがっぽり頂くんでしょ~。そして、役人の皆さん。天下るんでしょー。ちゃうか?!


ザ・ラスト・サプライズ!?

2006-04-23 00:21:49 | まじめな話。私にほれるなよー

北朝鮮による拉致事件に関連して国際手配中の元工作員辛光洙(シン・グァンス)容疑者(76)をめぐり、拉致被害者の地村保志さん(50)夫妻が警察当局の事情聴取に「北朝鮮の招待所で辛容疑者から朝鮮語などの教育を受けた。当時、『辛先生』と呼んでいた」と証言していることが2日、分かった。(共同通信、2月2日)

辛光洙(シンガンス)は日本人拉致実行犯の中心人物で、他人になりすまし拉致等の犯罪を犯していた。1985年韓国ソウル市内で逮捕され、死刑判決を受けた。しかし2000年9月に非転向長期囚として北朝鮮に送還された。北朝鮮では、辛光洙は英雄である。

しかし、上記共同通信記事の引用をもう一度よく読みなおしてもらいたい。「なんで今頃?」と思わぬか。拉致被害者5名が帰国したのが2002年10月15日、こんな重大発言が明るみになるのに、なぜ3年以上も必要なのだ。

 しかし、日本政府は過去の日朝協議で国際手配中の三人の身柄引き渡しを要求し、北朝鮮からはねつけられている。新たな情報提供もなかった。 このため、与党には「北朝鮮が辛工作員ら三人がすべての拉致を実行したとして、幕引きを図ろうとした場合、それに利する恐れがある」「三人にしぼっても前進は見込めない」(幹部)などの声があがっている。協議が不調に終わった場合、政府批判が高まり、経済制裁論が加速する可能性が高い。(産経新聞 2月5日)

つまり、北朝鮮は拉致問題を終結させたいのだ。いや、日本側が終結させたいのか・・・「拉致問題解決なくして、国交正常化なし」この台詞をこれまでに何度聞いたことだろうか。終始笑顔で記者の質問に答えている小泉首相のこの言葉が何度メディアを通して流されたことであろうか。しかし、政府は拉致被害者の総数を把握していない。驚くべきことだが、民間の特定失踪者問題研究会と警察が地を這うような努力の果て、拉致被害者の総数を調べている。日本の被害者は900名を超えているようだ。小泉首相は、2005年7月に任期中の国交正常化を目指している趣旨の発言をした。この発言は郵政民営化の影に隠れていたので目立たなかったが、小泉首相のもう一つの執念ではなかろうか。一方の北朝鮮の動きは、日朝平壌共同宣言(http://www.mofa.go.jp/mofaj/kaidan/s_koi/n_korea_02/sengen.html)によく示されている。第一条を読めば卒倒してしまう。平成14年9月17日に調印し、なんと翌月にはもう国交正常化交渉を始めるとの文言。なぜ、ここまで急ぐのか。第二条は何だ。簡単だ。日本が北朝鮮に金払います宣言!ではないか!!「拉致問題解決なくして、国交正常化なし」のはずが、国交正常化発言の方が先に来ている。さらにお金払います宣言・・・拉致の「ら」の字もないではないか。第三条は・・・これからは、もぅしませーん!と言っているだけではないか!!現に今、被害に遭われ、監獄のような苦しみを味わっている方々への文言は一切ない。これは果たして何を意味するのか。そう。拉致問題は既に解決済み!であるとの宣言である。北朝鮮は、9月17日午前10時冒頭、日本側に「8名死亡、5名生存」と告げた。そして7時間後の午後5時、小泉首相は「拉致問題解決せず、国交正常化なし」と呟きながらこの宣言に署名した。これは小泉首相が拉致問題は解決した、と認識しているからではないのか。冒頭でも書いたが、政府は拉致被害者の総数を把握していない。そのような状況で、なぜ拉致問題が解決したと言えるのか。

北朝鮮との国交正常化を実現し、歴史に(汚)名を残したい小泉首相の利害と、国交を一刻も早く結び、日本からお金をジャブジャブ持ち去ろうとする北朝鮮との利害が見事に一致したのが、日朝平壌共同宣言なのである。そんな中で出てきたのがシンガンスという北朝鮮の英雄。何か裏があると思わないか。シンガンスが諸悪の根源であり、原敕晁さんを拉致しただけでなく、蓮池さん、地村さん、横田めぐみさん、田口八重子さんといったほとんどの(認定されている)拉致事件に関与していると言われている。しかし、一人でこれだけのことが実行できるわけがなく、複数の拉致組織が日本に存在するのは明らかであり、特定失踪者問題研究会や公安当局はある程度把握しているとのことである。しかし、諸悪の根源はシンガンスとすることで生じる事態とは何か。

宣言しよう。小泉首相はもう一度北朝鮮へ行く。そう。ラストサプライズである。時期は?8月16日以降。靖國参拝のいちゃもん報道をかき消すのにはもってつけだ。そして拉致実行者の総元締めと悪役にされたシンガンスの日本への引渡しがあるのではないか。あるいは、横田めぐみさんをはじめとする数名の拉致被害者が帰って来るかもしれない。横田めぐみさんが帰ってくれば、相当数の国民が良かったと胸をなでおろし、溜飲を下げるのではないか。そして、冷めやすいこの国の民の相当数が拉致問題は解決したと思うのではなかろうか。実際は、1000名に近い被害者がいるのに。横田めぐみさんの夫とされる金英男氏の報道も、タイミングとしてはこの時期、抜群ではないか。小泉首相は自国民を簡単に見捨てる。現に「8名死亡」との虚言を根拠に、国交正常化を謀ろうとしたではないか。祖国に切り捨てられ見捨てられる地獄。かの国で地獄を経験し、苦しみ、祖国を想い涙を流す同胞を見捨てていいのか。

 解決策は、一つ。経済制裁を今すぐにでも実行することである。「日本一国で経済制裁をしても意味がない。色んな国と手を組んでしないと意味がない」と言って、経済制裁に反対した人や団体や宗教組織があった。しかし、今の北朝鮮を見てみろ!アメリカに睨まれて口座を封鎖されて、もー大困りではないか。オーストリアにある秘密口座以外は全て封鎖されて、このままでは軍に食わす食料もままならんのではないか。金正日は正直あっせっているはずだ。そしてこの度のアメリカの行動は偉い!一つだけ残した口座に、どこからどれだけ、どんなルートを経て入金されたかが丸分かりらしい。よくやったぞ!アメリカ!上記発言「日本一国で・・・」と発言した奴らは、責任を取れ!!

次に、「経済制裁を実行して、テポドンが飛んできたらどうするのだ。北朝鮮が暴発したらどうするのだ」と発言して経済制裁に反対した人や団体や宗教組織があった。なぜテポドンが飛んでこないのだ。なぜ北朝鮮が暴発しないのだ。それは、横田めぐみさんを始めとする拉致の被害に遭われた方々がいらっしゃるからではないのか。祖国の地を空を夢見て、厳しい監視の中で地獄のような苦しみを味わっている方々のお陰で、我々の頭上にテポドンが飛んで来ることを免れているのではないのか。拉致被害者を担保にして、日本で自由を完全に謳歌し上記のような発言をするのは卑怯であり、また、その資格もない。謝罪しろ!横田滋さん、早起江さんを始めとするご高齢の家族の方々をいつまで苦しめるのだ!!

即時、経済制裁を実行せよ!

最後に西村眞悟さんの基調講演(平成18年3月12日)の内容を一部引用しておく。

  拉致被害者救出は、単に人の救出に留まらず、国直しであり我々に祖国という国家を取り戻すことでもある。 

我々の国は、マネーゲーム的な利益社会ではなく、古来から共同体である。その共同体である証は、同胞に対する暖かさであり、同胞を見捨てない、同胞を助けるということである。 よって、拉致被害者救出は、共同体を維持する任務を負う政治の最重要の公務であり、拉致は現在も進行中のテロであるから、一刻の猶予も許されない政治の「最重要の緊急課題」であらねばならない。

(中略) 

しかし、ここまでされれば、国民の怒りは盛り上がり、制裁を求める声が出るのは当然で、出なければ国際社会から日本国民の感覚が疑われる。事実、国民は小泉内閣に制裁を求め続けたが、小泉内閣は反応しない。その間、アメリカはさっさとマネーロンダリングを封ずるために北朝鮮に制裁をかけている。 

小泉内閣は、「対話と圧力」というが、「対話」だけで本年にいたっている。一体、小泉内閣に国際常識があるのであろうか。何か、常識に従って行動できない事情があるのか。弱みでも握られているのか。  

(中略)

このような中で、昨年9月、他の重要課題がまるで消去されたかのような郵政民営化一色の総選挙が行われたのであるが、その中にあっても、私は第一に「拉致被害者救出の為に対北朝鮮制裁断行」の公約を掲げて闘い議席を頂いたことを誇りに思い、この公約実現は私の議席に付与された任務と自覚している。

本通常国会開会を控えた1月17日、私は、議員を辞職しないという結論と理由を公表して、現在まで公務を続けてきた。今となって辞めるべきと言われても、この結論を、変更すべき理由はない。また、苦悩の続く日夜を経て公表した結論は替えられるものではない。 ただ、私が、単に議席にしがみついているかのような表現をしているマスコミもあったので、次のことも申し添えたい。  

私に対する本決議案を提出した与党各位が、拉致被害者救出のために対北朝鮮制裁の必要性を深思され国民の願いを理解されたうえ、対北朝鮮全面制裁を決断され、「政府をして今週中に北朝鮮に対して全面制裁を断行される」ならば、拉致問題解決に大きな転機が生まれ、私の議席に国民有権者から付与された任務は一つかなえられるのであるから、私は、考えを変えることが出来るのである。

 

(某氏からいただいたメール)

最後に、記事を紹介して。我々もまた佳き神風を現世に吹かせたく。

http://www.yoshimizu-shrine.com/

(北朝鮮に)拉致された日本人家族を救う 大祈祷(日本で最初の祈祷)

 1、 御祈祷期間
   平成18年 4月 1日(土)~5月 7日(日)

 2、 ご祈祷場所
    奈良県吉野郡吉野町吉野山579
    吉水神社 本殿

 3、 ご祈祷趣旨
    天に限りなく近い・・さくらの名所、吉野山の修験の聖地で、
    拉致家族の苦しみ、悲しみをわが家族の出来事と思い、
    拉致された日本人家族を救いたいと、神々に祈り一日も
    早い、拉致問題解決を祈祷するもの。祈祷者の心を
    横田さん、増元さん、有本さん等の拉致家族に送り、
    全国の人々が支援し、祈っている事を伝えていきたい。

 4、 ご祈祷参拝者
    拝観所受付で申し込みください。電話(07463-2-3024)や
    メ-ル(sato@yoshimizu-shrine.com)そして
    ブログ(http://blogs.yahoo.co.jp/yoshimizushrine/)での
    受付もします。(住所氏名)
    ご芳名を奉り、祈りにより拉致家族に勇気と希望を与え・・
    よって、激励する。

 5、ボランティア支援募集
   拉致家族の苦しみや悲しみを理解していただき、横田さんや
   増元さん、有本さん達のために共に支援し協力願いたい。
   半日でも、一日でも拉致家族のために、ボランティアスタフと
   してお手伝いしていただける方お電話下さい。手伝い内容は
   拉致家族を救う、ブル-リボンや署名チラシの配布、記帳等。

 6、連絡場所
   電話 07463-2-3024
    吉水神社 宮司 佐藤 素心    ご芳名を奉り、祈りにより拉致家族に勇気と希望を与え・・
    よって、激励する。

 5、ボランティア支援募集
   拉致家族の苦しみや悲しみを理解していただき、横田さんや
   増元さん、有本さん達のために共に支援し協力願いたい。
   半日でも、一日でも拉致家族のために、ボランティアスタフと
   してお手伝いしていただける方お電話下さい。手伝い内容は
   拉致家族を救う、ブル-リボンや署名チラシの配布、記帳等。

 6、連絡場所
   電話 07463-2-3024
    吉水神社 宮司 佐藤 素心 

拉致家族会の事務局長 増元照明氏が、吉水神社において「拉致された日本人家族を救う大祈祷」の祭礼にご参拝されました。

 

 


抽選で1名様に

2006-04-19 00:00:40 | Weblog

うー。(マンボー!)

ガソダムネタもっと続けたかった・・・わての知識と教養と知性と武士道と情緒と形と惻隠の情と国家の品格をおまえらに示してやりたかったわ。わーんわーん

リュウ・ホセイ、カツ・レツ・キッカ、スレッガー・ロウ、マチルダ・アジャン、レビル将軍、ホワイトベースで厨房担当のタムラ、アムロのおとんのテム・レイ、おかんのカマリア・レイ、ミハル・ラトキエ、カムラン・ブルームなどなど。それから、ジオンについてはシャアについてしか書いてないな。ドレン、デニム、スレンダー、ジーン、マッド・アングラー隊、アカハナのパイロットたち(クラフト・マジソン・イワノフ・ラムジ)などなど。全く書いてないわ。それから、モビルスーツについては、全然手もつけてない状態やもんな。あー。また機会があれば出し惜しみしますんで、狂ったファンのみなさん、気長にお待ち遊ばせ。 

なんせ、西村はんが、メルマガ書きはるから、しゃーない。流れが止まったんで、ガソダムネタはこれでお開きにするわ。狂ったファンのみなさん、GMRNK(ごめりんこ)。ほんで、お前ら・・・わしが、ただ徒に、何のオチもなく、ガソダムに走ったとでも思ってるんか?アホか。おまえらと一緒にするな。ボケ。うんこ。史ね。ケツ。

さて問題です。10話以上続いたガソダムシリーズですが、大きなオチがございます。そのオチとは一体なんでしょ~~~~~~っか??これが問題や。正解者の中から抽選で一名様に、100万を差し上げまーっす!!

応募締め切りは、平成18年4月30日23時54分21秒といたします。


よめ

2006-04-17 20:55:59 | Weblog

おっとどっこい。

西村眞悟さんが、本をお薦めだよ~

メルマガの引用

この度、「中国の『核』が世界を制す」(PHP)を読んだ。
 実に、私にとって待望の本である。
 よって、是非,諸兄姉にお読みいただきたいと念じて、ここに紹介したい。

(引用終り)

伊藤貫『中国の「核」が世界を制す』(PHP)だよ。お前らも読め!わしも読むから。いや、実はまだわし読んでないねん。すんませんな。っちゅーか、買いに行ったんや。けどな、間違って違う本を買ってもうてん。へへへ。間違って、平松茂雄『中国は日本を併合する』(講談社)を買ってもうたんや。わ~~~~しまったしまった島倉千代子(久しぶりぶり~)。これもええ感じの本やから、ついでに買え。

間違って本を買ってしまったしまった島倉千代子をしたのは、これで何回目だろうかぁ??昔NHKの英会話等のテキストを毎月2冊買ってはぁー、格安で売り~の~、買ってはぁ~売り~の~ってことがたびたびありましたな。大学院生の頃、村上春樹の本を2回買うってことが2回あったね。当時付き合ってたおかちめんこに2回ともあげたな。はぁ・・・

そーいや、こないだ(といっても去年の話だが)は、あさひ屋で同じ本を同時に2冊買ったな。レジのきったないおねーちゃんも、同じ本を2冊同時の買うのは変やと思わんのけ!あほんだら!一言「2冊でええのでおまっか?」くらい聞けよ!!大人になってから(童貞卒業!って意味ではないよ。)本屋に行く機会がめっきりメキメキ減ってしまったしまった島倉千代子なんで、本屋に行くことができれば、そらまぁ~2、3万円分は本買いまんな(既出)。ほんで、この時も、大量に本を買って、色々とその他買うべき・読むべき本を詮索してたんですわ。ほんで、「これ、買おぉ~~~っと」と思って一冊手にするやろ。そしたら、汚れてまんねん。汚いでんねん。せやから、手にしたのんをやめて、その下に在った本を手にしたんですわ。ところが、これも汚いねん。汚れてまんねん。しゃーないんで、その次のを手に取ったんですわ。ところがどっこい、こいつが必要以上に汚れてまんねん。汚いねん。ってな具合で奥の奥のそのまた奥へと手を伸ばし、ついに綺麗な汚れてない御本を発見したのでありま~っす!もちろん、我が手には、買う必要のない同種の本が溢れ返ってます。1冊ずつ戻します(実際には、まとめて戻したと思う象)。このとき!!このとき!!何をどぉ~~間違えたのか、最初に手に持ってた買うべき本の1冊と、汚れた汚い本のうちの1冊が、入れ違ってしまったんですね。そーなの。そーなの。そーいうわけで、2冊も同じ本を買っちゃったのよー。もち、その本(綺麗方)は彼女の元へ行きました。「アホや!」と罵られながら・・・

ええから、お前ら、伊藤貫の本読め。わしか?わしはまだ読んでないがな。なんでって?だから、間違って買ってしまったしまった島倉千代子や。明日買いに行くわぁ。

以下、メルマガの引用書いとくわ。お前ら、ちゃんと本読んでから読めよ。さきに下読むなよ。あほんだら

以下、無断引用

 この本は、日本の核武装の必要性を正面から取り上げた初めての論考ではないか。少なくとも,私は他に知らない。
 そして、この一点を取り上げても、我が国は「特異」であったことが分るであろう。
 何故なら、
 我が国は世界唯一の被爆国である。
 そして、我が国は,北から南にロシア、北朝鮮、中国という二つの核兵器を保有する独裁国家と一つの独裁国家的傾向を強める核保有国に囲まれ、これら三国の核は既に昔から我が国に照準をあてて実戦配備されている。
 さらに、海の向こうには我が国に二発の核爆弾を落した核保有国アメリカが存在し、我が国に核爆弾を落したことは正統だと未だに大統領が言明している。
 
 斯くの如き核の真下にいるような状況にある国家は,世界広しといえども、我が国だけである。まさしく,六十年前に核爆弾を落されてから今に至るまで、核の現実的脅威により包囲されている国など我が国以外にあり得ない。
 従って、このような状況下に置かれた国家なら、
核の脅威から自国民の安全を如何にして確保するかという課題、
即ち、いかにして「核抑止力」を獲得し確保するかという課題が、
政治の中心的責務として議論の中心でなければならない。
 
 しかるに,我が国では「核抑止力」獲得の為に政治家が議論することも、マスコミが特集を組むこともなく打ち過ぎてきた。正逆である。
 つまり、我が国では「核についての議論」はタブーであって封印され、石に「過ちは繰返しません」と刻んでおれば核の脅威は無くなると信じられてきたのだ。
 これを「特異」と言わずして何が特異であろうか。核一発で数十万人の国民が死亡することを考えれば、その核の抑止を考えないということは、まさに、政治の犯罪的不作為であり思考停止である。

 そこで,本書であるが、
 今までの我が国の状況が特異であり異常であることを示すと同時に、この長い思考停止の後にもかかわらず、読者の「核」に関する認識を一挙に国際政治の水準にまで引き上げる力をもっているのだ。
つまり、本書は,我が国の思考停止の空白を見事に埋めて遅れを一挙に取り戻してくれるのである。つまり、一書で、新次元を啓いたのだ。

 アメリカのワシントンDCに二十年以上住んで日本とアメリカと世界を観察している著者は、東京にいるより日本をよく知っている。恐らく,既に述べたように、「特異」な日本の東京にいるよりもタブーのないワシントンの方がよく見えるのだろう。
 著者は,アメリカの国防総省や国務省やCIAの役人や、議会人また研究者と議論し彼らの本音をつかみ出してくる。加えて、中国軍や中国政府の要人の発言の真意を見抜いたうえで,核を中心とするアメリカと中国の力関係の現在と近い将来を解析していく。
 本書に結実した著者のたった一人の情報収集の努力には、使命感に裏打ちされた執念が感じられ、読んでいる者は、まるで著者と共に国際的スパイになってアメリカや中国という核保有国の偽善のベールに隠されている剥き出しのエゴイズムを掴み出したような達成感を感じることが出きる。
 
 これは実は、非常に貴重で歴史的業績であると思う。
 第一,六十年間封印されてきた国家の存亡を左右する「核」の分野に光をあてたこと自体が歴史的であろう。
 さらに、戦後日本人がともすればコロリと誤魔化されてしまう中国人やアメリカ人の本音とエゴイズムを日本人の前に提示したこと自体が貴重である。
 何故なら、我が国においては、今でも中国大好き爺さんは若い者を引き連れて中国詣でをして天安門のうえに登る権力者と会談してもらって悦に入っており、他方、アメリカ追随者はアメリカの「核の傘」の盲目的信者であるからだ。
 この点,マスコミもマスコミになっていない。同じ追随者に過ぎない。

 著者は,本書のなかで、チャーチルやド・ゴールを引用している。
それは、著者が,祖国日本を愛しているからである。
 大東亜戦争後の祖国日本を見て、この異常な危うい情況からの再興を念願するとき、少しでも歴史を学んだ者ならば、第一次世界大戦後の祖国イギリスやフランスの脆弱な情況に警鐘を鳴らし続けたチャーチルやド・ゴールのことが想起されるのである。
 
 大戦後の「空想平和主義」の蔓延による思考停止という情況が非常に似ているのだ。
 
 その空想が支配するなかで、チャーチルやド・ゴールは,信念に基いて祖国に警鐘を鳴らした。しかし,それによって祖国の大勢から排除され痛めつけられた。
 彼等が,志にふさわしい役割を与えられたのは、祖国が彼等の警鐘どおり危機に瀕してからであった。
 
 現在の日本において、著者のように「核武装による抑止力獲得」を説くことは、チャーチルが紅茶一杯の節約による軍備増強を説いて戦争屋と罵られ、ド・ゴールが機械化師団の創設を説いてフランス陸軍から排除されたのと同じことをすることである。
 従って,それをまさに本書でしているということは、著者がチャーチルやド・ゴールと同じ愛国心を有していることを意味するのだ。
(事実、本書の出版をはじめは請け負っていて大手の出版社は、間際になって出版を辞退して逃げたという。我が国のマスコミ界とは未だこういう情況にある)

 さて、平成十一年になるが、私が「日本も核武装するか否か議論せないかん」と発言してマスコミが狂奔したことがあった。
 その時、圧倒的な数の賛同と共鳴の手紙やファックスのなかに、忘れ得ぬ無礼な手紙がきた。アメリカ人からであった。
 そこには、自分は日本に二十年以上住むアメリカ人で妻も日本人であるが西村の考えは間違っていると前置きして次のように英語で書いていた。
「五十年前は,おまえたち日本人は悪でありアメリカ人は正義であった。だから,日本人には原爆を落されるのが当たり前である。
 そして、これからも、アメリカは正義であり日本は悪であることに変わりはない。従って、お前がこの度のような発言をすることはまったく馬鹿なことであり、アメリカから離れてアメリカと戦いたいのか。喜んで戦ってやる。そして、アメリカは再び勝利するであろう。
何故ならアメリカは正義であり日本は悪だから。」

 この手紙に接して,親日家ぶっているアメリカ人のどうしようもない日本人に対する偏見を知ったのである。
 その後しばらくして,本書の著者である伊藤 貫氏に会ったとき、
彼も,日本人なら誰でも親日家として心を許すアメリカ人が、如何に人種的偏見を日本人に対して有しているかをとうとうと述べた。伊藤氏は、日本核武装に関して議論した産経の正論に時々論文を載せるアメリカ人の偏見を私に説明してくれたのである。意気投合した。
 
 伊藤氏と西村は,当然のこととしてアメリカ人に頼っていて祖国防衛はあり得ない、祖国防衛は日本人自身によってなされるべきであるという,当たり前の結論を共有している。

 その後,伊藤氏は「諸君」等に「日本核武装論」を展開し、心強く拝読しているうちに本書出版となった。
 先月三月に短期間だけあわただしく帰国していた伊藤氏に会って昼飯を共にしたが、私自身もあわただしく,不覚にも本書出版のことは伊藤氏と会うまで知らなかったのである。
 昼食時の会話は、ただ、日本核武装の必要性と、アメリカの欺瞞と中国の欺瞞を見ぬけない日本政治の貧困である。

 本書は、四月二日の大阪から熊本に向かう機中で読了した。
 「日本が独立国であるために」と題した最終章の最後には、ド・ゴールのことが出てくる。
 ド・ゴールはアメリカの「核の傘」を信用せずフランス独自の核を保有する。ド・ゴールがケネディーにアメリカのフランスに対する「核の傘」が信用できるのか否かと問い詰めたとき、ケネディーは顔面蒼白になった。彼は言う。
「アメリカ人はしょせん,アメリカ人だ。彼らはヨーロッパ人ではない。我々は,欧米の同盟関係を維持しなければならない。しかし,ヨーロッパ人がアメリカの覇権主義をそのまま受け入れるならば、我々は自分自身に対する信念さえ失ってしまうだろう」

 このド・ゴールにおなじ頃に会ったアメリカのフランス駐在大使は、次のように報告したという。
「私にいわせれば、ド・ゴールは反米だなどというのは、とんでもない誤解だ。ド・ゴールは反米でも何でもない。彼はフランスの運命を真剣に考えているだけだ」

 このド・ゴールに対する報告文を読んだとき、私は不覚にもこみ上げてくる思いを押さえることができなかった。
 戦後日本は,このド・ゴールのように外国の駐日大使から報告される政治家を生み出しているのだろうか。これが,現在の我が国の低迷に繋がっている。無念である。
 そして、この西村は、平成九年の尖閣諸島魚釣島上陸以来、マスコミから「過激」だとか未だにろくなレッテルを貼られていない。しかし、私はただ,「日本の運命を真剣に考えてきただけだ」
 そして、ド・ゴール将軍の域に達するのを目標にして、逆境は天の恩寵であることを自分の人生で実証していきたい。

以上、無断引用終了。


ケンドー・コバヤシ

2006-04-11 09:57:17 | お店情報

ホワイトベース隊にとって、アムロ・レイという少年の存在はあまりにも大きかった。不慣れな戦いを強要された隊にあって、パイロットとしての彼の力は強すぎたのである。しかし、アムロとほかの若者たちの生きようとする意志に差があるはずおなかった。だからこそ、アムロと共に戦ったクルーたちは、程度の差こそあれ、彼とのギャップに思い悩んだ。そうした感情に最も悩まされた少年が、ハヤト・コバヤシであった。

ハヤトがアムロとの才能の差を意識したのは、ホワイトベースに身を寄せる以前から彼に近い位置に居たためであろう。一年戦争中盤において、ハヤトはサイド7に居住しており、彼の家はアムロの住まいの向かいにあった。そのため、機械いじりに没頭する内向的な少年の姿を、身近なものとして目にしてきたのである。それが、公国軍の襲撃によって、彼はアムロと共にホワイトベースに避難することとなった。その戦いの中で、アムロが急速に才能を開花させていくのを目の当たりにすれば、自分との違いに嫉妬と焦燥感を抱くのも当然と言えよう。彼にとっての一年戦争は、生き残るための戦いであると同時に、アムロ・レイという壁と向き合う試練だったのかもしれない。そしてその戦いは、己の存在意義を頑なに求めた少年の成長を促すこととなるのである。

 

 リュウさんを殺した敵が

   目の前にいるんですよ!

 

サイド7において公国軍の襲撃に遭い、避難民としてホワイトベースに搭乗したハヤトは敵の迫撃を受ける艦において、機銃座の砲手を務めることとなった。その後、モビルスーツへの順応を示した彼は、RX-75ガンタンクなどのパイロットとなり、ホワイトベースの戦力の中核として成長していく。彼の生来持つ勇敢な性格が、そうした行動をとらせたのだろう。しかし、その行動の裏には、アムロに対する競争心が働いていたことは想像に難くない。また、クルーたちのアムロに対する期待に比べ、自分が頼りにされていないと感じていたことも、アムロに対する反発心に繋がったと推測できる。実際、ホワイトベースを脱出したアムロの処分が独房入り程度だったことに反感を抱き、カイ・シデンたちと共に艦を降りたこともある。それは、アムロひとりがホワイトベースを守っているのではないという、彼のプライドの裏返しであったに違いない。

しかし、 そうしたアムロへの個人的な感情は次第に氷解していった。それは、戦いの中で多くの仲間を失い、ジオン公国に対する義憤を強くしていったためであろう。サイド6の宇宙港で公国軍の戦艦と鉢合わせした際には、怒りに震える場面もあった。戦争は彼の人間的成長を促すと共に、戦う意義を見出させたのである。それだけに、彼は己の力のなさを嘆いた。もちろん、ほかのクルーたちと同じように戦ってきた彼の力が足りなかったわけではない。しかし、ニュータイプとして大きく成長したアムロと共に戦った彼からすれば、自分があまりに無力であるかのように感じられたのであろう。結局、アムロとの差は一年戦争を戦い抜いても埋まることはなかった。だが、終戦を迎えた彼の表情にわだかまりはなく、ホワイトベースを支えた偉大な戦士の帰還を笑顔で迎えたのだった。

ハヤト・コバヤシ
階級:伍長(曹長の説もあり)  年齢:15歳  性別:男  所属:地球連邦軍第13独立部隊  出身地:不明  技能:パイロット  特技:柔道(黒帯)
身長:150センチ(ミニモニ。)  体重:48㌔

■フラウに明かした本心
ソロモン攻略中負傷したハヤトは、看病にあたったフラウに己の無力を嘆き、その心境を告白した
「悔しいな、僕だけこんなんじゃ。セイラさんにもカイさんにも適わないなんて・・・・・・情けないよ」
負傷したハヤトはフラウに自らの本心を語った。傷の痛みと共に、彼の中にあった劣等感が自らを苛んだのであろう。己の弱さを見せまいと戦ってきた少年が流した涙は、その葛藤の深さの表れであった。内に隠してきたその感情をフラウに明かしたのは、自分の苦しみを誰かに行ってもらいたいという思いがあったのかもしれない。

ア・バオア・クー攻略戦の直前にはフラウとの仲が進展し、親密に語り合うこともあった・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・\(-o-)/

一年戦争後は、フラウ・ボゥと結婚し、カツ・レツ・キッカを養子にする・・・・・・・・・・(>_<)

 


学校法人ミライ(学園と)・ヤシマ(学園)(=2大うんこ学園)

2006-04-10 21:19:51 | お店情報

己のなすべきことを心得ている人間は多くない。背伸びをせず卑下もせず、等身大の自分を見つけられた者は降伏であろう。その「ポジション」が分相応であれば、自分と格差に思い悩むこともない。「過ぎたるは及ばざるが如し」という中国古典『論語』の言葉にもあるとおり、やり過ぎは足りないことと同じく良い結果を生み出さないのである。ミライ・ヤシマという女性は、それをよくわかっていたのではないだろうか。彼女が一年戦争の中で示した存在感は、そうした彼女の中庸さによるものと言えるだろう。

ミライが若いながらに達観したものの見方をしていたのは、彼女の生い立ちによる部分が大きいのかもしれない。U.C.0061、彼女は名家ヤシマ家の令嬢として生まれた。彼女の父は連邦政府高官を務め、政財界に強い影響力を持つ人物であったといわれている。その父のもとで何不自由なく育った彼女だったが、父の死後は地球を離れてサイド7に移住している。あまりに急激な環境の変化が、彼女に強い影響を与えたことは想像に難くない。それがネガティブな方向に向かわなかったのは、彼女が生来持つ懐の深さゆえであろう。父の死と宇宙への船出は彼女にとっての試練となったが、彼女はそれを貴重な人生経験として消化したに違いない。

だが、U.C.0079.09.18の公国軍によるサイド7襲撃によって、彼女はその新天地すら追われることとなる。ホワイトベースに避難した彼女は、クルーザー級のスペース・グライダーのライセンスを持っていたことから、操舵手不在のホワイトベースの操艦を自ら名乗り出た。それは、窮地にあって己の成すべきことを探した結果の決断だったのであろう。しかし、その決断が彼女を一年戦争の只中に放り込んだのである。

ホワイトベースの操舵手となり、サイド7からの逃避行を強いられたミライも、当初はなれない戦いに戸惑ってばかりであった。彼女をはじめとするクルーの大半が民間人であり、正規の軍人は艦にほとんど存在していなかったのであるから、それも当然である。だが、そうした環境と度重なる戦いが彼女を鍛えていった。生来の度胸の良さと潜在的な能力が、非常事態において発揮されたのであろう。時に戦術的な見識さえ垣間見せる彼女は、次第にホワイトベースになくてはならない存在となっていったのである。

 

 みんなに馬鹿な真似はさせないわよ

   あたしが責任を持つから!

 

そして、ミライの温かさと冷静さはホワイトベースクルーを支えた。スレッガー・ロウをして「ホワイトベースのおふくろさん」と言わしめたのも、その存在感ゆえである。 事実、クルーの精神状態に気を配り、暇を見ては繕いものにも精を出す彼女を、クルーたちは深く信頼したのである。ミライもまたクルーたちのことを第一に思慮を巡らせ、時には毅然とした態度をとることも厭わなかった。クルー全員の安全のためにアムロ・レイひとりを危険に晒し、フラウ・ボゥに卑怯・弱虫と罵られたこともあった。「何言ってもいいわ、我慢するのも勇気よ」。取り乱すフラウにミライは激しく諭した。大勢の命を預かる者の責任と向き合う彼女の姿勢が、その言葉からは窺える。

ミライはホワイトベースの精神的な支柱であった。無論、彼女ひとりの力は決して大きなものではなかったが、ホワイトベースというパズルに欠くことができないピースのひとつであったことは疑いようもない。彼女自身、一年戦争の中で深い悲しみを味わった。一度は将来を誓い合ったカムランとの別れ、心を寄せたスレッガー中尉の死。それでも折れず、己の本分を貫いてホワイトベースという「我が家」を支えたミライ。のちに妻となり母となる彼女は、一年戦争でクルーたちの「母」となる貴重な経験を積んだのである。

ミライ・ヤシマ
階級:少尉  年齢:16歳  性別:女  所属:地球連邦軍第13独立部隊  出身地:地球  技能:操艦 


ブライト・ノアの運ぶネ☆(はぁ?)

2006-04-01 02:22:22 | お店情報

のちに一年戦争を代表する名艦長と称されることになるブライト・ノアも、元を辿れば一介の士官候補生に過ぎなかった。U.C.0060、地球に生まれたブライトは、一年先生が膠着状態に入ったU.C.0079の3月に連邦軍に入隊した。一説には、ノア家はブリティッシュ系の血を引く裕福な家柄であり、彼はその環境の中で何不自由なく育ったとも言われているが、その真偽のほどは明らかになっていない。

彼が歴史の表舞台に姿を現すのはその6ヵ月後、同年9月のことである。士官候補生だった彼は「V作戦」の中核を担う新鋭艦ホワイトベースの乗員となり、サイド7へと向かった。その時点での彼は、それほど重要な任務を担ってはいなかった。実際、サイド7入港時に、テム・レイ技術大尉にブリッジへ上がるよう伝えた伝令がブライトであり、あくまでも彼は「ホワイトベースの士官候補生のひとり」だったのである。

しかし、ジオン公国軍のサイド7襲撃によって、彼を取り巻く状況は一変することとなる。正規乗員の大半が死傷し、艦長のパオロ・カシアス中佐も負傷した状況下で、ブライトはブリッジ要員の中心人物としてホワイトベースの指揮を執ることを余儀なくされるのである。サイド7からの避難民を抱え、クルーたちのほとんどは素人同然の訓練兵や民間人。実戦経験の少ないブライトにとって、ホワイトベースが置かれた状況はあまりに厳しかったと言える。絶望的な航海の舵取りを突然に背負わされた彼の重責がどれほどのものであったかは、想像に難くない。のちに名艦長と称えられるブライトの船出は、不安に満ちたものだったのである。

ジオン公国軍の襲撃によって正規乗員の大半を失ったホワイトベースは、サイド7を脱出しルナツーへと向かった。ブライトは負傷したパオロ艦長を補佐しつつ、この時点からホワイトベースの実質的な指揮官を務めていくこととなる。

重傷のためにルナツーで艦を降りたパオロに代わり、ブライトは本格的にホワイトベース艦長としての責務を負った。しかし彼を待っていたのは、避難民の受け入れ拒否と、ジャブローへ直行せよという命令であった。ブライトの抗議も受け入れられず、ホワイトベースはルナツーを出港し、命令に従って南米のジャブロー基地を目指して大気圏突入を図る。だが、シャア・アズナブルの追撃によって進入コースを大幅にずらされたホワイトベースは、ジオン公国軍の勢力下にある北米大陸へと降下することとなった。ここから、ホワイトベースの過酷な単独行動が始まったのである。

 

  俺だって生きている間くらい

    人並みに上手に生きてみたいと思うけど

  不器用だからな・・・・・・

 

素人の集団を率いて敵の勢力圏内を突破するというあまりに危険な行動の中にあって、ブライトの心労はいかほどのものであったろうか。それに加えて、地球に降下してからのホワイトベースの指揮は、最も階級の高いリード中尉(ルナツーから同行したサラミス級の艦長)が執っていた。あまり適切とは言いがたい彼の指揮も、ブライトのストレスとなっちたと言えよう。また、ホワイトベース内部に抱えた問題も決して軽視できないものであった。度重なる戦闘で神経衰弱に陥ったアムロ・レイが出撃を拒否したのもこの時期である。ブライトはこの時アムロを殴り、このように言い放ったといわれている。「貴様はいい!そうして歎いていれば気分も晴れるんだからな!」
このエピソードは、敵中に放り込まれ、素人集団を率いていたブライトの苛立ちを示していると言えるだろう。

さまざまな障害はあったものの、ホワイトベース隊は北米を抜けてユーラシア大陸に進入。ランバ・ラル隊の追撃、オデッサ作戦などをくぐりぬけてジャブローに到着した。これ以前に、第136連隊所属のマチルダ隊と2度目の接触時に少尉に任官されていたブライトは、ジャブローで大尉に昇進している。同時にホワイトベース隊は連邦軍第2連合艦隊所属の第13独立部隊とされ、囮部隊としての役割を与えられることとなる。ホワイトベース隊を厄介者扱いする連邦軍高官たちが下した処遇に、ブライトは内心納得がいかないものを感じていたのかもしれない。しかし彼らにこれを拒否する権利があろうはずもなく、ホワイトベースは再び宇宙へと上がった。

宇宙に上がったホワイトベース隊は、ソロモン攻略戦、星一号作戦に参加。最終的にはア・バオア・クー攻防戦の最中に艦を失い、終戦を迎えた。ブライトは最後までホワイトベース隊を指揮し、生存者全員を退艦させることに成功している。無事に終戦を迎えたブライトは、戦後も軍に留まった。閑職に追いやられながら7年の時を過ごした彼は、グリプス戦役で再びその手腕を振るうことになるのでる。

 

ブライト・ノア
階級:士官候補生→大尉  年齢:19歳  性別:男  所属:地球連邦軍第13独立部隊  出身地:地球  技能:艦長、部隊指揮

■艦長としての重責
一年戦争当時、ブライトは若干19歳の若者であった。そんな彼が、軍規に縛られることに慣れていない民間人のクルーたちを率いていくことは、相当な激務だったに違いない。しかし、ホワイトベースを取り巻く環境が、彼らの甘えを許さないものであったこともまた事実である。ブライトは時に傲慢とも取れる姿勢で指揮に当たったが、そこには、艦全体の無事を第一に考える彼の責任感の強さが見て取れる。激務の過労から彼が倒れたというエピソードも、そうした状況を物語っていると言えよう。

■アムロ・レイに掛けた期待
ブライトにとって、アムロ・レイとの関係は、最も頭の痛い問題だったと言える。ブライトはアムロがパイロットとしての才能を高く評価していたが、それゆえにアムロの身勝手や増長を痛烈に非難することも多かった。逆に言えば、アムロに対する期待の裏返しであったと言える。しかし、彼のそうした対応はアムロの反発を生み、アムロの脱走事件へと発展するのである。

■ミライに寄せた不器用な想い
ともに戦いの日々を過ごす中で、ブライトはホワイトベースの操舵手、ミライ・ヤシマに想いを寄せていく。しかし、彼女には親が定めた許婚がいた。その許婚(カムラン・ブルーム)のいるサイド6に行くことになた彼は、「軍令がなければ誰が寄るものか」とまで洩らしたという。いかに優れた部隊指揮の手腕を発揮していたとはいえ、彼は20歳にも満たない青年だった。恋敵の登場に心中穏やかではいられなかったことも、無理からぬことだったと言えよう。