インドちゃんの子どもと書くな!子供と書け!!

障がい者と書くな!障害者と書け!!

寸鉄ウォッチング その3

2008-07-30 15:57:20 | 寸鉄ウォッチング

1995年9月1日、東村山市議であった朝木明代さんがマンションから転落し死亡した。彼女は創価学会や公明党をたびたび批判していた。

 

捜査の結果「万引きを苦にした自殺」との見解を出し、この一件は幕を下ろした。

 

しかし、

せと弘幸氏のブログを拝見すると、(以下引用)

①朝木氏の持っていた鍵束は、事件当日および翌日には見つからなかったのにもかかわらず数日後に発見されたこと。

②朝木氏が履いていたはずの靴が未だに発見されていないこと。

③失踪中の朝木氏の最後の声を分析した日本音響研究所の鈴木松美氏(声門鑑定の第一人者)の解析によれば、その声は「飛行機が撃墜された瞬間や、頭にピストルを突きつけられているときなど、緊張の極地にある状況下で生まれる周波数である」と明言していること。

④朝木氏は、翌日高知県にある反創価学会団体「ヤイロ鳥」の主催する講演会でスピーチすることを約束しており、その講演のためのレジュメをパソコンに書きかけていたときに突然行方不明になっており、パソコンの電源は入ったままであったこと。

⑤決定的な殺人事件の証拠として、朝木氏死亡後4年半たってやっと公開された司法解剖鑑定書に「死体の両上腕部裏側に強く掴まれたときに出来る青アザがある」と明記されていること。

(以上引用)

とのことである。

 

そして何といっても、この事件を担当した検事は創価学会員のN氏であり、この事件を担当させて上司のY氏も創価学会員である。さらにY氏の義兄は創価学会の副会長を務めている。

 

もしかしたら犯人かもしれない、との疑惑のある団体に所属する人間が捜査を担当し、「自殺でした」との結論を出す。しょーもない安もんのドラマでももうちょっと捻った内容のシナリオ書きまっせ。こんな“みえみえ”の事件があるかいな。

 

●皇紀2668年7月28日の寸鉄

 創価大の法科大学院に期待大。新司法試験合格率は私大3位。秀英の要塞(フォートレス)。

 

そして、その真上には、

「創価大学法科大学院 6期生募集」との記事が。「『学生第一』で発展を続ける創価大学。法科大学院の授業は本部棟で行われる。一流の教授陣による少人数授業が特徴。同大大学院専用の寮や自習室等も完備」と、近所の学習塾も真っ青な大宣伝!!

 

検事だけでなく、裁判官も創価学会員が担当という事態にもなりかねない。これは冗談でも絵空事でもない。「総体革命」といって、国家機関のありとあらゆるところに創価学会員を送り込み、創価学会員で世の中を支配しようという企みなのだ!監視を絶対怠るな!!


サミュエル・フォール卿 来日支援

2008-07-18 18:01:52 | Weblog

『敵兵を救助せよ!』(恵龍之介著、2005年)をご存知か?

http://www.bushido-seishin.com/

 

昭和17年2月27日、スラバヤ沖にて日本艦隊と英米蘭の連合艦隊が激突した。以下、サイトから引用。

三月一日にスラバヤ沖で撃沈された英海軍の巡洋艦「エクゼター」、駆逐艦「エンカウンター」の乗組員四百数十名は二日に渡って漂流を続け、生存の限界に達していた。このとき、偶然この海域を航行していたのが日本海軍の駆逐艦「雷(いかづち)」である。

当時、英国海軍中尉だったフォール卿は、「日本人は非情」という先入観を持っていたため、機銃掃射を受けていよいよ最期を迎えるものと覚悟した。
 しかし、駆逐艦「雷」は即座に「救助活動中」の国際信号旗を掲げ、漂流者全員422名を救助したのである。艦長・工藤俊作中佐は、英国海軍士官全員を前甲板に集め、英語で、「本日、貴官らは日本帝国海軍の名誉あるゲストである」と健闘を称え全員に友軍以上の丁重な処遇を施した。
 戦闘行動中の艦艇が、敵潜水艦の魚雷攻撃をいつ受けるかも知れない危険な海域で、自艦の乗組員の二倍の敵将兵を救助したのだった。もちろん艦長の英断であった。

フォール卿はこの艦長への恩が忘れられず、戦後その消息を捜し続けてきた。しかし、昭和六二年、工藤中佐が八年前に他界していた事を知ると、自身の齢もすでに八十四歳を数えることもあり、意を決し「人生の締めくくり」として来日したのである。

引用、以上。

 

工藤俊作艦長の生い立ちや歴戦の勇姿等を綴った書物が『敵兵を救助せよ!』である。この書物を読み、勉強会で発表を行い、その後「会報誌」へ記事を掲載した。以下は、会報誌へ掲載される前の段階の原稿である(会報は字数等が厳しいため、大幅な字数削減や表記に変更が行われる・・・って、編集してるの、わしやけどwww)。

 

 

 

歴史を動かすもの 

 歴史を動かすものは何か、と問われればどう答えるだろうか。福沢諭吉は「時勢」と答た。階級闘争が歴史を動かす、という説を唱える者もいる。先日、「あさなぎ」部員への格別のお計らいを賜り、遊就館地下倉庫を見学させていただいた。その際、ご案内された方が「歴史を動かすのは経済でも何でもない。人である」と仰った。私はその時「結局人が経済活動を行っているのだから、そんなのは当たり前だ」程度の認識であった。しかし『敵兵を救助せよ!』を拝読するにつれ、いかに自分の認識が甘く、いかに歴史に対して無知であり、いかに大東亜戦争をはじめとする日本の歴史について疎かったかを痛感させられた。

 その通りである。歴史を動かすのは、人である。『敵兵を救助せよ!』には、海軍兵学校校長であった鈴木貫太郎が登場する。ポツダム宣言受諾時の首相であった鈴木貫太郎を知らない人はいないだろう。しかし、鈴木元首相は人間であり、日本で生活した親も子もある一人の人間である。鈴木元首相の体躯、顔つき、性格、人相風体などをご存知の輩はそうそういないのではないか。年代と事件名と人物名を“暗記”することだけが歴史の勉強ではない。それは、“オタク”の仕事である。『敵兵を救助せよ!』を読み、生まれて初めて“生きた”鈴木貫太郎と出会えたように思った。文字として知っている歴史上の遠い昔の人物としてではなく、日本の地に生き、日本を動かした生身の人間鈴木貫太郎と対面したように感じた。

 本書の主人公、工藤俊作「雷」艦長についても、その名前さえご存知の方は少ないのではないだろうか。ましてやそのご威徳や敵兵を救助された事実となれば、知る由もないであろう。反日プロパガンダに毒されて久しい我々であるが、草の根で斯様な「真実」を掘り起こすことによって、高森明勅先生の仰る「マッカーサーの呪い」を取り除くことができるのではないか。その時はじめて、我々子孫の「恩返し」が始まるのであろう。

 人が歴史を動かし、歴史が人を動かす。今回大変貴重な機会を与えて下さったすべての方に感謝すると共に、靖國に鎮まる英霊ならびにすべてのご先祖様に感謝の誠を捧げたいと思う。

 

会報誌からの転載以上(若干加筆修正w)。

 

サミュエル・フォール卿が再度来日したい、と仰っている。前回の来日(平成15年)では、残念ながら工藤俊作艦長の消息が分からず、無念ながら帰国された。しかし、関係諸氏の努力の甲斐があり、工藤俊作艦長のお墓の在り処が判明したのである。サムエル・フォール卿は御年八十九歳。体も相当悪くしておられ、主自治からは、長旅は体に負担が大きく、ファーストクラスで車椅子などの適切な付き添い介護が必要とのことである。費用が相当かかる故、サミュエル・フォール卿お一人の財力ではどうにもならないのが現状のようである。

 

自分と命を懸けて戦った“敵”のことを生涯忘れることなく、ご自身が人生の晩年を迎えた今、ただお墓参りをするために遠い異国の地から来日を果たそうとしている。戦争とは単なる人殺しではない。混乱の状態であることは確かだが、平和な現代から過去を野蛮なものと片付けることはできない。国際紛争を解決する手段としては決して誉められたものではないかもしれないが、命を懸けて自国の主権・尊厳を守り通そうとする双方の意気地には嘆息さえ覚える。手負いの傷からふつふつと沸き起こる感情は大きな、大きな塊となり、さらに大きなうねりとなって、やがて歴史となる。歴史はわれわれの生きた証だ。嘘をつくこともごまかすこともできない。よって、歴史を知らぬ者は生きていないのと同じだ。歴史を知れ!封印された歴史を暴け!

 

『敵兵を救助せよ!』の著者である恵龍之介氏には、昨年大阪護国神社で開催された「第一回大阪護国神社英霊慰霊顕彰勉強会」 の講師としてご登壇いただいた。そのご縁もあり、我々の仲間であるK野J潤君(=那須陽一)の仲介でフォール卿に対するメッセージを恵先生が英訳してくださり、それをフォール卿に送ってくださるという幸運に恵まれた。

 

もちろん、私は英語教師wであり、プロの翻訳家なので、英語でメッセージを認めた。

 

(英文はすべて削除しました) 

 

 

再度、サイトから引用。

< 大東亜戦争勃発の翌年、昭和十七年三月、帝国海軍駆逐艦「いかづち雷」艦長工藤俊作中佐は、ジャワ海において漂流中であった英国海軍将兵四二二名を、自らの危険をかえりみず敢然として救助することに成功したのであります。この数は「雷」全乗員の実に二倍に相当するのであります。>

<サミュエル・フォール卿は、捕虜生活のあと帰国されて永らく外交官として活躍され、その間も工藤艦長の英雄的行為を英米両国において称揚されておりました。そして勇退されたのちに工藤艦長の消息を尋ねて来日されたのであります。われわれはフォール卿にたいし満腔の敬意を表するものであります。>

顕彰活動の内容については、まずフォール卿の訪日を機に、慰霊法要を執行したいと考えております。さらに講演会の開催、伝記などの整備を進め、出身地山形県における記念事業などを推進して参りたいと存じます。加えて、工藤中佐の偉業と人物像を英語版として刊行する事業は、有志の努力によってすでに大方の準備ができております。日本人の矜持を世界にひろめるための又とない機会が訪れて参りました。>

 

引用以上。

 

微々たるもので、何の役にも立たないかもしれないが、ほんの少しでもと思い募金に協力させていただいた。

 

みなさんも、手数料の方が高いわ!!と思えるような小額でもいいと思います。タバコ一本やめて、からあげくんを今回は買うのやめて、生ビールを発泡酒に一回だけけ変え、浮いた10円や20円を募金していただきたい。「点滴岩を穿つ」!!

 

 

愛情の反対は、憎しみではなく無関心である。

                      by マザーテレサ

 

http://www.bushido-seishin.com/download/collection.pdf

 

だれがかばや年

 

 


体罰を容認できない社会は滅亡する(かも)

2008-07-05 12:17:15 | Weblog

動物行動学者でノーベル賞を受賞したコンラッド・ローレンツは「幼い時期になんらかの肉体的苦痛を味わうことのなかった子供は成長しても不幸な人間になりやすい」と述べている。

 

さまざまな有識者がさまざまな意見を述べているが、体罰絶対悪玉論は戦後になって登場した。

 

その結果が、今の日本の状態である。教育に体罰を取り戻さねばならない。

 

体罰とは「他者尊重」に他ならない。いじめっこがいじめられっこに暴力を振るったり、街角でおにーちゃんがいざこざを起こし口論から暴力に発展するのとは訳が違う。

 

教育に体罰を取り戻すためには、体罰を受ける側は体罰を受けるに値する愚行を働いたとの認識、それを諌められたことに対する真摯な反省態度、さらには体罰を行う相手には逆らいようのないという諦観が必要だ。そして、自己を向上させんが為に、愚行を行ったことを反省しそれを自戒とする機会ととらえ、体罰を甘受する。体罰はその絶好の機会であると考え、「他者尊重」と表現した。

 

つまり体罰を甘受することは「自己肯定」に他ならず、自己を愛せない者が他者を愛せるはずもない。自分の人生はどうなってもいいとの悲観から他人を巻き添えにするような愚劣極まりない事件が猖獗(しょうけつ)を極める所以である。

 

自己に対する愛がなければ、自国に対する愛も生まれないのは当然である。体罰絶対悪玉論は日本破壊に他ならない。

(そういう意味で、「体罰の意義を子供に分からせないとダメ」「子供に言って聞かせてそれでも分からない場合は体罰もやむをえない」などの意見は傾聴に値しない)

 

<公開質問状:知事「体罰は愛のムチ」発言 宮崎女性ネット「軽率な発言だ」 /宮崎>

 

http://mainichi.jp/area/miyazaki/news/20080702ddlk45010602000c.html

 

東国原英夫知事が「体罰は愛のムチ」などと発言したことを受け、県に賛否両論の「声」が約40件届いていたことが1日、分かった。

 問題の発言は、先月18日の県議会本会議後、記者団に対し「昔はげんこつで教えられたが、最近はできなくなっている。愛のムチ条例はできないか」と体罰肯定ともとれる発言をしたもの。

 県によると、1日までに届いたファクスやメールなどは約40件で、特に県外と女性からのものが多いという。知事の発言を容認する意見は約4割という。

 また、男女共同参画推進を目指す団体「宮崎女性ネットワーク」の有志5人は先月30日、知事あてに公開質問状を郵送した。「暴力容認とも取れる発言は、影響が大きい。知事としてあるまじき軽率な発言だ」などとして、3点の質問に文書で回答するよう求めている。県は「質問状が届いていないので内容を読んで対応したい」としている。【小原擁】

毎日新聞 2008年7月2日 地方版

 

しかし、東国原知事は「昔はげんこつで教えられたが、最近はできなくなっている。愛のムチ条例はできないか」という程度の発言なのに、それを記者がわざわざ「体罰肯定ともとれる発言をしたもの」と大仰に騒ぎ立ててニュースにする。日本の新聞記者は底が知れてるな。論理的にものを考えることができないのか。言葉尻だけとらえてそれを錦の御旗にしてきゃんきゃん言う。一度発信すれば、後は間抜けの代名詞団体がたくさんいるので、そいつらが記事を大きく、大きく育てて抗議やデモに出て来る。

 

男女共同参画推進を目指す団体「宮崎女性ネットワーク」の有志5人へ。

 

「暴力容認とも取れる発言」と仰ってますが、「暴力を容認している」のです。知事として「あるまじき」どころか、知事として「当然」の発言です。

 

君たちこそ、日本に生まれ、日本に育ち、日本の歴史を継承する人間としてあるまじきキチガイ発言です。

 

君たちのような人間は、世の中に対して発言するのを控え、座談会で思う存分発言して大きな拍手をもらいなさい。聖教新聞で誉め称えられなさい。同中に参加しなさい。


下関市教育長の発言は真っ当!渡海文部科学大臣の発言は万死に値する!!

2008-07-01 21:23:55 | Weblog

当たり前のことを発言するとニュースになる。おもしろい話だねー。

「日本人に強制連行された」というふうに我々は戦後教えられ、そのように信じてきたが、実は「強制連行」などなく、ほとんどの人は、自ら自発的に、一旗あげようとの意気込みでやって来たという“真実”がつまびらかになって来ています。

騙されたらあきまへ~ん。

 

<植民地支配「史実に反す」  下関市教育長が発言>

http://www.47news.jp/CN/200806/CN2008062701000347.html

山口県下関市の嶋倉剛教育長が、教育補助金の増額の陳情に訪れた山口朝鮮学園の関係者に対し、戦前の日本の朝鮮半島の植民地支配について「歴史的事実に反する」と発言していたことが27日、分かった。

 下関市教育委員会や同学園によると、学園関係者は26日、嶋倉教育長に対し「植民地支配により日本に渡航せざるを得なかった朝鮮人子弟が通っていることを踏まえ対応してほしい」と要望。教育長は「植民地支配という部分は歴史的事実に反するので受け入れられない」と述べたという。

 嶋倉教育長は27日、取材に対して発言内容を認めた上で「教育行政と歴史の話は関係なく、持ち出すのはルール違反だ。日朝併合の部分をどのように表現するかは自由だ」と話した。

 下関市は歴史的に朝鮮半島と密接な関係があり、韓国・釜山市と姉妹都市関係を結ぶなど現在でもつながりが深い。

 2008/06/27 13:17   【共同通信】
 
 
 
以下、日本再生ネットワークからのメールを転載。
 
 

◆文科省前に集合を!渡海文科省大臣の歴史を偽造許すな

<朝鮮半島の「植民地支配」を否定し、在日朝鮮人の不当な強請り(補助金増額)を蹴飛ばした下関市の嶋倉剛教育長教育長に絶大な声援を送ろう>

 朝鮮半島の植民地支配を否定した正論に対し何と!渡海文科省大臣は朝鮮人の歴史偽造を容認し、「我が国の植民地支配によって多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大な損害と苦痛を与えたという認識を政府は表明しており、私の認識も同じ」との妄言を吐いた。

 朝鮮人の走狗になり果てた渡海に国民教育を司る長たる資格はない。即刻辞任すべきである。正論を語る下関市の嶋倉剛教育長を国民世論が後押しし、朝鮮半島統治の正しい歴史認識を文科省前で訴えよう!!

 日時:平成20年7月1日(火)

    午前11時半集合開始(抗議文の手交あり)

 場所:文部科学省前

 最寄駅

  銀座線「虎ノ門駅」   6・11番出口より直ぐ(11番出口より直結)

  

  千代田線「霞ヶ関駅」  A13番 徒歩5分

  日比谷線「霞ヶ関駅」  A8番・A13番 徒歩6分

  丸ノ内線「霞ヶ関駅」  A4番 徒歩8分

 

東京都千代田区霞が関三丁目2番2号

電話番号: 03-5253-4111(代表)

     050-3772-4111(IP電話代表)

     http://www.mext.go.jp/b_menu/soshiki2/map.htm

 
 

【呼び掛け】

 主権回復を目指す会、せと弘幸Blog『日本よ何処へ』、

 在日特権を許さない市民の会、外国人参政権に反対する市民の会・東京

※雨天決行、プラカードの持参歓迎