インドちゃんの子どもと書くな!子供と書け!!

障がい者と書くな!障害者と書け!!

無宗教の慰霊施設?

2008-12-17 21:41:29 | お社写真集

OSSYさんが、弥生廟を知らんと言いますんで、うpしてあげます。

 

昭和58年にそれまでの神式から無宗教の慰霊方式に変えたとのこと。つまり、霊も魂も何も存在しない場所ということになる。

 

狛犬・・・ではない。狛犬もどき。馬鹿にするな!という怒りよりも、寂しさ、わびしさの方が強く湧きます・・・

 

ガラ~ん。シーン。鳥居も手水舎も何もない。花もなければもちろん線香、ろうそく何もない。剣や鏡などあるわけない。依り代がないのだから神も何も降りて来ない。だって、「無宗教」の施設なのだから・・・

 

 

 

 

しかし、「弥生慰霊堂」ということは「慰霊」を目的としているはず。「慰霊」という行為は「宗教的行為」ではないのか?

はなはだしい矛盾を感じるが、いかがなものか。

弥生廟に限らず、全国(?)に「無宗教」の慰霊施設はたくさんあるようです。

この前、文京区の施設にも行きました。何とも言えない悲しい気持ちになります。

弥生廟もそうでしたが、もー、なんちゅうか、寂寥感・虚脱感に苛まれる施設です。

ガラーンとしててね・・・

ところで、「平和会館」「文化会館」は、無宗教の施設ですかwwwwww

おや?この後姿は・・・

 

結論:残念ながら、団体さんで訪れるような所ではない!(千鳥ヶ淵戦没者墓苑も、ほんと寂れた悲しい施設です・・・)


清掃奉仕

2008-10-13 23:32:21 | お社写真集

平成20年10月11日(土)國神社へ清掃奉仕に行って参りました。

大阪護國神社をはじめ、これまで清掃奉仕を何度も行っているが、これまで國神社での清掃奉仕は(不謹慎な言い方かもしれないが)比較的“楽”であった。

 

多くの清掃奉仕が雑草取り、草引き等のそれこそ地を這うようなご奉仕が主体でるが、國神社で我々が行う清掃奉仕は「箒で落ち葉を掃く」という行為が主体。

楽なものである。

 

しかし、今年は「雑草を取ってくれ。このままでは原っぱみたいになるww」と言われ、雨でぬかるむ地面に腰をかがめ、軍手も持たぬ素手で草か雑草か虫か訳のわからぬ青々とした草の除去を始めた。

始まって5分ほどで足腰が痛くなってきた。20分を超えると、立ち上がる度に目まいがする。貧血だ。倒れそうになるが必死にこらえて黙々と作業を続けた。

そもそも我々がご奉仕させていただいている場所は國神社本殿裏であり、且つ霊璽簿奉安殿前という神域。

しかもこの日は「永代神楽祭」が斎行されている。

おしゃべりしながら楽しそうに作業をしている者は一人もいない。みんな真剣にご奉仕に取り組んでいる。

しかし、さすがに屈んだままの作業が辛いのか、箒を持って落ち葉を掃く者が徐々に増え、腰をかがめて草取りをするものがだんだん減って来た。もちろん、根強い草はまだまだ沢山生えている。

そのとき思った。

「真剣に草を取ろう。誰かがやらねばならないのだ。誰かがやるだろう、では、永遠に進歩はない」

「誰かがやるだろう」これこそが日本“崩壊のシナリオ”であり、今の日本に一番欠けているものなのではないかと思う。

もちろん國神社にはお掃除(園芸?)を専門になさる方がいらっしゃる。しかし、その方にお任せするだけで良いのか?いったい何のための清掃奉仕か?

政治は政治家だけに任せておくべきことか?いったい何のための民主主義か?選挙権か?

手足となって動くのは政治家だが、政治家は我々国民のために働く存在でなければならない。無関心ではいられないのだ。

 

もちろん我々“素人”には効率のよい働きはできないだろう。しかし、下手だろうがなんだろうが精いっぱいまごころこめてご奉仕することの意義を痛切に感じた。

 

約一時間のご奉仕であったが、始終屈んだままであったので、内腿の筋肉が痛くて痛くて歩くのも大変。でも、さぼらず黙々とご奉仕させていただいた。箒をもてば少しは楽であったが、それをしなかった。

 

以下、ご奉仕の模様を写真でお見せしましょう。

 

 

 

やってきました♪生涯2度目の「支那の町」・・・ではなく、「信濃町」!!

 

はい。はい。右ですね。

 

お店の中はあたり一面の「センセー本」。山積みの「センセー本」。見飽きた。

 

 

近辺のお店はすべてこのステッカーが貼っていました。

いや、貼らされていた(広義の強制や!!)。

 

 

 

少々細い道なのですが、あまりにもデカイ建物なので、全体像を収めることは不可能です。はい。

 

 

おばはんが退くのをお待ち申し上げましたが、一向に動く気配がありませんでしたので、写りこんでしまいますた。

 

 

中に「威風堂々」と入ったのですが、「受付票」が必要とのことで慌てて退散しましたwww

追いかけられそうで怖かったwwww

下から撮影しましたが、とてもじゃないが、デカ過ぎておさまりきりませ~ん。

 

 

 

 

片道5車線くらいある広い、ひろ~~~い道ですが、その道の反対側から撮影しても全体像が収まりきらない「民音」の本部ですた。

中に入ったのですが、「ピアノ生誕300年祭」ってなのをやっておりました。民音は全世界をすでに征服している模様をパネルで紹介しておりますた。

 

 

創価世界女性会館です。詳しくは昨年8月25日の画像をご覧ください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

問題:さぁ~って、何の建物でしょうか???

 

 

 

答え:屋上に三色旗が見えますwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

 

 

っちゅーことで、お腹が空いたのでランチをいただくことに。せっかくなので「信濃町商店振興会」のシールが貼ってあるお店へwwwwww

 

信濃町らしく、支那料理のお店へ参りました。

入ってびっくり。

↓   ↓

調味料まで三色・・・・・wwwwwwwwwwwww

 

お皿にも三色・・・・・・・・・・wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

 

 

 

見えますか?「信濃町 大勝利飴」と書いてますwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

 

 

 

お土産物屋さんに入って、爆笑し続けてる2人って、奴らには奇妙に映ったでしょうね。

 

また爆笑しに行こう~~~っとwwww

 

<徳島市の創価学会会館で爆発か>

http://news.nifty.com/cs/headline/detail/kyodo-2008101301000228/1.htm

13日朝、徳島市内にある創価学会徳島文化会館で、正面入り口のドアや天井の一部が壊れているのを出勤してきた職員が見つけ、警察に届けた。状況などから警察は、爆発物のようなものを使った建造物損壊事件とみて調べている。けが人はなかった。近所の人が同日午前4時半ごろ「ドーン」という大きな音を聞いており、警察は事件との関連を調べる一方、爆発物とみられる破片の特定を進める。 

(2008年10月13日(月)17時23分配信 共同通信

 

わし、犯人と違うよ

 

 


東光院 萩の寺

2008-06-07 18:45:25 | お社写真集

http://www.haginotera.or.jp/

 大護摩壇

 

相島虚吼の句碑

雛の座に カチカチ山の 屏風哉

登山口 道に画きて 教えけり

放屁虫 貯へもなく 放ちけり

飼い主を 甘ったらかす 炬燵かな

 

 魯山人観音

 水子地蔵尊

お地蔵さんの後ろにこっそり写っている碑が、大金光明最勝王経の写経塔です。

 道了堂

 読めない。ごめりんこ。

 

 川谷尚亭寿碑

 福良竹亭寿碑

 正岡子規句碑

ほろほろと 石にこぼれぬ 萩の露

 本堂(吉祥林)

・・・創価学会か!?

 田村木国の句碑

狩りくらは 大月夜なり 寝るとせん

 釈迦如来白仏像

 

 座禅石

 

 青木月斗の句碑

門前すでに 丈余の 萩の盛りかな

新西国第12番霊場御詠歌碑

 長尾宗斤の句碑

早春や 枯れたるものに 光あり

 北向延命地蔵尊

本来の御仏のおまつりの方位とは逆に、お地蔵さま自体が下座(南)に下り、お参りされる方を上座(北)に捉えるという、非常に珍しい“方違い”のお地蔵さま。

従って、このお地蔵さまの前に立ち至心に合掌・礼拝すれば、瞬時にして仏の位に昇るとされ、大きなご利益を賜うという。

 延命橋

 

日清戦争の従軍記者として中国へ渡った子規は、帰国の船中で吐血、故郷松山で療養する。この碑の句は、その句集『寒山落木』中にあり、一時回復した子規が東京に戻る途中、当時中津にあった当院に立ち寄り詠んだものである。

その後も病は良くならず、明治35年東京に36歳で没した。死の前日には絶筆となった有名な句を残している。



 

「をとといのへちまの水もとらざりき」

「痰一斗糸瓜の水も間にあはず」(当山に本句の銅板短冊あり)

「糸瓜咲て痰のつまりし佛かな」 (絶句)  

化粧水がわりに使われるヘチマ水は、旧暦の8月15日、中秋の名月の晩にとったものは薬になるという言い伝えがあった。子規がこれら三句を詠んだのは、その2日後であった。この絶筆から彼の命日は糸瓜忌とも呼ばれるようになった。  

萩の寺では、弟子である高浜虚子、青木月斗など壮々たる俳人たちの集う句会が催され、俳句のメッカとして重要な役割を果たす。子規をはじめとした色紙、短冊、屏風に書かれた数多くの奉納句が当山に伝わる所以である。そして9月の萩まつり道了祭には、「子規忌ヘチマ供養」と「萩の四季俳句会」が開催され俳句を愛する多くの人が、今も吟杖を曳いて来山する。

(萩の寺サイトより引用)


ぼちぼち墓地へ。

2008-05-14 00:25:28 | お社写真集

おとんの納骨を25日に行います。ということで、おじいちゃんが眠っているお墓へ・・・

初めて来ました。おじいちゃんがこのお墓に入ったのが平成2年。今日現在までお墓参りを一度もしませんでした。

 

だって、三色旗を想像するだけで、反吐が出るんだものー。

 

お墓なんで、コメントは控えますが。

 

 

お墓なんで、コメントは控えますが・・・

 

お墓なんで、コメントは控えたいんですが・・・が・・・

 

お墓なんでコメントは控えるっちゅーてるやろがぁ~~~~~~~~~~~

 

控えさせろ・・・

 

まさに、「財務」の賜物だ(言うてもうた)。

 

妹の友達が3人の子供を残し33歳の若さで逝ってしまいました。上の写真はその墓石の前から撮影したものです。

 

こんなのもありました↓

ここは、石景山遊園地かっ!!!っとのツッコミを求めてる?

 

 

そして、お昼ご飯を食べることに。腹減ったー♪飯くわせー♪

 

レストランがあると看板に表示されているので行ってみると・・・

 

珈琲の青山やんけっ!!wwwwwwww

 

おかんに、「ほな、敷地内に、ヤマダ電機もあるんか?」って聞いたら、

「なんちゅーこと言うねん」と笑っておられました。

微笑んでおられました。

その微笑に心を打たれましたので、「大王製紙、エリエールの社長も創●大出身やねんで」と教えてあげると、大層驚いた様子で、早速娘に話し、その後電話でどなたかに伝えておられました。

 

余計なことを言ってしまったようだ・・・

 

がびーん

 

「勝利」と書いてます・・・

なんでも三色

 

なんでも三色

 

なんでも三色

 

なんでも三色

 

左側にある絵のしたに、あの“センセー”がお座りになったとのことでした。

 

みんなあの席に坐りたいオーラ全開で気持ちわるかったよ~~~

 

ゲロゲロ

 

コレ、ちゃんぽん定食なんですが、麺はうどんですた。

 

金返せ!

 

てんぷらうどんを注文したくせに、えびのてんぷらをいらんと言うので、私が頂戴しました。決して無理やり頂いたわけではありません。

 

 

 

何の風景?

 

これも、三色?

 

 

サービスしょっと

 

こうやって見ると痩せましたね。首が出てきたし、第一ズボンがブカブカなん分かりますか?

 

ただし、ファッションセンスには常にイチャモンがつきます。

 

orz

 

 

ということで、おじいちゃん。今までお墓参りにも行かないような不幸者でごめんなさい。「お題目」を唱えることはないけれど、これからは「おじいちゃんを弔う」ことだけを考えてたびたび訪れます。

 

それから、もうすぐおとんがお墓に入ります。

 

もっと早くに連れてきてあげるべきやったね。ごめんね。

 

2月、3月と時間の余裕はあったんだけど、精神的な余裕がぜんぜんなくて・・・

 

でも、これからは親子でいつまでも、いつまでも仲良くしてください。大酒飲みで大タバコ吸いの二人やから、近所迷惑にならんようにね。

 

おじいちゃんは59歳。おとんは63歳。

 

二人とも癌で苦しんで、苦しんで死んでいきました。

 

家族に迷惑かけすぎやで。 

 

自分の人生やねんけど、自分だけの人生やないねんからね。

 

ちょっとはおばあちゃんを見習いなさい。

 

ということで、親不孝の限りを尽くした気がしますが、激動の人生を生き抜いたお二人。

 

ご苦労様でした。

 

ありがとうね。わしもそのうち入るんやけど、題目を唱えないからって、イジメんといてや。


鹿苑寺・龍安寺・仁和寺

2008-04-07 18:37:38 | お社写真集

大文字焼

漱清(そうせい)

不動堂

 

 

 

庫裡

しばらく佇んでみたが・・・何も感じなかった・・・あぁ

方丈広間

つくばいと侘助椿

奥の塀は、遠近感を持たすため(かどうか知らんが)に高さに違いがあると聞いていたが、これは、見た瞬間に高さが違うと分かる。もっと微妙な変化であれば「へぇ~」と思うが、半ば“強制的”に感動させようとの魂胆が見えて、なんか興ざめでした。

ビルマ戦線の慰霊碑です。

パゴダ

納骨堂

鏡容池

辨天島

 

 

 


奈良縣護國神社・春日大社

2008-03-05 00:00:10 | お社写真集

奈良縣護國神社

 

ご祭神=明治維新から大東亜戦争までの奈良県出身で国難に殉じた方29110柱の英霊。

 

ビルマや

 

 

階段や

 

 

 

むむ。この後ろ姿は・・・

 

 

 

 

 

お兄さんとお姉さん

 

 

 

 

 

放送禁止人物1名。

 

 

 

放送禁止人物№2

 

 

奈良公園。

 

鹿

 

馬鹿

 

お・・・この頭は・・・(*^_^*)

 

 

 

 

心霊写真

 

 

 

有名な灯篭

 

ガキ邪魔。MJむしろ邪魔。ポップジャム。


若一神社・松尾大社

2008-03-04 16:07:29 | お社写真集

う(まんぼー)。

まだうpしてない画像大杉(栄)。

 

幟だらけー(毛は、少なめです)。

 

「にゃくいちじんじゃ」と読みまつ。

 

ご祭神=若一王子(にゃくいちおうじ)。若一王子とは、五所王子と呼ばれる神々の第一位柱。五所王子とは、熊野三山に祀られる熊野十二所権現の五柱のことをいう。熊野信仰を勧請する際にお祀りされることが多い。

 

 

楠社(くすやしろ)。樹齢800年以上。西八条殿に平清盛公が太政大臣に任ぜられたのに感謝してお手植えされたもの。

 

 

残念ながら、呑んでみる勇気と希望と気力がなかった(というか、湧いてこなかった・・・)。

 

 

 

 

 

 

 

 

平清盛公の像

 

若一神社は、JR京都線(?)の西大路駅付近にあります(お隣が京都駅)。そこから、たった一駅なんで京都まで歩いていこう!と一念発起しました(歩いて1時間以上かかりましたよー)。途中、某百四十数万円で世界一周旅行ができると触れ込んでいる気持ちの悪いポスターから、例のものをた~っくさん根こそぎ頂戴いたしました。へへへ。

 

松尾大社西七条御旅所(まつのおたいしゃ おたびしょ)

 

御旅所は神輿渡御の際に、神輿を安置する仮の宿のような所。いうなれば、休憩所(1時間6000円)みたいなもんです。だから、神は不在との噂があります(21日間滞在されるそうでつ)。

 

ご祭神=大山咋神(おおやまぐいのかみ)、中津島姫命(なかつしまひめのみこと)。大山咋神は、須佐之男神(すさのおのかみ) の御子大年神(おおとしのかみ)の御子といわれている。中津島姫命は、市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)の別名。市杵島姫命は、宗像三女神の一柱。ちなみに、厳島神社のご祭神でもあらせれられる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


陰陽師★五芒星★安倍晴明神社

2008-03-03 01:19:51 | お社写真集

 

も~、うpサボってたら、どんどん画像がたまっていきまつ。

うpするの、邪魔くっさいす。

 

 

 

 

 

 

 

葛乃葉霊狐の飛来像

 

 

 

泰名稲荷神社

 

 

さすがに陰陽師なことだけはあって、“占い師”が常駐されていますww

土日は占い料金が“割り増し”でしたwwwwww

五芒星の飴ちゃんも売ってますよ~~~~ww

 

阿部王子神社

 

仁徳天皇によって創建された(『泉摂州東成郡阿部権現縁記』)

 

王子」とは和歌山県の熊野大社の末社という意味で、京都から摂津、和泉を経て熊野に至る街道の途中に、休憩と遥拝のために設けられたお宮のこと。

 

ご祭神=伊邪那岐命(イザナギノミコト)、伊邪那美命(イザナミノミコト)、速素盞鳴命(ハヤスサノオノミコト)、品陀別命 (ホンダワケノミコト)


 

 

 

総合末社=天照大神、豊受大神、住吉大神、春日大神、金刀比羅(コトヒラ大神)、恵比須大神、
天満大神、高良(コウラ)大神「福岡県高良大社」、由賀(ユカ)大神「岡山県由加神社」


 

 

 

 

水神社=罔象女神(ミズハノメノカミ)、高龗大神(タカオカミノオオカミ)、闇龗大神(クラオカミノオオカミ)


 

 

 

 

こちらの方が広々としておりました。


「哲学の道」を歩みつつ、大豊神社・法然院・慈照寺銀閣・八神社を参拝するみたいな~

2008-02-19 17:28:40 | お社写真集

大豊神社。ご祭神、少彦名神(ほんと、私とご縁が深い神様です。畏れ多いことですが)、菅原道真公、応神天皇。

 

駄洒落??

狛ねずみ。大国主命が野火に襲われた際、ねずみが大国主命を救った。

 

冷泉天皇陵もありまつ。

法然院

お墓を写していいものかどうか・・・

東求堂

銀沙灘

千代の槙。樹齢500年。

お茶の井

銀閣

八神社。

このお社も、なんともいえない風情があり、感激しました(詳しくは、後日うpする「桜井市護国神社」で)。

ゾクゾクっ!としますた。

風の神様をお祭りしているようです。伊勢神宮にも風の神、水の神、火の神などをお祀りしています。八百万の神々を戴く日本ならではの風情。やはり、日本人だね~。ここは、日本だねぇ~。

 

誰もいない境内に(すぐ横の東山慈照寺銀閣は黒山の人だかりなのですが、それとは実に対照的な佇まいに“もののあはれ”を感じる今日この頃、皆様いかがお過ごしですか?)、ポツンとおみくじが置かれていました。お金を払わずにおみくじを引いて逃げることもできますが、そんなヤカラは日本にいないのですね(たぶん)。

 

今まで、おみくじを引いた後、魂をえぐられるような、あるいは魂を揺すぶられるような気持ちになったことが何度かありますが、ブログにうpすると安っぽくなってしまう気がして、自分だけの秘め事にしておりました。しかし、今回だけ、八神社で引いたおみくじの内容を公開します。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・いや、やっぱり止めとく(数文字分キーを叩きましたが、やっぱりアカン)。すんません。ご覧になりたい方は、わしの会うたときにでも言うて下さい。薀蓄たっぷりに語ってあげますから。

 


彦にゃんオフ

2008-02-17 23:49:59 | お社写真集

雪。電車内から撮影。

滋賀縣護国神社。拝殿。

川が凍ってる。

アイスバーン状態。かな~り急な階段なので、滑る滑る。

ネタ言うたり、撮影したり、という余裕がまったくないくらいの雪。吹雪。さぶい。帰りたい。

彦根城天守閣。

天守閣内から。

彦にゃん登場!

お前。


北野天満宮

2008-01-21 19:05:10 | お社写真集

いやー、すっかりうpするの忘れてました。北野天満宮を参拝したのは、一昨年のことですわ

(--;;

はは。

 

実は昨年末にも北野天満宮を(愛する○○ちゃんと一緒に)参拝したんですわ。

 

生徒の合格祈願をするために(大うそ)。

 

 

楼門です。

誰かが悪戯した跡があるでしょ。昨年度末に参拝したときもこの状態でした。こういうところから日本の劣化の痕跡が見て取れる。悲しい限りです。

手水舎

三光門(中門)。「天満宮」の字は後西天皇の御宸筆だとか。

ご社殿

明月舎

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

絵馬掛所

 

 

 

 

 

 

 

 

 

絵馬所

 

 

 

 

 


下鴨神社

2007-09-30 01:46:51 | お社写真集

 

下鴨神社   正式名称:賀茂御祖神社

 ご祭神:賀茂建角身命(玉依姫命の父)

 

←これが「神服殿」

←これが「解除所」

←これが「媛小松」

楼門

←さざれ石。護王神社にもこれの倍くらいの大きさの「さざれ石」があります。年月をかけて、少しずつ、少しずつ大きくなる「さざれ石」のごとく、我々一人一人は成長していくべきであり、国家も「さざれ石」のごとく成長していくべきなのでしょう。急激な成長は急激な下落を生む。愛もそう?てへっ。

←細殿です。

舞殿です。

 

 


脳内メーカー

2007-09-23 00:08:30 | お社写真集

今話題の脳内メーカー。これ、めっちゃおもろい。http://maker.usoko.net/nounai/

 

まず、私の名前を入力。果たして私の脳内はいかに・・・??

 

<結果>

 

 

 

 

なんじゃこら・・・

 

 

続きまして、脳内フェチメーカー。私の脳内フェチはいかに・・・??

 

 

 

 

わしのこと、知ってる人には爆笑の結果でした。

 

 

閑話休題(笑)

 

 

今週の土曜日(29日)、大三輪神社へ参拝することとなりました。

 

かの、三島由紀夫がかつて参拝し大変感銘を受け、『豊饒の海』を著したのでした。

 

しかもご祭神のなかに「少彦名神(すくなひこなのかみ)」がいらっしゃいます。

少彦名神は地元服部天神宮のご祭神でもあらせられ、少なからぬ縁を感じています(どういう縁かお聞きになりたい方は、参加してください。ゲップが出るくらい語ってあげます★)。

 

みなさん、一緒に参拝しましょうー♪

 

http://www.oomiwa.or.jp/

 

ついでに一言。福田康夫はダメです。だからといって、麻生太郎ならOKって訳でもないので、勘違いしないように。2名しかいないからどっちかを選ばなアカンねやけど、応援団作ったり、立会演説で絶叫するほどの支持はできない。


みたままつり

2007-08-25 00:59:43 | お社写真集

毎年7月13日、14日、15日、16日は靖國神社で「みたままつり」が開催される。

 

http://www.yasukuni.or.jp/event/mitama.html

 

みたままつりは、昭和21年新暦のお盆(7月)に長野県遺族会の方々が自発的に上京し、御霊(みたま)をお慰めするために盆踊りや民謡を踊ったことを起源とする。

それに感銘を受けた靖國神社が翌昭和22年からはじめたのが「みたままつり」である。当時靖國神社で神職をなさってた坂本定夫氏が「九段の杜(もり)は生死再会する所であり、かけがえのない再会の聖地」との思いから正式に「みたままつり」として毎年行うことになったらしい(ちなみに大阪護国神社での「みたままつり」は8月14日・15日である)。

 

「みたままつり」は自然発生的に起こった。素直な純粋な気持ちで英霊の御霊をお慰めしようとの思いが日本人の心性としてあったのだ。

 

その「みたままつり」に毎年ご奉仕させていただく機会を与えていただけること、感謝の極みである。これからも可能であれば、毎年誠心誠意ご奉仕させていただくつもりだ。

 

では、今年は台風に見舞われた「みたままつり」であったが、私がご奉仕させていただいた7月15日の一端を、写真でご紹介いたしましょう。

 

 念願叶ってついに訪れることができました!!これは、「信濃町」ですよ。決して「シナの町」ではありませんので(爆笑) だって、“先生”って、シナにお友達が多いんだもん~♪

これが「民音」の本部遠景です。はじめて見ましたわ。

これが「先生のお手紙」を作成しているところ。聖教新聞本社です。日本一のクオリティーペーパー朝日新聞本社とどっちが“偉大”かな?

でたっ!「婦人部」の本部だ!!w しかし、「創価世界女性会館」って・・・すんごいネーミングだね。

あのね、建物があまりにもデカイんで、写真に納まりきらんのですわ。これ、片道4車線くらいある道路の反対側に渡って撮影したんですよ。それでも全景が入りきらんのですわ。もーなんちゅうデカさかね。これって、ホンマに“庶民の王”がやっとる(カルト)宗教の建物なんですかねwww イヤー、参ったね。二代目会長の戸田城聖氏は、“財務”をしないと仰ってたのではなかったですかね?こんだけデカイ建物だらけだと、維持費や運営費が相当必要ですね。そりゃ、“財務”で“無量の功徳”を授からないといかんわなwww

本部を遠くから。

「民音」の本部の前で撮影しました。

でかいよ~。こんなデカイ建物を建てることができ、“地湧の同士”が集い、“邪宗”を撲滅する“世界の宗教”=SGIになったのは、“信心”の賜物ですか?それとも“財務”の賜物ですか?www ところで、ここで“同中”してはるのですか?

これ別館ですわ。これも道路の反対側から撮影してるけど、収まりきりません。

どんだけデカイか分かるか?

靖國神社遊就館内の喫茶店で食べたわらび餅。お口直しに載せときます。

 

台風の中、よく頑張って撮影しました。あは