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愛国心

2006-05-12 21:28:40 | まじめな話。私にほれるなよー

昨日、滋賀県長岡市にて、高校1年生に授業をするためJR長岡駅を降りた。びっくりするくらいのど田舎で、ほんま何もない所。ほんま何もない所。ほんま何もない所。しかし、ありましたよ!平和堂が!!滋賀県の主要な駅前には必ず平和堂がある。もちろん、取り上げて語るほど、たいした店ではない。

平和堂の前を通って校舎へ向かう途中、ビラを配ってるおっさんの集団に出会った。校舎へは平和堂の前を通らないといけないが、どこをどう通っても、そのおっさんが待ち構えており、必ず捕まる。もちろん、そんなビラはもらわない。幟(のぼり)があったので、何のビラか確認すると、「教育基本法改悪反対!!」「子どもたちを戦場へ連れて行くな!!」という爆笑もんの内容でした(笑)

みなさんご存知の通り、今国会で教育基本法が改正されるかもしれません。「愛国心」という文言を入れるかどうかで、与野党が紛糾しております。ビラを配ってるおっさんが、前を歩いていたおねーちゃんにビラを無理やり渡した(何で、こういう“左翼”ビラを配る奴らって、動きが軽快で、強引で、声がでかいのだろうか?心の底から人類史上最高の行為をしている!と信じ込んでいるからなんだろうなー。あーうっとうしい)際、このおっさんがおねーちゃんに発した言葉を漏れ聞いた限りでは、「愛国心」なる言葉が「子どもを戦場へ連れて行く」ことに繋がるらしい(笑)ま、左翼と朝日新聞は、これ故左翼であり、朝日新聞なのだから、ま、許してあげよう(笑)そう。これが、彼らのレゾン・デートルですわ。

さて本題。与野党妥協案は以下の通りであるhttp://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/special/s03/20060426tv03.htm

第2条の5「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと」これをもって「愛国心」が基本法に入ったとの大騒ぎである。しかし、「・・・態度を養う・・・」とは、文字通り「態度」が基本法に適っていれば問題視されない。つまり内心は「アホ!ぼけ!かす!」という気持ちであっても、お辞儀をして、ごめんなさいという「態度」をとることも可能となる。日の丸、君が代くそっくらえ!と普段は生徒を教育しても、態度さえよろしければOKなのか?「心」に言及しない目標は目標に値せず、真に不十分である。

さらに、なぜこの条文が5つめ(最後)に来るのか?目標の根本を成す条文のはずなに、である。

そこで、第1条「教育の目的」に目を向けると以下のようにある。「教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない」と。

これが教育の「目的」である。この目的を達成すべく、学校教育の全てのカリキュラム・教科書・授業・教師育成・教師による教育が行われる。教育の目的は、ずばり「心身ともに健康な国民の育成」である。しかし、単に「心身ともに健康な国民」でよいのであろうか。この目的から抜けているものがある。それは「国家」、「国」である。国家が安泰でなければ国民が心身ともに健康足り得ないからである。

小野田寛郎・中條高徳『だから日本人よ、靖国へ行こう』(WAC)からの引用。
「・・・日露戦争だってそうですよ。ハバロフスクを訪れたとき、イシャーエフ知事にね、水師営の会見のことを知ってるか、と聞いた。・・・日本が勝って、ロシアが負けたことも知っているが、水師営の会見のときに、乃木将軍がステッセルに佩刀を許した、ということは知らなかった。・・・それに、日本はあなたの国の戦死者の墓を先に作ったんだよ、それなのに、ハバロフスクにある日本人の墓が草ぼうぼうってどういうことなの、と。すぐ隣のロシア人の墓には雑草一本生えてないんですよ。
 ・・・その上に日本人のお墓を草ぼうぼうにされたら、商売できませんよ、と言いました。そうしたら、『今までのミッションはお土産の交換でしたけど、今回のミッションは厳しいご発言ですから必ず実ると思う』と言われましたよ」
(中略)「こういうコミュニケーションこそが、必ず将来実を結びます。そのおかげと言ったらちょっと言いすぎですが、その後ハバロフスク知事は日本を訪れ、シベリアの六万人の日本人犠牲者のために七千坪の土地を五十年間にわたって供与すると行ってくれた。そこに厚生省が慰霊碑をつくったんですよ。・・・
 その時は全日空が往復便を出してくれて、天皇皇后両陛下をはじめすべての宮家からもお花をくださった。それを全部飛行機に積んで行きました」
「・・・ロシア人は他国の愛国者を信用する・・・。自分の国を愛さない人をだれが信用するものか、と。ロシア人はふにゃふにゃした日本人を信用しないよ、と」

(中略)

首相の靖國参拝に一番強く反対したのは、奥田前経団連会長をはじめとする財界です。・・・(中略)・・・中国で稼ぐのはけっこうだが、稼いだものを誰が守るのか、ということですよ。六十年前、日本という国家は領土が狭いから、夢多き若者よ、満州に行け、大陸が君を待っていると奨めて、多くの人が大陸に渡った。頑張って、汗水垂らして財を築いた人たちがたくさんいたんです。そこへあの八月九日、ソ連が国際法に違反して、大挙侵入してきた。大陸にいた日本人は、命も、財産も守ってもらえなかったんですよ。このように歴史から学びますと、総じて共産主義をかかげる国家は、「国家としての品格」のない国が多い。日本には、彼らを守る力がなかった。六十万人もがシベリアに連れ去られ、六万人が凍死や餓死したんです。
 こうした事実を、経済人としてどう考えているのか。国家があってこその経済活動であり、国家あってこそ、経済の発展を築き上げる張り合いがあるんですよ。こんなものイロハのイの字じゃないでしょうか。国家を二の次にして、自分のほうの仕事の都合なんか、もう国籍を離脱してから言ってほしい。日本に辞表を出してから言ってくれというんです。

おわかりでしょうか。「国家の安泰と永続と繁栄を期する」(西村眞悟さんのご発言)ことを目的としないから、国のことなど全く関心を持たない元ライブドア社長や村上ファンドの村上世彰氏のような人間を育成してしまう。もっと言えば、このような人間の育成も「教育の目的」に適うのである。いくら巨万の富を築いても国家が存立し得なくなればその富は無に帰し、自国を忌み嫌う人間は紳士淑女たる他国民からの信頼を得ることはない。よって、国家の担う教育の目的は、国家の存立とは不可分なのである。

紀元前に活躍した古代ローマの政治家マルクス・トゥッリウス・キケロは、友情や親子愛や夫婦愛が大切なことは我々も知っている。しかし、「祖国への愛」がなければ、それら大切な人間愛も結局は無意味なものとなる。ローマに危機が迫ったとき、祖国の為に命を投げ出すことをためらうローマ市民は一人もいない、と言う。

全ての人間愛の中で「祖国への愛」が上位に位置づけられるのは、例えば、いくら恋人を愛していても、国家が危機に陥ったとき、国家を捨てて逃げてしまえば、恋人への愛も結局は無意味になるからである。だから、「祖国への愛」は他の全ての人間愛を包含する上位、崇高なる概念なのだ。だから、これを国家的国民教育のテーゼとせよ!!ちなみに、勝谷誠彦氏は、「涵養」って漢字が読める教育する基本法にしてよね。と仰ってました(笑)


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