インドちゃんの子どもと書くな!子供と書け!!

障がい者と書くな!障害者と書け!!

お蔭参り

2007-08-30 07:33:12 | Weblog

突然ですが、少々訳がありまして、今週日曜日(9月2日)

伊勢神宮へ参ります。

 

天照大神様に報告お礼お願いお詫びを早急にする必要があるからです。

 

伊勢神宮の公式ホームページを開くと


日本人の「こころ」がのふるさとが変わることなくここにあります


と書かれています。

 

こころの里帰りをしてまいります。そして、こっぴどく叱られ、一から出直します。

 

ちなみに、伊勢神宮の正式名称は「神宮」です。

 

三重縣護国神社へも参拝したいのですが、日帰りではちょっと厳しいか・・・

 

それと、6月15日の記事に「お木曳き」に参加した際の写真等を載せております。

 

でもね、実はスサノオ命に対するお詫びも重要なんですが・・・ 

 

(さぁ~って御本尊様に財務、いくらしよっかな?無量の功徳を得られるかな?信心の賜物やね。地湧の同志でお参りしましょう。ミカツ部員にK造り。F取り頑張ろう!!折伏だ!庶民の王様名誉会長!!邪宗邪教を威風堂々とやっつけろ!不惜身命!勝利!!勝利!!・・・疲れた)


第1回大阪護國神社 英霊慰霊顕彰勉強会

2007-08-29 11:21:19 | Weblog

【記事掲載については、靖國神社から許可をいただいております。ご安心ください>○○さんと○○さんと○○さん(笑)】

 

既に二度ほどこのブログでご案内しておりますが、9月9日大阪護国神社にて、「第1回大阪護国神社英霊慰霊顕彰勉強会」が開催されます。

 

第一回「大阪護国神社英霊慰霊顕彰勉強会」

   

   昭和の戦争を総括する ~盧溝橋事件から70年~

 

9月9日(日) 大阪護国神社内 住之江会館にて 参加費:無料

 

12:30 開場

 

13:00 主催者、来賓挨拶

 

13:30 新田均先生(皇學館大學教授)ご講演(

 

14:30 恵隆之助(ジャーナリスト)先生ご講演

 

15:00 中西輝政先生(京都大学大学院教授)ご講演

 

15:30 休憩

 

15:50 パネルディスカッション

      「日本にとってあの戦争とは何だったのか」

 

17:20 閉会挨拶

 

17:30 直会

 

本来は東京の靖國神社で行われる「英霊慰霊顕彰勉強会」ですが、今年から、東京の靖國神社で1回、大阪の大阪護国神社で1回開催されることになりました。最初の企画段階では靖國神社崇敬奉賛会青年部「あさなぎ」関西支部の行事だったのですが、いろいろと検討を重ねた結果、靖國神社側からの要請で「英霊慰霊顕彰勉強会関西バージョン」としてバージョンアップすることになりました。

 

しかし、ついにとうとう大阪で「英霊慰霊顕彰勉強会」が開催されることになりました。高森先生の熱いお話しに涙した日から数年・・・夢のようです。感慨も一入(ひとしお)です。

 

ちなみに、中西先生と新田先生が“共演”なさるのは、いうなれば夢のコラボレーションで、村山実が先発し、小山正明が中継ぎで、江夏豊が抑えに出てくるよなもんです。それくらい、すんごいの~。えっ?分からん??モスバーガー行って、もう一回モスバーガー行って、最後はもう一回モスバーガーに行くようなもんです。えっ?余計わからん??矢口真理と藤本美貴がモー娘。でデュエットするようなもんですわ。これで理解しろ。

 

参加するにはそれ相当の手続き後、「入場券」の交付を受ける必要があります。その方法については問い合わせて下さい。特等席を確保してあげるわ~♪(無理やったらゴメンな笑)

 

でも、連絡や申し込みなしに勝手に来たらアカンよ。英霊、靖國、と偉そうなことを言いながら、実はいい加減でだらしない人が多くて困っています。そういう方は追い出しますので。

 

それと、ICレコーダでこっそり(あるいは堂々と)録音したり、写真撮影するのも禁止です。見つけたらつまみ出します。

 

それから、参加費が無料ということは、すべて篤志家や一般の方からのご寄付で運営されるということです。そういうところにまで意識が向かず、「勉強会やー」「ためになるぞー」「有名人にあえるぞー」と自分本位の日本人が増えたこと痛恨の極みです。「懇親会もただや。たらふく食うぞぉ~」というのはキチガイを通り越してもうシナ人です。こういう会に参加される方から率先して、日本の“捨石”になってください(意味わかるか?)


体罰は真心で

2007-08-27 00:22:11 | Weblog

<ハサミで舌切るふり、小学校講師が私語の3年男子に…大阪>

 

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20070823i105.htm

 

以下記事引用(引用しないと、そのうちリンク切れになるのよね(=_=))

 

 

大阪府高槻市の市立小学校で今年6月、3年生担任の男性講師(52)が、授業中に私語をやめない男子児童に対し、ハサミを口に近付けて男児の舌を切るふりをしていたことがわかった。

 

 また、講師がこの男児にあだ名をつけたため、男児は同級生にからかわれ、2日間学校を休んでいた。講師は担任を続けているが、「子どもに申しわけないことをした」と話しているという。

 

 市教委によると、6月3日、再三、注意したにもかかわらず、男児が私語をやめなかったことから、講師はハサミを取り出して「この舌、切ってもええか?」などと言い、数回切るふりをしたという。

 

 同月20日には、講師が同じ男児の口の周りにふりかけが付いているのを見つけ、「のりたま」とあだ名をつけ、授業でも数回、この名で指名。同級生からもあだ名でからかわれ、男児は21日と22日、学校を休んだ。

 

 21日に男児の保護者から抗議を受け、校長と講師が男児宅を訪問して謝罪。男児は25日から登校している。同市教委では「教師が子どもの心を傷つける指導は許されず、再発防止に努めたい」としている。

 

 

以上、記事全文引用。

 

 

何度注意してもおしゃべりを止めない生徒の舌をはさみで切れば、それは傷害罪で罰せられるだろう。はさみで切るぞ!と言うのは、脅迫罪だろう。のりたま、とあだ名を付けるのは侮辱罪になるだろう。

 

 

しかし、学校内(あるいは家庭内)では、これらの法律の適用を免れるための方便が必要であると思う。そうでないと、躾や教育はできないと思うからだ。これまで散々このブログでも書いて来た事だが、子供には信賞必罰で望まないと(それがたとえ子供にとっては理不尽で不公平で耐え難い苦痛を伴うことであったとしても)、自分の“エゴ(自我)”を押し通すための知恵を授けたことになる(もちろん、故意に虐待や叱責するのは慎むべきだが)。舌を切られそうになる恐怖。鋭利な刃物が自分に向かう恐怖。自分より遥かに大きな体の大人が自分を力でねじ伏せようとする恐怖。言うことを聞かなかったために罰を与えられる恐怖。このような恐怖心が「悪いことをしてはいけない」という「刷り込み」になるのではないだろうか。恐怖心という「刷り込み」がない子供が中学生、高校生、大人になったとき、一体いかなる人間となり世に出て行くことになるか、推して知るべしである。

 

 

もちろん今回、この教師のやり方には問題があり、もうちょっと賢明な指導法があったと思う。そういう意味で、この教師が取った今回の指導は稚拙なのだろう。がしかし、謝罪は授業中指示に従わず故意に授業を妨害した生徒やその親がまずするべきなのだ(その後、場合によっては教師が謝罪するのもアリだろう)。想像で言うのだが、おそらくこの生徒の親は、この教師に対して相当の剣幕でまくし立てたであろう。そのような親をたしなめる「世間の目」が今の日本に欠けていることの方が問題だ。

 

 

しかし、教師が謝罪し、悪いことをした生徒が被害者になってしまった。おそらくこの生徒は、自分に苦痛を与えた力を持った“悪者”が、自分にひれ伏すのを見て、相当の快感を覚えたのではないだろうか(そうでないことを祈りたいが)。子供はそうやって自分の“エゴ(自我)”を押し通す術を身に付けてしまう。結果、教師の言うことを聞かなくても「正義の味方」が教師を懲らしめてくれ、警察という「諸悪の根源」は揶揄する対象となる。親は子供と友達になることを望み、教師はよき(=苦痛を与えない)兄貴分でなければ教師として認められない。子供に天下国家や歴史や誇りを語っても、場はシラケるだけで、真面目が嫌われ、奇をてらった“個性派”がもてはやされ憧れの対象となる。自分にとって損になることは一切したいと思わず、「自分だけ」注意されることは納得できず、「自分だけ」得をするようなことには脇目も振らず飛びつく。「世間の目」はなくなり、人がたくさんいる場でもどこでも平気でゴミを捨てる。罪悪感は皆無。やりたいから、やる。やりたくないから、やらない。“やりたい”から、相手を殺してでも“やる”。後はドラえもんが助けてくれる・・・

 

 

動物行動学者でノーベル賞を受賞したコンラート・ローレンツは「幼い時期になんらかの肉体的苦痛を味わうことのなかった子供は成長しても不幸な人間になりやすい」と言っている。心を鍛えるためには、脳が苦痛を受けなければなならい。そして脳がその苦痛に耐え、乗り越えることで、人は人として成長していくのである。だから、高槻市教育委員会の見解「教師が子どもの心を傷つける指導は許されず」は間違っている。

 

 

子供には苦痛が必要だ。苦痛には当然体罰も含まれる。そして、罰(苦痛)を与えた後は、真心で抱きしめてやれ。ギュッと。

 


天皇皇后両陛下奉迎~感激の一シーン~

2007-08-26 20:40:16 | Weblog

(以下、日本会議大阪の丸山さんが配信さているメールを無断なのですが、このブログに転載させていただきます。一人でも多くの方にこの感動的な様子をお知らせしたいと思い、転載させていただくことにしました。どうかご容赦を)

 

■感極まった両陛下のご答礼

~提灯奉迎行事に3000名が参加~

  本日25日、世界陸上大阪大会開会式にご臨席のため大阪へ行幸啓された天皇皇
后両陛下の奉迎活動を奉迎大阪実行委員会が主催して行われ、各地で多くの奉迎
者が参加した。

  とりわけ実行委員会が最も力点をおいた夕方からの中之島のリーガロイヤルホ
テルを堂島川を隔てた向かい側の遊歩道での提灯奉迎行事は、圧巻であり感動的
であった。この日も連日の猛暑日の続きで、まだまだ真夏の照り返しが強かった
にもかかわらず、その暑さを上回る喜びと感動であった。

  4時には奉迎活動を担う各団体からお手伝いを頂く150名を上回る実行委員が
集合場所の下福島公園に集まり、早速、打ち合わせを行い、提灯セットを渡す場
所の設置、各団体の誘導や定点誘導の打ち合わせ、警備も遊歩道の下見などを行
なった。
  5時を過ぎる頃になると、続々と公園に各団体の参加者や一般府民も集合し、
6時頃には公園の遊園地のスペースは瞬く間になくなり、また駐車場近辺には幼
稚園の園児や保護者の方々も集まり、約3000名の人々で膨れ上がった。参加され
た人々は、それぞれ配布された提灯に豆球と電池を備え、皆、嬉しそうである。
それにしても、この暑さの中、これだけの人々が集まってくるのは、やはり、天
皇皇后両陛下の大御心にお答えしたいという、ひたすらな感謝と奉迎のまごころ
があるからだと実感した。とにかく、参加者の表情が明るいのだ。

  6時10分より、出発前のセレモニーを開始。寺井・実行委員会会長からの挨
拶、奉迎行事に際しての事務局からの諸注意、続いて万歳の練習を全員で繰り返
した。渡邉、田畑両副会長、柳澤実行委員長の他、全日本タクシー株式会社の坂
本会長もご同席頂き、奉迎の気持ちはいやが上にも高まった。

  そして6時20分には、下福島公園を梯団ごとに順次、出発、このころにはやう
やく、昼下がりの日差しもなくなり、夕闇となってきて、提灯の灯りも次第に明
るさの度合いが増してきて、映えてきた。先頭の梯団が奉迎場所の先頭の場所で
ある田蓑橋北詰に到着してから、最後尾の梯団が奉迎場所の関電病院前遊歩道の
位置まで達するのに約40分かかるほどの提灯行列となった。また沿道からも偶
々、この行列を見た一般の府民も参加され方も多かった。

  あちこちから万歳の掛け声とともに、万歳三唱の声が上がる中、7時半頃、突
然、ホテル上層部の階の全ての照明が消えた。そして、両陛下が居られるお部屋
の明かりが2度、点滅し、消えたと思った瞬間、なんと両陛下が灯された2つの
提灯のはっきりした灯りが灯ったのである。一瞬の静寂。奉迎の人々は、その一
瞬、感動に包まれ、声が出なくなったかと思った矢先、先導の「天皇皇后両陛下
万歳!」に合わせて、「万歳!万歳!万歳!」の声が合わさり、その声が両陛下
に届けとばかり、さらに大きな声で唱和されていった。

  両陛下の提灯は、奉迎者全体を見渡すように、一対の灯りとなって、ゆっくり
と振られ、さらに上下左右と振られ、奉迎者のまごころにお答えになられておら
れることを実感した。人々も心いくまで、両陛下の灯りに合わせて、提灯を揺ら
しながら、「万歳」を唱和した。両陛下からは、この提灯奉迎の波がどのように
お映りになられているのだろうか。
  万歳を繰り返しているうちに、小生は汗と自然に出てくる涙とが一緒になって
いたことに気がつかなかった位である。
  ご答礼になられること、約10分間。世界陸上の各国役員とのレセプションが控
えているにもかかわらず、長きに渡って私どもにお答え頂いた感激、喜びは、こ
の上ないものがあった。近くにいた保護者に一緒にいる園児たちも、一生懸命、
両陛下の提灯に万歳を繰り返していた。
  小生は、府民のまごころが両陛下に本当に伝わったという確信を持った。

  両陛下のご答礼後、解散となったが、人々の表情は満足感で一杯の表情であった。

  提灯奉迎行事をしてよかったと心から思っていると、宮内庁から事務局に陛下
から「今日はありがとう」とお言葉を実行委員会へ伝えてほしいとの連絡が入
り、疲れも吹き飛んでしまった。

  また、3000人という参加者がいたにもかかわらず、事故ひとつなく終わったこ
とは本当によかった。

  また、空港での奉迎活動では300名、大阪府庁前の奉迎活動では400名、長居公
園東筋での浪速中学校・高校生や先生方約200に対する対応など、各地の奉迎活
動も例年以上の盛り上がりを見せた。

 実行委員の皆さん、各場所で献身的にお手伝い頂き、心より感謝申し上げます。

 明日は、大阪歴史博物館と羽曳野市の「悠々亭」での沿道奉迎、さらに頑張り
たい。


天皇皇后両陛下ご来阪を奉迎いたします

2007-08-25 02:04:52 | Weblog

8月25日(土)天皇皇后両陛下が世界陸上大阪大会開会式にご臨席のため大阪に行幸啓遊ばされます。

下福島公園広場に集合して天皇皇后両陛下のご来阪を、小旗や提灯で奉迎いたします。午後5時30分集合です。

どうか皆様、天皇皇后両陛下の行幸を心より歓迎いたしましょう!!

ちなみに私はお仕事があるため参加できません・・・(涙)

お見送りなど26日、27日も行いますので、天皇皇后両陛下をお見送りに行ってください。私はすべて参加できません・・・(涙)

詳しい場所や時間は私まで問い合わせてください。


みたままつり

2007-08-25 00:59:43 | お社写真集

毎年7月13日、14日、15日、16日は靖國神社で「みたままつり」が開催される。

 

http://www.yasukuni.or.jp/event/mitama.html

 

みたままつりは、昭和21年新暦のお盆(7月)に長野県遺族会の方々が自発的に上京し、御霊(みたま)をお慰めするために盆踊りや民謡を踊ったことを起源とする。

それに感銘を受けた靖國神社が翌昭和22年からはじめたのが「みたままつり」である。当時靖國神社で神職をなさってた坂本定夫氏が「九段の杜(もり)は生死再会する所であり、かけがえのない再会の聖地」との思いから正式に「みたままつり」として毎年行うことになったらしい(ちなみに大阪護国神社での「みたままつり」は8月14日・15日である)。

 

「みたままつり」は自然発生的に起こった。素直な純粋な気持ちで英霊の御霊をお慰めしようとの思いが日本人の心性としてあったのだ。

 

その「みたままつり」に毎年ご奉仕させていただく機会を与えていただけること、感謝の極みである。これからも可能であれば、毎年誠心誠意ご奉仕させていただくつもりだ。

 

では、今年は台風に見舞われた「みたままつり」であったが、私がご奉仕させていただいた7月15日の一端を、写真でご紹介いたしましょう。

 

 念願叶ってついに訪れることができました!!これは、「信濃町」ですよ。決して「シナの町」ではありませんので(爆笑) だって、“先生”って、シナにお友達が多いんだもん~♪

これが「民音」の本部遠景です。はじめて見ましたわ。

これが「先生のお手紙」を作成しているところ。聖教新聞本社です。日本一のクオリティーペーパー朝日新聞本社とどっちが“偉大”かな?

でたっ!「婦人部」の本部だ!!w しかし、「創価世界女性会館」って・・・すんごいネーミングだね。

あのね、建物があまりにもデカイんで、写真に納まりきらんのですわ。これ、片道4車線くらいある道路の反対側に渡って撮影したんですよ。それでも全景が入りきらんのですわ。もーなんちゅうデカさかね。これって、ホンマに“庶民の王”がやっとる(カルト)宗教の建物なんですかねwww イヤー、参ったね。二代目会長の戸田城聖氏は、“財務”をしないと仰ってたのではなかったですかね?こんだけデカイ建物だらけだと、維持費や運営費が相当必要ですね。そりゃ、“財務”で“無量の功徳”を授からないといかんわなwww

本部を遠くから。

「民音」の本部の前で撮影しました。

でかいよ~。こんなデカイ建物を建てることができ、“地湧の同士”が集い、“邪宗”を撲滅する“世界の宗教”=SGIになったのは、“信心”の賜物ですか?それとも“財務”の賜物ですか?www ところで、ここで“同中”してはるのですか?

これ別館ですわ。これも道路の反対側から撮影してるけど、収まりきりません。

どんだけデカイか分かるか?

靖國神社遊就館内の喫茶店で食べたわらび餅。お口直しに載せときます。

 

台風の中、よく頑張って撮影しました。あは


投書した人は、もしかして「ビリーザなんとか」見て、「ビクトリー!」と叫んでるのでは?w

2007-08-25 00:25:56 | Weblog

甲子園で学ラン“封印” 宇治山田商応援団「戦争想起」に過剰反応?

http://www.sankei-kansai.com/01_syakai/sya081606.htm

以下、記事引用。

第89回全国高校野球選手権大会で、16日に佐賀北(佐賀)と引き分け再試合を行う三重県代表、宇治山田商業の野球部応援団が、県大会決勝まで続けてきた学ランと「日の丸」の鉢巻き姿での応援を甲子園で“封印”していたことがわかった。「戦争を想起させる学ランは不適切」との投書がきっかけで、県高野連と同校が協議し、急遽(きゅうよ)トレーナー姿での応援に変更した。同校では「大会中に終戦記念日もあるため配慮した」としているが、OBなどからは「過剰反応なのでは…」
と反発の声も上がっている。

関係者によると、同校は7月の三重県大会決勝まで、応援団の男子生徒ら11人が黒い詰め襟学ランに、「必勝」と書かれた日の丸鉢巻き姿で応援。このスタイルは昭和53年の第60回選手権大会で甲子園に初出場したときから続けてきたもので、同校の普段の制服も詰め襟という。ところが、今年の県大会決勝後、「学ランはもともと海軍の軍服。高校野球という舞台で戦争を思い起こさせるのは不適切だ」などと指摘した投書が県内の別の高校に届き、県教委が同校に連絡。

同校と県高野連が協議し、県高野連が「やめておいた方がいいのでは」と助言し、同校も白地に校名の入ったトレーナー姿に改めるとともに、日の丸の鉢巻きも取りやめることを決めたという。

同校の教諭は「私自身もOBで、学ランで甲子園に来た思い出があるので名残惜しいが、大会期間中に終戦記念日もあり、繊細な問題なので断念した」。鈴木光一校長(57)は「私自身が直接指示したわけではないが、熱中症の心配もあり取りやめた方がいいと以前から思っていた。高野連からは、あくまでアドバイスをいただいたと思っている」。

一方、柴原高雄・三重県高野連理事長は「甲子園出場前に学校と協議の場を設けたのは事実。ただ応援の仕方を説明する中で、『暑いのでやめた方がいい』と話しただけ」。
高校野球大会本部は「学校が個別に判断すべき事柄なのでコメントできないが、高野連から指示を出したことはない」としている。

こうしたチグハグな対応について、同校の応援団やチアリーダーらは「学校側からは
戦争をイメージするたからダメだと言われただけ。学ランで汗をかくことで、グラウンドの選手と一体になれたのに…」。スタンドに来ていたOBの男性会社員(37)も
「学生服として定着しているのに、今さら戦争の話を持ち出すのはおかしい」と学校側の“過剰反応”に首をかしげる。

一方、学ラン姿の応援を続ける今夏の甲子園出場校の一つ、今治西(愛媛)の応援団顧問、青木孝之さん(39)は「わが校は代々引き継いでいる制服なので違和感はなく、今後も変更するつもりはない。宇治山田商は少し気にしすぎなのでは」と話していた。

引用以上。

 

朝日新聞の社旗が一番戦争を想起させる。朝日新聞だけ“特待生”のごとく海軍酷似の旗を使用している。朝日新聞の社旗を使用禁止にせよ!!


占主島(昨年、一昨年と同じ内容)

2007-08-19 00:25:24 | Weblog

 

8月19日・・・日本にとって忘れられない日(の1つ)

1945年8月15日、日本は敗戦が決まり戦闘状態は終結(戦争状態は1951年の講和条約締結まで続く。その間、数十万人の日本人が殺戮される)をむかえたはずであるが、8月18日旧ソ連軍が当時日本領であった占守島(しゅむしゅとう)に攻め込んできた。1875年の樺太・千島交換条約により、千島列島は日本領に、1905年ポーツマス条約により千島列島と樺太の南半分が日本領に、そして1951年サンフランシスコ講和条約で千島列島が旧ソ連領になった(千島列島に北方四島は含まれない。つまり北方四島は日本のものだ)。占守島は、千島列島の最北端。それより北はカムチャッカ半島で旧ソ連領である。

                 ソ連軍 樺太・千島侵攻経過

 

1945年8月9日、旧ソ連軍は日本に宣戦布告。旧ソ連と日本は当時「日ソ中立条約」を結んでいたが、一方的に破棄。原爆を落とされ、息も絶え絶え日本は降伏寸前と知りながらの宣戦布告。まさに、火事場泥棒的侵略である。人類史上最低最悪劇悪な愚行である。

その甲斐あってか、日本は8月15日に降伏。ところが、8月18日、旧ソ連軍は占守島に攻め込んできた。ヤルタ会談で旧ソ連は対日参戦の見返りとして当時日本領であった千島列島と南樺太をソ連領とする密約を交わしていた。しかし、当時のアメリカ大統領ルーズベルトが急死したことにより約束が反故にされることになった(「密約」だったので)。そこで千島・樺太の占領を既成事実化するため、火事場泥棒的侵略をしたのだ。しかもスターリンは北海道北部の占領を当時のアメリカ大統領トルーマンに要請し、拒否されてもいた。

つまり、スターリン以下旧ソ連は、千島列島を占領し、その勢いで北海道まで攻め込みソ連領とするつもりでいたのだ。

8月15日以降、日本は武装解除の準備をしており、戦車から無線機を取り外したり、砲台を取り外したり、土中に埋めた戦車もあったらしい。敗戦に嗚咽もしただろうが、故郷の肉親・友人へ想いを馳せ、前向きになった者もいたであろう。食料も、もう節約する必要がないので、大盤振る舞いされたそうな。そういう状態の日本に、旧ソ連は攻め込んで来たのだ。

実質十数時間の攻防で、日本側の戦死者300名ほどに対して、旧ソ連側の戦死者は7000名以上になり、出鼻をくじかれた旧ソ連はそれ以上日本に攻め入ることができなかった。つまり、日本の勝利である。

しかし残念なことに、この戦いでは勝利したが、日本は負けたのである。負けたソ連が勝った日本に武装解除を要求し、日本人はシベリアへ強制労働のため運ばれた。シベリア拘留者200万人。死者40万人である。原爆による死者以上の死者を出した。ソ連許すまじ。

命を懸けて占守島の日本人が戦っていなければ、今頃北海道は北方領土と同じ状態かもしれない。そして彼らは「死んだら靖國で会おう」と言って戦った。彼らの魂は靖國にある。両親・恋人・娘に当てた手紙(遺書)には「靖國にいるから、いつでも会いに来てくれ」と認められている。

ソ連政府機関紙は「8月19日はソ連人民の悲しみの日であり、喪の日である」と述べている。われわれにとっては、「日本を、我が国を、われわれ子孫を、守ってくださった感謝の日」である。

8月19日占守島を忘れるな。

 


話せば長くなります・・・

2007-08-18 01:25:42 | Weblog

A子:「なぁなぁ、神様って本当にいるんかなぁ?」

APN:「うーん、どぅやろうな?いるんとちがうかな?」

A子:「どぅしてそぅ思うのぉ?」

APN:「理屈では説明できないことがよく起きるでしょ。おそらくは心の持ちようで結果は変わって来るのだと思う。だから神様は一人ひとりの心の中にいるのかもしれない。「理屈で説明できないことの発生」を「理屈で説明」できるわけないでしょ。去年の阪神の戦いを見てみーや。藤川球児がお立ち台で泣いてからあと、23勝5敗のペースで勝ち進んだんやで。優勝した中日落合監督はインタビューの中で泣いたんや。阪神タイガースの追い上げが怖かったと。阪神タイガース。阪「神」タイガースやないけ」

A子:「・・・ばっかじゃない」

APN:「たとえば、靖国神社では246万余柱のご祭神をお祀りしていますが、英霊をお祀りする際、『招魂式』を行います。皇室御下の「御羽車」に霊璽簿をお乗せして、お運びするのですが、その御羽車の重さが行きと帰りとでは違うといいます。おそらく本当に御羽車を押された方は、重さの違いを感じたのだと思う。これなんか、神様は心に宿るという意味の典型例だと思うが、分かるか?」

A子:「わかるような、わからないような・・・??」

APN:「お題目をあげればあげるほど無量の功徳を受けることができ、財務の額で地位や発言権が決まり、F取りの報告を座談会で行い、同中で先生のお話に腹を抱えて笑い、涙もし、地湧の同志が常勝・・・」

A子:「も、もういいです・・・」

APN:「ごめん、ちょっと熱が入りすぎた。たとえば、こんな話はどう?しばらく音信不通で連絡を取りたくてもなかなか取れ無かった人がいたとする。その人も相手の人も“二人の時間”は完全に止まっていた。つまり憎しみあっていたわけでも何でもなく、ボタンの掛け違いがちょっと度を越したんだな。だから連絡が取れなかった。しかし、あることがきっかけとなり、再びメールのやり取りをするようになり、実際に会うことも叶った。その二人の接点の一つに日本の歴史があり、英霊がある。特に男性の方は、ここ数週間「天佑」と思えることがたくさん生じ、「なぜ、こんなことが?」という疑問がたびたび訪れたのだが、これが一挙に氷解した。一通のメールが届いたことで、止まっていた時計のネジが再び巻かれたんだよ。そこで昔の仲良かったときのことが蘇ってき、あれこれ逡巡し始めた。やはり一緒に居ると楽しい。そのことを告げようとした(まだ告げてないけど)。これって、英霊が背中を押してると思わんか?」

A子:「で、何が言いたいの?」

APN:「いや、それがウマいこと行かんのやなー。わしがちょっとでも恰好つけようとすると、必ず何かが起きて叶わない。邪魔しよんね。え?そうやねん。わしの気持ちをもうちょっと忖度して欲しいよな。で、結局南極北極、お話しっちゅう話もできんかったし。とりあえず、いつでも動かせるようにネジだけ巻いとくわ」

A子:「で、神様はいるんか??いないんか?どっちやねん!?」

APN:「わしの頭の髪様は消えて行く~~~~~~~~~」

 

ということで、これは「天佑」です。

(話せば長くなるんですが・・・)

「天魔の所業」とちゃうよ(笑)、「天佑」やで。ないがしろにしたら、バチがあたります。

 


毎日新聞社説に物申す

2007-08-17 15:59:58 | Weblog

ほな、リクエストにお応えして(笑)

<毎日新聞社説(8月16日):靖国神社 追悼のあり方、議論重ねよ>

http://www.mainichi-msn.co.jp/eye/shasetsu/news/20070816ddm005070035000c.html

「62回目を迎えた終戦記念日の15日、安倍晋三首相は靖国神社への参拝を見送った。昨年は小泉純一郎前首相が参拝に踏み切り、内外に激しい議論を巻き起こした。今年は高市早苗沖縄担当相が急きょ参拝したものの、おおむね静かな鎮魂の日となったことをまずは歓迎したい」

 

まず、「終戦」ではなく、「敗戦」だ。言葉はきちんと正しく使え。新聞がテキトーでいい加減では、無理!それから「内外に議論を巻き起こした」って、誰が巻き起こしたんや?内は誰や?外は誰や?内は左にひん曲がった毎日新聞のような奴らで、外はシナ、半島でしょ?エエ加減な言葉使いはアカンっちゅぅねん。それから「おおむね静かな鎮魂の日となったことをまずは歓迎したい」って、静かでないのは、お前らが馬鹿騒ぎするからやろが(苦笑)もぅ・・・ギャグを言ってるのですか?

 

 「安倍首相は昨秋の自民党総裁選前から「参拝するかしないか、したかしないかも明言しない」との立場を取っている。ただ、実際には15日に首相が極秘に参拝するのは極めて困難だ。このため首相は当初から参拝は見送る意向だったと思われる」

 

お前ら毎日新聞をはじめとする馬鹿騒ぎメディアが困難にしてるんと違いますか?何を自分ひとりだけ細木和子気取りで予言しとんじゃい!?

 「小泉前首相時代に途絶えた中国、韓国との首脳交流も安倍首相の就任直後に再開し、年内には首相の訪中が予定されている。首相もこの流れを止めてはならないと考えたはずだ。もちろん、参院選の大敗で自民党内にも首相の続投に異論がくすぶる中、「これ以上混乱は避けたい」と政権立て直しを優先した事情もあったろう」

 

「首相も」の「も」の使い方正しいの?「首相は」の方が正しいのとちゃいますか?言葉を読ませ、言葉で論じることを生業としている者が、その言葉にたいして注意散漫であれば、誰もその言葉を信用しなくなるぞ。現にめちゃくちゃな文章になっているではないか。一応言葉のプロである新聞、しかも社説が、言葉のど素人に文章を指摘されるとは、新聞社失格だ!やめてしまえ!くたばってしまえ!二葉亭四迷!

「首相もこの流れを止めてはならないと考えたはずだ」っと仰いますが、違いますよ。きちんと参拝して、「日本の国会議員が8月15日という日本の歴史にとって大変意義・意味のある日に靖國神社へ参拝するのは当たり前だ!人のことごちゃごちゃ言うてる暇があったら、ダンボール入りの肉まんをヤラセと言わせたヤラセとか、偽ネズミーランドとか、著作権侵害のキチガイ人民共和国などの問題をきちんと片付けろ!愛国教育という名の反日教育でおまえら生き長らえることができると思うなよ。半島の死に体ノムヒョンかて同じじゃ!靖國神社は日本人の誇りなんじゃい!「神聖にして侵すべから」ざる所じゃ。ごちゃごちゃ言うてたら、いてまう象!!」と参拝後にいろいろ言うてくる勢力に対して、これくらいのこをと安倍首相もいいたいはずなんや。そやけど毎日新聞みたいなアホがイパーイおるから、「参拝するともせんとも」言えないんぢゃ。エエ加減にせなあきまへんで。それから、毎日さん、おたく前の段落では「実際には15日に首相が極秘に参拝するのは極めて困難だ。このため首相は当初から参拝は見送る意向だったと思われる」って自ら書いてるやないですか。オタクラみたいなんがギャースカギャースカ煩いから、参拝したくても出来ないのですよ。オタクラのせいなんですよ!!(怒)

 「毎日新聞はかねて中国などの反発という外交の側面からだけでなく、国内問題としても首相をはじめ閣僚の靖国参拝には疑問点が多いと反対してきた。閣僚の参拝は憲法の政教分離の原則に照らし、疑義が残るからだ」

 

もぉ・・・国民のみんさん!早よきちんとした知識を身につけましょうね!要は、わしらみたいなちゃんと分かってる人がまだまだ少数派やから、平気でこんなこと書くんですわ。ほんま早くきちんとした知識を国民全員が身に付けなアカンわ。毎日新聞は分かって書いとんねんで。毎日新聞の読者のみなさーん!毎日新聞は皆さんのことを「どうせアホは分からんやろ」ということで嘘を捏造した記事を書いてますよ。

何が嘘で捏造か、1つだけにしときますね。8月15日、日本武道館では全国戦没者追悼式が行われます。この「追悼」という行為は宗教的儀式に則った行為ではないのか?この式典には天皇皇后両陛下にもご臨席を毎年賜り、もちろん歴代首相も出席している。そして、壇の真ん中には大きな、大きな柱が一柱立っている。どっからどうみても「神道」の形式に則った式典ではないか!そうなんです。左巻き連中のくそったれどもにとっては、靖國神社だけがダメなんです。靖國神社だけが「政教分離」の対象なんです。そういう頓珍漢なことにばかり言ってることに早く気づいてください。

しかし、そもそもなぜ「政教」は「分離」しないといけないのですか?「政教分離」とは何ですか?この疑問に答えられますか?おそらく毎日新聞は答えられるのではないかと思う。わし程度の人間でもきちんと勉強していれば分かるからだ。ということは、やっぱり毎日新聞の読者の皆さん。馬鹿にされてまっせ。もっと勉強しなはれ。阿保読者の皆さん。

 「昭和天皇が靖国神社へのA級戦犯合祀(ごうし)に対し、強い不快感を示していたことが昨年判明し、今年はさらに具体的に「戦争に関係した国との間に将来、深い禍根を残す」などとの懸念を侍従長に伝えていたことも分かった。国民の間にも同じように考えている人は多いだろう」

 

そうそう。ついこないだブログに書きましたが、かつて「戦争に関係した国との間に将来、深い禍根を残す」と先帝陛下は仰った。先帝陛下が靖國神社への参拝を止められたのは、「深い禍根を残す」ことに対するご配慮からだ。あの朝日新聞でさえ(笑)社会面の隅っこのベタ記事だったのに(ほんまは一面トップで報じたかったのだろうが、朝日新聞の“イデオロギー”とあわないので、社会面のベタ記事でしか報道できなかったのだよ)、毎日はいけしゃーしゃーと社説で捻じ曲げた解釈で自説を主張した。朝日の方がよっぽどマシやで。この辺も読者をバカにしている証拠になる。もぅ、毎日新聞ボイコットやな。

 「その意味で、首相の参拝見送りは評価したい。しかし、残念ながら、先の大戦をどうとらえるか、歴史認識問題という根幹を含め、課題は一時的に棚上げされているに過ぎないのが実情である」

「評価したい」って、お前は朝日新聞か!!(どう?笑える?)

「課題は一時的に棚上げされている」のではなく、戦後何十年間も棚上げ、どころか隠蔽、騙され続けてきたのだ。それが「孫の世代」になってようやく分かってきたのだ。昨今の日本は右傾化しているとの見方があるが、それはそう思う人が左に寄りすぎてるからそう見えるだけ。中西輝政先生ではないが、「戦争を知ってる」と言うためには、「戦前も知って」いなければならない。比較できなければ本当の意味での戦争を知っているとは言えない。しかし、戦中・戦後直後に生まれた人はあまりにも自分の体験が強烈すぎるので近視眼的なものの捕らえ方になる。それが戦場で戦ってくださった方々の「孫の世代」になれば、戦前・戦中・戦後と客観的に等間隔で判断できるようになる。その結果が「右傾化」だ。八尾市会議員の三宅博先生じゃないが、「右も左もない」。あるのは、「正しいか、間違っているか」だ。

 

 「今年は当初、全閣僚が参拝しない意向を示していたにもかかわらず、高市氏が午後になって「日程の都合がついた」と参拝したのも自民党内に参拝推進論が根強いことを印象づける一幕だった」

高市さん、立派です。●○と○●には目をつぶって、とりあえず応援してしんぜよう。それに引き換え小池百合子は・・・

 「安倍首相はこの日の全国戦没者追悼式で「わが国は多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えた」と「深い反省」を表明した」

そう!宗教的式典=追悼式ですね!税金使われてますよ。いいのですか?こっちには文句言わへんのか?ま、どーせなら「天皇陛下ばんざ~~~~い!!」と絶叫してもらいたいね。そのほうが「追悼」になるのではないですか?

 「だが、米下院本会議がいわゆる従軍慰安婦問題で謝罪要求決議を採択したのを思い起こそう。米側に理解不足があるとしても日本の戦後処理がなお決着していないと見る目が各国に存在し、「深い反省」を言葉通りに受け取ってもらえない現実があることを私たちは冷静に受け止めるべきだろう。それを踏まえれば今年は節目の年ではないとしても、首相談話の発表など何らかのメッセージの発信を検討してもよかった」

 

そうやね。新たに首相談話を発表してもらいたいですね。「河野洋平はシナのハニートラップにかかったキチガイです。こいつの戯言のせいで近隣諸国(宮沢喜一はん、亡くなりましたね)にご迷惑をおかけしました。河野洋平はいわゆる“熱中症”&“胡の傭兵”と言われておりますので、半島か大陸の方々にプレゼントします。今後はこいつを使って新たな反日の手管を考えてください」とでも発表すればいいね。毎日新聞もたまにはエエこと言うやないけ!見直したで!!

それから、米下院でへんなもんが決議されましたが、これは「日本の戦後処理」とは100パーセント何の関係もありません。シナ系ロビーストが活躍して反日系の議員にお金をつぎ込んで(あるいはお金をつぎ込んで反日系にして)、この決議案を採択させたのです。つまり、これも一種の戦争なんですよ。ドンパチだけが戦争ではないんです。日本だけが近隣諸国の「公正と信義」を信頼しているのです。ほかの国は?自国の利益のためなら嘘でも卑怯なことでも何でもするんですよ。ロビーストってそのためにいるんでしょ!?諸外国は日本のことなどどうでもいいのです。自国の繁栄だけしか眼中にないの(そういう意味では、米にとって日は基地&財布としての利用価値があるから相手にしてるだけというのも理解できるでしょ)。

 「国民だけでなく海外の人もわだかまりなく追悼できるようにするにはどうするか。A級戦犯分祀論や靖国神社の非宗教法人化、新国立追悼施設建設案なども政界では最近、忘れ去られたようになっている。これも再度、議論を重ねていかなくてはならない課題だ」

簡単!お前ら反日イデオロギーメディアがごちゃごちゃ言わんかったれエエねん。そしたら遺族会の古賀誠が言うように、誰でもわだかまりなく追悼できるようになるがな。

というわけで、この日の社説を読まれた方が、「全然理解できない。わたしの頭が悪いのか、文章がおかしいのか、どっちかわからん」と仰ってました。

ま、当方の結論といたしましては、「その両方かな~?」っと思います。はい。


また8月19日が来ます

2007-08-16 00:18:47 | Weblog

また8月19日がやってくる。このブログを始めて三度目の8月19日(その間・・・いろいろあったな・・・はぁ~・・・)。

 

8月19日は恒例の「占守島(しゅむしゅとう)の戦い」をうpします。

 

去年、ある方と食事をし、私の車で帰りました。その道中車内のナビで女子バレーボールが流れました。私は、女子バレーボールは好きなので(えへへ)、そのまま見ることにしました。対戦は、日本対ロシアでした。それを見て、その一緒に食事をした方が「おまえ、ロシア嫌いやろ。だって昔日本に悪いことしたから(ケラケラ)」と仰いました。あなたのケラケラ顔、永遠に忘れません。

 

ロシア、嫌いです。旧ソ連、嫌いです。しかし、好悪の前に歴史上の隠蔽された事実を明らかにする行為は、揶揄されるに値する愚行なのですか?占守島の歴史を知っていましたか?そもそも占守島そのものを知っていましたか?知らなかったのではないですか?なぜ知らなかったのですか?歴史に無知だったからですか?違うでしょ。そのような歴史的事実は隠されているため意識して求めなければそのような事実に触れる機会がないからでしょう。記事を読んで「こんなの歴史に残すに値しない価値のない事実だ」と思いましたか?その正反対の感想をお持ちではありませんか?でもこのことは教科書にも載っていないのです。なぜ?隠蔽されているからなのですよ!それを少しでも、少しでも、明らかにしたい。そして考えてほしい。その結果、ロシアだ~い好き!と判断するなら仕方ない。その人の勝手だし、その意思を最大限尊重しよう。しかし、知らずに、考えもせず、騙されたまま判断をしているのであれば、知っている者、気づいた者が真実を明らかにする必要があると思うのです。私の行っていることなど、微々たるもので、何の足しにもならんと思います。でも、毎日平均100以上のアクセスがある我がブログですが、その中の一人でも気づいてくれる人がいるならば、と思って続けています。

 

<「最後になるかも」息子亡くした101歳母、車いすで参列>

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20070815itw7.htm

 

「「元気で帰ってくる」。別れに見せた息子の笑顔は、今も色あせていない。だが、式に参列した戦没者の遺族のうち、「父母」はたった1人。7割近くは「子」の世代で、その頭にも白髪が目立つ」

「報道陣から「息子さんに何て話しかけますか」と聞かれ、思わず両手で顔を覆った。「戦争なんてあってはならない」。絞り出すように言った」

「欣平さんは、出征前の身もだえするような葛藤(かっとう)を、その日記に残していた。

 <九月二十七日 自分は命が惜しい、しかしそれがすべてでないことはもちろんだ。(中略)死、死、一体死とは何だろうか。(中略)政府よ、日本の現在行っている戦は勝算あってやっているのであろうか>

 <十月四日 もう学問など出来ぬと半ば捨て鉢とでもいう気持ちになると、小説がむやみに読みたい。(中略)ああ もっと本を読んでおけばよかった>

 <十一月某日 俺(おれ)は気が狂いそうだ。(中略)戦争、戦争、戦争、それは現在の自分にとってあまりにもつよい宿命的な存在なのである。世はまさに闇だ。戦争に何の倫理があるのだ>」

「<母上様にもあまり苦労されぬ様、くれぐれも御体を大切にされますことを遥かに祈っております>

 やがてその手紙も途絶える。45年5月27日、欣平さんは、ミャンマーで空爆の直撃を受け、21歳で戦死した。疎開先の富山県で、コトさんと夫の七次さんに、遺髪が届けられたのは、終戦直前。三女の柿沼則子さん(72)は、仏間で泣き崩れていた父母の姿が忘れられない」

安心して生きて行くことができ、そして安心して死んで行くことができる国。つまり「美しい国」とは、このような体験をされたお母様に笑顔を授けることのできる人が巷に溢れる国のことではないか。自国の歴史に誇りを持つこと(実際、日本の歴史は十分誇りを持つに値する)、これこそが「後に続くを信」じて下さった方々へのご恩返しになると信じて日々生きて行こうと思う。


8月15日に思う

2007-08-15 00:20:42 | Weblog

 

8月15日は「終戦記念日」ではない!!

 

「敗戦記念日」である。

 

そう!終戦は昭和27年4月28日なのだ。この日をもって、GHQの日本統治が終了したのだ。昭和45年8月15日から、実に7年以上も戦争状態(戦闘状態は終結)が続いていたのである。その戦争状態の間に敵国に殺された東条英機、広田弘毅、板垣征四郎などの方々も昭和殉難者なのだ。だから靖國神社に英霊としてお祀り申し上げている。

 

昭和天皇は、A級戦犯と世間一般に言われている方々の合祀について「一つは(靖国神社は)国のために戦にのぞんで戦死した人々のみ霊を鎮める社であるのに、そのご祭神の性格が変わると」と仰り、「もう一つは、あの戦争に関連した国との間に将来、深い禍根を残すことになる」と仰ったそうだ(朝日新聞8月4日の記事。リンク切れのためURLを貼らず。前に記事書きましたけど、徳川元侍従長の「昭和天皇語録」みたいなやつですわ)。おそらく、昭和天皇はいわゆるA級戦犯の方々に感謝されていたのではないか。昨年話題になった日経新聞の富田メモにあった「だから わたし あれ以来 参拝していない」という昭和天皇のお言葉は「政治的なご発言」であったのだろう。朝日新聞よ!昭和天皇はA級戦犯を犯罪人とお認めではないぞ!!昭和天皇の大御心は、朝日新聞の「イデオロギー」に屈することはないのだ!!

 

その他昭和天皇のご発言に涙したことと言えば、昭和21年のいわゆる「人間宣言」である。実は、「人間宣言」なる言葉は左翼の歴史家が勝手にネーミングしたもので正しくは、「新日本建設ニ関スル詔書」という(だから、「人間宣言」という奇妙な言葉を使うな!)

 

内容は以下のとおり。

ここに新年を迎う。かえりみれば明治天皇、明治のはじめに、国是として五箇条の御誓文を下し給えり。
いわく、

一、広く会議を興し、万機公論に決すべし。
一、上下心を一にして、盛んに経綸を行うべし。
一、官武一途庶民に至るまで、おのおのその志を遂げ、人心をして倦まざらしめんことを要す。
一、旧来の陋習
(ろうしゅう:悪い習慣の事)を破り、天地の公道に基づくべし。
一、知識を世界に求め、おおいに皇基を振起すべし。

 

最初に五箇条のご誓文を持ってこられた。「広く会議を興し、万機公論に決すべし」とは、つまり、明治の時代から日本には民主主義が存在していた、と仰っているのだろう。これは「米軍の占領に負けるな!日本国民よ!!」と熱く語りかけておられるのではないか、と思う。そして、この詔書の中で「朕と汝ら国民との紐帯は、終始相互の信頼と敬愛とによりて結ばれ、単なる神話と伝説によりて生ぜるものにあらず」とも仰っておられる。日本国民を心底信じてのご発言ではないだろうか。

 

今年も8月15日がやって来た。昭和天皇がご決断された「終戦の詔勅」を読み直し(「耐えがたきを耐え 偲びがたきを偲び」というフレーズで有名な文章)、日本の礎となってくださった英霊の御霊をお慰めするため、大阪護国神社でご奉仕させていただきます。ご英霊のご威徳を無駄にせぬため、頑張り続けます。

 


我が、愛しの本多勝一(爆笑)

2007-08-10 01:51:13 | Weblog

いろいろと、載せようと思ったけど、集めてるうちにだんだん腹立ってきたので、載せるのやめときます(怒)

 

でも、本多勝一をもってくるなんて、おもろいオチでしょ!?

 

がははー

 

本多勝一を知らない人のために。

こいつは、「百人斬り」という戦時中に二人の将校が、シナ人を日本刀で斬首しながら歩き、どちらが早く百人に達するかを競ったと新聞に嘘の記事を書いた張本人。この連載記事が『中国の旅』というタイトルで(朝日新聞に連載されたもの)出版されました。史上空前の悪者、悪玉です。この名前を覚えておきましょう!