ダイヤモンド社の公式サイトに掲載された(掲載されている?)スポーツジャーナリスト谷口源太郎氏のご意見。< >はわしのコメント。
http://diamond.jp/series/sports_bubble/10004/?page=1
星野ジャパン人気に見る「偏狭ナショナリズム」という脅威
――メディアから視聴者、選手団まで「日の丸」に支配された北京五輪
63年目の8月15日を北京で迎える576人の日本選手団のなかで、かつて日本が植民地支配や侵略戦争で中国民衆に甚大な被害を与えたことを、反省を込めて想起するものがどれだけいるであろうか。
<君と田島○子と辻●清○とその一味くらいではないかな?>
JOC(日本オリンピック委員会)選手強化本部長で選手団長を務める福田富昭氏は、現地での記者会見で相変わらずメダル勘定しか発言しなかった。「金メダル2けた以上、総メダル数30個以上でアテネ(37個)を超える」と。選手団のトップがメダルしか頭になく、それ以外のことには思考停止の有様で、過去の歴史認識などまったくない。おそらく、選手団全体も同様ではなかろうか。
<思考停止の有様なのは、君だよ!君!!>
ナショナリズムの象徴
星野仙一という存在
現地入りする前にメディアから北京オリンピックについての抱負を聞かれた選手たちの多くが、「日の丸のためにメダルを目指して頑張る」と応えたのは印象的だった。とりわけ、テレビに出演する度に日の丸を徹底して強調した野球代表監督・星野仙一氏の存在が目立った。
星野氏は、プロ野球・中日ドラゴンズ監督時代、理論や論理ではなく暴力で選手を納得させる指揮官として知られた。また、日の丸の強調が象徴するように星野氏は、ナショナリズムに凝り固まった人物でもある。
<根拠を提示せずに断定をし、その断定を根拠に積み上げた論は、もはや論ではなく、駄文に過ぎない。読むに値しない駄文だ。「理論や論理ではなく暴力で選手を納得させる指揮官」「ナショナリズミに凝り固まった人物」である根拠を示せ>
しかし、メディアは、そうした星野氏の本質的な資質を見ようとせず、「闘将」「熱血漢」などと偽称して持ち上げ、頼りがいのある指導者のイメージを作り上げてきた。そして、星野氏の理屈抜きで感情的に思いついたことをずばずばという語り口が、メディアによって思考力を奪われた視聴者に受けたといえよう。
<すぐに「本質」という言葉を使う人間は怪しい奴が多いね。「思考力」は君だけがっ持っているのか?それとも、自分と意にそぐわない人間の言動はすべて「思考停止」なのか?>
選手団のなかで存在感の大きい星野氏だけに、その偏狭なナショナリズムが野球ばかりでなく他の競技の選手にも影響を与えることを危惧せざるを得ない。
<どういう根拠で「存在感の大きい星野氏」の「偏狭なナショナリズミ」が「他の競技の選手にも影響を与え」しかもそれを「危惧せざるを得ない」のかわからない。何度読んでも分からない・・・>
1つの詩が教えてくれる
「日の丸」に隠された真実
「原爆詩人」として知られる栗原貞子さんの「旗」という作品の一部を紹介する。
日の丸の赤は じんみんの血
白地の白は じんみんの骨
いくさのたびに
骨と血の旗を押し立てて
他国の女やこどもまで
血を流させ 骨にした
いくさが終わると
平和の旗になり
オリンピックにも
アジア大会にも
高く掲げられ
競技に優勝するたびに
君が代が吹奏される
千万の血を吸い
千万の骨をさらした
犯罪の旗が
おくめんもなくひるがえっている
「君が代は千代に八千代に
苔のむすまで」と
そのために人民は血を流し
骨をさらさねばならなかった
今もまだ還って来ない骨たちが
アジアの野や山にさらされている
略
日の丸の赤はじんみんの血
白地はじんみんの骨
日本人は忘れても
アジアの人々は忘れはしない
栗原さんは、この詩で「日の丸」を象徴とした侵略戦争によって2000万人ともいわれるアジアでの犠牲者をだしたこと、そればかりか戦後もそのことに対して謝罪も補償もしない、そうした日本のあり方を厳しく批判しているのだ。
<謝罪と補償をした国があるのかよ・・・
イタリア国旗の赤は誰の血や?フランス国旗の白は誰の骨や??
「君が代は 千代に八千代に さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで」。「さざれ石の 巌となりて」が抜けてる。「さざれ石の 巌となりて」というフレーズがあるから「苔のむすまで」という結びの言葉が生きてくる。君が代の歌詞の意味は、「天皇陛下を仰ぐ日本は、国民が皆幸福になり、天皇も国民も礫岩の様に小さな石が寄り集まって大きな岩となり、更にその上に美しい苔が一面に生えるまで、いつまでも栄えますように」という意味なのです。捏造はやめなさい。嘘はやめなさい。無知でものを言うのはやめなさい>
日の丸を誇ったり、日の丸のために頑張る、というような単純で薄っぺらな発想がいかに愚かで誤ったことか、この詩は教えてくれる。
<・・・・・・・・・・・あいた口が、さらに大きく開いてしまうわ・・・「薄っぺらな発想」をしているのは君です。ったくぅ・・・>
国威発揚の手段にされる「メダル競争」
ナショナリズムを克服するには
北京オリンピックには、205の国と地域から1万人以上の選手が参加する。そのなかには戦争や貧困、飢餓、それに宗教、人種差別などによってスポーツ活動もままならない国や地域の選手たちもいる。そうした選手たちは、メダル競争ではなく、世界から集まった選手と出会い、共に競技することにオリンピックの意義を見出すに違いない。憲章に唱われているように参加した選手たちが友情、連帯、相互理解という人間性を発揮することにこそ、オリンピックの普遍的な価値があるはずだ。
<ほな、お手手つないで仲良くゴールせーや。そんなとこに普遍的な価値なんかない!!捏造するな!!!>
しかし、実際にはナショナリズムに基づいた国威発揚の手段としてメダル競争がオリンピックを支配してしまい、選手の人間性は歪まされ壊されている。ナショナリズムを克服するにはどうすればいいのだろうか。
<ほっほー、オリンピックに出場している選手の「人間性」は歪んでいるのだな。これはストイックに自己を鍛えているアスリートに対する挑戦であり、選手たちをあまりにも馬鹿にした発言で看過できない。スポーツ選手は脳ミソまで筋肉に犯されているとでも思っているのか。実にひどい。めちゃくちゃな発言だ。ここまで無茶苦茶に他人をこき下ろす人間がこの世に存在するとは俄かには信じがたい>
ドイツで戦争と革命の世紀を生きた女性画家のケーテ・コルヴィッツは、第一次大戦が始まったとき、息子への手紙にこう書いている。
<私たちは言いました。『国際主義の理念はしばらく後退せざるをえないだろう。しかし、あらゆるナショナルなものの背後に、インターナショナルなものが厳存する』と。ナショナルな発展の現状は、袋小路に行き着きます。民族的な生活を保持しながら、ナショナルなものどうしの衝突を不可能にするような立場を、見いださねばなりません>【「ケーテ・コルヴィッツの肖像」(績文堂出版)】
ケーテ・コルヴィッツは、国際主義によってナショナリズムを克服することで戦争のない平和な世界をつくりだせると確信していた。国を超える国際主義の思想によってしか相互理解や連帯などの人間的価値は、実現できないといえるだろう。ナショナリズムに呪縛されて日の丸やメダルしか考えていない日本選手団にとって、あまりにも難しい課題だ。
<そんなことは、支那に言え!!北朝鮮に言え!!ロシアに言え!!韓国に言え!!ネット検閲を強化し、反体制派を、反体制派という理由だけで投獄し、チベットに大弾圧を加えたオリンピックの開催国支那に言え!
「ナショナリズムを克服することで戦争のない平和な世界をつくりだせる」との「確信」は幻想に過ぎない。そのような発言を他国に信じ込ませることによって他国の国力を奪おうとする「情報戦」である!!敵国の走狗として駆けずり回る愚か者の谷口よ!とっとと気づけ。今なら間に合う。日本の歴史を勉強しろ!!>
<しかし、ダイヤモンド社さん。おたく、よぅこんな愚の骨頂を極めつくした文章を恥ずかしげもなく載せましたね。こんなところから売上が落ちていく可能性もあるねんから、無批判になんでも掲載したらあきまへんで。とっとと記事を削除したら?>