インドちゃんの子どもと書くな!子供と書け!!

障がい者と書くな!障害者と書け!!

夫婦別姓=インドちゃんと、canaちゃん

2010-02-11 19:11:49 | Weblog

予算の審議が終了すれば、いわゆる「選択的夫婦別姓法案」が国会に提出されます。

 

もともとはフェミニストで米下院の民主党議員のなんとかさん(名前忘れた)が言いだしっぺで、それが流れ流れて日本へ舞い込んできたそうです。

 

極左フェミニストの、この米民主党下院議員さんは、家族という制度が壊れれば民主党への票が増える、と考えました(家族を大切にするいわゆる保守層は共和党支持が多いため)。

 

結婚はするが、同一の氏を名乗りたくない。このような女性を終生守っていこうと男は思えるか。最初はいいかもしれないが、10年、20年経ち、結婚当初の若さも勢いも無くなってきた。それでも守り通す感情が湧くか。

 

答えは、否。離婚率の増加。少子化が加速し、ついには移民を受け入れなければ経済活動ができない有様。結果、アメリカは移民だらけで“原アメリカ”と言えるものが雲散霧消してしまった。

 

一般的に経済力では男性より劣る女性が子供を抱えながら生きていくのは大変。したがって、政府が“ばらまく”公的資金が実に有り難いものとなる。結果、そのような政策を推進する米民主党の支持が増えた(笑)

 

結論:夫婦別姓は、家族を破壊し国家(日本)を破壊し、そして女性にとても厳しい最悪な法案である。

 

今回提出されるであろう法案には、非嫡出子にも嫡出子と同等の遺産相続権を付与せよ、と記されている。

 

財産も何もいらない、愛だけが欲しい。斯様な愛人の一途な思いには尊敬の念すら抱くが、しかし、子供が出来たとたん「財産を寄こせ」と言える権利が付与されるとは、「不純×不純=不純不純or不不純純」になっちまうね。

 

子供に罪はない、というのは理解できるが、では、奥さんや実子の気持ちは配慮する必要はないか。不倫という人間の生きる道に反する行為を、法律が推奨することになりはしないか。これはまさに、社会の最小単位である家族というものを破壊することにつながるのではないか。

 

加害者の人権ばかり配慮して、被害者の立場をないがしろにしていることと通底するものを感じるのは、わたくしだけ?

 

日教組が面白いことを言ってます。

<社会制度や慣行をジェンダーの視点に立って見直し、個人が性別に関わりなく個性と能力を発揮できる社会、どのようなライフスタイルを選択しても不利益のない社会の実現をはかる必要がある。> http://www.jtu-net.or.jp/proposal_12.html

 

要するに、「お父さん、お母さんがいれば、子供の個性は育たない。子供の個性を育むためには、家族という古い制度を破壊しなければならない」と公言しているわけです。

 

民主党の長尾たかしさんによると、3月12日の閣議決定が一つの山場で、そこでの決定を受けて本国会に提出されるだろう、とのことでした。

 

外国人参政権法案も実にキチガイじみた法案ですが、この法案は国民新党の反対を受けてまだ法案が提出されるかどうかが決まっていない。

 

しかし、選択的夫婦別姓法案は国会に提出されることが決定している。

 

2月11日紀元節(初代神武天皇が実にすばらしい日本を我々に残してくださった記念すべきめでたい日)のこの日に、日本を破壊する法案を阻止すべく、署名活動等にご協力いただきたいと思う次第であります。

 

 


お前のせいや!

2010-02-08 22:43:51 | Weblog

6日は雪で寒かたよー<@京都→名神高速道路>

昨日(平成22年2月7日)は前日ほどではないにしろ、某神社の境内でじっとしてれば寒いなーと思うみたいなぁ~♪

 

この日は、某神社にて会議&勉強会を行う予定であった。開始時刻は午後なのだが、我々役職に就いている者はいつも早めに召集がかかり(昨日は11:30やった(+_+))、打ち合わせや準備を行っております。

 

11:20頃到着しましたので「まずお参りしてそれから集合場所へ行こう」と思い、まず手水舎へと向かいました。

 

神社の境内では、某団体の方々が寒空の中、清掃奉仕をなさっていました。皆様ご高齢に見受けたのですが、淡々と清掃を行っており、その横を素通りすることに気が引けたのですが、何かすがしい気持ちにもなりました(ちなみに、我が団体も同神社を年に数回清掃奉仕させていただいております。大変名誉なことです)。

 

天皇陛下の御製、英霊の言の葉(社頭掲示)を、我々は会議の冒頭奉読させていただいております。英霊のご遺徳を偲び、静粛に神社をお参りするためです。

 

大変栄誉なことですが、今年度最後の奉読担当にわたくしが指名されましたので、手水舎の手前にある掲示板に掲載されている社頭掲示を“予習”しようと思い、その前にて直立(有動)しておりました。

 

御製は平成17年度のもので、畏れ多いことですが既に存じ上げており、すぐに英霊の言の葉(社頭掲示)に目を移しました。

 

大東亜戦争当時、ご自分の命よりも国家に尽くすことに重きを置かれた方々のお心持を拝読するうちに、全身から込み上げてくるものがあり、英霊の御恩に報いる気持ちをいっそう強固にしようと思っていたところ、「君ら、○○○○か?(=我々の団体名称)」と箒を持って掃除をしておられた方がわたくしに聞いてきました。

 

「はい、そうです」と笑顔でお答えしたのですが、その方の表情には何とも言えぬ微妙な薄ら笑いというか、強張り損ねた表情というか、如何とも表現し尽くせぬ中途半端な表情をされていました。

 

神社の境内で我々のような年代(若者?)に話しかけてくるの方の類型には以下の3種があります。

①若いのに偉いね、と仰る。こういう方に声をかけていただけると、「また神社に来よう、ご奉仕しよう、という気になります。

②神社の関係者だと思って色々バスバス聞いてくる。いや、ただの奉仕者なのですが・・・それでも精一杯対応します(かなーり偉そうな態度の人がムカムカ来るほ程多いのは、気のせい?)。

③自己の矮小さを隠蔽するために、一見格下だと思える(見誤る?)相手を見つけては議論を吹っ掛け「おいらはこんなに偉いんだぞー、お前ら何も知らんだろ(だから本当はもっともっとおいらの名前が有名になってもいいはずなのだ)」と、目の前の人間を勝手に蔑み、それによって相対的に自己の存在を肥大化して見せるために、獲物を見つけては話しかける。

 

こちとら英霊のご遺書に触れ、意識は若干時空をさまよっておりましたので、不意を突かれた感じで、咄嗟に対処する手段もなく、にこにこほほ笑むことしかできませんでした(不微笑み返しの所作)。

 

褒めてもらえるのかな~♪っと思ってうきうきわくわくノリノリで次の言葉を待っていたのですが、この方はいきなり「わしら、勉強会に参加したらアカンのか?」との丁寧なお問い合わせをなさり、事態はまさに風雲急を告げてきました。わたくしは「我々の団体は青年部ですので、40歳までなんですよ」と営業スマイルを向けました。

 

すると、あろうことか、その相手の方は「なんで40歳までやねん?なんで40歳で区切るねん?」と実に危なっかしい危険球をわたくしに向けて投げつけてきました。

 

「われわれは○○神社の下部組織ですから、神社の意向を聞かないといけません。われわれで勝手に設定することはできないのです」と懇切丁寧にお相手をして差し上げました。

 

ところが「こないだ、○○部長にも言うたんや。そしたら『40歳以下はダメなんです』とこうくるわけや」と誘導尋問なのか、自爆テロなのか、何か分かりませんが、わたくしの美しいハートに油を注いで、メラメラと燃え盛らせる実に貴重なお言葉を述べられます。

 

この方は、事情をご存知なのです。事情をご存知でなければきちんと説明する必要があるとは思います。そのような方には微に入り細を穿って説明する準備はあります。が、事情を熟知している人に何を言っても無駄なので丁寧に、真摯に説明することはこの段階でやめることにしました。だって、事情を知ってて(10年くらい経って状況が変わってる可能性があるのならともかく)同じ質問を○○○○の関係者に出会うや否やぶつけてくるのは、どう考えてもイチャモン以外の何物でもないでしょう。

 

「本会のご意向に則って我々は淡々と行事その他の職務をこなしているだけです。本会が決めることですから我々にはどうしようもありません」と、それでも目上の方ですから、その時できる限り最大限の敬意を払いながらお答えしました。残念ながら、時計の針は無情にも11:30を指していました。お参りする時間をこの方に無駄に奪われてしまったのです。

 

それに味をしめたか、調子が出てきたのか、「勉強会って、どんなんやってんのか知らんけど、君ら共産党の奴らから『日本は満州で人を殺したやないか』と言われたら答えることができるんか?え?共産党は賢いで。ちゃんと勉強しとる。議論をしても勝たれへんのや」×20回(20回も同じセリフをわしに吐くおっさん)と、わしの小さな胸の内にズカズカと入り込んで、爆発寸前の最終破壊兵器のスイッチを押してくるのです。

 

この方は一体何が言いたいのでしょうか?「お前ら、VENONA文書なんか知らんやろ?わしは知っとんのやぞ」と言いたいのでしょうか。

 

それとももっと基本的で「最近は学校で近現代に入る前に歴史の授業が終わる。お前らどうせ近現代史を知らんやろ。満州事変なんか知らんやろ。溥儀なんか知らんやろ。張作霖なんか知らんやろ。河本大作なんか知らんやろ。わしは、知っとるでぇ~~」と言いたいのでしょうか。

 

いずれにせよ、こんな幼稚な、共産党員に反論もできないようなアホを相手にするのは時間の(文字通り)無駄だと思い、その場を去ることにしまいた。かろうじて保っていた目上の人に対する敬意は霜降り肉のように解けて無くなっておりました。このおっさんはイチャモンをつけることに生き甲斐を感じているのでしょう。色々と言うてやりたかったのですが、ここは神社の境内だし、このおっさんは掃除中だし、ということでニコニコ笑って「おっさん、ええ加減にせえよ」的な眼光を向けてやることで落とし前をつけてやることにしました。

 

しかし、このおっさんは俗に言うKYなのか、わたくしの真意を理解するどころか、さらに調子にノリPで、「お前ら、日教組のこと何か全然わからんやろ」と、ど真ん中ストレートの直球をわたくしに向かって放ってきたのです。

 

わたくしのハートの温度がずんずん上昇し、このおっさんに愛の鉄拳(言葉の鉄拳やで)をお見舞いしそうになりましたが、ここはグッとこらえて 「もう時間ですから。すんません」と言ってその場を去りました(実際集合時刻を過ぎてしまったし)。しかしこのおっさん、去りゆく我々に何のひと言もない。「引き止めてごめんね」「お時間取らせましたね」くらい言ってくれればこちらの溜飲も下がりましたが、再びこのおっさんは汚い顔に気持ち悪い薄ら笑いか何かようわからん表情を浮かべ、とっとと行け、というようなジェスチャー。わしは我慢が限界で下痢の症状をもよおしてしまいました。

 

このおっさんの言いたいことが分からんでもない。最大限好意的に解釈して、このおっさんは理論武装しろ!と言いたいのでしょう。今の日本の現状を憂いて、何とかせねば、という気持ちがないわけではないのでしょう(でも、言う相手が間違っとるわ)。

 

そしてその勉強の場に俺様を使え。俺様は偉いんだ。お前らより偉いんだ。お前らのようなレベルの低い人間とは違うんだ。俺を尊敬しろ。

 

という虚栄心がお顔やお口からボロボロとこぼれている姿は、実にみっともない。

 

街宣右翼を見て、「かっこいい」「すばらしい」「おれたちもああなりたい」「君たちの言ってることは素晴らしい」「君たちは正しい」「尊敬しる!」と思うだろうか。まったく逆効果。「街宣右翼が口を開けば必ず出てくる○○神社って、サイテーの神社だわ」と思われるのがオチです。

 

いくら“正しい”ことを言ってても、やり方をひとつ間違えればそれは100パーセント逆の効果を生起し、庶民からは見捨てられてしまう。そう。日本のためを思っての行動が、実は日本を貶める効果しか生まないのだ。なぜならそれは(精神的にも生理的にも)毛嫌いされる行動だからだ。そんなことも分からない幼稚な心性。お前こそ、日教組の申し子じゃ!!

 

で、このおっさんは、休憩時間中に我々に話しかけてきたのではない。他のみなさんは寒い中一所懸命清掃奉仕を行っておられた。しかし、このおっさんはわたくしに絡んで絡んで解けなくなるほど絡んできた。つまり、サボっている。

 

このおっさんは「俺は毎月神社の掃除をしとるんや。お前らは口ばっかりや」というためだけに、ひょっとしたら不純な気持ちで参加しているのかもしれん。誠心誠意お掃除に励もう!と思っているとは到底思えない。

 

しかし、まったくお互い知らない初対面の人に向かって、よくもまぁこれだけ偉そうなことが言えるな、と軽蔑以外の言葉が出てきません。初対面の人にはまず自己紹介しますよね。「○○と申します」って名乗りますよね。格下と目鼻をつけた(見誤った)相手の年齢や職業も知らずに、よくもまぁ、“断言”ができたものだ。

 

こういうおっさんが、日本・愛国心・皇室・國神社といったものから現代日本人を遠ざけているんだ。こういう奴が元凶だ。駆逐せよ。反面教師とせよ。モラルもロジックもありゃしない。

 

 

お前のせいや!!

聖闘士星矢!!


現代社会

2010-02-04 13:49:08 | Weblog

わたくしは、ず~~~~~~~っと、言うてます。

今まで、ずぅ~~~~~~~~っっっとっとっと、言うてきてます。

 

「現代社会が危険だ!!!」と。

 

「その通り!現代の社会は危険だ!!」と思ったあなた。

 

チッチッチッ

 

違うんだなぁ~っ、これが。

 

確かに「現代の社会」はいろんな意味で危険な(精神や思想を具備している)人が跋扈しております。

 

それには反論しませんが、今わたくしがココで申し上げているのは高等学校で教えられている「現代社会」という教科のお話であります。

 

よくある光景ですが、なーんも知らん人がエラソーに「歴史をちゃんと教えろ!学校では明治に入る前に三学期が終わっちゃう。近現代を教えていない。ちゃんと教えろ!」と、管を巻いているシーンを拝見します。

 

しかし、このおっちゃんの偉そうなお言葉には誤謬が満載です。どこがどう誤謬かというのをいちいち書いてると邪魔くっさい、邪魔くっさい、邪魔くっさいので(なんせ、忙しくて忙しくて、ようやくこの一件をブログにうpする時間ができたのですから)、今回はこういうおっさんには好き放題言わせといててあげます。機会があれば、ギッタンギッタンに論破してあげます。それまでケツでも洗って待っとけ

 

 

下にあるのは、本年度実施された大学入試センター試験です。「公民」という科目があり、その中に現代社会」という教科があります。その第1問、問3です。正解は何番だと思われますか? 

 

問3 下線部Cに関連して、日本のおける参政権に関する記述として適当でないものを次の①~④のうちから一つ選べ。

 

①国民投票法上、憲法改正の国民投票の投票資格は、国政選挙の選挙権年齢が満18際以上に改正されるまで、満20歳以上の国民に認められる。

②被選挙権は、衆議院議員については満25歳以上、参議院議員については満30歳以上の国民に認められている。

③最高裁判所は、外国人のうち永住者等に対して、地方選挙の選挙権を法律で付与することは、憲法上禁止されていないとしている。

④衆議院議員選挙において、小選挙区で立候補した者が比例代表区で重複して立候補することは、禁止されている。

(平成22年1月18日出題)

 

え~っと、①から順番に選択肢を読んでいき、合ってるか間違ってるかを吟味しますが、③でオイラは×をつけます。よって、マークシートの③を黒く塗りつぶし、次の問いへと進みます。優秀なインドちゃんはそそくさと問題を解き終わり、時間が余り、ひまでした。お前はひまんだとのご指摘にも笑顔で対応しつつ、仕方がないので見直しでもしよっかと、ほんの偶然の出来事で選択肢の④を見つめなおします。

 

 

むむむ・・・

 

 

④が間違いなのか・・・????

 

皆様ご存知のように、平成7年2月の最高裁において、「参政権は国民主権に由来し、憲法上日本国籍を有する国民に限られる」との判決が出されました。つまり外国人に参政権を付与することは、たとえ地方政治であったとしても許されない、と確定したわけです(原告の訴えを棄却)。

 

しかし、傍論(判決とは何の関係もない、つまり法的拘束力が皆無である裁判官の独り言のようなもの。余計なひと言。感想見たいなもの。判決だけを伝えればいいのに、この傍論を述べる裁判官は結構多いみたい。何度も言うが、君はたしかに、僕を愛してる。せんえん・・・・・・もとえ、傍論には法的拘束力は一切ない。ただの感想文)で「法律で、地方自治体の長、その議会の議員等に対する選挙権を付与する措置を講ずることは、憲法上禁止されているものではない」と記述され、外国人参政権推進派は、この傍論を誇大に宣伝し、論拠としている。

 

しかし、この傍論を根拠としてモノを言うのは横暴であり、反則技に過ぎない。たとえば、

 

城島しっかり頑張れよ!お前が打たなければ阪神の優勝はないし、乞われたことを意気に感じたお前のことだからきっと活躍すると信じている。さまざまなものを犠牲にして誕生した城島阪神。お前が1年間フルイニング出場することが、犠牲に対するせめてもの恩返しだ。しっかり働け城島!!!!!(でも、矢野も頑張りや~)

この違憲を論拠に、「インドちゃんは矢野をタイガースの正捕手にしろと訴えている。矢野フリークだ。なぜなら、矢野は創価学会員だからだ!」

 

という説が成り立ちますか?傍論を拠り所とするのは、斯くの如く杜撰な卑劣な暴論なのです。

 

もし仮に外国人参政権法案が成立すると、日本に壊滅的な打撃を与えてしまう。別にわたくしがぐだぐだ述べなくても、ここを訪れるようなみなさんなら、重々承知でいらっしゃるでしょうし、さまざまなサイトでバンバン述べられていますから(ググれ)特段わたくしが自身のサイトで述べることはありません。

 

傍論を利用した國批判もありましたね。ほんと、やることが姑息というかアホ丸出しというか・・・(でも、世間のみなさんはそのアホ丸出しのやり方が、アホ丸出しに見えないんだからね、困ったもんですわ)

 

さて、今回この一件を拙ブログで取り上げた理由は、外国人参政権に潜む悪辣な陰謀を取り上げるためではありません。サイトを検索すれば、いかにこの外国人参政権が危険な法案かがつぶさに分かりますので、今回は違う立場から今回の一件について述べさせていただきます。

 

先ほど、姑息なやり方、と書きましたが、実に姑息も姑息、開いた口がさらに大きく広がって塞がらんわい!!というくらい姑息です。何がそこまで姑息か?

 

みなさんは、「毎年毎年ババほど入試問題が作られるのだから、一問くらい変な問題もあるよな、しゃーないで」ってな程度にしかこの問題を捉えておりませんか?国会議員である小池百合子さんが川端文科大臣に質問しておりましたが、国会議員が見逃せないくらい、これは国家の運命にかかわる重大な事態に発展する可能性を秘めているのです。

 

大学入試センター試験というのは、少子化の影響を受け、各大学が、脳味噌が詰まっていようがスカスカであろうが、とにかく受験生が欲しいと悪戦苦闘しながら受験生集めに必死のパッチでヒーヒー言うてる中、頼んでもいないのに54万人以上が志願するというお化けのような入試問題なのです。何がどう「お化けのようなもの」なのかということと、「頼んでもいないのに」の意味について書くのは邪魔くさいので書くのをやめますが(ほんま、忙しいんやから)、 センター試験というのは同じ問題を同じ時間帯に全国で何十万という受験生が解くという他の追従を許さない肥大化した大学入試(ある意味、異常)、という認識は持っておいてください。

 

さて、「公民」という科目、「現代社会」という教科、いずれもマイナーですね。数学や英語とは比べものになりませんね。では、どんな奴が受験するねん?と思われるかもしれませんが、この教科は国公立大を受験する生徒が選択科目として選ばれる、というのが一般的で、私大受験者(有名大では基本3教科。そうでない私大では科目数は1か2・・・)が「現代社会」を選択し受験することは例外と言っていいくらい少ない。

 

単純な比較はできないし、個別的な事象を考慮する必要はあるが、敢えて乱暴な言い方をすれば、東大や京大を受験して合格し、将来は国家や企業の中枢として働き、日本そのものを牽引することになる金の卵が大学入試センター試験で「現代社会」を選択する、となります。乱暴を承知で敢えて言わせていただきましたが、これで何となしにイメージが掴めるはずです。

 

これまた乱暴な言い方になりますが、優秀な人の「現代社会」選択率が高い、ともリスクを承知の上で言うておきます。

 

さーて、みなさん、本屋さんに行ってみてください。大学入試受験参考書コーナーに足を運んでみましょう。通称「赤本」と言われる過去問題集が売られています。早稲田や慶応など有名大学の「赤本」は数年度の問題が掲載されていて分厚く、しかも安い。しかし、マイナーな大学は1、2年分しか収録されておらず薄い。ペラペラ。しかもベラボウに高い(さらに、解説や全文訳がない)。ところが、大学入試センター試験の過去問集は、今まで実施された<すべて>の年度の問題が収録されておりぶ厚厚厚厚。しかも安い。問題より解説のほうが分厚い。英語はCDまでついてる

 

センター試験はかくも受験の世界で“優遇”されている試験なのです。試しにお時間があれば、大学受験予備校の講習会パンフレットでもご覧になってください。センター試験という冠のついた講座がわんさか、わんさか(我々が受験生の時代は、センター試験(共通一次試験)は“簡単”との認識があったので、私大や国公立2次試験の勉強をしている過程で十分解ける実力がつくから特段何かをする必要がなかったのに、今時の生徒は何かを始める前にまず、体面や形を整えようとする。傾向を知り対策を立てないと問題が解けないと思い込んでいる。これは予備校の先生にも責任はあるのだが、しかし、頭でっかちな予備知識だけ一丁前で、まずは自ら汗をかいて取り組むという発想の無い受験生が多いのは憂慮すべきことであろう)わんさかーーーーー。つまり、センター試験は受験の世界では花形であり、予備校や塾(予備校と塾は違うよ。何度言わせるねん)の“ドロ箱”となっているのです。ということは、それだけセンター試験の過去問を教材にして学ぶ生徒が多いということになり、しかも一般的な大学の問題であれば数年後には“古い問題”として利用されることはなくなるが、センター試験の問題は先ほどの「赤本」の例にもあるように、いつまでも永遠に「過去に出題された実績のある問題」として、繰り返し、繰り返し、各予備校や塾(もう一回言うけど、予備校と塾は違うからな。一緒にすんな)の教材として使われます(もちろん学校の教材にも)。

 

さらに、「最高裁は外国人に地方参政権を付与することを禁止しています」と、正しい知識を教えると生徒は“間違った”知識を習得することになり、このように教えることは今後できなくなる。「実はな、最高裁は地方参政権を付与していることは禁止してるけど、入試では、地方参政権付与を禁止していないと考えてね」と言っても、受験生は混乱してしまいます。また、「地方参政権は禁止や」と教えても、「先生、平成22年の問題はどうなってるのですか」と質問されてしまう。きちんと説明すれば納得してもらえるでしょうが、いまどきの受験生にそんなヤヤコシイことを言えば一挙に人気がなくなります。あの先生分かりにくい、となってすぐさま解雇されてしまいます。また、わたくしは普段英語を教えておりますが、わたくしの授業においては、英語は単なる話のネタに過ぎず、いろんなことをバンバン喋りまくります。「現代社会」でこのような問題が出題されれば、余談として外国人地方参政権の話をすることも(生徒が間違う可能性が出るので)危なくて話せなくなります。

 

センター試験(に限りませんが)の問題に出題されるというのは、ここまで波及効果を及ぼす大変大きな意味を持っているのです。つまり、毎年毎年効果的に、しかも全国規模で偏った思想を植え付けるには、センター試験が実にお手軽なのです!!

 

もう不可能で、手遅れなのかもしれません。実際に法案が提出されようがされまいが、日本の中枢を担う可能性のある前途洋々たる若者には、「最高裁は外国人に地方参政権を付与することを禁止していない」と教えなければならなくなったのかもしれません。歴史だけではなく、「現代の社会」でも“東京裁判史観”が幅を利かせています。

 

今回のこの問3ですが、「正答率がそれほど高くなかった」ようです。

<問題作成部会の見解→http://www.dnc.ac.jp/old_data/exam_repo/21/pdf/21hyouka17.pdf >

 

大学入試センターも、高等学校側も問3を問題視しているようには思えません。このままでは過去問として確定しています。

 

過去にも「現代文」で出題された問題文の著者が抗議し、過去問として掲載されることを阻んだ、という事例もあります。

 

というわけで、最後の砦は皆様の抗議です。メールではダメ。一挙に削除されます。電話とFAX、文書で抗議をお願いします。ちなみにセンター試験は今回だけでなく、毎度毎度「現代社会」「政治経済」で悪辣な姑息な問題を作っています。日本史もたいがいにせーや!といいたくなる問題を出題することがありますが、「現代社会」の比ではありません。「現代社会」に注目し、そして、今回のこの一件に抗議をしてください。日本のために、将来のために、将来この国に生まれ来る皆様の子孫、後輩のために、お願いします。

 

大学入試センター

電話03-3465-8600

 

 

↓ごめん、のんちゃん。パクッた

大東亜戦争の敗色が濃厚となった時分、
江田島の海軍兵学校の井上成美校長を訪ねた一人の老人がいる
その人の名を鈴木貫太郎という
当時は無役の退役軍人であった

「兵学校のな、生徒教育のほんたうの効果は、大体二十年後にあらはれる。いいか、二十年後だぞ、井上君」

阿川弘之『井上成美』の一節である


ズンとこたえる一節である <←のん太郎の感想。わしではない。>

 

 

 


聞きに来んかい!!!!

2010-02-01 15:14:57 | Weblog

日本は本当に大丈夫か??

 

実際に戦場へ赴かれた方がまだご存命でいらっしゃるが、その方の話を誰も聞きに来やしない。

 

見渡す限り、いつもと同じメンバーではないか。

 

後に続くを信じて戦ってくださった元兵士の魂の叫び、最後の訴えを聞く機会は、残念ながら後数年でなくなるだろう。

 

聞きに来んかい!!!!

 

平成21年12月20日大阪護国神社にて

特殊潜航艇「海龍」元乗組員 池田明義先生のお話を聞く

 

 皆さんは小学校六年間あるいは中学校3年間の思い出をどれくらい鮮明に語ることができるであろうか。中学校の修学旅行の思い出でもいい。1時間ほど思い出話を語ってくれと問われ、テキパキと語ることができるであろうか。1220日大阪護国神社にて、特殊潜航艇海龍の元乗組員、池田明義先生のお話しを伺った。先生は八十六歳というご高齢にも関わらず、約二時間ぶっ通しで幼少の頃から敗戦後のことまで微に入り祭を穿って説明をされた。まるで目の前に当時の情景が浮かんでくるかのように細かく、詳しい説明であった。先生は言う。「記憶力は十四歳の頃がピークである。『門前の小僧習わぬ経を読む』ではないが、子供は詰め込めば全部覚える。ゆとりは論外である」と。確かに先生の記憶力は素晴らしく、教育勅語から幼少の頃に覚えた歌謡曲に至るまでメモを見ずそらで朗読し、そして歌う。“正しい”教育とはいかなるものなのか。今、目の前に“結果”が現れている。

 昭和八年十二月二十三日、間もなく冬休みを迎えるという寒い朝、姉、教頭先生と三人で小学校へ向かっていた。すると「ウーン」と大きなサイレンが鳴った。教頭先生は「皇太子殿下がお生まれになった。すぐに学校へ行って日の丸を揚げて来い」と言われ駆け足で学校へ行かれたそうだ。当時、皇太子殿下の御生誕をお祝いする歌があり、それをアカペラで悠々と我々の前で歌われた。そのお顔がとても嬉しそうで、聞いているわたくしも感心すると同時にとても嬉しくなった。国を挙げて、寸分の疑いも無く皇太子殿下の御生誕を祝う。何と美しい国の在り方だろう。

 昭和十八年十月、神宮外苑にて学徒出陣の壮行会を行った。先生は「俺はこれから戦場へ行くのだ。日本を救うのだ」という気持ちであった。出陣する時、東大の文学部長が「前途ある諸君を痛恨の思いで戦場へ送る。どうか命を大切に。再びこの教室で会いたい」と語ったそうだ。池田先生は運よく生きて帰って来られ、そして自分があの東大の文学部長と同じくらいの年齢(五十歳もしくは六十歳)になったとき、その教授の気持ちが痛いほどわかると強い口調で仰った。先生ご自身が出陣なさる時、父に「行って参ります」と告げると、父は「うん、行ってこい」と一言述べただけだったそうだ。しかし、今となってはあの時の父の気持ちが痛い程分かる。痛恨の思いで送ってくれたのだろう、と先生は仰った。今、我々青年部の世代は、培われた平和の中で“あの時”を振り返る。あの時の親子の会話、恋人同士の会話、教師と生徒の会話を振り返る。しかし、我々には分かる。身命をなげうってまで祖国を守ろうとされた方々の気持ちが。侵略されてなるものかと、勇んで出撃された方々の気持ちが。

 その後先生は、広島県大竹の潜水学校で訓練を受けた。上官から「敵は本土へ上陸する。しかし、敵の半分をやっつければ残りは陸軍で何とかなる。その半分をやっつけるには特攻兵器しかない。志願するかどうか一晩考えて答えろ」と言われた。翌日「日本人なら行かなきゃ嘘だろう」と、全員一致で志願。「なぜ特攻隊に志願したのですか」とよく聞かれるが、当時は特攻隊に志願した理由を聞くより、「なぜ志願しなかったのか」と聞く方が正しい問いなのだ、と仰った。

 海龍に乗って訓練中、先生は危うく水死するような事故にもあった。その時、もう一度死ぬ前に青い空と草木の緑を見たい、と思ったそうだ。私心ではなく公心で戦っているからこその思いなのだろう。現在の日本は私心のみで生きている人間が跋扈しすぎているように思う。天下国家を語ることも大事だと思うが、自らを省み「国を愛す」とは如何なることを言うのか、改めて考える契機としたいところだ。

池田先生の御友人の奥様が亡くなったとき、その御友人は「私の妻は神道なので、お盆に魂が帰ってくることはありません。死んだ瞬間から、この家を守ってくれているのです」と言われました。それを聞き、池田先生は「ああ、そうか」と合点がいったと言う。國神社に祀られている英霊も、死んだその瞬間から日本を守ってくれているのだ。國で会おう、と言って散華された方々の意思は決して嘘ではない。國神社を通して日本をいつまでもいつまでも守ってくれている。だから無宗教の代替施設では何の意味もない。國神社でなければ無意味なのだ。

父が沖縄戦に参加したため四歳で父を亡くしたある女性の話もされた。その女性は「どうしてそんなに早く死んだんだ。私の友達の家族は普通の家族で、みんな楽しそうに過ごしているのに」とわだかまりがあり、國神社へも一度も参ったことがなかったそうだ。ところが、数年前沖縄に「平和の礎」が出来たのでお参りに行くことにした。その平和の礎の前に立つと、「父はやはり国民のためを思って死んだんだ」と分かり「おとうさん、ありがとう」と一言言ったら涙が止まらなくなった。そのあとすぐに國神社へお参りに行ったそうだ。先生が習っておられるヨガの先生は「人間は感謝の気持ちがあれば心が安らぐものです。不平や不満を言っていては心が休まらない」と仰ったそうだ。人間は心が休まらないと、判断を誤るであろう。現代の日本は子が親を殺し、親が子を殺すような社会になってしまった。日本人の心が休まっていないのが一因ではないだろうか。心の安らぎを求めるためにも國に鎮まる英霊に知恵をお借りしたいところである。

 最後にわたくしは次のような質問をした。「当時の庶民にとって、天皇陛下はどのような存在でいらっしゃったのですか」と。すると、奈良市長を14年ほど勤めた友人が「私心のない方は神様です」と一言仰ったというエピソードを話された。ただ国民の幸福を祈る。その御姿は神そのものだ。当時日本人みんなが陛下は神様のような存在だ、陛下あっての日本だ、と思っていた。また、奈良県に大きな台風が襲い、木々が倒れ、あたり一面が荒れ果ててしまうような被害を被ったこともあった。しかし奈良の大神神社の御神体である山の中に岩倉がある。周りは荒れ果てて大変な状態であったが、その岩倉はびくともせず、そのまま存在していた。それを見て、ある大学教授は「これこそ皇室の姿だ」と仰ったそうだ。周りにどんなことがあっても、内閣総理大臣がどんどん変わっても朝廷がしっかりしている限り、日本は揺るぎない。朝廷を神としてみんながお仕え申し上げていたから日本は安泰に過ごせたのだ。これが日本の姿だ。このように語られる池田先生を見て、我々「あさなぎ」部員の使命がはっきり分かったような気がする。