インドちゃんの子どもと書くな!子供と書け!!

障がい者と書くな!障害者と書け!!

かつ

2010-09-27 09:54:54 | Weblog

んま、忙しい。忙しい。

5日間で書きあげろ、と広報局長さんから命令が下りました(しょぼーん)。

でも、広報局長さんも姫路の取材記事を1週間で書かねばならんしね。それはお互い様、ってことで2日間(正味1日)で書きあげました。いや、他にわんさか仕事があるのよ(しょんぼりぼりぼり)。

忙しいのよ~~~~~~~~

 

 

約束は守るのが当たり前だ。だからもし交わした約束を果たせないような事態が生じれば、こちらからお詫びをすることになる。日本では古来より「嘘をつけば、閻魔様に舌をぬかれる」と子供に教えて来た。かくも約束を守ることが大切なのだ。我々は「あさなぎ」設立の趣意書を以って、英霊と約束を交わしたはずである。「きっと立派な日本にします」と。英霊の遺書(言乃葉)が多数残っている。多くの方が、「國神社へいらっしゃい」「九段に来ればいつでも会える」と認めておられる。彼らは魂となって國神社へ帰って来て、自分が死んだ後も國神社に魂が祀られ、きっと遺族もお参りに来ているだろうと思って日本の礎となられた。そのような方々のお気持ちを簡単に踏みにじるわけにはいかない。約束は果たすもの。簡単なことである。

 9月19日、大阪護國神社にて、英霊慰霊顕彰勉強会を行った。数えてこれで四回目である。第一回目から関西支部が企画運営を担当してきた。これまで大過なく無事役割を果たすことができたが、、何より皆さまのご協力があってのこと。この場をお借りし御礼申し上げる。今回の講師はコラムニストであり写真家の勝谷誠彦氏である。わたくしは氏のファンであり、おそらくはどの「あさなぎ」の面々よりも一番氏の文章を読んでいるという自負がある。演題の「美しき日本人は死なず―ただ生きるな、善く生きよ」も私が考え提案させていただいた。

 勝谷氏は「ここに必ず帰って来るからね、と言って出て行った息子の帰りを待たずに、勝手に引っ越ししますか」と我々に問う。英霊は「ここに帰ってくる」と仰って飛び立たれた。我々が勝手な都合で魂の居場所を“引っ越し”ていいわけがない。勝谷氏は次のように言葉を繋ぐ。「当時、『天皇陛下万歳』と言って特攻された方も、ヒトラーのような個人崇拝で行ったのではない。ご両親に対して『泣かないで下さい。喜んで下さい』と言って散華されたのであり、『悠久の大義に殉じる』と言って突撃して下さったのだ」。英霊は祖国を想い、恋人を想い、家族を想い、散華された。日本に殉じた美しい御霊が國神社に鎮まっておられる。

 9月17日、菅改造内閣が組閣された。ご存知のように、新大臣の認証式は皇居にて行われる。畏れ多くも天皇陛下により信任状を賜るわけだ。新聞報道にもあったが、天皇・皇后両陛下は19日まで、神奈川県葉山の御用邸にてご静養なさるご予定でいらっしゃった。しかし、天皇陛下はご静養先から、信任状を授与するため皇居へお戻りになられた。「保守と自称するならば、新聞には隅っこにベタ記事でしか載っていないが、天皇陛下の御行動について逐一注意を払うべきだ。これが本当の保守ではないのか」と勝谷氏は喝破する。今年の6月、菅直人政権が誕生した際、今回と同様天皇陛下におかれましては葉山の御用邸にてご静養中でいらっしゃった。しかし平野博文官房長官(当時)は、「それなら日程を変更しましょう」と、認証式の日程を変更した。実は昭和天皇の御代にも同様のことが何度かあったらしいが、すべて陛下のいらっしゃる御用邸へ出向き、認証式を行っている。あたりまえのことである。「もし仮に、百歩譲って、首相まで交代することになったのであれば、こちらから膝を屈して天皇陛下にお出ましをお願いする、とういことはあるかもしれない。しかし、民主党の勝手な都合で数人の閣僚が入れ替わっただけなので、御用邸に出向くのが皇室に対する、ひいては国民に対する礼儀なのではないか」と勝谷節が炸裂する。しかも、17日は秋篠宮ご一家が葉山へ合流される予定であった。そう何度と無い悠仁親王とのご夕食を、今下陛下はさぞかしお楽しみにされていたであろうと拝察する。もちろん、我々の象徴である天皇陛下に将来なられる悠仁親王殿下が今上陛下のヒトコトヒトコトに謦咳されることが何よりも大切なのは言うまでもない。しかし、そのような機会を全て奪い去ったのが現政権である。そしてこの事態を主導したのが仙石由人官房長官であると勝谷氏は仰った。仄聞するところでは仙石官房長官は「俺もついに天皇を呼びつける程の人間になった」と悦に入っていたとのことである。

 勝谷氏は講演会の冒頭「本日お越しの年配の皆さん、英語で言えばベテラン(実際は、veteranは退役軍人という意味で、日本語のニュアンスは英語には無い)の皆さんにこそ立ち上がってほしい」と仰った。わたくしもそう思う。ベテランの皆さんに立ち上がって欲しい。そして、このような不敬極まりない政治家を日本国から叩きだすよう主導して欲しい。日本人全体が盛り上がるよう導火線の役目を切にお願いしたいと思う次第である。もちろん、我々若者は日本を善道するためのコマとして、身命を賭して行動する覚悟だ。

 「このようなことを言うと右翼だ、と言われるが、違う。ただの日本人だ。地道に国のことを考える。これが愛国心だ」との勝谷氏の言葉には、1ミリたりとも間違いがない。

 菅直人首相は8月15日に國神社参拝を自粛するよう全閣僚に要請した。岡田外相(当時)に至っては「バターン死の行進」について元米兵に外務省で謝罪をしてしまった。8万人の米軍捕虜が80キロを歩かされるという「捕虜虐待」が行われたとされているのだが、勝谷氏は「しんどいのはお互い様だった。日本軍は2万人だった。2万人で8万人の世話をするのは大変だった。そら、病気になったり、残念ながら亡くなった人もいたでしょう。でも、日本軍も世話をするのが大変だったはず」と正論を吐く。“証拠”とされていた写真もAP通信が「誤報であった」と打電したばかりなのに。「バターン死の行進」については本間雅晴中将が「日本が将来名誉ある地位につくのであれば、喜んで死のう」と仰って、“冤罪”を堂々と受け入れられた。「英霊の言乃葉は、日本民族のマニフェストであり、このマニフェストを守り抜くことが日本人のアイデンティティであり、日本人としての最低限の礼儀である」。この勝谷氏の言葉が胸にしみて仕方がない。冒頭、約束を守るのは当たり前、と書いた。しかし、約束を実行するのはもっと簡単だ。なぜなら、國神社へお参りに行けばいいのだから。

 

※以上、2533文字。「あさなぎ」会報まるまる一面に掲載されますが、写真が2枚だと、1600文字くらいに削らないといけません。おそらく、広報局長がばんばん削ってくださり、見た目も文体もオリジナルとは似ても似つかぬ文章になると思いますので、両方読むと2度楽しめるという計算です(局長さんは、このブログ読まないね?)。がはははー。

※勝谷さんの大ファンだと書きましたが、当日お会いしたところ、つっけんどんだし、「アホは向こう行け」というオーラがバンバンでているし、挨拶しても虫けらを蹴散らすかのような不遜な態度だし、それぞれの主催団体がお呼びしたのには、それぞれの団体の意思や理由があるのだが、そんなこと知ったこっちゃないという風情でまったく意に介さないし、いままでのその団体の歴史的な経緯や方策は無視するし、とやりたい放題。正直、人間としては???と疑問符が付きます。でも、わたくしは勝谷さんのファンであり続けるだろうし、配信メールも購読し続けるでしょう。

※小沢一郎との関係についても講演会で触れておられました。おそらく、本講演会にお越しいただいた方々には、なぜ勝谷が小沢を推すのか、(100%とまではいかないにしても)ご理解いただけたことと思います。誤解というよりも、質の悪い邪推に飛びついた人がいて、それが面白いので広まったのですね(+自分こそ国を憂う真の愛国者であ~る、という勘違い。いや愛国者なのだと思いますよ。でも異論を排してはダ~メ)。で、勝谷さんがどうのようなことを仰ったかって?うーん、少し書いたが、消しました。書くのやめておきます。どーせ誰も読んでいないし、質の悪い下品なスパイはお前の方じゃ!と言いたくなりますから。がっはっはっはっはーー。

 

 


おやすみ

2010-09-26 16:19:46 | Weblog

いま、わしどんだけ忙しい思っとんねん。目ん玉から火が噴きでるくらい忙しいんやぞ。そんな忙しいけど、祭文とガーファンクルを読んだんやぞ(っちゅーか、書いたんや)。あほんだら。わしほんま、ほんま忙しいんや。

ほんま、忙しいねん。冗談でも誇張でもないねん。にっちもさっちもどーにもブルドッグくらい忙しいねん。暇ちゃうねん。忙しいねん。ほんま。忙しいねん。ほんま。

ほんま。

そら、せっかくやから、観光でもしたいがな。でもそんな暇あらへんがな。何言うてんねん。 

これ、アカンは。ほんま。

 

 

①平成22年10月3日(日)

 大阪護国神社秋季例大祭前清掃奉仕 午前10時~

 神社にとって一番大切なお祭り(行事)である例大祭に向けてのご奉仕です。

 

②平成22年10月24日(日)

 京都御所勤労奉仕結団式 17時~

 中西輝政先生(京都大学大学院教授)のご講演、懇親会など

 

③平成22年10月25日(月)

 京都御所勤労奉仕

 書類上は、日本の首都はまだ京都なんだとか。東京への遷都令はいまだ出ていないらしい。こういうのを奠都と言うねんて(産経新聞に出てましたね)。

 

④その他、ご奉仕・御掃除・戦争に行かれたかたのご講話等色々あります。

 

参加者が増えるこをと期待してうpしているわけではありません。

 

どうぞ、気にしないで。

 

短いものだと、読むかもしれないのでね。いちお、言うときま。

 

以上。


奈良陸軍墓地墓前祭のお知らせ

2010-09-21 20:56:51 | Weblog

国からも国民からも見捨てられた陸軍墓地にて、墓前祭を斎行いたします。

 

日時 平成22年9月26日 10時から

場所 奈良陸軍墓地

集合 奈良縣護国神社 9時30分社務所前集合

 

※お水、タバコ、御酒、その他御供え物をご持参下さい。

 

※今回は、仏式で斎行いたします(お題目はあげませんwwww)。奈良縣護国神社の宮司様のご提案だそうです。

 

※あほんだら

 

 

 


第4回大阪護国神社英霊慰霊顕彰勉強会

2010-09-14 17:17:48 | Weblog

第四回 大阪護國神社 英霊慰霊顕彰勉強会


(主催:國神社崇敬奉賛会 企画・運営:國神社崇敬奉賛会青年部「あさなぎ」関西支部)


演題

美しき日本人は死なず
  ~ただ生きるな、善く生きよ~


【講  師】 勝谷 誠彦 先生(コラムニスト、写真家)
【日  時】 平成22年 9 月19日(日)13:00 ~ 16:00
12:30  開場
13:00  主催者及び来賓あいさつ(その他、国歌斉唱など)
13:30  勝谷誠彦先生 講演
      「美しき日本人は死なず―ただ生きるな、善く生きよ」
14:30  休憩、質問用紙回収
14:45  質疑応答

15:15 閉会挨拶

【場  所】 大阪護國神社境内 住之江会館
(大阪市住之江区南加賀屋1丁目1番77号、地下鉄四つ橋線住之江公園駅1番出口すぐ)

【参 加 費】 無料       
【定  員】 先着200名様
【講師紹介】
 勝谷 誠彦 先生(コラムニスト、写真家)

1960年兵庫県生まれ。私立灘高校を経て早稲田大学第一文学部文芸専攻卒。1986年文藝春秋入社。記者として活動。綾瀬女子高生コンクリート詰め殺人などの国内の事件やフィリピン内乱、若王子事件、カンボジア内戦、湾岸戦争などの国際報道を手がける。1996年退社。その後、紀行家として活動。やがて時事コラムや、写真家としても活躍。食のエッセイでも知られ、2002年より手がける小説では大きな反響を得る。現在「SPA!」の巻頭コラムを始め、雑誌に多数連載を持ち、TV番組では「スッキリ!」(日本テレビ)、「たかじんのそこまで言って委員会」(よみうりテレビ)レギュラーコメンテーター。「たけしのTVタックル」(テレビ朝日)、「あさパラ!」(よみうりテレビ)などの準レギュラー出演。「偽装国家~日本を覆う利権談合共産主義~」「偽装国家Ⅱ~底なし篇~」「バカが国家をやっている」(扶桑社)、「男の居場所 酒と料理の旨い店の話」(西日本出版社)等、著書多数。『勝谷誠彦の××な日々。』http://katsuyamasahiko.jp/ を毎日配信中<o:p></o:p>


【申込方法】 往復葉書にて往信に「9月19日勉強会参加希望」及び氏名・住所・電話番号・年齢・職業、崇敬奉賛会会員の方は会員番号を明記して、下記事務局宛ご応募下さい。折り返し「入場券」をお送りします。復信宛名面には郵便番号・住所・氏名を必ず記入し、通信面は白紙にてご投函下さい。

(応 募 先)〒102-8246  東京都千代田区九段北3-1-1  國神社崇敬奉賛会事務局
電話番号03-3261-8143 begin_of_the_skype_highlighting              03-3261-8143      end_of_the_skype_highlighting(平日9時~17時)
(募集締切)平成22年8月30日(消印有効)





みなさま、奮ってご参加ください。
ただし、今回の勉強会は人気も高く、問い合わせ数も多いので、当日直接来られてもお断りする可能性があります。したがって必ず事前に相当の手続きを取られるようお願い申し上げます。 ルールを守れない方の参加は、断固お断りいたします。


ちなみに、今回もインドちゃんがマイクを握るらしい。

ちなみに、演題はインドちゃんが考えたらしい。

ちなみに、前日に陸上自衛隊姫路駐屯地を訪れるらしい。格別な計らいで、食堂で食事ができるらしい。

ちなみに、姫路護国神社の取材(あさなぎの会報のため)をするらしい。

ちなみに、インドちゃんはいろいろ忙しいらしい。


奈良陸軍墓地清掃奉仕のご案内

2010-09-07 17:43:09 | Weblog

9月12日、奈良陸軍墓地の清掃奉仕を行います。国に殉じた方々のお墓ですが、国家は知らん顔をし、国民もこのお墓には何の関心もありません。

 

彼らのお陰で今の日本がある、と豪語するなら、草ボーボー、虫うようよ、の陸軍墓地をそのまま放置しないで、手伝ってください。

 

よろしくお願いします。

 

日時 平成22年9月12日(日) 午前10時から(11時30分頃までの予定)

 

場所 奈良陸軍墓地

 

※参加希望者は要連絡。

 

※集合場所は奈良縣護国神社 9時30分までに集合

 

※暑さ対策、虫よけ対策、水分補給、必須。

 

9月26日に奈良陸軍墓地にて墓前祭を催行予定。

 


乞食母

2010-09-05 15:44:47 | Weblog

世間の興味は行方不明老人から、連日の猛暑続き(熱中症の死者数が500名近いって、これ大災害ではないのか??)、果ては民主党の代表選(ってこいつら何の目的で代表選を行う?)へと移ってしまったみたいだが、

 

大阪の2児放置死、下村容疑者の精神鑑定請求へ

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20100824-OYT1T00235.htm

 大阪市西区のマンションで幼い姉弟2人が放置され、死亡した事件で、殺人容疑などで逮捕された母親の下村早苗容疑者(23)について、大阪地検は正式な精神鑑定を行うための鑑定留置を大阪地裁に請求する方針を固めた。

 子供を放置した後の行動に不可解な点がみられるためで、請求が認められれば、下村容疑者の拘置は停止される。

 下村容疑者は6月9日に2人を置いて家を出た後、7月に海水浴に出かけたり、同月29日の帰宅後に2人の死亡を確認したにもかかわらず、翌30日には知人男性の誕生日を祝う電話をかけたりしたとされている。地検は、下村容疑者が善悪の区別はできたとみているものの、これらの行動時の精神状態を詳しく調べる必要があると判断した模様だ。

2010年8月24日10時15分  読売新聞)
 
 
わたくしは、この件に関して一点だけ申し上げたい。
 
 
見殺しにされた3歳(と1歳)の子供は、はたして家の電気を点けることができたのであろうか。電気のスイッチを自分で入れることができたのであろうか。
 
 
先日、うとうとしてて、気づいたら部屋の中が真っ暗であった。あわてて電気をつけたが、外はかすかに夕日が残っていた。
 
 
 
はたして、3歳の子供は電気のスイッチに手が届くのか。
 
 
 
夜、
 
 
 
 
怖かっただろうな・・・・・・
 
 
 
 
ほんとうに、怖かっただろうな・・・・・・
 
 
 
 
真っ暗な中、よく耐えたね。
 
 
 

乞食菅

2010-09-04 17:02:19 | Weblog

<【靖国神社ウォッチ】超党派議員団41人が参拝>

http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100815/plc1008151203005-n1.htm?utm_source=twitterfeed&utm_medium=twitter

 超党派の「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」(会長・尾辻秀久参院副議長)は15日午前11時ごろ、東京・九段の靖国神社を参拝した。参拝者は衆参計41人。政権交代後初めての終戦の日となったが、閣僚、副大臣、政務官の参拝はなかった。  

 参拝者の内訳は、民主党11、国民新党1、自民党26、みんなの党1、たちあがれ日本2人。尾辻参院副議長のほか、衛藤征士郎衆院副議長も参拝した。  

 事務局長の水落敏栄参院議員は参拝後の記者会見で、菅内閣の閣僚の参拝がなかったことについて「非常に残念だ。戦没者に対して敬意と感謝を捧げるのは党派やイデオロギーを超えたものだ」と批判した。

靖国神社を参拝する自民党の三原じゅん子参院議員=15日午前、東京・九段北

靖国神社を参拝する自民党の三原じゅん子参院議員=15日午前、東京・九段北

2010.8.15 12:02

 

(読売も朝日も毎日も聖教も、この記事を載せていない。産経だけが載せている)

 

三原じゅん子、見直した!!よくぞ参拝した!!

これから応援するぞ!!

 

私は日本の為に戦って命を捧げられた方々に頭を下げるのは当然のこと。この姿勢を変えるつもりはありません」←8月26日、日本外国特派員協会での三原氏の記者会見。

 

顔はやばいけど、ボデーボデーだ!!!

 

 

それにひきかえ、何だ↓の記事は。

<閣僚の靖国参拝ゼロ、一部アジア諸国への配慮か>

http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100810/plc1008101812026-n1.htm

 民主党政権として初めて迎える15日の終戦記念日に、菅内閣の全閣僚が靖国神社に参拝しない考えを10日の記者会見などで表明した。自民党政権ではほぼ例年、現職閣僚のうち何人かが終戦記念日に参拝していた。閣僚が1人も参拝しないのは、民主党政権として靖国参拝に反発する中国、韓国、北朝鮮といった一部の国への配慮を示す狙いがあるようだ。  

 菅直人首相は10日の記者会見で「首相在任中に靖国神社にお参りしないということは就任の時にも申し上げた。私の姿勢は明確に示しており、理解されると思う」と主張。仙谷由人官房長官も会見で「閣僚は公式参拝を自粛するのが、従来の日本の政府の考え方だ」と述べた。  

 千葉景子法相も「近隣諸国の感情を総合すると、首相、閣僚の公式参拝は控えるべきだ」と指摘。国民新党の自見庄三郎郵政改革・金融相は「近隣諸国に考えの違う国があり、国の代表である閣僚としては参拝を避けるべきだ」と述べた。  

 民主党は昨年の衆院選前にまとめた政策集で、靖国神社で「A級戦犯」がご祭神となっていることを理由に、新たな国立追悼施設の設置を主張している。  

 長妻昭厚生労働相は新追悼施設について「広く参拝が可能な在り方を検討し、実現することが必要だ」と強調。前原誠司国土交通相も「できるだけ(「A級戦犯」の)分(ぶん)祀(し)の議論を進めてほしい。そうなれば責任ある立場でもお参りしたい」と語った。

2010.8.10 18:11

(この記事は、読売も朝日も毎日も聖教もwwwww載せている。どういうことだ)

 

8月15日が近づくにつれ、テレビをはじめとするマスコミが醸し出す風潮には、正直うんざり。教育現場に巣食う反戦平和妄想主義者たちが、この時期になると居丈高になり、意気軒高に闊歩する。その姿にもうんざり(今年は8月6日に教頭先生から朝日新聞の社説を読まされた)。

 

ZEROかERO(エロ)か何かようわからん番組が、有名(??)な女優さんを使って、「戦時中は音楽(軍歌)さえも戦争の道具に使われた」とのテーマで当時の日本を糾弾していた。「世界共通言語である音楽さえも戦争の道具に使われるなんて。戦争は悪いわー、悪やわー」と音楽活動を仕事にしている出演者の方は憤りを見せていた。

 

たしかにわたくしも怒りを覚えることは多々あるし、悲しい出来事がたくさんあったことも想像できるし、やはり、戦争の惨禍が起きることなく平和裡に過ごせたらどんなに良かったか、と思います。

 

しかし、今こうやって安全な環境で音楽を享受できるのも、戦争があったからではないか、と思うのです。

 

根本的なことですが、戦争は一国だけではできません。日本だけでは戦争は成り立ちません。当時は帝国主義の時代であり、列強は世界各地に植民地を持っていました。当然の如くアジアの東にある日本も狙われていたのです。当時のアジアの地図を見れば一目瞭然。外国の累加が及んでいない国は日本とタイの2国だけでした。

 

何年前でしょうか。クリントイーストウッド監督が『硫黄島からの手紙』という映画を作製しました。幸か不幸かその映画のおかげで硫黄島(いおうとう)が人口に膾炙した感がありますが、その硫黄島の闘いは人類史上稀に見る激戦の地でした(アメリカの教科書には硫黄島が出てくるのでたいていの米国人はこの島の名前を知っているそうだ)。

 

当時、硫黄島を死守すべく2万数千名が守備していたのですが、そこを10万を超える米軍が包囲しました。これでは勝てるはずもありません。実際米軍は3日で落とせる、と豪語していたのです。、ところが、いざ戦闘がはじまると、米軍は苦戦し、硫黄島攻略に30日以上もかかってしまいました。日本人の死傷者数2万数百名。米軍の死傷者数2万6868名(?数字は多少違うかも)。なんと死傷者数は米軍の方が多かったのです。

 

この硫黄島を占拠したあと、米軍は日本本土を空爆し、そして上陸するつもりでいました。女、子供を殺し、日本民族を殲滅する目的で。

 

しかし、この硫黄島の決戦があまりにも激烈であったため、もし米軍が日本本土に上陸すれば、想像以上の死傷者が米軍側に出るかもしれないと考え、本土上陸を諦めたと言われています。

 

自らの命を省みることなく戦闘機で敵艦へツッコンデくる特攻。周りを包囲され、勝ち目がないとみるや、突如として万歳突撃をしてくる日本軍。日本、そして日本に住む子供、妻、友、恋人のため、自分の命を差し出してでも守りぬくのだという気概。御国のためなら喜んで死ぬ。このような気魄があったからこそ、「日本民族など絶えてしまっても何の問題もない。消えてなくなれ、ざまーみろ」という気持ちが敵から消えたのではないでしょうか。むしろ「敵ながらあっぱれ」と称えるような気持ちなったのではないでしょうか。少なくとも米軍は日本本土上陸は諦めました。今の平和な日本を維持でき、大好きな音楽に興じることができるのは、このように捨て身で全力で敵に向かって行かれた方々のお陰ではないでしょうか。もし弱かったら、間違いなく本土上陸は決行され、日本の文化遺産などははたして残っていたのでしょうか。だから、日本のために命を使ってくださった方々をお祀りしている國神社へ、日本人なら参拝に行くべきだ、とわたくしは思うのです。

 

相手の顔色を伺ってへーこら、へーこら、するよりも、「俺たちの主張はこうだ!!」と毅然とした態度を見せた方が、余計な“ちょっかい”を出されずにすむので、むしろ平和な世の中になるのではないでしょうか。「配慮」は相手をつけあがらせるだけ。チンピラの行動を想像してみてください。簡単なことでしょう。

 

日本の首相や閣僚は何のために、誰のために首相や閣僚になったのか。今の日本があるのは誰のおかげなのか。分かっているのか。

 

外国に魂を差し出した菅首相をはじめとする民主党の閣僚をわたくしは信じることはできない。支那や朝鮮、創○学会からおいしい何かをもらっているのだとしたら、まるで乞食だ。

 

参考http://blog.goo.ne.jp/ampon123/e/349a8be0b90e0162f4719a04d839f79c

 

 


乞食韓

2010-09-03 16:23:18 | Weblog

<【日韓併合首相談話】全文「韓国は誇り傷付けられた」… >

2010.8.10 11:40

http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100810/plc1008101141007-n1.htm

 

政府は10日午前、日韓併合100年に併せた首相談話を閣議決定し発表した。首相談話では、日本による韓国の植民地支配に対し「多大の損害と苦痛に対し、ここに改めて痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明いたします」と明記した。談話の全文は以下の通り。                

 

◇  本年は、日韓関係にとって大きな節目の年です。ちょうど百年前の八月、日韓併合条約が締結され、以後三十六年に及ぶ植民地支配が始まりました。三・一独立運動などの激しい抵抗にも示されたとおり、政治的・軍事的背景の下、当時の韓国の人々は、その意に反して行われた植民地支配によって、国と文化を奪われ、民族の誇りを深く傷付けられました。  

 私は、歴史に対して誠実に向き合いたいと思います。歴史の事実を直視する勇気とそれを受け止める謙虚さを持ち、自らの過ちを省みることに率直でありたいと思います。痛みを与えた側は忘れやすく、与えられた側はそれを容易に忘れることは出来ないものです。この植民地支配がもたらした多大の損害と苦痛に対し、ここに改めて痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明いたします。  

 このような認識の下、これからの百年を見据え、未来志向の日韓関係を構築していきます。また、これまで行ってきたいわゆる在サハリン韓国人支援、朝鮮半島出身者の遺骨返還支援といった人道的な協力を今後とも誠実に実施していきます。さらに、日本が統治していた期間に朝鮮総督府を経由してもたらされ、日本政府が保管している朝鮮王朝儀軌等の朝鮮半島由来の貴重な図書について、韓国の人々の期待に応えて近くこれらをお渡ししたいと思います。  

 日本と韓国は、二千年来の活発な文化の交流や人の往来を通じ、世界に誇る素晴らしい文化と伝統を深く共有しています。さらに、今日の両国の交流は極めて重層的かつ広範多岐にわたり、両国の国民が互いに抱く親近感と友情はかつてないほど強くなっております。また、両国の経済関係や人的交流の規模は国交正常化以来飛躍的に拡大し、互いに切磋琢磨しながら、その結び付きは極めて強固なものとなっています。  

 日韓両国は、今この二十一世紀において、民主主義や自由、市場経済といった価値を共有する最も重要で緊密な隣国同士となっています。それは、二国間関係にとどまらず、将来の東アジア共同体の構築をも念頭に置いたこの地域の平和と安定、世界経済の成長と発展、そして、核軍縮や気候変動、貧困や平和構築といった地球規模の課題まで、幅広く地域と世界の平和と繁栄のために協力してリーダーシップを発揮するパートナーの関係です。  

 私は、この大きな歴史の節目に、日韓両国の絆がより深く、より固いものとなることを強く希求するとともに、両国間の未来をひらくために不断の努力を惜しまない決意を表明いたします。

(菅直人首相の日韓併合100周年を記念した談話の全文

 

明治19年(1886年) 東京帝国大学(現、東京大学)設立

明治30年(1897年) 京都帝国大学(現、京都大学)設立

明治40年(1907年) 東北帝国大学(現、東北大学)設立

★明治43年(1910年) 日韓併合

明治44年(1911年) 九州帝国大学(現、九州大学)設立

大正7年(1918年) 北海道帝国大学(現、北海道大学)設立

大正13年(1924年) 京城帝国大学(現、ソウル大学)設立←!!

昭和3年(1928年) 台北帝国大学(現、台湾大学)設立←!!

昭和6年(1931年) 大阪帝国大学(現、大阪大学)設立

昭和14年(1939年) 名古屋帝国大学(現、名古屋大学)設立

 

どこぞの国が、自国の教育よりも植民地の教育を優先して大学を設立するんぢゃ。こんな植民地なんてあるか。

 

日本が併合する前は、韓国の平均寿命は24歳でした。それがなんと、30年以上(つまり54歳以上)も伸びた!!

しかも、人口が2倍に増えた!!

朝鮮語教育のため、大量の教科書や教材が作られ、小学校が半島全体に5000校以上も建てられた!!

そのお陰で、識字率がたったの6%であったが、なんと61%に上昇!!

 

なぜこんなに?と思って調べてみると、1911年(併合翌年)の韓国の歳入は3565万円だが、そのうち67%は日本からの支援金であった。要は、日本が倒産寸前の会社を救ってあげたようなものだ。昭和14年の段階でも日本からの補充金は25%を占めていたというのだから呆れる。

 

どこぞの国が植民地の生活向上のため、自らの身を削るんじゃい!?!?

 

2年前のとっても頭のいい生徒から疑問のメールが来たので書いておきます。<また、これまで行ってきたいわゆる在サハリン韓国人支援、朝鮮半島出身者の遺骨返還支援といった人道的な協力を今後とも誠実に実施していきます>ってなんじゃらほい?日本は韓国人をサハリンに連れ出し、おいてきぼりにしたのか?ってなメールが来ました。

 

これは簡単な話しで、日露戦争後、日本領となった南樺太に1905年ころから韓国人が住み着くようになりました。日本サハリン州経済開発促進協会の趙氏は「戦前の樺太は豊かで、うちは祖父が自分で樺太に渡り、毛皮をとるため養狐場をやっていた。戦後は、ソ連が韓国人を帰国させようtしなかった」(阿比留瑠比「赤い官房長官仙石由人が国を売る」『WiLL』10月号)と述べています。要するに、自分の利益のために勝手にやって来て、帰りたいと思った人もいたがソ連が帰さなかったって話です。

 

もうこんな話ばっかし・・・

 

騙されたらあきません。

 

ついでに<日本政府が保管している朝鮮王朝儀軌等の朝鮮半島由来の貴重な図書について、韓国の人々の期待に応えて近くこれらをお渡ししたいと思います。 >

これも、「お渡ししたい」を「返還」と韓国外交通商部はわざと“誤訳”したんやで。奪ったり、盗んだものはもちろん「返還」しなければならないが、相手が置いて帰ったものを返すのは「返還」ではない。「あげる」だ。だから菅首相は「お渡ししたい」と述べた。

 

<【取材日記】「菅首相談話」わざわざ誤訳した韓国外交部>

http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=132063&servcode=A00&sectco

10日、菅直人日本首相の談話文が配布されたのは午前11時ごろだった。

  そのころ、韓国外交通商部と駐日大使館も「ハングル翻訳文」を記者たちに回した。ところで翻訳本を見た瞬間びっくりした。日本語原文には「朝鮮王室儀軌などの図書をお渡しする」となっているのに韓国外交部の翻訳本は「返還」と遁甲させたのだった。「引き渡す」と「返還」は厳然に違う。返還は奪ったことを認めて返すことであり、引き渡しは自分の所有権や品物を渡してやることをいう。菅首相が「法律的問題はすでに解決されたという観点で(返還ではなく)引き渡しだという表現を使った」と強調したこともその違いを明確にするためだった。

  もっと大きな問題は翻訳上の間違いではない意図的な誤訳だという点だ。11日、外交部関係者に経緯を問うと「引き渡し」という表現を翻訳文に使いたくなかった。韓国の主張を込め“返還”とわざわざ使った」と述べた。気持ちは十分に理解する。朝鮮王室図書を返還されることを望み、どの韓国民が渡してもらうことを望むか。しかし使われた用語が気に入らないと言って他の国の首相の談話を気持ちに合わせて変えて翻訳していいのか。むしろ正確な表記を通じて日本政府がどんな考えを持っているかを国民にそのまま知らせるのが理ではないか。そうして非難することは非難すればいい。

  もう1つ、朝鮮王室儀軌返還問題取材のために日本の政治家や関係者たちに会う度に共通して聞かれたことがある。「韓国政府に“搬出文化財のリストを提示してほしい”と要請すると“整理されたものはない”と言われるが、それは事実なのか」と言うのだ。文化財庁関係者に確認すると「実際にそうだ」と言う。一歩遅れて昨年からデータベース化に取り掛かったが、植民地時代に強制的に搬出された資料が何件あるのか、どこにあるのか把握できていないというのだ。情けないことだ。

  菅首相談話後、国内では日本の宮内庁図書だけではなく国立図書館など日本政府内のすべての朝鮮図書が返って来るという期待が噴出しているようだ。しかし冷静に見たとき、このままなら日本が提示するものを返してもらうほかない。興奮した心を沈め、1日でも早く実態把握に出ることが優先だ。

  金玄基(キム・ヒョンギ)東京特派員

 

こんなことを平気でやる国です。

 

騙されたらあきません。

 

っちゅーか、菅首相よ。何も知りもしないでキチガイじみた談話をわざわざ発表するでない!!!!!!!!!

 

 

 


乞食支那

2010-09-02 09:10:38 | Weblog

<遺棄化学兵器、廃棄開始へ=中国・南京に移動式処理設備-日本政府>

http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2010090100685

【上海時事】日本政府は1日、旧日本軍が中国に遺棄した化学兵器を処理するため江蘇省南京市に移動式処理設備を設置した。2000年以降発掘・回収した約4万8000発のうち、南京に保管されている約3万6000発の廃棄処理に近く着手する。ただ、中国北部の吉林省には推定30万~40万発が未発掘のまま残されており、化学兵器禁止条約で定められた廃棄期限(2012年4月)の再延長は避けられない情勢だ。
 南京市内では同日、日中両国と化学兵器禁止機関(OPCW)の関係者が出席して廃棄作業開始行事が行われた。平岡秀夫内閣府副大臣は「発掘・回収から廃棄という新たな段階を迎えた」と意義を強調した上で、処理事業を加速する方針を示した。これに対し、中国の張志軍外務次官は「廃棄期限が迫る中でやるべきことは非常に多い。日本が遺棄した化学兵器を一日も早く全面的、徹底的に廃棄することを希望する」と要請した。(2010/09/01-17:02)

 

日本は、戦争に負けましてん。戦争に負けた、つまり降参したの。

降参ということは、武器を捨てる、ということを意味する。もう抵抗はしません、これが降参。つまり負け。

これを難しい言葉で、「武装解除」という。

当たり前です。これが世界の常識。

降参したのに武器を持ってるなんておかしいでしょ。いつ何どき反抗するかわからん。だから、武器を取り上げるの。勝者が敗者の所有武器をとりあげる。別段おかしくない、というよりも至極当然の光景でしょう。

(だから、ステッセルの帯刀を許した明治天皇は神の如きご存在なのです。わかりますか?)

 

 

武装解除した結果、日本軍が持っていた武器は誰のものとなったのか?

 

 

 

 

そう、戦勝国のものとなったのです

 

ということは、兵器を遺棄したのは誰か?

 

 

 

そう、シナの軍隊が遺棄したのです

 

 

お前らが違法行為を働いて自らの土地に捨てたものを、日本軍がやったー、と日本人に後始末をさせる。

 

 

 

お前らは、乞食じゃ!!

 

 

これが世界の常識。

 

騙されるな!!