太平洋戦争終戦前の話だから、もう80年ほども前のことだが、航空機の燃料不足にヒマという南洋性の植物の種を潰して、油を絞り取って代用することができた。ヒマの種には毒性があって、20粒も誤って食べると死んでしまう。2mほどにも育つヒマの植物を栽培し、福井県は献納日本一だったとか。神国日本の勝利を信じ、軍需政権に献身的に尽くした県民だったようだ。
相変わらず、晩年の池波正太郎の「銀座日記」をボチボチ読んでいる。実に、いい。少しボケた80代前半の母親を見送った前後の頃、60歳を超えたので、仕事の量も食べる量も減らして、体調管理と日常生活に気配りしながら、原稿を描き、絵を描いて、大好きな様々な映画を見るために試写室通いの悠々の日々。
長年の腰痛に針医者通いをして、その成果で体重が減り、腰も体調も良好。もっと減らしたい、と思っている。健康診断でも、全く問題なしのお墨付き。10年前の50代に旅したように、フランスに出かける準備を3年前から進め、3年ほどかかるだろうと思える長編小説を書くための下調べも進めている。そんな日々、順調に思える60代後半に入ってすぐの頃だったが、突然、恐ろしく不調に襲われ、急性白血病と診断されたときは手遅れ状態。67歳で死ぬ。
本人は65歳過ぎまで、80歳、90歳までも長生きできるだろう、と思っていた節がある。残念ではあるけれど、それはそれで、幸せな人生だったのではないかと思える。老人でも、明日に夢を持っていたのだから、長年絶望を抱えて、労苦に悩んで死ぬより遥かにいい。
さあて、何を書きたかったのか忘れたが、8時を回ったので、そろそろ、朝食? 外は相変わらず荒れ模様の雨風。500円ほどで買ったAmazonのゴルフシューズのスパイクピンがまだ届かない。10日以上かかるから、多分、中国か、東南アジアの製品に違いない。16ピンも入っていて、その値段だから、船で届くのだろう。