段々と道が狭くなってきました。しかし、地図を見ていて、方向的には、問題ないので、進みました。
(段々と道が狭く)
しばらく歩いて行くと海岸線が見えてきました。灯台も見え、島影も見られました。島影は、豊島と小豊島(おでしま)です。
(海岸線が)
そこに何かの黒い石の記念碑が置かれていました。そこには「海を愛し人生をヨットに捧げた 細川和俊君の足跡」と書かれていました。この石碑は、故人の意思で墓の代わりにここに設置して欲しいとのことで建立したとのことでした。
(黒い石の記念碑)
男木島灯台に到着しました。この灯台は、日清戦争後に、瀬戸内海海上交通が増加したことに対応し、「灯台の父」と呼ばれるブラントン離日後の1895年、日本人独力で備讃瀬戸東航路の東端にあたる位置に建設された総御影石造りで、日本に2基しかない無塗装の灯台の一つとのことです。
(男木島灯台)
灯台周辺の施設案内図がありました。
(灯台周辺の施設案内図)
元灯台職員宿舎です。ここは、灯台守とその家族を描いた映画「喜びも悲しみも幾歳月」の舞台の一つとなったところで、無人化後の灯台職員宿舎は、資料館として公開されているようです。
(元灯台職員宿舎)
(写真撮影:2012.06)
(段々と道が狭く)
しばらく歩いて行くと海岸線が見えてきました。灯台も見え、島影も見られました。島影は、豊島と小豊島(おでしま)です。
(海岸線が)
そこに何かの黒い石の記念碑が置かれていました。そこには「海を愛し人生をヨットに捧げた 細川和俊君の足跡」と書かれていました。この石碑は、故人の意思で墓の代わりにここに設置して欲しいとのことで建立したとのことでした。
(黒い石の記念碑)
男木島灯台に到着しました。この灯台は、日清戦争後に、瀬戸内海海上交通が増加したことに対応し、「灯台の父」と呼ばれるブラントン離日後の1895年、日本人独力で備讃瀬戸東航路の東端にあたる位置に建設された総御影石造りで、日本に2基しかない無塗装の灯台の一つとのことです。
(男木島灯台)
灯台周辺の施設案内図がありました。
(灯台周辺の施設案内図)
元灯台職員宿舎です。ここは、灯台守とその家族を描いた映画「喜びも悲しみも幾歳月」の舞台の一つとなったところで、無人化後の灯台職員宿舎は、資料館として公開されているようです。
(元灯台職員宿舎)
(写真撮影:2012.06)