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昭JIJI(アキラジジ)の島旅賛歌*参加

日本全国に有人島が434島ほどある。全島制覇すべく島旅を継続中。

三重県への島旅 17回目

2014-03-31 04:30:00 | 16東海・三重県・志摩諸島
小学校跡に建てられた「間崎防災倉庫」に戻ってきました。


(間崎防災倉庫)

民宿の立看板には、この近くにお墓が書かれていましたので、行ってみました。入口に六地蔵がありました。


(六地蔵)

その奥には、無縁仏になったのでしょうか、集められていました。


(無縁仏)

その先にもお墓があるようですが、その先には行きませんでした。


(その先にもお墓が)

板塀の立派な建物がありました。


(板塀の立派な建物)

その表札を見ると「志摩市地域おこし協力隊宿舎」と書かれていました。志摩市地域おこし協力隊とはどういう活動をしているのでしょうか。


(「志摩市地域おこし協力隊宿舎」と書かれた表札)
(写真撮影:2014.01)

三重県への島旅 16回目

2014-03-30 04:30:00 | 16東海・三重県・志摩諸島
先に向かっていきました。道路の真ん中に糞がありました。イノシシの糞のようです。


(イノシシの糞)

その先は行き止まりと聞いていましたので、戻ることにして、先ほどのミカンのところへやってきました。地面に数個のミカンが落ちていましたので、今夜の食後の果物として、3つ頂きました。ごめんなさい。


(ミカンのところ)

椅子とテーブルが置かれたオープンな建物がありました。板に何かが書かれていました。短歌でした。ここで集まって、句会でも行われているのでしょうか。


(オープンな建物)

その後ろの方にコンクリート造りの家がありました。別荘のようです。


(コンクリート造りの家)

先ほどの人の声が聞こえた家のところに、戻ってくると単車がとまっていました。しかし、人影は見えませんでした。


(単車が)

その家のブロック塀の上にネコが日向ぼこをしていました。近づいても逃げませんでした。


(ネコが日向ぼこ)
(写真撮影:2014.01)

三重県への島旅 15回目

2014-03-29 04:30:00 | 16東海・三重県・志摩諸島
道路下に赤と白の花が咲いていました。サザンカのようです。網で囲われた畑もありました。


(赤と白の花)

道路脇に民宿の案内板がありました。少し下の方にあるようですね。この案内板を見ていると先ほどの小学校跡の校舎のような建物は、保育所と書かれていました。そのような年齢の子供はまだいるのでしょうか。それとも昔のままの案内板なのでしょうか。


(民宿の案内板)

まだ、舗装道路が続いているので、歩いていきました。


(島内散策を続ける)

民宿の案内板に書かれていた「水槽タンク」が見えてきました。


(水槽タンク)

「解体工事中」という看板がありました。水道は海底送水で送られてくるようになったのでしょう。


(「解体工事中」という看板)

これが解体されるのですね。帰ってからインターネットで情報検索をしていたら、解体完了したと出ていました。


(水槽タンク)
(写真撮影:2014.01)

三重県への島旅 14回目

2014-03-28 04:30:00 | 16東海・三重県・志摩諸島
メイン道路を歩いていきました。ところどころに家がありました。


(ところどころに家)

島の途中まで歩いてきましたが、人に会っていません。


(人に会わず)

二階建ての建物です。しっかりとしています。お住まいになっているようですね。


(二階建ての建物)

この辺りで、人の声が聞こえてきました。しかし、近づきましたが、姿は見えませんでした。室内におられるようです。


(人の声が)

道端に郵便ポストがくくりつけられていました。家は、奥の方に見えました。中まで入らなくていいように考えられているようですね。


(道端に郵便ポスト)

畑の横にミカンが生っていました。いつも落ちているミカンをいただいています。帰りに立ち寄らせてもらおうと思いました。


(ミカン)
(写真撮影:2014.01)

三重県への島旅 13回目

2014-03-27 04:30:00 | 16東海・三重県・志摩諸島
校歌の歌碑の横には、水仙が咲いていました。


(水仙)

その後ろに建物がありました。「間崎いきいきセンター」と書かれていました。ご老人が使われる集会所のようです。


(間崎いきいきセンター)

昭和59年度卒業生記念植樹の椿が咲いていました。


(昭和59年度卒業生記念植樹の椿)

少し坂を上っていくとここにも狭い空き地に野菜が植えられていました。囲いもされていました。


(狭い空き地に野菜)

古い建物の屋根に船の錨が重し代わりに置かれていました。


(錨が重し代わり)

その先に、立派なお屋敷がありましたが、門が閉められ、雨戸も閉められていました。空家のようです。


(門も、雨戸も閉められ)
(写真撮影:2014.01)

三重県への島旅 12回目

2014-03-26 04:30:00 | 16東海・三重県・志摩諸島
正月明けで、お飾りが飾られていました。島へ行くと色々なお飾りがありますね。


(お飾り)

「避難場所」と書かれた看板がある広場にやってきました。小学校の跡地です。


(小学校の跡地)

学校の校舎は何もありませんでした。右側奥には建物と鉄骨の倉庫と水のタンクのようなものがありました。建物は、「間崎防災倉庫」と書かれていました。


(間崎防災倉庫)

左側奥には、校舎のような平屋がありました。何であるかの確認が漏れました。


(校舎のような平屋)

校舎のような平屋の前に井戸用のポンプがありました。避難場所では有効ですね。


(井戸用のポンプ)

校舎のような平屋の前に、小学校の校歌の石碑が残っていました。


(小学校の校歌の石碑)
(写真撮影:2014.01)

三重県への島旅 11回目

2014-03-25 04:30:00 | 16東海・三重県・志摩諸島
進んで行くと桟橋がある海岸お宅が見えてきました。海辺に近くて、津波が怖そうですね。しかし、よく見ると英虞湾を半島が取り巻いていて、自然の防波堤があるので、大丈夫ですね。


(半島が取り巻く)

坂を上っている途中に家があり、その横に掲示板がありました。


(掲示板)

掲示板を見ると昨年末の夜警への寄付について掲示されていました。


(昨年末の夜警への寄付)

瓦葺の板塀の新築の家がありました。立派ですね。費用が高かったのではと思いました。


(瓦葺の板塀の新築の家)

島ですね。空き地には、野菜が植えられていました。やはり野獣の被害があるのか、覆いが作られていました。


(空き地には、野菜が)

その先を見ると蔵のあるお宅がありました。表札には「XX本宅」と書いてありました。


(蔵のあるお宅)
(写真撮影:2014.01)

三重県への島旅 10回目

2014-03-24 04:30:00 | 16東海・三重県・志摩諸島
その傍に鳥居がありました。


(鳥居)

「天真名井神社」と書かれた石柱がありました。


(石柱)

そこにおられた人に小学校のことを聞きました。右側の海沿いの道路に沿って上っていくと小学校跡があると教わりましたので、神社は後にして、そちらに向かいました。


(港)

トンビが青空をノンビリと旋回しながら飛んでいました。


(トンビが)

東日本震災後、どの島へ行っても「避難場所」への案内経路が明示されていますね。


(避難経路の案内板)

歩きながら海を見ると黒いプラウキがたくさんあり、真珠養殖がされているのでしょうか。


(真珠養殖)
(写真撮影:2014.01)

三重県への島旅 9回目

2014-03-23 04:30:00 | 16東海・三重県・志摩諸島
島に近づくと暖かいのか、ヤシの木が見られるようになりました。


(ヤシの木)

定期船は、船首から船着場に接岸しました。


(船首から接岸)

早速、間崎島に上陸しました。「間崎漁港」と書かれた看板がありました。


(間崎島に上陸)

防潮堤の中に入ると待合所がありました。


(待合所)

ガラス窓に定期船の時刻表が貼られていました。1日に数便あるようですね。


(定期船の時刻表)

待合室内には、「間崎小ギャラリー」と書かれたコーナーがありました。廃校になっているのですが、思い出として残しているのでしょうか。



(間崎小ギャラリー)
(写真撮影:2014.01)

三重県への島旅 8回目

2014-03-22 04:30:00 | 16東海・三重県・志摩諸島
先ほど、円山公園から眺めた横山島の今夜、宿泊予定の民宿の前を通過しました。


(宿泊予定の民宿の前を通過)

海には、黒いプラウキがたくさんありました。真珠の養殖でしょうか。


(真珠の養殖)

ドンドンと定期船は、スピードを上げていきました。賢島も遠くなっていきました。


(賢島も遠く)

途中、混交遊覧船のスペイン帆船型「エスペランサ」とすれ違いました。展望デッキもある豪華な船で、ゆったりとした時間を楽しむのもいいですね。


(スペイン帆船型「エスペランサ」)

「ミキモト真珠養殖場」という看板が掲げられた建物が見られました。実際は工場ではなく真珠の核を植えつける作業をしているようです。


(ミキモト真珠養殖場)

間崎島が近づいてきました。


(間崎島)
(写真撮影:2014.01)