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昭JIJI(アキラジジ)の島旅賛歌*参加

日本全国に有人島が434島ほどある。全島制覇すべく島旅を継続中。

宮崎県リベンジの2島と福岡県の未渡島の2島へ 47回目

2014-11-16 04:30:00 | 61九州北部・福岡県・筑前諸島
「相島南塚(142号墳) 50m」と書かれた看板がありました。


(相島南塚(142号墳)へ)

振り返ると先ほど行った「日蒙供養塔」の方角になります。


(「日蒙供養塔」の方角)

その先の半島は、鼻面半島で、相島の東端にある長井浜は、島随一の絶景が望める場所です。ここからみる鼻栗瀬(通称:めがね岩)と石ころの海岸は、なんとも言えない良い風景です。


(鼻面半島と長井浜)

その先に小さく見える鼻栗瀬を望遠で写してみました。この通称 めがね岩は、島の東300メートルの海上にそそり立ち、全体が玄武岩でできていて、高さ20メートル、周囲100メートルで海食洞があり、平成18年2月21日に鼻面半島とともに県指定文化財(名勝)に指定されましたようです。


(鼻栗瀬)

広い範囲に石がごろごろしていて、その中に積み石の墳墓が点在していました。石が多く歩くのが大変でしたが、いくつかの墳墓を見て歩きました。






(墳墓を散策)
(写真撮影:2014.03)

宮崎県リベンジの2島と福岡県の未渡島の2島へ 46回目

2014-11-15 04:30:00 | 61九州北部・福岡県・筑前諸島
海上には、黒色のプラウキが並んでいました。真珠の養殖のようです。


(真珠の養殖)

剣神社に行こうとしましたが、場所が分からず、諦めて「相島積石塚群」へ向かいました。大きい道路から少し中に入りました。


(相島積石塚群へ)

相島積石塚群や周りのことが書かれた大きな案内板がありました。


(大きな案内板)

少し入っていくと「相島積石塚群」が見えてきました。


(相島積石塚群)

相島積石塚群は、町のホームページを見ると「古墳時代、死んだ人を埋葬するため、土を盛って様々な古墳が造られていました。その中に、墳丘を石だけで造ったり、石と土を混ぜ合わせて造った古墳があります。それが「積石塚」と呼ばれている古墳です。新宮町に大規模な積石塚群があると確認されたのは、平成4年のことです。調査の結果、254基の積石塚が確認され、全国的にも珍しい遺跡であることが分かり、平成13年8月7日に国指定史跡となりました。」書かれていました。


(相島積石塚群の説明版)

周りを見ると色々な形の積石塚が見られました。


(色々な形の積石塚)
(写真撮影:2014.03)

宮崎県リベンジの2島と福岡県の未渡島の2島へ 45回目

2014-11-14 04:30:00 | 61九州北部・福岡県・筑前諸島
日蒙供養塔に着きました。途中、行先明示版は、蒙古供養塔とありました。日蒙供養塔は、元寇の役のときに総勢14万人の蒙古軍は暴風雨で壊滅し、この海岸にも死体が折り重なっていたそうです。敵味方の区別無く手厚く葬って蒙古塚を建てたそうですが、その場所がどこであったか分かっていません。この日蒙供養塔は昭和42年(1967年)に島にある神宮寺の先代の住職が尽力され建立されたものとのことです。


(日蒙供養塔)

その奥に入っていくとこのような小さな祠がありました。


(小さな祠)

その先には、石がゴロゴロとおりました。立札には、「朝鮮通信使 関連墓地」と書かれていました。


(朝鮮通信使 関連墓地)

相島随一の景勝地 長井浜には、浸食された洞窟が見えました。


(浸食された洞窟)

遠くには、福岡県の島々、大島・地島と思われますが、島影が見えました。


(福岡県の島影)

日蒙供養塔を左に見ながら海岸線に戻ってきました。ハコフグが打ち上げられていました。


(ハコフグ)
(写真撮影:2014.03)

宮崎県リベンジの2島と福岡県の未渡島の2島へ 44回目

2014-11-13 04:30:00 | 61九州北部・福岡県・筑前諸島
歩いて行くと桜並木の他に黄色い菜の花が咲いていました。


(菜の花)

桜並木が続いています。


(続く桜並木)

「剣神社と蒙古供養塔」と書かれた行先明示版がありました。そちらへ向かうべく、右折しました。


(「剣神社と蒙古供養塔」の行先明示版)

剣神社は分からず、海岸線に出てきました。


(海岸線)

海岸線を海沿いに歩いて行きました。


(海沿いに)

「相島積石塚群」と書かれた案内板がありましたが、後で行くことにして、そのまま海岸線を歩いて行きました。


(「相島積石塚群」と書かれた案内板)
(写真撮影:2014.03)

宮崎県リベンジの2島と福岡県の未渡島の2島へ 43回目

2014-11-12 04:30:00 | 61九州北部・福岡県・筑前諸島
大きな何かの記念碑がありました。小さな文字で「相島……」で相島だけは読めしたが、後は、解読不能です。


(大きな記念碑)

その上がフェンスで覆われていました。何かと思い道を登ってみました。すると貯水池でした。川も無いのに、けっこう水が貯まっている貯水池です。


(貯水池)

「日蒙供養塔」に向かうべく歩き始めると沿道には桜並木があり、満開でした。


(沿道は桜が満開)

振り返ると海に、黒いプラウキが並んでいました。真珠の養殖のようでする。


(真珠の養殖)

小学校と中学校も見えました。大きな建物ですね。


(小学校)

上空を飛行機が飛んでいきました。福岡空港が近いせいか、高度が低いですね。


(上空を飛行機が)
(写真撮影:2014.03)

宮崎県リベンジの2島と福岡県の未渡島の2島へ 42回目

2014-11-11 04:30:00 | 61九州北部・福岡県・筑前諸島
戻ろうとすると「山の観音堂」と書かれた矢印がありました。左折して、少し坂を登っていくとありました。


(山の観音堂)

小さなお堂ですが、中をのぞくと素晴らしい観音像が、2体もありました。
境内の案内板の内容をそのまま書きます。
「この観音堂は、江戸時代の享保年間1716-1735穴観音に参詣するのに距離が遠く不便なため、 民家に近いこの場所に建てられたものです。
ここに安置されている千手観音菩薩も同じ時代に造られたもので、 菩薩の胎内には観音像が納められています。 これは元々穴観音内に祭られていたものが海流に流され、長崎県五島玉の浦に漂着し、 そこから送り返されたという謂れのある尊像です。
また、その横に安置してある千手観音像は、 神仏習合の影響を受け、若宮神社において氏神様として祭られていたものです。
穴観音の洞窟にあった大きさ1寸8分(約6cm)の2体の観音像は、現在神宮寺に保管してあり、 観音像を収めた神輿が毎年8月17日にこの観音堂に遷座する伝統行事が今も残されています。
新宮町教育委員会」と書かれていました。


(堂内の中)

観音像を拡大してみました。


(観音像)

桜が満開でした。その先にも行けそうでしたが、下に戻ることにしました。


(桜が満開)

海岸線に戻り、先に見えた建物に向かいました。「相島小学校」と書かれていました。


(相島小学校)

立派な体育館もありました。


(立派な体育館)
(写真撮影:2014.03)

宮崎県リベンジの2島と福岡県の未渡島の2島へ 41回目

2014-11-10 04:30:00 | 61九州北部・福岡県・筑前諸島
広場が見えてきました。その先に大きな建物もあります。


(広場と大きな建物)

左中腹にも大きな建物が見えてきました。どちらも定期船上から見えたものです。


(左中腹にも大きな建物)

「相島分校」と書かれた矢印の案内板がありました。登ってみることにしました。


(「相島分校」と書かれた矢印の案内板)

大きな建物に近づきました。門には「新宮町立 新宮中学校相島分校」と書かれていました。


(新宮町立 新宮中学校相島分校)

学校の入り口にもお飾りが掲げられていました。


(学校の入り口にもお飾りが)

その先に草叢の中に鳥居がありました。扁額に「高妻神社」と書かれていました。行ってみようとしましたが、草薮が深くてやめました。


(高妻神社の鳥居)
(写真撮影:2014.03)

宮崎県リベンジの2島と福岡県の未渡島の2島へ 40回目

2014-11-09 04:30:00 | 61九州北部・福岡県・筑前諸島
「ピーショロロ」と鳴いていたトンビが降りてきて、街路灯に止まりました。


(トンビ)

小さな鉄筋の建物がありました。ここには「地域沿岸漁業構造改善事業 漁船巻揚施設」と書かれていました。色々な公共投資がされていますね。


(小さな鉄筋の建物)

歩いて行くと前を中学生が3人歩いていました。後で知ったことですが、事前予約すると中学生が島内案内をしてくれるようでした。


(前を中学生が)

ここにも旅館がありました。


(旅館が)

さの先の港にも赤潮が漂っていました。


(赤潮が)

新しい建物が建設されていました。何かの施設でしょうか。ペンション的な建物でしょうか。


(新しい建物)
(写真撮影:2014.03)

宮崎県リベンジの2島と福岡県の未渡島の2島へ 39回目

2014-11-08 04:30:00 | 61九州北部・福岡県・筑前諸島
漁港では、これから出かけるのでしょうか。漁師さんが手入れをされていました。


(漁港で)

色々な絵が描かれた壁がありました。


(色々な絵が描かれた壁)

色々な漁業の道具が置かれていました。


(色々な漁業の道具)

港内には色々な筏がありますね。


(色々な筏)

建物があり、「ミキモト博多真珠養殖」と書かれた看板がありました。外洋でアコヤ貝の養殖が行われているようです。


(「ミキモト博多真珠養殖」と書かれた看板)

その先の港は、真っ赤でした。赤潮でしょうか。


(赤潮か)
(写真撮影:2014.03)

宮崎県リベンジの2島と福岡県の未渡島の2島へ 38回目

2014-11-07 04:30:00 | 61九州北部・福岡県・筑前諸島
その先の道路脇に、たくさんの倉庫が並んでいました。これは昔からの倉庫のようですね。ここにもお飾りが点けられていました。


(昔からの倉庫)

その先に並んでいる倉庫です。看板が掲げられていて、「地域沿岸漁業構造改善事業 漁船漁業用作業保管施設」と書かれていました。


(並んでいる倉庫)

漁港が続いています。


(漁港が)

ここにもたくさんのタコ壺が置かれていました。


(たくさんのタコ壺)

この浮きは、何に使われるのでしょうか。


(この浮きの用途は)

旅館もありました。


(旅館)
(写真撮影:2014.03)