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昭JIJI(アキラジジ)の島旅賛歌*参加

日本全国に有人島が434島ほどある。全島制覇すべく島旅を継続中。

東の海の彼方「ウフアガリジマ」遥かなる孤島 南大東島・北大東島 6回目

2008-09-12 04:47:33 | 78沖縄本島・沖縄県・大東諸島
荷物を置いて、島内散策に出かけることになりました。

最初に出かけたのは、大池のオヒルギ群落でした。展望台から眺めました。


(大池のオヒルギ群落案内板)


(大池のオヒルギ群落)

大東オオモウモリの棲家もあるようです。しかし、ハッキリとは見えませんでした。


(大東オオモウモリの棲家)

島の中央の凹部に点在する淡水池のなかでも一番大きなのは、大池です。




(大池)

水門を通して、水は流れていきます。


(東水門)

サトウキビの花が咲いていました。ススキに似ていますね。


(サトウキビの花)
(写真撮影:2003.3)

東の海の彼方「ウフアガリジマ」遥かなる孤島 南大東島・北大東島 5回目

2008-09-11 04:05:59 | 78沖縄本島・沖縄県・大東諸島
サンゴ礁の島で平らな島でした。




(平らな島の風景)

南大東島の銀座といわれるところを通過しましたが、まだ、早く店は開いていませんでした。




(南大東島の銀座)

ホテルへ到着しました。玄関には大きなシーサーが置いてありました。


(宿泊したホテル)




(ホテル前のシーサー)
(写真撮影:2003.3)

東の海の彼方「ウフアガリジマ」遥かなる孤島 南大東島・北大東島 4回目

2008-09-10 04:20:19 | 78沖縄本島・沖縄県・大東諸島
1時間10分くらいで、南大東空港に到着しました。


(南大東空港)

降りて、空港ターミナルまでは歩いていきました。


(飛行機から降りる)


(空港ターミナルまで徒歩)

空港ターミナル内には、大きな南大東島のマップがありました。


(空港ターミナル内)


(大きな観光マップ)

宿の迎えのバスで宿泊先へ向かいました。


(ターミナル外)


(宿のバスで宿へ)
(写真撮影:2003.3)

東の海の彼方「ウフアガリジマ」遥かなる孤島 南大東島・北大東島 3回目

2008-09-09 04:56:56 | 78沖縄本島・沖縄県・大東諸島
搭乗ゲートを通過して、バスで搭乗機に向かいました。


(航空券)


(搭乗ゲート)


(移動用バス)

搭乗機は小さい飛行機でした。島民優先でなかなか予約が取りづらい路線のようです。


(搭乗機)


(搭乗開始)

空港の外側には以前出かけた瀬長島が見えました。


(瀬長島)

搭乗しましたが、中はやはり狭かったです。


(搭乗)


(搭乗機機内)
(写真撮影:2003.3)

東の海の彼方「ウフアガリジマ」遥かなる孤島 南大東島・北大東島 2回目

2008-09-08 04:30:43 | 78沖縄本島・沖縄県・大東諸島
この島旅は、2003.3に出かけたものです。少し記憶が薄れているところもありますが、ビデオを見ながら投稿したいと思います。
いつものように羽田空港に集合して、那覇空港へむかいました。


(羽田空港)

途中、富士山がきれいに見えました。また、頂上付近に北陸へ向かうのではと思われる飛行機が飛んでいました。こういう光景を見るのは初めてでした。


(きれいに見えた富士山)

南アルプス、中央アルプスもきれいに見えました。


(南アルプス、中央アルプス)

これから行く「大東諸島」の位置関係を飛行機にあった本の中で確認しました。


(大東諸島の位置)

那覇空港に到着し、乗り継ぎのための点呼を行って、南大東島へ向かいました。


(那覇空港)


(集合、点呼)


(南大東島への搭乗口)
(写真撮影:2003.3)

東の海の彼方「ウフアガリジマ」遥かなる孤島 南大東島・北大東島 1回目

2008-09-07 03:45:30 | 78沖縄本島・沖縄県・大東諸島
今回は、少し古い島旅でありますが、思い出が多くあり、「一番印象に残っている島」の質問では、いつも「大東諸島」と答えているので、思い出しながら投稿したいと思います。

大東諸島の概要を投稿します。

南大東島 沖縄本島の東方、那覇から海路392kmにある島。北に8kmへだてて北大東島がある。水深4,000mの海底から立ち上がった火山島の頂にサンゴ礁が堆積を続け、数度にわたって隆起した隆起珊瑚の島で、北大東島とともに世界でも十数島しか例のない特異な存在として知られている。周囲の高さは10~20mの絶壁に取り囲まれ、中央部は盆地になっており、池沼が点在する。約5,000万年前の誕生以来、大陸や日本列島と一度もつながったことがなく、さまざまな固有種が生息している。古来から大東諸島は「うふあがり島」(「大きい東の島」の意)として知られていた。島名はそのまま漢字にあてたものといわれている。17世紀半ばには欧州の地図にも登場するが、位置や島数は不正確であった。19世紀には英国海軍水路誌や欧州の地図に北・南大東島が「ボロジノ諸島」として記載されている。「ポロジノ」の名は、当時北・南大東島を発見したロシアの海軍左官ボナフディンの乗る艦名「ボロジノ」にちなむといわれている。定住は明治33年(1900)、八丈島出身の玉置右衛門が有志22人とともに開拓に着手したことに始まる。以来、サトウキビ単作栽培の島として発展し、昭和58年までサトウキビ運搬のための沖縄県唯一の軌道(総延長約30km)もあった。現在も島の面積の約60%を占める耕地面積のほとんどがサトウキビ畑になっており、また、関東・八丈島の文化と沖縄の文化が入り交じり、独特の文化環境を育んでいる。平成元年に起工したわが国でも最大規模の掘込み漁港・南大東漁港は、同23年に完成の予定だが、すでに同12年に一部供用開始された。近年、「教育立村」宣言がなされ、特異な自然環境を生かした「島まるごとミュージアム構想」が推進されている。

北大東島 沖縄本島の東方380km、隆起サンゴ礁でできた沖縄県最東端の島。まわりをすべて断崖に囲まれ、島の中央はラグーン(礁湖)の跡で盆地になっている。明治36年(1903)、南大東島と同じく八丈島出身の玉置半右衛門の会社が開発に着手、会社独占支配の下で燐鉱の採掘とサトウキビの単一栽培が進められた。燐鉱は大正8年から昭和25年まで本格的に採掘され、肥料や火薬の原料となる燐酸をはじめ、アルミの原料である高品位のアルミナ鉄など計80万トンを産出、最盛期には人口も4,000人を数えた。現在でも貯鉱場や軌道跡、積出埠頭などがかつての賑わいを今に伝えている。また、「砂糖の島」とも呼ばれるくらい一面にサトウキビ畑が広がり、沖縄県の機械化農業の先進地となっている。古来、大東諸島は「うふあがり島」(うふ=大きい、あがり=東の意)と呼ばれ、沖縄本島では海上はるかな神の国として信仰する人もいたという。

出典:(財)日本離島センター発行の「日本の島ガイド SHIMADAS シマダス」から