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昭JIJI(アキラジジ)の島旅賛歌*参加

日本全国に有人島が434島ほどある。全島制覇すべく島旅を継続中。

加藤庸二氏の「島あるきの学校2006」 長崎・池島「石炭の歴史紀行」4日間 31回目

2008-03-16 05:50:44 | 65九州西部・長崎県
周りには、きれいな小鳥や小さな花や鳥居などが見られました。


(きれいな小鳥)


(小さい花)


(鳥居)

江ノ島、平島へのフェリーが出港していきました。


(江ノ島、平島へのフェリー)

丘の上に、次に向う歴史民俗資料館も見えてきました。


(丘の上に歴史民俗資料館)

崎戸町は江戸時代に捕鯨で栄えた島で、歴史民俗資料館では捕鯨の歴史を学ぶことができます。








(歴史民俗資料館)
(写真撮影:2006.06)

今日から一泊二日でいきがい大学のクラブの合宿に出掛けます。
明日は、現地からの投稿になります。

加藤庸二氏の「島あるきの学校2006」 長崎・池島「石炭の歴史紀行」4日間 30回目

2008-03-15 05:35:51 | 65九州西部・長崎県
大島島内をバスで移動しました。


(大島島内)

見えている中戸大橋を渡り、蠣浦島へ行きました。


(中戸大橋)

途中には、ここら辺りでよく獲れるアラカブの形をしたバス停がありました。


(アラカブの形をしたバス停)

心地よい風に吹かれながら海の上を散歩できるウォーターデッキ・ステーションにやってきました。海岸線に沿った全長260メートルの海の上の遊歩道で、干潮時には目の前に千丈敷が出現します。






(ウォーターデッキ・ステーション)

ここからこれから行く崎戸島が望めました。


(崎戸島)
(写真撮影:2006.06)

加藤庸二氏の「島あるきの学校2006」 長崎・池島「石炭の歴史紀行」4日間 29回目

2008-03-14 04:14:17 | 65九州西部・長崎県
その後、青い橋を通っていきました。この街道には白い橋と赤い橋がありました。後ほど通りました。


(通過した青い橋)

大島大橋を渡り、寺島へ入りました。この橋は形の美しい橋でした。




(大島大橋)

寺島の大島大橋公園でトイレ休憩をしました。


(大島大橋公園)

きれいな花が咲き、鳥が来ていました。花や鳥の名前が分からず申し訳ありません。


(きれいな花)


(エサをくわえた鳥)

寺島大橋を渡り、大島へ入りました。半島から寺島への橋が大島大橋で、寺島から大島への橋が寺島大橋で何だか橋の名前の付け方がおかしい気がしました。


(寺島大橋)
(写真撮影:2006.06)

加藤庸二氏の「島あるきの学校2006」 長崎・池島「石炭の歴史紀行」4日間 28回目

2008-03-13 05:20:12 | 65九州西部・長崎県
遠藤周作文学館を見学して、外へ出てくると明日行く予定の池島(後ろ側)が見えました。


(池島)

また、山の手の方には明治15年(1882)ド・ロ神父により聖堂が建設された出津教会が見えました。


(出津教会)

ド・ロ神父が外海町の生活を支えるためにパンやマカロニといった麺類などの製造方法を指導したのが今に伝わり、それをきっかけに名付けられた『ド・ロ様そうめん』定食を近くの食堂で食べました。


(ド・ロ様そうめん定食)


(ド・ロ様そうめん)

食後、少し、長崎方向に戻って、黒崎教会へ出かけました。この教会は、1919(大正9)年建造のロマネスク様式のレンガ造りの聖堂。中に入ると、とても厳かな雰囲気で美しい教会でした。また、遠藤周作さんの「沈黙」の舞台となった教会とのこと。




(黒崎教会)


(教会内部)




(ステンドグラス)
(写真撮影:2006.06)

加藤庸二氏の「島あるきの学校2006」 長崎・池島「石炭の歴史紀行」4日間 27回目

2008-03-12 04:43:35 | 65九州西部・長崎県
高島港から乗船して、長崎港へ戻ってきました。


(高島港ターミナル)


(高島港)

長崎港に戻ってきたら、五島へ行くペガサスが接岸していましたが、前の方に何かが出ていました。何か皆で議論になりました。しかし、分からりませんでしたが、帰ってビデオを見ていると多分これだと思ったのが、前に出ている脚のようでした。


(これ何)


(ペガサスの前脚)

今日は一日、バスでの観光のようで、島旅では珍しく、若いガイドが案内してくれました。


(案内してくれた若いガイドさん)

長崎市内から西彼杵半島の西側を北上しました。途中にペーロンで使われる船が海岸線に置かれていました。シーズンが近いのでしょうか。


(ペーロン船)

更に北上すると遠藤周作文学館がありました。生前の愛用 品や膨大な蔵書が収蔵され、作家の生涯と足跡をたどる写真パネルや小さな字でぎっしり書かれた生原稿などファンにはたまらないものが多数展示されていました。




(遠藤周作文学館)
(写真撮影:2006.06)



加藤庸二氏の「島あるきの学校2006」 長崎・池島「石炭の歴史紀行」4日間 26回目

2008-03-11 04:24:09 | 65九州西部・長崎県
石炭資料館の続きです。












(石炭資料館内展示品)

石炭資料館を出てくると防災無線で「トマト摘みが無料」という放送がされていました。しかし、開始時間が船の時間より遅く、駄目でした。しかし、主催者にお話しをして、少し早く摘み取りをさせてもらいました。ありがとうございました。




(高島のトマト)
(写真撮影:2006.06)

加藤庸二氏の「島あるきの学校2006」 長崎・池島「石炭の歴史紀行」4日間 25回目

2008-03-10 04:40:12 | 65九州西部・長崎県
近くにあった石炭資料館へ行きました。


(石炭資料館)

入口の前には、軍艦島の模型や坑内バッテリー機関車が展示されていました。


(軍艦島の模型)




(坑内バッテリー機関車)

中に入ると高島の歴史や炭鉱の写真・採掘に使われた機材・坑道の模型やトロッコなどが展示されていました。






(石炭資料館内展示品)
(写真撮影:2006.06)

加藤庸二氏の「島あるきの学校2006」 長崎・池島「石炭の歴史紀行」4日間 24回目

2008-03-09 04:40:19 | 65九州西部・長崎県
島内をその後も散策して、出発時間になったので、民宿に戻り、荷物を持って、港へ向いました。船の出発まで、少しあったので、港の周辺を散策しました。大きな岩崎弥太郎之像が建っていました。ここは三菱が開発したところのようでした。


(岩崎弥太郎之像)

近くの公設市場も覗いてみました。地元で獲れた魚介類が売られていました。




(公設市場)

土産物として、センベイやもなかのほかに、トマトようかんなるものが売られていました。どんな味がするのでしょうか。


(土産物のセンベイ、もなか)


(トマトようかん)

ここはトマトが名産のようです。試食させてもらいましたが、大変おいしいトマトでした。


(試食しておいしかったトマト)

相変わらず、郵便局探しをしている人もおられました。


(高島郵便局)
(写真撮影:2006.06)

加藤庸二氏の「島あるきの学校2006」 長崎・池島「石炭の歴史紀行」4日間 23回目

2008-03-08 05:04:35 | 65九州西部・長崎県
坂を上りきると展望が開けてきて、中ノ島、それと昨日行った軍艦島が見えてきました。ビル群は朝日に輝き、まだ人が住んでいるような感じがしました。


(中ノ島)


(軍艦島)

山手には廃校となった旧高島高校の校舎が寂しそうに建っていました。


(旧高島高校)

広場には往時を偲ばせる写真が説明書と一緒にありました。




(往時を偲ばせる写真)

皆さんは往時の写真と現状を比較しながら真剣に眺めていました。


(写真や説明書を眺める皆さん)

丘の頂上には、権現山公園展望台が見えました。時間がなくそこまでは登れませんでした。


(権現山公園展望台)
(写真撮影:2006.06)

加藤庸二氏の「島あるきの学校2006」 長崎・池島「石炭の歴史紀行」4日間 22回目

2008-03-07 04:28:18 | 65九州西部・長崎県
更に、坂を上って行くと魚屋さんや酒屋さんの廃墟もありました。皆さん興味深そうに家々の中を覗いていました。


(魚屋さん?)


(酒屋さん?)


(皆さん興味深げに眺めている。)

前々回の「砂打ち」にも書いたワレシブとかヤマモモともいわれる果物?が生っていました。食べてみましたが、イチジクのような感じで大変おいしかったです。




(ワレシブの実)

山手19号跡と書かれた竹垣が見えてきました。ここは昭和61年の閉山時、60棟(約2000戸)を数えていた炭住アパートの跡地でした。




(炭住アパートの跡地)
(写真撮影:2006.06)