この島もあまり見るところもなく、あっという間に島を一周しました。高根大橋が見えてきました。大橋を渡り、生口島へ戻ってきました。

(高根大橋)
行く時に、高根大橋の手前に「亀の首岩」と書かれていた看板があったので、生口島に戻って、直ぐに向かいました。それは、亀の首岩のお地蔵さんといわれていて、ここには次のような伝承があるようです。立て看板に、書かれていました。
昔、瀬戸田の周りにたくさんの亀が住んでいました。亀主という亀の総大将は、この近くを通る船を沈めては人を食べていたので、近くを通る船がいなくなり、食べ物がなくなった亀主は、庄屋に瀬戸田の村人を毎年1人ずつ亀主のところに差し出すよう命じました。庄屋、村人達が困っていると向上寺の調明という小僧さんが「よし、私が亀を退治してやる!」と言って、亀主のところに行き、「亀主さん、私はあなたに食べられることはいといませんが、向上寺の仏さんの前で食べてもらいたい」と一生懸命に頼みましたので、亀主は調明の願いを聞いて調明と一緒に向上寺山に登り始めましたが、海に住んでいる亀が陸に上がったので、だんだん手足の自由が利かなくなり、ぐったりとなりました。そこで調明は隠し持った刀で亀主の首を切り落とすと、首は空高く舞い上がり海の中に落ちてみるみるうちに亀の形をした大岩になりました。亀主がいなくなると航行する船が多くなりましたが、亀の首岩での海難事故も多くなり、村人達は亀主の霊を回向すると共に海難防止を祈願してお地蔵さんを建てたと言われています。

(立て看板)

(海上のお地蔵さん)
しかし、亀の形をした大岩になりましたとありましたが、どの岩かはよく分かりませんでした。耕三寺の近くの食堂で昼食を食べて、因島へ戻ることにしました。

(タコ天丼)
因島へ向かいましたが、また、郵便局が目に入り、停まりました。

(瀬戸田郵便局)
しまなみ海道に乗り、生口橋を渡り、因島へ入りました。

(生口橋)
(写真撮影:2009.06)

(高根大橋)
行く時に、高根大橋の手前に「亀の首岩」と書かれていた看板があったので、生口島に戻って、直ぐに向かいました。それは、亀の首岩のお地蔵さんといわれていて、ここには次のような伝承があるようです。立て看板に、書かれていました。
昔、瀬戸田の周りにたくさんの亀が住んでいました。亀主という亀の総大将は、この近くを通る船を沈めては人を食べていたので、近くを通る船がいなくなり、食べ物がなくなった亀主は、庄屋に瀬戸田の村人を毎年1人ずつ亀主のところに差し出すよう命じました。庄屋、村人達が困っていると向上寺の調明という小僧さんが「よし、私が亀を退治してやる!」と言って、亀主のところに行き、「亀主さん、私はあなたに食べられることはいといませんが、向上寺の仏さんの前で食べてもらいたい」と一生懸命に頼みましたので、亀主は調明の願いを聞いて調明と一緒に向上寺山に登り始めましたが、海に住んでいる亀が陸に上がったので、だんだん手足の自由が利かなくなり、ぐったりとなりました。そこで調明は隠し持った刀で亀主の首を切り落とすと、首は空高く舞い上がり海の中に落ちてみるみるうちに亀の形をした大岩になりました。亀主がいなくなると航行する船が多くなりましたが、亀の首岩での海難事故も多くなり、村人達は亀主の霊を回向すると共に海難防止を祈願してお地蔵さんを建てたと言われています。

(立て看板)

(海上のお地蔵さん)
しかし、亀の形をした大岩になりましたとありましたが、どの岩かはよく分かりませんでした。耕三寺の近くの食堂で昼食を食べて、因島へ戻ることにしました。

(タコ天丼)
因島へ向かいましたが、また、郵便局が目に入り、停まりました。

(瀬戸田郵便局)
しまなみ海道に乗り、生口橋を渡り、因島へ入りました。

(生口橋)
(写真撮影:2009.06)