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昭JIJI(アキラジジ)の島旅賛歌*参加

日本全国に有人島が434島ほどある。全島制覇すべく島旅を継続中。

しまなみ海道の島々へ 40回目

2009-10-18 04:30:00 | 32瀬戸内海・広島県・芸備群島
この島もあまり見るところもなく、あっという間に島を一周しました。高根大橋が見えてきました。大橋を渡り、生口島へ戻ってきました。


(高根大橋)

行く時に、高根大橋の手前に「亀の首岩」と書かれていた看板があったので、生口島に戻って、直ぐに向かいました。それは、亀の首岩のお地蔵さんといわれていて、ここには次のような伝承があるようです。立て看板に、書かれていました。

昔、瀬戸田の周りにたくさんの亀が住んでいました。亀主という亀の総大将は、この近くを通る船を沈めては人を食べていたので、近くを通る船がいなくなり、食べ物がなくなった亀主は、庄屋に瀬戸田の村人を毎年1人ずつ亀主のところに差し出すよう命じました。庄屋、村人達が困っていると向上寺の調明という小僧さんが「よし、私が亀を退治してやる!」と言って、亀主のところに行き、「亀主さん、私はあなたに食べられることはいといませんが、向上寺の仏さんの前で食べてもらいたい」と一生懸命に頼みましたので、亀主は調明の願いを聞いて調明と一緒に向上寺山に登り始めましたが、海に住んでいる亀が陸に上がったので、だんだん手足の自由が利かなくなり、ぐったりとなりました。そこで調明は隠し持った刀で亀主の首を切り落とすと、首は空高く舞い上がり海の中に落ちてみるみるうちに亀の形をした大岩になりました。亀主がいなくなると航行する船が多くなりましたが、亀の首岩での海難事故も多くなり、村人達は亀主の霊を回向すると共に海難防止を祈願してお地蔵さんを建てたと言われています。


(立て看板)


(海上のお地蔵さん)

しかし、亀の形をした大岩になりましたとありましたが、どの岩かはよく分かりませんでした。耕三寺の近くの食堂で昼食を食べて、因島へ戻ることにしました。


(タコ天丼)

因島へ向かいましたが、また、郵便局が目に入り、停まりました。


(瀬戸田郵便局)

しまなみ海道に乗り、生口橋を渡り、因島へ入りました。


(生口橋)
(写真撮影:2009.06)

しまなみ海道の島々へ 39回目

2009-10-17 04:30:00 | 32瀬戸内海・広島県・芸備群島
積善山を下り、島を一周しましたが、特に、目立ったものはなく、小漕港に着き、フェリーで生口島の洲江港へ戻りました。今度は、高根島へ向かうべく、生口島を横断しました。途中は、ミカン畑がたくさんありました。


(生口島の洲江港)


(ミカン畑)

耕三寺の近くに瀬戸田中野郵便局があり、また、出かけて手続きをしている人がいました。


(瀬戸田中野郵便局)

その近くにある高根大橋を渡り、高根島へ行きました。


(高根大橋)

この島も右回りで島を一周することにしました。海峡を隔てて生口島が見えました。


(海峡を隔てて生口島)

ここもミカン畑がたくさんある島でした。途中にトンネルがありましたが、手掘りのような狭いトンネルで対向車が来ないことを祈りました。対向車が来なかったので、助かりましたが、来た時には大変であったと思います。


(ミカン畑)


(手掘りのような狭いトンネル)
(写真撮影:2009.06)

しまなみ海道の島々へ 14回目

2009-09-22 04:30:00 | 32瀬戸内海・広島県・芸備群島
港の近くには、たくさんの造船会社がありました。過去は、もっと繁栄していたようです。


(たくさんの造船会社)

島と島の間でもあり、船は順調に航行していきました。


(定期船内)

弓削島が見えてきました。直ぐに弓削島の港へ着きました。


(弓削島)


(弓削港)

弓削島の港を出航すると弓削島と佐島を結ぶ弓削大橋が見えてきて、その下をくぐって行きました。




(弓削大橋)

豊島へ向かいました。


(豊島へ)
(写真撮影:2009.06)

しまなみ海道の島々へ 13回目

2009-09-21 04:30:00 | 32瀬戸内海・広島県・芸備群島
魚島行きの桟橋へ向かう途中に岩城島へ行く船が出発しましたが、一人走ってくると戻って、乗せていきました。こういう点は、親切ですね。


(戻ってきてお客さんを乗せる定期船)

別の港を出たフェリーが生名島へ向かっていましたが、直ぐに生名島へ着きました。明日、あのフェリーに乗る予定です。




(生名島へのフェリー)

魚島への定期船が桟橋に着きました。




(魚島への定期船)

土生港を出港して行きました。


(土生港を出港)

船内には、各島への一便でもあり、新聞が積まれていました。


(各島への新聞)
(写真撮影:2009.06)

しまなみ海道の島々へ 12回目

2009-09-20 04:30:00 | 32瀬戸内海・広島県・芸備群島
いよいよ魚島へ向かうことにしました。今夜も同じホテルに宿泊するので、レンタカーと大きな荷物は置いて土生港へ向かいました。乗船券売場を見ると一日4便が運航されていました。ここで、豊島、高井神島、魚島をどのように回るかを事前に検討してきました。その結果、まず、豊島へ行き、魚島からの帰りの船で、弓削島へ戻り、因島から来る船で、魚島へ行き、そこからは、チャーター船で、高井神島へ行き、高井神島から定期船で因島へ戻ると各島2~3時間の滞在が可能とわかっていました。そこで、まず、豊島へ向かうことにしました。


(乗船券売場)


(時刻表と運賃表)

乗船券売場で乗船券を買おうとしましたが、ここでは取り扱っておらず、船の中で買うようにと言われました。どうも会社が違うようです。そこで、魚島行きの桟橋に向かいました。




(魚島行きの桟橋に)

そこに一艘の漁船が水揚げを降ろしていました。水槽には、活きた鯛が泳いでいました。それを活け締めにしていました。また、それらを直接、買いに来ているおばさんたちがいました。


(水揚げを降ろす漁船)


(水槽の活きた鯛)


(鯛を活け締めに)


(漁船から直接の購入)
(写真撮影:2009.06)

しまなみ海道の島々へ 11回目

2009-09-19 04:30:00 | 32瀬戸内海・広島県・芸備群島
大山神社の奥殿の横には、「耳明(みみご)神社」があり、耳の神様が祀られているようで、平成7年に社殿が再建され、広島県で唯一の春日造りの社殿のようです。大きな耳が飾られてあり、たくさんの耳結び紐が結ばれていました。また、社殿の前には、たくさんのサザエも奉納されていました。






(耳明神社)


(たくさんのサザエも奉納)

ホテルへ帰る途中には、消防署やJAや材木屋がありました。


(消防署)


(JA)


(材木屋)
(写真撮影:2009.06)

しまなみ海道の島々へ 10回目

2009-09-18 04:30:00 | 32瀬戸内海・広島県・芸備群島
大山神社は、しまなみ海道沿線 因島の土生町、瀬戸内の島々を見渡す小高い丘に鎮座しており、宝亀4年(773)伊予国大三島の大山祇神社よりご分霊を勧請し、隠島大神と称したといわれている因島最古の神社です。鳥居をくぐると直ぐに右に曲がり、直ぐの左側に階段があります。階段を登り切ると広場になっていて、色々な社や日本一の七福神がありました。大山神社の社殿の中には、たくさんの神輿がありました。お祭りはさぞ盛大ではと思いました。










(大山神社)


(色々な社の1つ)


(日本一の七福神)
(写真撮影:2009.06)

しまなみ海道の島々へ  9回目

2009-09-17 04:30:00 | 32瀬戸内海・広島県・芸備群島
翌日は、出発前に町内を散策することにしました。宿泊したホテルの前を出発して、商店街を歩きましたが、朝早いこともありましたが、少し寂れていました。


(宿泊したホテル)


(少し寂れた商店街)

街角には、道標がありました。


(道標)

この町は、土生町といわれていて、それを文字って「愛はぶ通り」というアケードの看板がありました。


(アケードの看板)

近くに祠があるというので、出向きましたが、見当たらず、近くの人に聞いたところ、これだと教えてもらいました。掘立小屋のようなものでした。


(掘立小屋のような祠)

大山神社があるということで向かいましたが、途中に因島土生郵便局がありました。今回、一緒の仲間の内、2名は郵便局巡りをしている人たちでした。今回、いくつの郵便局を回ったことでしょうか。


(因島土生郵便局)

大山神社に到着しました。


(大山神社)
(写真撮影:2009.06)