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昭JIJI(アキラジジ)の島旅賛歌*参加

日本全国に有人島が434島ほどある。全島制覇すべく島旅を継続中。

壱岐にこんな場所があったのか…… 壱岐の魅力を再発見!7島めぐり3日間 53回目

2011-05-07 04:30:00 | 64九州北部・長崎県・壱岐島
羽奈毛崎から海を眺めると先ほど見た雲間からの太陽光線が海面を照らし、もっときれいに見えました。


(雲間からの太陽光線)

島影が見えました。二神島と言われましたが、少し違うような気がしました。


(二神島)

案内者は、大海原を指して、この先には、対馬があるといわれました。残念ながら、当日は、見えませんでした。


(対馬方向)

壱岐の島の方へ眼を向けると辰ノ島で半島のように出ているところが見られました。この断崖は海底が隆起してできたもので、壱岐では一番古い地層のようです。


(壱岐では一番古い地層)

蛇ケ谷は、勝本層の垂直節理が波によって浸食されて広がり、高さ50メートルにもなる海蝕作用によってできた断崖で、足がすくむ鋭さとともに自然の造形美と打ちつける荒波はかなり壮観です。


(蛇ケ谷)

仲間の何人かは、蛇ケ谷を覗きに行きましたが、私は、高所恐怖症で、行くのをやめました。


(蛇ケ谷を覗きに)
(写真撮影:2011.02)

壱岐にこんな場所があったのか…… 壱岐の魅力を再発見!7島めぐり3日間 52回目

2011-05-06 04:30:00 | 64九州北部・長崎県・壱岐島
看板にも書かれていたように海につながっていて、波が中まで入って来ていました。


(海へのつながり)


(波が中にまで)

仲間が途中で鹿の角を拾ったと持ってきました。立派な角でした。


(鹿の角)

下を見るとまだ登ってくる仲間がいました。島旅では、各自がマイペースで歩いています。しかし、皆さん、自覚していて集合時間に遅れる人はほとんどいません。暗黙のルールになっています。


(まだ、下から登ってくる仲間)

私たちは、もう少し上へ登って行きました。そこは、羽奈毛崎です。その下は、断崖絶壁になっていました。少し怖い感じがしました。船で遊覧すると色々な自然の神秘的な造形美を見ることができるようです。




(羽奈毛崎)
(写真撮影:2011.02)

壱岐にこんな場所があったのか…… 壱岐の魅力を再発見!7島めぐり3日間 51回目

2011-05-05 04:30:00 | 64九州北部・長崎県・壱岐島
こんな季節に来る人もいないようで、砂浜は、きれいでした。しかし、その中に足跡がいくつかありました。人間のものではなく、動物の足跡でした。


(タヌキの足跡)


(鹿の足跡)

引潮のようで、遠浅の海は、砂浜が広くなっていました。海水浴は、ここで行われるようです。


(砂浜が広く)

ここからも反対側の海が見られました。そちらの海岸線は、断崖絶壁となっていて、見ごたえがあるようです。


(反対側の海が)

まず、鬼の足跡へ行くべく坂道を登りました。


(鬼の足跡へ)

登り切ったところに大きな穴がありました。これが「鬼の足跡」でした。看板には、「この穴は、玄武岩を東シナ海の荒波が浸食した海蝕洞の上部が陥没してできた穴で、底の一部は、海につながっており、地元では古くから、鬼の足跡と呼ばれています。その昔、デイという大鬼が、フンドシで鯨をすくうために踏ん張ったときにできた穴だといわれており、もう片方の穴は、郷ノ浦町の牧崎というところにあります。」と書かれていました。


(鬼の足跡)
(写真撮影:2011.02)

壱岐にこんな場所があったのか…… 壱岐の魅力を再発見!7島めぐり3日間 50回目

2011-05-04 04:30:00 | 64九州北部・長崎県・壱岐島
船長が「ミサゴ」がいるというので、木の上を見ると優然と止まっている野鳥がいました。初めて見ました。


(ミサゴ)

若宮島の裏側が見えてきました。自衛隊への接岸岸壁が見えました。ここから坂を登る必要があり、勤務の時には、車が迎えに来るのでしょうか。


(自衛隊への接岸岸壁)

辰ノ島へ上陸しました。船長も付いてきてくれ、色々な説明をしてくれました。


(辰ノ島へ上陸)

狭いですが、きれいに整備された道が作られていました。遠くに砂浜が見えました。まず、蛇ケ谷へ向かうことにしました。


(遠くに砂浜が)

少し歩くと開けたところへ着きました。石碑がありました。海豚慰霊碑でした。生活のために大量のイルカを殺したことへの慰霊碑でした。


(海豚慰霊碑)

ここが島で一番狭いところのようで、すぐに反対側の海が見えました。


(反対側の海が)
(写真撮影:2011.02)

壱岐にこんな場所があったのか…… 壱岐の魅力を再発見!7島めぐり3日間 49回目

2011-05-03 04:30:00 | 64九州北部・長崎県・壱岐島
辰ノ島へ向かいました。雲間から太陽の光線が見られました。幻想的ですね。その部分だけは、光っていました。


(雲間からの太陽光線)

若宮島を通過しました。海岸線には、恵比須さんや若宮大宮神が見られました。ますます渡島したくなりました。


(恵比須さん)


(若宮大宮神)

辰ノ島の外周を遊覧しました。「海の宮殿」です。数万年の浸食によって刻まれた海の洞窟です。水がここでもきれいでした。




(海の宮殿)

先に小さな島が見えました。ここを通過して、外からも観光できるようですが、今回は、ここでUターンして、辰ノ島へ向かい上陸することにしました。


(先に小さな島が)
(写真撮影:2011.02)

壱岐にこんな場所があったのか…… 壱岐の魅力を再発見!7島めぐり3日間 48回目

2011-05-02 04:30:00 | 64九州北部・長崎県・壱岐島
峠から勝本港が見下ろせました。勝本港は、イルカの大群が来て、色々と話題になったところです。


(眼下に勝本港)


(勝本港)

勝本港に遊覧船が接岸しているところへ着きました。目の前に自衛隊が駐屯している若宮島が見えました。自衛隊へ仲間が手紙を書きましたが、観光目的では、渡島が許可されませんでした。


(勝本港に遊覧船が接岸)


(若宮島)

遊覧船は、出港しました。私は、2階で操縦している船長の横に座って、色々とお話を聞きました。少し風があって、寒かったですが、色々な話が聞けてよかったです。海もきれいですね。


(きれいな海)

先の方に建物が見えてきました。イルカパークとのことでした。イルカ問題から共生する社会への切り替えで作られた施設のようです。


(イルカパーク)
(写真撮影:2011.02)

壱岐にこんな場所があったのか…… 壱岐の魅力を再発見!7島めぐり3日間 47回目

2011-05-01 04:30:00 | 64九州北部・長崎県・壱岐島
月読神社にお参りをしました。ガイドさんからここのお御籤には、面白いものが入っていると聞きましたので、仲間が買うことにしました。神社の横にあるガラス戸をあけるとお御籤がありました。無人野菜売り場のようでした。


(月読神社)


(無人野菜売り場のようなお御籤売り場)

お御籤を開けてみるとお御籤の他に猫恵比寿が入っていました。その姿が面白かったです。


(猫恵比寿が入ったお御籤)

急な石段を下り、バスに乗り込み、勝本港へ向かいました。途中に、あごかけ石、へそ石を車中から見ました。あごかけ石には、その石柱の頭に古い六角形の燈籠形の面に、12人の地蔵菩薩の仏塔が乗っていました。また、あごかけ石の謂われについても色々な説があるようです。


(あごかけ石)

その横の「へそ石」は、昔、道行く人々が壱岐の中心になる道標として使用していて、これが壱岐のど真ん中の石、すなわち「へそ石」の由来とのことでした。


(へそ石)

その先に、古墳のようなものが見えてきました。この辺りは、壱岐風土記の丘と呼ばれていて、くりぬき式家形石棺をもつ掛木古墳、丘陵に古墳が群集する百合畑古墳群、金銅製の馬具が出土した笹塚古墳、そして二重の空堀をもつ中世の山城・生池城跡を巡る歴史散策公園になっています。


(壱岐風土記の丘)
(写真撮影:2011.02)

壱岐にこんな場所があったのか…… 壱岐の魅力を再発見!7島めぐり3日間 46回目

2011-04-30 04:30:00 | 64九州北部・長崎県・壱岐島
印通寺港へ戻ってくると計画変更の話が出てきました。それは、これからの壱岐島内の散策をやめて、明日の予定の辰の島へ行くということでした。それは、明日の天候が思わしくなく、風が強くなる予想ということでした。皆さん、賛成しました。さらに、皆さんが希望していましたが、渡島できないといわれていた若宮島へも渡島ができるということでした。皆さん、大喜びでした。若干の費用追加があるということでしたが。早速、バスに乗り、北へ向かいました。途中、昨日、一支国博物館から眺めた原の辻遺跡の横を通りました。




(原の辻遺跡)

そこから一支国博物館も見られました。


(一支国博物館)

原の辻展示館を通り、さらに、北へ向かいました。


(原の辻展示館)

辰の島への遊覧まで、時間があったので、途中、月読神社に立ち寄りました。古事記では伊邪那岐命と伊邪那美命が天照大神の次に産んだのが月読尊とされていて、京都の月読神社は、487年壱岐の県主の先祖忍見宿祢が壱岐から分霊したもので、ここは神道の発祥の地とされています。県道に面した鳥居から、桧林の中を急な石段の参道を登りました。




(月読神社)
(写真撮影:2011.02)

壱岐にこんな場所があったのか…… 壱岐の魅力を再発見!7島めぐり3日間 45回目

2011-04-29 04:30:00 | 64九州北部・長崎県・壱岐島
先に来ていた人たちは、港へ向かいました。少し遅れて出発しましたが、道端の蒲の穂が白くなって、白い綿が飛んでいました。私は、そのまま港へ向かいましたが、先発した人達の中にこの蒲の穂があったところから違う道に進み、お宮さんへお参りしてきたと後で聞きました。


(道端の蒲の穂が白く)

行く時にも気になっていたのですが、道に纏まって糞が落ちていました。どうも野生のイノシシか、タヌキの糞のようでした。きれい好きなのか、1カ所に纏めてしていました。


(1カ所に纏めてされていた糞)

港へ帰ってくると沖合に停泊していたチャーター船が近づき接岸しました。


(チャーター船が接岸)

早速、乗り込み、妻ケ島を後にしました。


(早速、チャーター船へ)


(さようなら妻ケ島)

帰りに鳥居のあった小嶋神社へ接岸を希望しましたが、岸壁がなく、駄目でした。印通寺港へ帰って来てきました。


(印通寺港)
(写真撮影:2011.02)

壱岐にこんな場所があったのか…… 壱岐の魅力を再発見!7島めぐり3日間 44回目

2011-04-28 04:30:00 | 64九州北部・長崎県・壱岐島
大きな家の横にある畑は、きれいに耕されていました。テレビの撮影の際の名残のようです。庭も整備されていましたが、テレビを見た人の話では、もっときれいに見えたと言っていました。畑の横には、テレビ撮影に使ったと思われる鉄塔が残されていました。


(耕された畑)


(整備された庭)

テレビ用に持ち込まれたと思われる畳なども見られました。台所には、住んでおられた人が残して行ったと思われる食器などはそのまま残っていました。


(持ち込まれた畳)


(以前、住まわれていた人が残したと思われる食器など)

以前、住まわれていた人が集めせれたマッチ箱がそのままたくさん並んでいました。


(趣味に集めたマッチ箱)

時間になり、帰る途中の道端には、石仏が残されたままありました。


(残された石仏)
(写真撮影:2011.02)