先に行くとまた、神社がありました。御先神社です。

(御先神社)
いつものように祠内を見ました。

(祠内)
島内散策を続けて行くと2階建ての建物がありました。漁業協同組合の建物のようです。

(漁業協同組合の建物)
その先に、来島観光休憩所と書かれていました。こういう施設を活用するほど人が来るのでしょうか。

(来島観光休憩所)
港近くに「来島城跡」の案内板がありました。「伊予水軍一千年の歴史の中で、特に南北朝時代には村上水軍と称して、来島、能島、因島に分かれ、強大な勢力を誇った。来島氏はこの島を本城とし、島々に城砦を築き、海上を支配していた。戦国時代には八幡大菩薩の旗印を押し立て、朝鮮、支那沿岸にまで押しかけ和寇として恐れられ勇名をあげた。徳川時代に九州豊後の山奥に移され、伊予水軍の歴史は終わった。この絵図は来島氏の城砦絵図で山上は幾段にも仕切られた跡があり、磯には館の柱穴が多く残り、島内には矢竹なども生えている。」(水軍観光ルート協議会”)と書かれていました。

(「来島城跡」の案内板)
来島観光休憩所の横に小さな建物がありました。集会所のようです。

(集会所)
来島漁港の横を歩いて行きました。

(来島漁港)
(写真撮影:2016.02)

(御先神社)
いつものように祠内を見ました。

(祠内)
島内散策を続けて行くと2階建ての建物がありました。漁業協同組合の建物のようです。

(漁業協同組合の建物)
その先に、来島観光休憩所と書かれていました。こういう施設を活用するほど人が来るのでしょうか。

(来島観光休憩所)
港近くに「来島城跡」の案内板がありました。「伊予水軍一千年の歴史の中で、特に南北朝時代には村上水軍と称して、来島、能島、因島に分かれ、強大な勢力を誇った。来島氏はこの島を本城とし、島々に城砦を築き、海上を支配していた。戦国時代には八幡大菩薩の旗印を押し立て、朝鮮、支那沿岸にまで押しかけ和寇として恐れられ勇名をあげた。徳川時代に九州豊後の山奥に移され、伊予水軍の歴史は終わった。この絵図は来島氏の城砦絵図で山上は幾段にも仕切られた跡があり、磯には館の柱穴が多く残り、島内には矢竹なども生えている。」(水軍観光ルート協議会”)と書かれていました。

(「来島城跡」の案内板)
来島観光休憩所の横に小さな建物がありました。集会所のようです。

(集会所)
来島漁港の横を歩いて行きました。

(来島漁港)
(写真撮影:2016.02)