2階からの眺めの先を見ると大きなマンション群が見えてきました。それは高校の時の友人が住んでいる師崎のマンションのようでした。低めのマンションの最上階に住んでいて、今回、ここらの島々を回ると話をしましたら、是非、夜に来て一泊していくように強く勧められましたが、時間の関係で、寄ることができませんでした。残念でした。

(高校の同級生が住むマンション)
弁天サロンの下では、お茶を準備していただき、飲みながら、島のことをお聞きしました。その玄関には、サバメの巣がありましたが、今年もやってくるのでしょうか。

(ツバメの巣)
次に、大葉邸へ向かうべく、島内散策を続けました。

(島内散策へ)
黒い壁に挟まれた狭い路地が続き、進むと大葉邸に到着しました。

(大葉邸に到着)
大葉邸は築100年の古民家が「佐久島空家計画/大葉邸」という現代芸術作品として生まれ変わったところということでした。



(大葉邸)
(写真撮影:2009.01)

(高校の同級生が住むマンション)
弁天サロンの下では、お茶を準備していただき、飲みながら、島のことをお聞きしました。その玄関には、サバメの巣がありましたが、今年もやってくるのでしょうか。

(ツバメの巣)
次に、大葉邸へ向かうべく、島内散策を続けました。

(島内散策へ)
黒い壁に挟まれた狭い路地が続き、進むと大葉邸に到着しました。

(大葉邸に到着)
大葉邸は築100年の古民家が「佐久島空家計画/大葉邸」という現代芸術作品として生まれ変わったところということでした。



(大葉邸)
(写真撮影:2009.01)
その先に、弁天サロンという看板が掲げられた建物がありました。ここは、古くからある民家を伝統技法で修復して、平成10年にオープンした建物で、年数回ある現代美術の企画展のほか、2階の「屋根裏の間」では、佐久島の生活・風習を知る展示物が飾られてありました。

(弁天サロン)




(弁天サロン展示物)
また、2階からの眺めも良かったです。


(弁天サロンの2階からの眺め)
(写真撮影:2009.01)

(弁天サロン)




(弁天サロン展示物)
また、2階からの眺めも良かったです。


(弁天サロンの2階からの眺め)
(写真撮影:2009.01)
その先の崇運寺は、1192年、後鳥羽上皇の第七皇子の青蓮院が開基と伝えられ、徳川家康が滞在したという言い伝えもあり、日没時に打たれる晩鐘は、「佐久島八景」のひとつといわれているようです。



(崇運寺)

(鐘突き堂)
「ガリバーの目」というものがありましたが、申し訳ありませんが、説明を読んでも良く分かりませんでした。皆さんは、分かりますか。分かったら教えてください。



(ガリバーの目)
(写真撮影:2009.01)



(崇運寺)

(鐘突き堂)
「ガリバーの目」というものがありましたが、申し訳ありませんが、説明を読んでも良く分かりませんでした。皆さんは、分かりますか。分かったら教えてください。



(ガリバーの目)
(写真撮影:2009.01)
歩き始めると直ぐに「日本の原風景が残る島」という大きな立て看板が立てられていました。ここは大正から昭和に建てられた民家が多く、日本人の心に触れる風景が残っているとのことでした。楽しみです。

(「日本の原風景が残る島」という大きな立て看板)
すぐにそのような風景が見えてきました。本当に静かな島でした。



(日本の原風景)
西港は静かな入江となっていました。


(西港)
崇運寺へ向かう階段を登るとお地蔵さんがありました。

(お地蔵さん)
(写真撮影:2009.01)

(「日本の原風景が残る島」という大きな立て看板)
すぐにそのような風景が見えてきました。本当に静かな島でした。



(日本の原風景)
西港は静かな入江となっていました。


(西港)
崇運寺へ向かう階段を登るとお地蔵さんがありました。

(お地蔵さん)
(写真撮影:2009.01)
一色港へバスで向かいましたが、風が大変強かったです。迎えのチャーター船がやってくるのが見えましたが、波飛沫が大きく上がっていました。

(迎えのチャーター船)
到着すると風の強い中、慌てて乗り込みました。

(到着したチャーター船に乗船)

(チャーター船内)
荒い波の中を佐久島へ向かいました。


(荒い波の中を佐久島へ)
佐久島へ到着後、上陸して、案内板を見て、東港に向けて島内散策に出かけました。

(佐久島へ上陸)

(島内案内板)

(島内散策)
(写真撮影:2009.01)

(迎えのチャーター船)
到着すると風の強い中、慌てて乗り込みました。

(到着したチャーター船に乗船)

(チャーター船内)
荒い波の中を佐久島へ向かいました。


(荒い波の中を佐久島へ)
佐久島へ到着後、上陸して、案内板を見て、東港に向けて島内散策に出かけました。

(佐久島へ上陸)

(島内案内板)

(島内散策)
(写真撮影:2009.01)
一色さかな広場に着き、ここで昼食を食べることになりました。


(一色さかな広場)

(一日目の昼食)
昼食が終わって、1階に下りてきましたら、寿司屋さんに長蛇の列があり、2階の方まで並んでいました。大変美味しいのでしょうか。

(長蛇の列の寿司屋さん)
時間があったので、少し売っている物を眺めました。

(売場を巡る)
この当たりの名物のようで、干しタコが売られていました。また、その横には、食べ方も書かれていました。

(干しタコ)

(干しタコの食べ方)
また、外には、干しアナゴも売られていましたが、これからまだまだ日数があるので、買いませんでした。

(干しアナゴ)
(写真撮影:2009.01)


(一色さかな広場)

(一日目の昼食)
昼食が終わって、1階に下りてきましたら、寿司屋さんに長蛇の列があり、2階の方まで並んでいました。大変美味しいのでしょうか。

(長蛇の列の寿司屋さん)
時間があったので、少し売っている物を眺めました。

(売場を巡る)
この当たりの名物のようで、干しタコが売られていました。また、その横には、食べ方も書かれていました。

(干しタコ)

(干しタコの食べ方)
また、外には、干しアナゴも売られていましたが、これからまだまだ日数があるので、買いませんでした。

(干しアナゴ)
(写真撮影:2009.01)
久しぶりの新幹線での島旅です。

(発車案内)

(乗車する新幹線)
朝食代わりに缶ビールを飲んで一寝入りして、目が覚めたら、富士山の麓を通過するところでした。

(富士山)
今回のお客さんの中に6名の団体さんがいて、山登りのグループからの参加のようで、非常に騒がしく、それ以降は、眠れませんでした。そうこうするうちに豊橋に着き、下車しました。

(豊橋駅)

(豊橋下車)
豊橋駅からは大型バスでユックリと座りながら、一色港へ向かいました。

(豊橋駅を出発)

(一色港)
(写真撮影:2009.01)

(発車案内)

(乗車する新幹線)
朝食代わりに缶ビールを飲んで一寝入りして、目が覚めたら、富士山の麓を通過するところでした。

(富士山)
今回のお客さんの中に6名の団体さんがいて、山登りのグループからの参加のようで、非常に騒がしく、それ以降は、眠れませんでした。そうこうするうちに豊橋に着き、下車しました。

(豊橋駅)

(豊橋下車)
豊橋駅からは大型バスでユックリと座りながら、一色港へ向かいました。

(豊橋駅を出発)

(一色港)
(写真撮影:2009.01)
今回の島旅は、新幹線で出向くということで、集合は、東京駅の日本橋口でした。日本橋口は、初めてのところで、心配しましたが、特に問題なく、到着しました。

(東京駅の日本橋口)
添乗員さんは、先月の天草諸島と同じ、島旅事務局の人でした。

(東京駅の集合場所)

(コース案内看板)
時間になり、全員の確認が終わり、東京駅へと入っていきました。今回は、18名と島旅では多い人数でした。顔見知りは数名いました。

(東京駅改札)

(東京駅に入場)

(東京駅)
新幹線が入線してきました。

(新幹線入線)
(写真撮影:2009.01)

(東京駅の日本橋口)
添乗員さんは、先月の天草諸島と同じ、島旅事務局の人でした。

(東京駅の集合場所)

(コース案内看板)
時間になり、全員の確認が終わり、東京駅へと入っていきました。今回は、18名と島旅では多い人数でした。顔見知りは数名いました。

(東京駅改札)

(東京駅に入場)

(東京駅)
新幹線が入線してきました。

(新幹線入線)
(写真撮影:2009.01)
三河湾と伊勢湾に浮かぶ8島をめぐり、2009.1.24~1.27に島の美味しい魚を食べに行ってきした。
まずは、今回出向いた8島の概要を書きます。
佐久島 一色町の南海上約5kmに位置する三河湾最大の島。標高38mを最高点とし、全体になだらかな地形と温暖な気候、緑豊かな自然、美しい海岸線で織りなされている。島の歴史は古く、港を中心に扇状に広がる家並みや路地は、大正から昭和に建てられた民家が多く、日本人の心に触れる原風景が残っている。海水浴・潮干狩り・海釣り・ハイキングなどファミリーで楽しめるほか、自然に癒されながら「ぶらり旅」のできる島でもある。平成7年の国土庁「よい風か吹く島が好き女性委員会」の調査を契機として、アートプロジェクトで島おこしに取り組んでいる。平成13年からは、「三河・佐久島アートプラン21」がスタートし、「祭りとアートに出会う島」をキャッチフレーズにアートと地域がコラボレーションしたイベントや展覧会により、過疎にあっても元気を回復しつつある。
日間賀島 知多半島の先端、師崎港から船で東に4kmの三河湾口に位置するなだらかな丘陵状の島。人口密度が1km2あたり2,800人を超える。沿岸漁船漁業が生業の中心。新鮮な魚介料理を味わいに、また海水浴、釣りなどで多くの観光客が訪れる観光地でもある。島の歴史は古く、島内には数多くの古墳が残されている。20年ほど前から「タコの島」のイメージでPRし、タコをモチーフにしたモニュメントやキャラクター商品の開発が進められ、近年はフグの島としても脚光を浴びている。さらに、最近は豊富な漁業体験メニューなどをプログラム化し、体験学習を目的とした観光客の受け入れを推進している。周辺は三河湾国定公園に指定される景勝の地でもある。
篠島 知多半島の先端、師崎港から船で10分の南東海上、三河湾国定公園の中心に位置する観光の島。周囲には無数の無人島が点在する。古くから黒松と女竹の美しさが有名であり、「東海の松島」と呼ばれている。島は南北に長く最高点は標高49.1mで起伏に富んでいる。天然の良港に恵まれ、古くは伊勢・三河の交通の要衝として賑わったという。今では、沿岸漁船漁業を中心とした漁業と並んで海水浴やタイの島としてPRし、観光業も盛ん。島内には「帝井」をはじめとして史跡や名所が多く、『万葉集』には「夢のみに継ぎて見えつつ小竹島の磯越す波のしくしく思ほゆ」(柿本人麻呂)と詠まれている。また、朝日・夕日の眺めもすばらしく、『日本の夕日100選』にも選ばれている。
神島 鳥羽港の東北12km、愛知県伊良湖岬西約3.5kmの伊勢湾口にある島。標高171mの灯明山を中心に島全体が山地になっている。歩いて島を一周する神島自然遊歩道が完成し、2時間でコースを周るができる。正徳3年(1713)の『志陽略志』に「この島の形象甕に似る故、俗に甕島と称す」とあり、島の形から島名がついたという。古来、海上交通の要衝として知られ、島内各所の祭祀遺跡から奈良・平安時代の唐鏡・和鏡などが出土しており、伊勢神宮、つまり神の里を守る島だったといわれている。三島由紀夫の小説『潮騒』の舞台として一躍脚光を浴び、神島灯台・監的哨跡・八代神社などを訪れる人は多い。黒潮と伊勢湾の海流がぶつかり合う伊良湖水道上の潮流は複雑で、魚介類にも恵まれ、住民の半数が漁業に従事し、イセエビ・アワビ・マダイなど高級活魚のほか、アジ・マイワシを多く水揚げしている。最近のグロメ志向から海釣りと味覚を求めて訪れる観光客も増加している。また毎年10月頃になるとアサギマダラ(蝶)やサシバ(鷹)の渡りなどがみられる自然の宝庫である。旅館・民宿は11軒。コミュニティ施設として神島開発総合センターがある。
菅島 鳥羽港の東約0.8km、標高237mの大山を中心とした東西に長い島。大半が山地で、家屋は島の北側1カ所に集中する。弥生式土器や須恵器が出土、鎌倉時代の『吾妻鏡』や『神鳳抄』にも島の名がみえる。漁業就業者が約40%、旅館・民宿などの観光業が約40%となっている。水産業は沿岸小規模漁業で一本釣りや海女漁、冬期にはノリ・ワカメ養殖が主となる。洋式灯台の草分けといえる日本最古のレンガ造り灯台・菅島灯台や、海女が雌雄のアワビの初獲りを競う「しろんご祭」、秋の紅ツゲ、ドウダンツツジの紅葉など、島の素朴さと自然景観、海の幸を求める観光客で通年賑わう。
答志島 鳥羽港の東北約1.4kmにある島。島の東北部に答志町答志・答志町和具、南西部に桃取町があり、県道で結ばれている。縄文式・弥生式土器が出土、40基をこえる古墳もあり、『和名類聚抄』(993年)や『簡礼集』にも島の名が記されている。また、鳥羽城主で九鬼軍大将の九鬼嘉隆が関ケ原の戦に敗れ自刃した地として知られ、首塚・胴塚の史跡などがあり、歴史とロマンを秘めた島である。漁業従事者が約50%を占め、次いで観光業が盛んである。答志町・答志町和具には32軒、桃取町には3軒の旅館や民宿があり、夏場を中心に海水浴客や釣り客、グルメ観光客で賑わう。平成4年度に和具サンシャインビーチが完成し、平成8年にはサンビーチ桃取が完成した。平成14年には、和具浦漁港の塩ワカメづくりが環境省の「かおり風景100選」に選ばれ、島に新たな魅力が加わっている。
日向島(イルカ島) 鳥羽市中心地の北約2kmの鳥羽湾上にある島。鳥羽湾に点在する島々の中でも観光化が早くから進み、通称「イルカ島」として有名だ。近世には小浜村に属し、対岸の半島部分とあわせて日向島と呼ばれていた。かつての集落も現在はなく、昭和34年に近鉄志摩観光汽船が「イルカ島海洋遊園地」を開園、現在は日向浜・西の浜といった海水浴場やイルカのショーなどが楽しめる海洋遊園地として名を馳せており、家族連れにも人気が高い。
坂手島 鳥羽の東約0.6kmにある島。標高110mほどの山地の南斜面のわずかな平地に集落がある。『大同本紀』に「佐加太伎島」、『内宮儀式帳』に「酒滝島」とあり、「さかたき」の語が転訛して現在の島名となった。本土と近く便利なことから、本土通勤者が多い。水産業は周年一本釣漁で、冬期に一部でワカメ養殖が営まれている。島の中腹には初夏に一面紫色の花が咲き乱れるアヤメ池がある。旅館・民宿6軒。海釣りと味覚を求める観光客も年々増加している。また市立の水産研究所では、水質調査やノリ・ワカメの種苗生産、カキ養殖の育成指導をしている。
出典:(財)日本離島センター発行の「日本の島ガイド SHIMADAS シマダス」から
まずは、今回出向いた8島の概要を書きます。
佐久島 一色町の南海上約5kmに位置する三河湾最大の島。標高38mを最高点とし、全体になだらかな地形と温暖な気候、緑豊かな自然、美しい海岸線で織りなされている。島の歴史は古く、港を中心に扇状に広がる家並みや路地は、大正から昭和に建てられた民家が多く、日本人の心に触れる原風景が残っている。海水浴・潮干狩り・海釣り・ハイキングなどファミリーで楽しめるほか、自然に癒されながら「ぶらり旅」のできる島でもある。平成7年の国土庁「よい風か吹く島が好き女性委員会」の調査を契機として、アートプロジェクトで島おこしに取り組んでいる。平成13年からは、「三河・佐久島アートプラン21」がスタートし、「祭りとアートに出会う島」をキャッチフレーズにアートと地域がコラボレーションしたイベントや展覧会により、過疎にあっても元気を回復しつつある。
日間賀島 知多半島の先端、師崎港から船で東に4kmの三河湾口に位置するなだらかな丘陵状の島。人口密度が1km2あたり2,800人を超える。沿岸漁船漁業が生業の中心。新鮮な魚介料理を味わいに、また海水浴、釣りなどで多くの観光客が訪れる観光地でもある。島の歴史は古く、島内には数多くの古墳が残されている。20年ほど前から「タコの島」のイメージでPRし、タコをモチーフにしたモニュメントやキャラクター商品の開発が進められ、近年はフグの島としても脚光を浴びている。さらに、最近は豊富な漁業体験メニューなどをプログラム化し、体験学習を目的とした観光客の受け入れを推進している。周辺は三河湾国定公園に指定される景勝の地でもある。
篠島 知多半島の先端、師崎港から船で10分の南東海上、三河湾国定公園の中心に位置する観光の島。周囲には無数の無人島が点在する。古くから黒松と女竹の美しさが有名であり、「東海の松島」と呼ばれている。島は南北に長く最高点は標高49.1mで起伏に富んでいる。天然の良港に恵まれ、古くは伊勢・三河の交通の要衝として賑わったという。今では、沿岸漁船漁業を中心とした漁業と並んで海水浴やタイの島としてPRし、観光業も盛ん。島内には「帝井」をはじめとして史跡や名所が多く、『万葉集』には「夢のみに継ぎて見えつつ小竹島の磯越す波のしくしく思ほゆ」(柿本人麻呂)と詠まれている。また、朝日・夕日の眺めもすばらしく、『日本の夕日100選』にも選ばれている。
神島 鳥羽港の東北12km、愛知県伊良湖岬西約3.5kmの伊勢湾口にある島。標高171mの灯明山を中心に島全体が山地になっている。歩いて島を一周する神島自然遊歩道が完成し、2時間でコースを周るができる。正徳3年(1713)の『志陽略志』に「この島の形象甕に似る故、俗に甕島と称す」とあり、島の形から島名がついたという。古来、海上交通の要衝として知られ、島内各所の祭祀遺跡から奈良・平安時代の唐鏡・和鏡などが出土しており、伊勢神宮、つまり神の里を守る島だったといわれている。三島由紀夫の小説『潮騒』の舞台として一躍脚光を浴び、神島灯台・監的哨跡・八代神社などを訪れる人は多い。黒潮と伊勢湾の海流がぶつかり合う伊良湖水道上の潮流は複雑で、魚介類にも恵まれ、住民の半数が漁業に従事し、イセエビ・アワビ・マダイなど高級活魚のほか、アジ・マイワシを多く水揚げしている。最近のグロメ志向から海釣りと味覚を求めて訪れる観光客も増加している。また毎年10月頃になるとアサギマダラ(蝶)やサシバ(鷹)の渡りなどがみられる自然の宝庫である。旅館・民宿は11軒。コミュニティ施設として神島開発総合センターがある。
菅島 鳥羽港の東約0.8km、標高237mの大山を中心とした東西に長い島。大半が山地で、家屋は島の北側1カ所に集中する。弥生式土器や須恵器が出土、鎌倉時代の『吾妻鏡』や『神鳳抄』にも島の名がみえる。漁業就業者が約40%、旅館・民宿などの観光業が約40%となっている。水産業は沿岸小規模漁業で一本釣りや海女漁、冬期にはノリ・ワカメ養殖が主となる。洋式灯台の草分けといえる日本最古のレンガ造り灯台・菅島灯台や、海女が雌雄のアワビの初獲りを競う「しろんご祭」、秋の紅ツゲ、ドウダンツツジの紅葉など、島の素朴さと自然景観、海の幸を求める観光客で通年賑わう。
答志島 鳥羽港の東北約1.4kmにある島。島の東北部に答志町答志・答志町和具、南西部に桃取町があり、県道で結ばれている。縄文式・弥生式土器が出土、40基をこえる古墳もあり、『和名類聚抄』(993年)や『簡礼集』にも島の名が記されている。また、鳥羽城主で九鬼軍大将の九鬼嘉隆が関ケ原の戦に敗れ自刃した地として知られ、首塚・胴塚の史跡などがあり、歴史とロマンを秘めた島である。漁業従事者が約50%を占め、次いで観光業が盛んである。答志町・答志町和具には32軒、桃取町には3軒の旅館や民宿があり、夏場を中心に海水浴客や釣り客、グルメ観光客で賑わう。平成4年度に和具サンシャインビーチが完成し、平成8年にはサンビーチ桃取が完成した。平成14年には、和具浦漁港の塩ワカメづくりが環境省の「かおり風景100選」に選ばれ、島に新たな魅力が加わっている。
日向島(イルカ島) 鳥羽市中心地の北約2kmの鳥羽湾上にある島。鳥羽湾に点在する島々の中でも観光化が早くから進み、通称「イルカ島」として有名だ。近世には小浜村に属し、対岸の半島部分とあわせて日向島と呼ばれていた。かつての集落も現在はなく、昭和34年に近鉄志摩観光汽船が「イルカ島海洋遊園地」を開園、現在は日向浜・西の浜といった海水浴場やイルカのショーなどが楽しめる海洋遊園地として名を馳せており、家族連れにも人気が高い。
坂手島 鳥羽の東約0.6kmにある島。標高110mほどの山地の南斜面のわずかな平地に集落がある。『大同本紀』に「佐加太伎島」、『内宮儀式帳』に「酒滝島」とあり、「さかたき」の語が転訛して現在の島名となった。本土と近く便利なことから、本土通勤者が多い。水産業は周年一本釣漁で、冬期に一部でワカメ養殖が営まれている。島の中腹には初夏に一面紫色の花が咲き乱れるアヤメ池がある。旅館・民宿6軒。海釣りと味覚を求める観光客も年々増加している。また市立の水産研究所では、水質調査やノリ・ワカメの種苗生産、カキ養殖の育成指導をしている。
出典:(財)日本離島センター発行の「日本の島ガイド SHIMADAS シマダス」から