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昭JIJI(アキラジジ)の島旅賛歌*参加

日本全国に有人島が434島ほどある。全島制覇すべく島旅を継続中。

与論島と沖縄県への島旅 16回目

2016-02-12 04:30:00 | 76奄美・鹿児島県・奄美群島
色々な生活道具も展示されていました。




(色々な生活道具)

「亀仙人」と刻まれた石が置かれていました。亀仙人は右横の全体が写っていない石だったようですね。


(亀仙人)

「幸運を招く ふくろう石」と書かれていたこんな石も展示されていました。


(幸運を招く ふくろう石)

たくさんの壺が置かれた建物がありました。この壺は酒や醤油、油や水のほかに穀物などの保存は使われていたようです。


(たくさんの壺)

その奥には赤瓦の沖縄風の民家がありました。


(赤瓦の沖縄風の民家)
(写真撮影:2015.11)

与論島と沖縄県への島旅 15回目

2016-02-11 04:30:00 | 76奄美・鹿児島県・奄美群島
スイジガイも売られていました。


(スイジガイ)

昔のヨロンの民家は、円錐型の茅葺屋根の家がいくつかありました。トランペットもきれいですね。


(円錐型の茅葺屋根の家)

民俗村の方に色々と案内していただきました。


(民俗村の方に色々と案内)

芭蕉布といえば沖縄本島が有名ですが、ここ与論島でも作られ続けられているようです。


(芭蕉布の機械織り機)

古民家が少し傾いているのは、相次いでこの地を襲った大きな台風による被害だそうです。修理が大変だといわれていました。


(少し傾いた古民家)

それを修復するためのススキが集められていました。


(修復するためのススキ)
(写真撮影:2015.11)

与論島と沖縄県への島旅 14回目

2016-02-10 04:30:00 | 76奄美・鹿児島県・奄美群島
次に着いたのは、「与論民俗村」です。古い民家の移設や民具を集めて復元され、私設民俗資料館として設立されたそうです。


(与論民俗村)

迎えてくれた看板です。「ウワ―チ タバーリ 尊加那志(トートゥガナシ)」と書かれていました。


(迎えてくれた看板)

大きなガジュマルの樹も迎えてくれました。



中に入っていくところにはサトウキビ畑があり、オバアが作業されていました。
(大きなガジュマル)


(サトウキビ畑)

受付で入場料を支払い中に入りました。


(受付)

クバカザと草履が売られていました。


(クバカザと草履)
(写真撮影:2015.11)

与論島と沖縄県への島旅 13回目

2016-02-09 04:30:00 | 76奄美・鹿児島県・奄美群島
各人好きなものを食べようということで、色々な氷を頼みました。これは、百合ケ浜です。私が頼みました。


(百合ケ浜)

次は、ひみつのアッコちゃん(ミルク・しょうが・金時)です。


(ひみつのアッコちゃん)

次は、きむらのアホ(黒糖みつ・きなこ・ミルク)です。何故こんな名前が付けられたのでしょうか。店主に聞くと最初はお客さんがこの氷をリクエストしたので、名前から「きむら」だったのを別のお客さんがそれに「アホ」を黒板に追記したためとのことでした。


(きむらのアホ)

次は、かおり(ドラゴンフルーツ・ミルク)です。


(かおり)

最後は、めがね(沖縄風ぜんざい)です。映画の「めがね」からきているのかもしれませんね。


(めがね)

食べながら天井を眺めると天井いっぱいに落書きがされていました。しかし、どのようにして描いたのでしょうか。


(天井いっぱいに落書き)
(写真撮影:2015.11)

与論島と沖縄県への島旅 12回目

2016-02-08 04:30:00 | 76奄美・鹿児島県・奄美群島
島内散策を続けました。龍美の風花風力発電所が見えてきました。


(龍美の風花風力発電所)

赤崎鍾乳洞の前まで行きましたが、パスすることになりました。


(赤崎鍾乳洞の前)

次は赤崎海岸に行きました。沖縄本土がよく見えました。


(赤崎海岸)

赤崎海岸を少し散策しました。赤崎灯台が見られました。


(赤崎灯台)

与論島の案内板に「赤崎海岸」についても書かれていました。


(与論島の案内板に「赤崎海岸」)

この日は、30℃くらいになっていて、暑いので、赤崎海岸前のお店に入りました。色々な「氷」が売られていました。


(色々な氷)
(写真撮影:2015.11)

与論島と沖縄県への島旅 11回目

2016-02-07 04:30:00 | 76奄美・鹿児島県・奄美群島
琴平神社の奥に何か石碑があるので、向かいました。


(何か石碑が)

「龍頭の伝承」と書かれた石碑でした。


(龍頭の伝承」と書かれた石碑)

与論城跡からの眺めです。遠くに沖縄本島が望めました。


(遠くに沖縄本島)

戻ってくると新しい建物が見られました。「ゆんぬ体験館」といい、与論島の文化を見て体験できる施設のようで、大島紬織り体験から三線・島唄体験、陶芸体験や料理体験などができるようです。


(ゆんぬ体験館)

広場がありました。ここで「与論十五夜踊り」が行われる場所です。


(与論十五夜踊りが行われる場所)

国指定重要無形文化財である与論島十五夜踊りは、島民慰安のためと同時に、島中安穏、五穀豊穣(雨乞い)の祈願と感謝の意味を込め、毎年旧暦3月、8月、10月の各15日に行われます。琉球風の踊りを奉納する2番組と、大和の狂言風の踊りを奉納する1番組とで構成され、交互に踊りが奉納されます。このお祭りの見物に平成20年4月に来たことがあります。その様子をある雑誌に投稿した抜粋です。


(与論島十五夜踊り)
(写真撮影:2015.11)

与論島と沖縄県への島旅 10回目

2016-02-06 04:30:00 | 76奄美・鹿児島県・奄美群島
いつもの祠内の風景です。シンプルなものですね。


(祠内)

その近くに拝所がありました。「地主神社は与論の原始信仰である拝所(ウガン)の神々を合祀し、明治3年(1870)城跡にある辺後地(ヒグチ)拝所の傍らに小祠を建て、島の産土(うぶすな)様「大地主(おおとこぬし)」神を祀った神社です。」と「サザンクロスセンターの周辺施設のご案内」に書かれていました。ここの方が古い場所のようですね。


(辺後地拝所)

その奥へ向かうと神社がありました。琴平神社です。「琴平神社は、文政7年(1824)金毘羅大権現「大物主之尊」を勧請し、天保6年(1835)に石仁の厳島神社と朝戸の菅原神社を合祀し、明治42年現在の場所に建立されました。」と書かれていました。


(琴平神社)

拝殿内です。


(拝殿内)

拝殿内には色々な写真が飾られていました。


(色々な写真)

「与論城跡」と書かれた看板がありました。下へ降りる階段がありました。案内人の話しでは、これを下っていくと風葬の場所に行けるとのことでした。


(「与論城跡」と書かれた看板)
(写真撮影:2015.11)

与論島と沖縄県への島旅 9回目

2016-02-05 04:30:00 | 76奄美・鹿児島県・奄美群島
次は、与論城跡に向けて出発しました。面白い形の建物が見えますが、サザンクロスセンターです。「サザンクロスセンターは、与論島をはじめ奄美群島内の歴史、芸能・物産等の総合紹介施設として、平成五年にオープンしました。この建物は、伏龍をイメージした外観からなり、南十字星が観測できる国内最北端の地がここ与論島であることから「サザンクロスセンター」と名づけられました。」とのことでした。


(与論城跡に)

与論城跡に着き、バスを降りると鳥居がありました。


(鳥居)

その鳥居奥には土俵が見られました。


(土俵)

その先には階段があり、その上に鳥居がありました。


(階段上に鳥居)

その階段下には、手水舎もありました。


(手水舎)

その階段を登ったところに社がありました。地主神社(とこぬしじんじゃ)です。


(地主神社)
(写真撮影:2015.11)

与論島と沖縄県への島旅 8回目

2016-02-04 04:30:00 | 76奄美・鹿児島県・奄美群島
バスを降りて風葬されていたという場所に向かいました。風葬とは自然の岩穴に亡くなられた体をそっと置いて、骨になるまで自然のままにすることのようです。以前、喜界島でも聞いたことがありました。


(風葬されていたという場所)

近づいて、写真を撮りました。まだ、頭蓋骨も見られましたが、写真はこのくらいにしておきます。


(風葬跡)

その場所から海を見ていると新しい建物が見えました。聞くと火葬場とのことです。色々とあったようですが、最近、建てられたようです。


(火葬場)

その先に島影が見られました。沖縄本島の辺戸岬とのことでした。


(沖縄本島の辺戸岬)

少し歩くと大きな野鳥のモニュメントがありました。ヤンバルクイナと書かれていました。


(ヤンバルクイナのモニュメント)

少し走ると黄金色の牛の像がありました。この像は台風で壊れたものが、最近、復元されたようできれいな色でした。


(黄金色の牛の像)
(写真撮影:2015.11)

与論島と沖縄県への島旅 7回目

2016-02-03 04:30:00 | 76奄美・鹿児島県・奄美群島
南国の景色と建物ですね。


(南国の景色と建物)

今回のツアーの関係者が挨拶をされました。


(ツアーの関係者が挨拶)

海岸線をバスは走っていきました。天候もよく楽しみです。バスは最前席に座らせてもらいました。


(海岸線をバスは)

道路沿いにたくさんのお墓がありました。


(たくさんのお墓)

サトウキビ畑もありました。


(サトウキビ畑)

この辺りは風葬が行われていたと説明されました。


(この辺りは風葬)
(写真撮影:2015.11)