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昭JIJI(アキラジジ)の島旅賛歌*参加

日本全国に有人島が434島ほどある。全島制覇すべく島旅を継続中。

徳之島への島旅 28回目

2016-12-04 04:30:00 | 76奄美・鹿児島県・奄美群島
井之川八幡神社からの眺めです。


(井之川八幡神社からの眺め)

レンタカーで北上を開始しましたが、バス停名が商店名となっていました。


(バス停名が商店名)

レンタカーで走っていると木に赤い花が咲いていました。


(木に赤い花)

レンタカーを止めて、眺めてみると「ハイビスカス」のようですが、ハイビスカスはこんな木だったでしょうか?


(ハイビスカス?)

さらにレンタカーで走っているとピンクの花が咲いていました。


(ピンクの花)

アップして撮影してみると緋寒桜のようです。


(緋寒桜)
(写真撮影:2016.02)

徳之島への島旅 27回目

2016-12-03 04:30:00 | 76奄美・鹿児島県・奄美群島
次の石碑は、「徳之島町名誉町民 保直次氏記念碑」と刻まれていました。保直次氏は後で調べると「大正5年2月5日井之川にて出生。昭和7年神之嶺尋常高等学校卒業、出征復員後昭和23年鹿児島市でキャンディーストア開業、同36年城山観光ホテル(株)を設立し鹿児島市の高台城山に城山観光ホテルを開業。同45年には福岡に博多城山ホテル開業。一方、昭和43年には城山合産(株)を設立し養殖事業を奄美等で展開。先見性と独創的経営で城山観光グループを1000億企業に育てた。」と書かれていました。(徳之島町のホームページから)


(徳之島町名誉町民 保直次氏記念碑)

その前にソテツの木がありました。


(ソテツの木)

ソテツの実が落ちていました。


(ソテツの実)

その上にある神社へ向かいました。ここもコンクリート製でした。神社名は案内板に「井之川八幡神社」とありました。


(井之川八幡神社)

いつものように中を見ました。石の祠と古代風な花瓶がありました。


(社殿内)

石の祠内には、鏡が置かれていました。


(鏡が)
(写真撮影:2016.02)

徳之島への島旅 26回目

2016-12-02 04:30:00 | 76奄美・鹿児島県・奄美群島
朝潮太郎記念像の横に「西郷南洲翁逗留地」と書かれたものがありましたが、どういうことなのか調べましたが、分かりませんでした。


(西郷南洲翁逗留地)

反対側には色々な石碑と神社が見えました。


(色々な石碑と神社)

左側から石碑を見に行きました。最初の石碑には「八波むと志記念碑」と刻まれていました。八波むと志は徳之島生まれだったようですね。


(八波むと志記念碑)

碑文は、「菊田一夫氏」が書かれていました。


(碑文は、「菊田一夫氏」)

その横には、「井之川戦没者慰霊碑」と刻まれた石碑でした。


(井之川戦没者慰霊碑)

建立についての謂れが刻まれた石碑もありました。


(建立についての謂れ)
(写真撮影:2016.02)

徳之島への島旅 25回目

2016-12-01 04:30:00 | 76奄美・鹿児島県・奄美群島
亀徳新港近くのホテルで泊まりました。翌日、ホテルからの眺めです。


(ホテルからの眺め)

ホテルを出て、まず、向かったのは「亀徳新港」に出向きました。本当は、ここから徳之島へ渡島したかったのですが、先にも書いたように日程的な問題で、今回は、断念しました。次回は、船で渡島したいと思っています。


(亀徳新港)

時間的に、フェリーを見ることができませんでした。


(亀徳新港)

コンテナーが積まれていました。


(コンテナー)

次に向かったのは、「朝潮太郎記念像」です。




(朝潮太郎記念像)
(写真撮影:2016.02)

徳之島への島旅 24回目

2016-11-30 04:30:00 | 76奄美・鹿児島県・奄美群島
しばらく行くと赤い鳥居が出てきました。


(赤い鳥居)

扁額に「横綱之地」と刻まれていました。


(扁額に「横綱之地」)

個人で造られた神社でしょうか。横綱の闘牛と建立者の人のようです。


(個人で造られた神社)

「優勝記念碑建立」と刻まれた石碑がありました。この闘牛の横綱の戦歴が刻まれていました。


(優勝記念碑建立)

建立者が「旭日単光章」を受賞された記念碑も建立されていました。


(「旭日単光章」を受賞された記念碑)

中国風な建物もありました。


(中国風な建物)
(写真撮影:2016.02)

徳之島への島旅 23回目

2016-11-29 04:30:00 | 76奄美・鹿児島県・奄美群島
「泉芳朗頌徳記念像」です。泉芳朗氏は、第二次世界大戦以後、米国に統治された奄美群島島民の悲願であった「日本復帰」を果たした中心的人物で、氏の栄誉を称え、平成9年「伊仙町名誉町民」に制定したことを受け、記念像と同時に建てられたようです。




(泉芳朗頌徳記念像)

近くに体育館がありました。そこから子供たちが走ってきました。


(近くに体育館が)

レンタカーで走っていると大きな建物がありましたが、何に使われているのでしょうか。


(大きな建物)

道端にススキかと思いましたが、サトウキビの花のようですね。


(サトウキビの花)

海岸線に出てきました。


(海岸線に)
(写真撮影:2016.02)

徳之島への島旅 22回目

2016-11-28 04:30:00 | 76奄美・鹿児島県・奄美群島
その奥に何軒かの家がありました。


(何軒かの家)

ご自宅については、特に、明示がされていませんでしたので、どちらがご自宅かは分かりませんが、多分、上の方の写真だと思います。




(ご自宅)

近くにお墓がたくさんありました。ここに納骨されているのでしょうか。


(近くにお墓)

ホテルへ向かいました。途中に、「泉芳朗頌徳記念像」と書かれた看板がありました。立ち寄ってみることにしました。


(「泉芳朗頌徳記念像」と書かれた看板)

「泉芳朗氏」の説明文が書かれていました。


(「泉芳朗氏」の説明文)
(写真撮影:2016.02)

徳之島への島旅 21回目

2016-11-27 04:30:00 | 76奄美・鹿児島県・奄美群島
道路を走っていると「長寿の道」と書かれた看板がありました。「泉重千代翁と本郷かまと嫗」のお二人が載っていました。


(「長寿の道」と書かれた看板)

泉重千代さんのお宅へ向かいました。入口に「地福之島三十三聖地旧跡巡り」と刻まれた石柱がありました。


(「地福之島三十三聖地旧跡巡り」と刻まれた石柱)

その近くに「長寿世界一 泉重千代翁之像」と刻まれた銅像がありました。






(泉重千代翁之像)

その横には「長寿世界一 泉重千代翁生誕の地」と書かれた説明板もありました。


(「長寿世界一 泉重千代翁生誕の地」と書かれた説明板)
(写真撮影:2016.02)

徳之島への島旅 20回目

2016-11-26 04:30:00 | 76奄美・鹿児島県・奄美群島
その先に神社がありました。


(神社)

鳥居の扁額に「阿権八幡神社」と刻まれていました。


(阿権八幡神社)

ここもコンクリート製の神社でした。


(コンクリート製の神社)

いつものように中をのぞきました。「五穀豊穣・家内安全」と書かれていました。


(祠内)

境内にも大きな樹がありました。


(境内にも大きな樹)

「十人の子を養う親はあれども 一人の親を養う子はまれなり」と刻まれた小さな石碑がありました。耳が痛いですね。しかし、場所がどこだったかは忘れました。


(小さな石碑)

レンタカーで走っているとまた、郵便局がありました。「阿三簡易郵便局」です。


(阿三簡易郵便局)
(写真撮影:2016.02)

徳之島への島旅 19回目

2016-11-25 04:30:00 | 76奄美・鹿児島県・奄美群島
300年ガジュマルを近くから見ようと石の門扉がある中に入ってみました。


(石の門扉)

300年ガジュマルを近くから見ました。迫力がありますね。この木にケンムン(精霊)が宿ると言われているようです。


(近くからの300年ガジュマル)

その後、先に進みました。沖縄に似た風景ですね。


(沖縄に似た風景)

石垣が各所で見られました。


(石垣が各所で)

畑ではジャガイモが掘り起こされていました。


(掘り起こされたジャガイモ)

サンゴ礁の石垣はまだまだ続いていました。


(続くサンゴ礁の石垣)
(写真撮影:2016.02)