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昭JIJI(アキラジジ)の島旅賛歌*参加

日本全国に有人島が434島ほどある。全島制覇すべく島旅を継続中。

祝島の神舞 9回目 祝島へ

2017-05-20 04:30:00 | 47瀬戸内海・山口県・熊毛群島
乗船場に向かいました。振り向くとたくさんの人が待っていました。


(まだ、たくさんの人が)

船が港へ入ってきました。


(船が)

乗船を開始しました。


(乗船)

臨時便でしょうか、もう一艘近づいてきました。


(臨時便)

船は出航しました。いつものように外のデッキに座りました。


(外のデッキに)

船は長島にも立ち寄り、上関大橋の下を通って、祝島へ向かいました。


(上関大橋)
(写真撮影:2016.08)

祝島の神舞 2回目 祝島へ

2017-05-13 04:30:00 | 47瀬戸内海・山口県・熊毛群島
機内誌を見ていると岩国錦帯橋空港は、広島空港と山口宇部空港との中間にある空港のようですね。


(岩国錦帯橋空港)

岩国錦帯橋空港へ向かって降下していると瀬戸内海を航行するタンカーがよく見えました。


(タンカー)

岩国錦帯橋空港に到着すると島影が見られました。どこの島でしょうか。


(島影が)

海上自衛隊とアメリカ海兵隊が駐屯しているようで、海上自衛隊の飛行機が見られました。




(海上自衛隊の飛行機)

岩国錦帯橋空港のターミナルビルが見えてきました。


(岩国錦帯橋空港のターミナルビル)
(写真撮影:2016.08)

祝島の神舞 1回目 祝島へ

2017-05-12 04:30:00 | 47瀬戸内海・山口県・熊毛群島
祝島の「神舞」は、伝承によると今から千百十余年の昔、仁和二年八月、豊後伊美郷の人々が山城国石清水八幡宮より分霊を奉持して海路下向中、嵐に会い祝島三浦湾に漂着した。当時この地には三軒の民家があったが、生まれる子供は体が弱く生活は苦しかったが、彼らは一行を心からもてなした。その時に教わった荒神を祭り、農耕(麦作)を始めたことにより、以後島民の生活は大きく向上。それからそのお礼にと、島民は毎年八月に伊美別宮社に「種戻し」に欠かさず参拝をした。そして4年毎に伊美別宮社から二十余名の神職、里楽師を迎え、本島を斎場として神恩感謝の合同祭事を行うようになった。これが神舞神事の起源である。
 神舞では三隻の神船を中心に櫂伝馬船等、百余隻に及ぶ大漁旗で飾った奉迎船が織りなす、勇壮な入船・出船の海上神事が行われ、古式豊かに三十三種類の神楽舞が新調の苫で小屋掛けされた仮神殿で奉納される。
祝島 神舞のホームページから

4年に一度ということで、某旅行会社のツアーも大分県の姫島の「きつね踊り」と祝島の「神舞」がありましたが、祭りでの滞在時間がほとんどなく、個人的に計画して、出向きました。
この日は、柳井へ行くだけでしたので、浜松町をユックリ目のモノレールに乗りました。


(浜松町)

羽田空港に到着しました。


(羽田空港)

搭乗手続きをする際に問題が発生しました。今回、長時間のビデオ撮影になるので、三脚を持っていくことにしました。その三脚が少し長いということで、機内持ち込みができなくなりました。


(三脚が少し長い)

今回、向かう岩国錦帯橋空港へは初めてでした。


(岩国へ)

搭乗する飛行機も小さいですね。


(小さな飛行機)

今回は、空港到着後、レンタカーを使うため、飲むこともできず、眠っていました。


(機内)
(写真撮影:2016.08)