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昭JIJI(アキラジジ)の島旅賛歌*参加

日本全国に有人島が434島ほどある。全島制覇すべく島旅を継続中。

広島県・山口県への島旅 8回目

2015-12-05 04:30:00 | 33瀬戸内海・広島県・上大崎群島
振り返ると乗ってきたフェリーが竹原港へ戻っていきました。


(フェリーが竹原港へ)

歩いていると道路沿いにお堂が見えました。


(お堂)

第79番天皇寺と書かれていました。島四国です。


(島四国)

先に進んでいると「広島銘酒 竹鶴」と書かれた古い看板がありました。あのマッサンのご実家のお酒の宣伝ですね。


(広島銘酒 竹鶴)

続けて歩いていると社がありました。


(社が)

いつものように中をのぞいてみましたが、小さな祠が置かれていました。


(小さな祠)
(写真撮影:2015.09)

広島県・山口県への島旅 7回目

2015-12-04 04:30:00 | 33瀬戸内海・広島県・上大崎群島
前方に島影が見えてきました。大崎上島です。


(前方、大崎上島)

進んで行くと小さな桟橋が見えてきました。生野島です。


(生野島)

大崎上島に近づいてきました。


(大崎上島に)

垂水港の桟橋です。


(垂水港の桟橋)

垂水港から大崎上島に渡島しました。


(大崎上島に渡島)

大崎上島の散策を開始しました。


(大崎上島の散策)

陸から海からしまなみ・とびしま海道の隠れた秘島探し!瀬戸内海穴埋め16島めぐり 76回目

2011-11-04 04:30:00 | 33瀬戸内海・広島県・上大崎群島
契島を海から一周するということで、もう少しお付き合いください。








(海からの契島)

目の前に契島の桟橋が見えます。「トイレ」を借りたいといえばと誰かが言いました。今回のチャーター船の会社は、ここと取引があり、強引につけることはできないと断られてしまいました。非常に残念でした。


(目の前に契島の桟橋が)

契島を海から一周して眺めましたが、長崎の軍艦島(端島)の方が大きいように思えました。そのまま船は、竹原へ向かい、本土に上陸しました。


(竹原港へ上陸)
(写真撮影:2011.06)

陸から海からしまなみ・とびしま海道の隠れた秘島探し!瀬戸内海穴埋め16島めぐり 75回目

2011-11-03 04:30:00 | 33瀬戸内海・広島県・上大崎群島
海上に契島が見えてきました。ここで、契島の概要を書きます。契島は、竹原市の南約4kmの瀬戸内海にある小島。島全体が東邦亜鉛(株)契島製錬所の所有地となっている。明治32年に銅の製錬所が建設され、昭和10年には硫酸工場も造られた。戦後は昭和25年に東邦亜鉛によって鉛精錬工場として再出発している。製錬所の建設後、南北2つに分かれていた島を、それぞれの山を崩して1つの島につないだといわれている。島名の由来も2島にちぎられたように見えたからという説がある。現在、北部と南部が居住区で中央には工場が建っている。このため、居住できる人は会社関係者のみで、部外者の立ち入りは会社の許可が必要。夜、島を遠くから眺めると軍艦が浮かんでいるように見え、別名「軍艦島」とも呼ばれている。第2次世界大戦には空爆を受けたこともある。現在、この製錬所の鉛の生産量は東洋一を誇っている。
書かれているように軍艦が浮かんでいるように見えますね。


(海上に契島が)

書かれているように会社の所有している島で、事前に申請して会社の許可が入ります。今回は、申請していなかったようで、渡島することができませんでした。船で一周することになりました。










(海からの契島)
(写真撮影:2011.06)

陸から海からしまなみ・とびしま海道の隠れた秘島探し!瀬戸内海穴埋め16島めぐり 74回目

2011-11-02 04:30:00 | 33瀬戸内海・広島県・上大崎群島
案内頂いた方のお宅は、本当に椎実観音堂の横にありました。ご主人は、契島に勤務されているとのことでした。事前に申請すれば、渡島できたのではないかとも言われていました。


(案内頂いた方のお宅)

椎実観音堂の横に、小さな祠がありました。きれいに花が飾られていました。案内いただいた方が飾られているのでしょうか。


(椎実観音堂の横に、小さな祠)

港の待合室に戻ってきました。裏の海岸線に向かった人も何もなかったといっていました。待合室には、時刻表が貼ってありましたが、日に7便くらいの船が就航していました。


(生野島への船の時刻表)

全員が集まったので、次の島の契島へ向かいました。


(さようなら生野島)

契島へ向かう時に、契島から戻ってくるフェリーに出会いました。海上の視界は少しずつ悪くなってきました。


(契島から戻ってくるフェリーに)

生野島の裏側の海岸線が見えてきました。


(生野島の裏側の海岸線)
(写真撮影:2011.06)

陸から海からしまなみ・とびしま海道の隠れた秘島探し!瀬戸内海穴埋め16島めぐり 73回目

2011-11-01 04:30:00 | 33瀬戸内海・広島県・上大崎群島
まず、生野島の概要を書きます。生野島は、瀬戸内海に浮かぶ島々のほぼ中央、大崎上島の北400mの海上にあり、島全体が自然休養村に指定されている。島内からは、縄文・弥生時代の磨製石斧や土器、横穴式石室などが発見されており、2,000年前にはすでに人が住居していたという。江戸時代には芸州藩の放牧地とされ、馬島とよばれていた。また歌人の種田山頭火もこの島を訪れている。昭和21年に戦後の緊急開拓地の指定を受けて121戸が入植し柑橘栽培が普及した。自然休養村の管理センターには研修設備と食堂があり、町営キャビンビレッジは10棟(5人用8棟、10人用2棟)ある。
島内散策を開始しました。右には、待合室があり、奥には、大きな建物がありました。建物には、「アワビ……」と書かれていました。しかし、作業はしていないようでした。


(島内散策を開始)

舗装された道があり、人家らしきものが見えています。裏の海岸線の「月の浦」へ向かう人と椎実観音堂へ向かう人とがありました。私は、椎実観音堂へ向かうことにしました。


(舗装された道)

私は、分かれ道を右に曲がりました。真っ直ぐに行くと浦の海岸線に出るようです。しかし、山道になり、何の標識もないので、どう行けばよいのか、分からなくなりました。そこに港の待合所におられて方が、帰ってこられましたので、椎実観音堂はどこかと聞いたところ、その方の自宅の隣にあるということで、案内していただくことにしました。細い道を降りて行かれました。ひとりでは、行けるところではありませんでした。


(細い道を降りて)

細い道を降り切ったところにお堂がありました。椎実観音堂です。説明文では、「文化3年(1806)夏に創建され、現在の馬頭観音石像は、安政5年(1858)」に、建物は昭和46年(1971)に再建されたもの。本面のほかに脇面2面の顔をもつ」と書かれていましたが、脇面を確認しませんでした。






(椎実観音堂)
(写真撮影:2011.06)

陸から海からしまなみ・とびしま海道の隠れた秘島探し!瀬戸内海穴埋め16島めぐり 72回目

2011-10-31 04:30:00 | 33瀬戸内海・広島県・上大崎群島
一昨日も見た造船所の横を通って行きました。


(一昨日も見た造船所)

その先にある白水港に着きました。雨は、少し小降りになっていました。


(白水港)

ここから、今日は、チャーター船で島々を渡島します。港には、契島へ行くフェリーが着いていました。この島は、会社の島で、渡島できないということで、後で、島を一周することになっています。フェリーが就航されているのに、何故、渡島できないのでしょうか。


(契島へ行くフェリー)

早速、チャーター船に乗り込みました。今日は、小さな船で、雨が降っているので、後ろの甲板には、出られないとのことでした。


(チャーター船に乗り込み)

説明が聞こえるようにと思い、船長の横に行きました。しかし、狭くて、すし詰め状態で、話し声がよく聞こえませんでした。


(船長の横に)

時間的には、そんなにかからずに、生野島に着き、上陸しました。


(生野島に上陸)
(写真撮影:2011.06)

陸から海からしまなみ・とびしま海道の隠れた秘島探し!瀬戸内海穴埋め16島めぐり 71回目

2011-10-30 04:30:00 | 33瀬戸内海・広島県・上大崎群島
3日目の朝食は、バイキングでした。和洋折衷の適当な食べ方ですね。


(3日目の朝食)

食堂のガラス戸越しに海を見ているとどんどんと海面が見えなくなっていきました。天気が気がかりになってきました。


(どんどんと海面が見えなくなる)

バスで生野島へ渡島する港へ向かいましたが、雨が降り出してきました。


(雨が降り出して)

途中に、3階建の大きな家がありました。どんなことに使われているのでしょうか。


(階建の大きな家)

海縁に小さな神社も見られました。


(海縁に小さな神社)

前方にこれから行く生野島の姿が見えてきました。


(写真撮影:2011.06)

陸から海からしまなみ・とびしま海道の隠れた秘島探し!瀬戸内海穴埋め16島めぐり 70回目

2011-10-29 04:30:00 | 33瀬戸内海・広島県・上大崎群島
島の向こうに入道雲のようなものが見られました。チャーター船は、大崎上島へ近づきました。


(島の向こうに入道雲のようなものが)

大崎上島に上陸しました。ここで、チャーター船とはお別れです。今治に戻って、定期船としての運航になります。


(大崎上島に上陸)

地元のテレビ局のディレクターさんともお別れです。何かヒントが得られたのでしょうか。


(地元のテレビ局のディレクターさんともお別れ)

今夜の宿から迎のバスが来ていました。バスに乗車して、宿泊場所に向かいました。


(見えてきた宿泊場所)

温泉に浸かり、新鮮な魚介類の夕食を美味しく頂きました。




(二日目の夕食)
(写真撮影:2011.06)

陸から海からしまなみ・とびしま海道の隠れた秘島探し!瀬戸内海穴埋め16島めぐり 22回目

2011-09-11 04:30:00 | 33瀬戸内海・広島県・上大崎群島
案内書を読んでいた仲間が、先ほど見た沖合いの岩に何か曰くがあるようだということで、少し戻ることにしました。この岩は、弓張岩と書かれていました。案内板には、「応永年間(1400年ころ)、木江周辺の海域では、海賊が民家や船をたびたび襲っていた。弓の名人として知られた小早川冬平(沖浦葛城主)がこれを撃退した時、弓の弦を岩に固定し、次々と船めがけて矢を放ったと伝えられている。その冬平ゆかりの岩」と書かれていました。


(弓張岩)

注連縄が飾られていました。


(注連縄が飾られた板)

その海岸線に、小さな祠がありました。この岩との関連については、よく分かりません。

(小さな祠)

明石港へ向かう途中に、大きな岩が建物で覆われているものがありました。清水観音です。言い伝えでは、「菅原道真が船で大宰府へ赴く途中、ここに立ち寄り、岩の割れ目から湧き出る清水を飲んだと伝えられている」とありました。




(清水観音)

湧き出る清水を飲んだのは、この穴の中でしょうか。


(湧き出る清水)
(写真撮影:2011.06)