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昭JIJI(アキラジジ)の島旅賛歌*参加

日本全国に有人島が434島ほどある。全島制覇すべく島旅を継続中。

2回目の有人島全島制覇へ向けて 第一回目の島旅 2回目 沖島

2017-03-09 04:30:00 | 18東海・滋賀県
今回の島旅は、新幹線で出向きました。


(新幹線)

新幹線は、ジパングを使うので、「ひかり号」に乗車して、米原に向かいました。


(ひかり号で米原へ)

米原からは在来線で、近江八幡へ向かいました。


(近江八幡へ)

本当は、その日に沖島へ行って、民宿に泊まろうと思いましたが、民宿のサイトを見ると2人からとなっていたので、近江八幡のホテルに宿泊しました。後で、島の知合いに聞くと一人でも宿泊できたと聞いて、残念に思いました。


(近江八幡)

翌日、近江八幡の駅前からバスで堀切港へ向かいました。




(バスで堀切港へ)
(写真撮影:2016.06)

2回目の有人島全島制覇へ向けて 第一回目の島旅 1回目 沖島

2017-03-08 04:30:00 | 18東海・滋賀県
これからはできるだけ、島に宿泊を前提に島旅を続けたいと思っています。
今回は、琵琶湖の沖島、香川県の志々島、讃岐広島へ出向いた時の投稿です。

沖島は、琵琶湖の東岸。近江八幡市宮ヶ浜の沖合2kmに浮かび、湖沼にある島の中では日本で唯一の有人島。保元・平治の乱に破れた近江源氏の落武者が住みついたといわれている。元亀3年(1572)織田信長が浅井長政の小谷城を攻めた時、沖島からも軍船を送って加勢したことから琵琶湖の一里四方を専用漁場として与えられ、漁業の島として栄えてきた。江戸時代からは石材(石英斑岩)の切り出しも盛んに行われた。今でも大半の住民が漁を営むが、近年は島外への勤労者も増え、若い後継者も減ってきている。夏は釣りなどの観光客も多く、民宿もあって湖魚料理が楽しめる。平成14年10月には光ケーブルが敷設され、対岸の市民病院との間で遠隔医療がなされるようになり、目下「沖島21世紀プラン」のもと市と住民が一体となって振興施策が進められている。

志々島は、詫間港の北西5.5Kmの海上にある標高100m余りの島。本村・宮ノ浦・横尾・北浦の4集落がある。山頂まで開墾され、良好な漁場にも恵まれて明治以降漁業も繁栄してきた。しかし高度経済成長に伴い次第に衰退し、200戸1,000人を数えた住民も昭和30年代から激減、今では50人足らずとなった。現在は花き栽培が営まれている。島名は十握剣を納めて神霊島、また京都の紫宸殿に似て紫宸島、また西行法師が行脚の途中でこの島を見て「獅々に似たる島」として獅々島とされたといわれている。

讃岐広島は、丸亀市の北12.5kmの海上にあり、塩飽諸島の中で最大の面積をもつ島。戦国時代の末期、長宗我部氏に敗れむた香川一族と長尾一族の落人が住みついたのが始まりとされ、本島と同じく人名の島でもあった。主要産業は採石業で、島の南西部で古くから花崗岩(青木石)が採掘されている。また、従来の沿岸漁業に加えて、近年フグなどの養殖漁業もなされるようになった。ヤシの木に囲まれた美しい海水浴場も完成し、夏期の休日は多くの海水浴客で賑わっている。

出典:(財)日本離島センター発行の「日本の島ガイド SHIMADAS シマダス」から

渡島した島の人口は、沖島 343人、志々島 24人、讃岐広島 281人
出典:(財)日本離島センター発行の「島々の日本」(2013.11.18)から、H25年住民基本台帳登録から
(写真撮影:2016.06)

琵琶湖の島々(沖島、竹生島、多景島、沖の白石)(その4)

2006-08-23 04:29:12 | 18東海・滋賀県
宿泊した民宿で特別に「フナ鮨」を出してもいましたが、好き嫌いがあり、食べる人とそうでない人がいました。私は美味しく食べました。
フナ鮨は、産卵期の3~5月に漁獲したニゴロブナを塩漬けにし、7~8月に米飯を詰め込んだ後、さらに、重石をのせて漬け込んで、12~1月まで発酵させて、フナ鮨とします。それに使うニゴロブナは琵琶湖のみに生息する特有種のフナです。アミノ酸がアミン酸になり、特有の匂いが出ます。酒の肴として知られており、これを食べるとあまり悪酔いしないと言われています。



(フナ鮨)

訪れた時は、丁度、「塩を洗い流す」時期で、その光景を見ることができました。
最近、フナ鮨は、ニゴロブナの漁獲も減り、大変高価なものになっているようです。


(塩を洗い流す)


(一夜干し)


(重石で本漬け)

琵琶湖の島々(沖島、竹生島、多景島、沖の白石)(その3)

2006-08-22 04:07:14 | 18東海・滋賀県
昨日の高校野球の決勝戦も手に汗握る好試合でしたね。早稲田実が着実に得点し、有利に試合を進めていましたが、さすがに、3連覇を目指す駒大苫小牧は、粘り強く後一歩まで追い込みましたね。斉藤、田中両投手の力投を讃えたいですね。

昨日の続きを投稿します。

多景島は、周囲を断崖絶壁に囲まれ、島内には松や竹が生い茂っていました。


(湖上からの多景島の景観)

題目岩があり、「南無妙法蓮華経」の文字が彫られていました。


(「南無妙法蓮華経」の文字が彫られている「題目岩」)

ひときわ高くそびえる五角柱の塔は、「誓いの御柱」で、大正時代に建てら、それぞれの面に「五ケ条の御誓文」が刻まれていました。


(「五ケ条の御誓文」が刻まれている「誓いの御柱」)

多景島を出発し、少し進むと「沖の白石」と言う岩礁が見えてきました。水面にポッカリ浮かぶ4つの岩で、水鳥が休憩場所として多く集まり、その糞が積もって白くなっていました。


(水鳥の休息場所の沖の白石)




琵琶湖の島々(沖島、竹生島、多景島、沖の白石)(その2)

2006-08-21 04:46:37 | 18東海・滋賀県
今年の夏の甲子園は、凄い試合が多いですね。逆転、逆転の試合があったり、昨日のように、息詰まるような投手戦の試合があったりして、また、ゲームもスピーディーですね。今日の再試合が楽しみです。ただし、一日くらい休養させてあげてもとも思いますが。

昨日の続きを投稿します。

竹生島は、琵琶湖北部にある花崗岩の島です。知名度は抜群で、西国三十三所観音霊場の第30番札所でもある宝厳寺と都久夫須麻(つくぶすま)神社があります。「新緑 竹生島の沈影」として琵琶湖八景のひとつにも数えられています。


(湖上からの竹生島の景観)

船着場から島の中腹の朱色の三重塔に向かって急な階段を登ると弁財天堂があります。
観音堂から都久夫須麻神社へ抜ける舟廊下は、豊臣秀吉が建て替えたといわれています。


(豊臣秀吉が建て替えたといわれている舟廊下)

神社で祈願の素焼きの皿投げをした人もいました。その日は大変暑い日で、港の土産物屋で冷たいものを飲んで、一息入れました。


(門前の土産物屋で一息)

その一方で竹生島では、カワウが大量に繁殖し、湖上を群れになって飛んでおり、琵琶湖のアユなどが激減し、深刻な問題となっているようです。


(湖上を群れをなして飛ぶカワウ)

琵琶湖の島々(沖島、竹生島、多景島、沖の白石)(その1)

2006-08-20 04:59:44 | 18東海・滋賀県
昨日、話しをしました加藤先生の「島の”ハレ”の日シリーズ」から「琵琶湖の沖島と天王祭本宮の渡鹿野島」を何回かに分けて、投稿します。

先ず一回目は、沖島です。淡水湖にある有人島は、世界的にも珍しく、日本では沖島だけで、琵琶湖最大の島です。元は無人島でしたが、保元平治の乱に敗れた源氏の落ち武者が漂着して有人島になったとされいます。湖の東南部にあって、周囲が約7キロ、約150世帯、500人ほどの人が住んでいます。今回は、民宿の湖上荘に泊まりました。


(沖島の集落)

夕食時、テラスから琵琶湖の湖面にキラキラと映えながら対岸の比良山系に沈む夕日も眺められました。


(琵琶湖の湖面に映える夕日)

夕食前に島内を散策し、興津島神社、西福寺などを見物しました。西福寺には珍しい「幽霊の掛け軸」がありました。


(西福寺の「幽霊の掛け軸」)

夕食に出された稚鮎の佃煮は美味しく、お土産に買って帰りましたが、家族にも好評でした。
その稚鮎の獲り方も独特な形の船を使って獲られています。


(稚鮎を獲るための独特な形の船)

翌朝、島内をもう一度散策しましたが、懐かしい路地の風景がいくつもあり、湖面からの涼しい風が通っていました。また、中学生が対岸の近江八幡へ通学するためのスクールボート「わかば丸」が小学校前の湖面に係留されていました。