長州に棲む日日

[PC推奨]直参と萩藩士の子孫で長州在、でも幕府海軍・箱館海軍松岡磐吉大好き。
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萩オフ会8 石ばっかり見る夏の朝w

2010年08月23日 | ★幕末維新の長州
8月15日の朝が明けた。
っつか、あと1時間は寝ててもいいのに目が覚めて損した気分~。
やることないので、ツイッターみたいなヤツに書き込んだら、4分前にきーこさんも書き込んでた。起きてたのか、とネットで知る私w

昨日も碑だの桂さんちだのから、みんなつぶやきまくってたもんなw


はー、今日もカンカン照り!
朝ごはんは各自、昨日買っておいたコンビにおにぎりとかサラダとかパンです!
近くの喫茶店で幕末パン(幕末の製法で作ったパン。それって中嶋治平!?)のメニューがあるので行きたかったんですが、11時開店じゃあなあ…ってことであきらめました~


チェックアウトして、松本方面へ…行く前に、長寿寺へ。
きーこさんが、入江九一の、みんかさんが河上弥市の墓参りしたいって言うので。



宿で聞いたら「長寿寺さん、駐車場ないし…その前に、あのへんの道は軽自動車じゃないと曲がれませんよ」だと。
行ってみたら、そこまでは狭くなかったと思うけどw


ここには、九一と河上弥市の墓があります。
(それさっき言うた)



この看板、昭和3年のものなんだろうか…。えええっ
ところで佐久間さんって知らないんですが…ごめんなさい。



入江九一墓。



同じ形の墓が5基並んでて、一族のようですが、立派だ!しかも九一、センターです。
お酒を買って行ってたので、きーこさんに供えてもらいました。
きーこさんはお寺の向かいの花屋で花も買って来た。
お盆だしねー。ナムナム(-人-)


ここの墓地、ものすごく古いお墓が多くて感動しました
普通、墓地というのは、使用料を払う人がいなくなったり連絡が取れなくなったりすると「無縁墓」として整理されてしまいます。
それがされてないってことは、そのお墓はまだ面倒を見ている子孫がいるってことなんですよね。
その場合、今度は別の問題が。
昔のように「一人に一基」のお墓では場所も食うので、たいてい一掃して新しいのをひとつ建てて「先祖代々の墓」にしちゃうんです。
だから、「古いお墓」というのは少ないんです。

でもここのお寺のお墓、7割か8割が江戸時代のものでした。
自然石のお墓も多くて、ツボにはまった…。
いい墓地じゃなあ~。(墓地好きw)



河上弥市のお墓の方は、なぜか墓地ではなく境内に一つだけ、しかも神式で建ってます。
遺体を葬った墓ではなくて、招魂墓と思うんですが、何で寺…





その横には大きな碑があって、弥市のことが書かれてます。
あっ、高杉春風の名前が。




碑文を書いたのは”伯爵”山田顕義(市ィ)ですが、市ィと弥市は、またイトコの関係だったかと。





んでまた車に乗って松本方面へ向かい…またまた途中下車。

松本川を渡れば品川弥二郎誕生地(詳しくはこちら、「山田市ィと品川ヤジ」 )なんかがあって、まもなく松陰神社、松下村塾なんですが、下車したのは川を渡るちょっと手前です。


入江九一・野村靖兄弟誕生地。



道、せまっっっ
碑の文字、薄っっっ


そして、細い道を挟んだ斜め向かいが、周布政之助のおうち跡。
ほんとにご町内、ご近所もいいところ。
周布さんもあまり家格の高くない家の生まれですが、入江とどうだっけ?



この碑の写真は、たいてい正面から写してあるんですが、向こう側に古い武家屋敷が残ってて良い風情だったので、こんな角度で撮ってみました
ちょっと昔の雰囲気が偲べます。


とかやってるうちに、はや正午。
麺類が食いたいという話が持ち上がり、とっとと松陰神社へ移動することになりました。
(松陰神社=だんごとうどんとソフトクリームを食う場所、という認識w)





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