長州に棲む日日

[PC推奨]直参と萩藩士の子孫で長州在、でも幕府海軍・箱館海軍松岡磐吉大好き。
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萩オフ会6 清風&弥市門。弥市はなんの売人だっw

2010年08月22日 | ★幕末維新の長州
久坂家(玄機誕生時代時代の)から4~50m。
お近くにお越しの節はぜひお立ち寄り下さい的な距離にある、村田清風先生別宅あとにも、ちょっと足をのばしました。



母屋は老朽化で取り壊されてしまいましたが、長屋門だけが残ってます。
もともと別の藩士の家だったのを買ったそうだ。
屋敷を売っちゃう藩士って、どういう事情なんでしょうね?
なんかそっちが気になったりしてな。





武家屋敷だなあー。いいよねえ。

清風さんの本当の家は現在の長門市にあり、萩城下からはちょっと通える距離ではありません。
長門の方も記念館があるんで、秋あたり行きたいなーと思ってます。
(実は周布さん関連のものもそこにあるらしいんで)





ついでなので、長屋門を裏から見たところ(笑)
中は自由に入れて、というか、公園になってて滑り台があった…。
滑り台ってww





↑碑もありますねんで。




そして再び松陰先生号(単なるレンタカー、冷房の風が済生会病院と同じ匂いw)で、ちょこっと金谷って地区へ。
河上弥市んちの門を見たいというリクエストにお応えだっ。

河上弥市は、高杉のあとを継いだ奇兵隊総督、といってもその頃20歳かそこら。
生野義挙で自刃したのが21歳。
高杉晋作は彼のことを
「まー俺も知り合いはめっちゃ多いけど、俺のことをようわかってくれるのは、土佐の吉村寅太郎と、ウチの河上じゃった。どっちも死んだけどな(´;ω;`)」
とか書き残してます。

けっこう入り組んだ、昔からの住宅地で、事前にプリントしておいたgoogle mapを片手に「こっちだよ、たぶん・・きっと・・・もしかしたら」って自信ねえ~w

でもあったw
(ここ、市の説明板がない~。みんかさんは、以前はあったような気がすると言ってた)



どうも、一部は修復されている感じでしたが、門が残ってます。
中のお宅は今も河上さん。
ちょっとうれしい。


某みんかさんが「市ィ(山田市之丞(顕義))、絶対ここ何回も通ってるから…ここ踏んだ、ここ踏んだ~」とコワれた。



けっこう高さあるじゃないですか。
市ィはまたげなくて、踏んで通ったんですかw
2.3回は、しゃべりながら急いで通ろうとして、けっつまずいてコケてたりしてw
「弥市んち、バリアフリーにしてよっ!」とか言ってそう(言いません。)・・・


弥市んちから角を曲がったところで、そのへんのばあちゃんに話しかけられた。
「あなたらー、どけぇ行っちゃったかね?」
「(近所の人なら知ってると思って)河上弥市さんの家ちゅーのがありましょう?門が残っちょる、あの門を見学に来ましたいね」
「河上さん?」
「ハイ、河上さんです、そこ曲がったとこの」
「・・・・河上さんちゃあ、何を売って人?」

なんも売ってませんッッッ!!!wwww
最強だな、ばあちゃん。

そしてつられて、死ぬほど昔風のベタな長州弁をしゃべってしまう私だった。



さー、またいったん帰って、飯食いにいくべ!




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