ほんとはここで、高杉晋作の庵あとの碑とかも見てるんですが、これはそのうち別項で。
で。萩最後の訪問地、顕義園(けんぎえん)へ向かう
これまで3回か?行こうとして行き着いたことがない私…
今回は山田ラー(意味不明)の、みんかさんがいるから大丈夫だッ
団子岩の墓地から坂をガーッ下りて、毛利家菩提寺東光寺前を通って、ちっこい看板を見逃さずに狭い道にコキッと曲がらんといかんのだった。
・・あれはわからんわーー
毎度見逃してました。
顕義園は、山田顕義(あきよし)誕生地を整備した小さい公園です。

山田の幕末の名前は市之丞(いちのじょう)。
長州的な呼び名の崩し方で、通称は「市ィ」です。
城下からそーとー離れたここに生まれ育ち(あんまり育ってないけど。身長151cmだし
)、松下村塾に通い、八一八政変時には七卿落ちに同行。
(なのにドラマではそこにいるのは必ず久坂玄瑞だけであるというお約束が…w でも山田、実は兵庫かどっかから引返して潜伏したらしい)
大田絵堂の戦いあたりから名前がよく出てくるようになります。
大村益次郎(村田蔵六)が山口でやってた「三兵塾」っていう兵学塾では、塾頭的な役をしていたみたいです。
禁門の変にも参加し、なんとか無事に落ち延び、四境戦争(第二次長州征伐)では、なりゆきで高杉晋作率いる奇襲船に乗ってしまい、やったこともないのに砲兵隊長にされw
諸隊の中でも大きな御楯隊(みたてたい)、のちに合併して整武隊を率いました。
指揮官として鳥羽伏見から箱館戦争まで戦ってます
(なのに五稜郭ネタの小説やドラマで全然出てこねーー、と、みんかさん暴れるw)
ええ、あの土方歳三率いる旧幕軍と、二股口でですね…トシちゃん完勝でしたが
けっこう歴戦なんですが、よく無事だったなあ。
やっぱ的が小さいから当たりにくいのか。
明治後、陸軍人となってたけど、その後は日本大学作ったり、國學院作ったり、法律を整備したりの方へ。
生野銀山視察中、「脳溢血で失神し、穴に落ちて即死」ってことになってるけど、突き落とされた説もあるらしい。
享年49。伯爵、正二位。
以上、違ってたらみんかさんが訂正します(こら)。
顕義園は、1979年に日大が土地を買い取って作ったそうで、狭いけど立体的で品のいい緑地になってます。
入口は土塀で、瓦が↓「日」「本」「大」「学」っっっw

きーこさん発見
日大、無駄に頑張っちょるのう。
実物より確実に全体がでかく、確実に頭身が小さい全身像。

でも山田って、身体ちっちぇーーわりにわりとバランスいいんですよね。
ってことは、頭もちっちぇーのか。
小柄で童顔な山田、明治になってヨーロッパ行った時、「日本では子どもが軍人になるのか」と驚かれたらしい(みんか某談)。
山田写真は、だいたいいつも困ってる。
銅像もやっぱり困ってた。

角度を変えてみた。

やっぱり困ってた。
道の駅萩往還の山田像と結びつかん…。
しかもものすごい緑度高い。
それにしてもきれいな公園で、日大頑張ってます。
でもタオル濡らそうとしたら、水道が出なかった。
「山田、水道代払えよ~」
と、毎度くだらないことを言うわしら
そして、これが一部で話題(このへんの一部だ)の、超絶技巧山田家家紋。
萩焼で作って、塀に貼り付けてあるみたいです。

笹竜胆の変形?かなりの珍紋でしょう。
近くのお宅の塀にも、見かけない紋がついてて
「かつてこのあたりで、珍家紋作成コンペがあったに違いない」
とか。どーして必ずくだらん話になるんだ…。
だれのせい?は?誰のせいなのっ? わし?(違いますっ)
いやーーーしかし、ついに顕義園来れたわー。
よかったああ~
ありがと、みんかさん
時計見たらまだ2時半でしたが、皆さん「涼しい車に乗りたいオーラ」全力で発動
松陰神社のとこのローソンで買出ししてから、山口まで戻ることに決定です。
幕末維新バナーを押してもらえると、励んじゃうよっと。
にほんブログ村
トップページ上、ピンクの「山口blog」の方もお願いします。
で。萩最後の訪問地、顕義園(けんぎえん)へ向かう

これまで3回か?行こうとして行き着いたことがない私…

今回は山田ラー(意味不明)の、みんかさんがいるから大丈夫だッ

団子岩の墓地から坂をガーッ下りて、毛利家菩提寺東光寺前を通って、ちっこい看板を見逃さずに狭い道にコキッと曲がらんといかんのだった。
・・あれはわからんわーー

毎度見逃してました。
顕義園は、山田顕義(あきよし)誕生地を整備した小さい公園です。

山田の幕末の名前は市之丞(いちのじょう)。
長州的な呼び名の崩し方で、通称は「市ィ」です。
城下からそーとー離れたここに生まれ育ち(あんまり育ってないけど。身長151cmだし

(なのにドラマではそこにいるのは必ず久坂玄瑞だけであるというお約束が…w でも山田、実は兵庫かどっかから引返して潜伏したらしい)
大田絵堂の戦いあたりから名前がよく出てくるようになります。
大村益次郎(村田蔵六)が山口でやってた「三兵塾」っていう兵学塾では、塾頭的な役をしていたみたいです。
禁門の変にも参加し、なんとか無事に落ち延び、四境戦争(第二次長州征伐)では、なりゆきで高杉晋作率いる奇襲船に乗ってしまい、やったこともないのに砲兵隊長にされw
諸隊の中でも大きな御楯隊(みたてたい)、のちに合併して整武隊を率いました。
指揮官として鳥羽伏見から箱館戦争まで戦ってます

(なのに五稜郭ネタの小説やドラマで全然出てこねーー、と、みんかさん暴れるw)
ええ、あの土方歳三率いる旧幕軍と、二股口でですね…トシちゃん完勝でしたが

けっこう歴戦なんですが、よく無事だったなあ。
やっぱ的が小さいから当たりにくいのか。
明治後、陸軍人となってたけど、その後は日本大学作ったり、國學院作ったり、法律を整備したりの方へ。
生野銀山視察中、「脳溢血で失神し、穴に落ちて即死」ってことになってるけど、突き落とされた説もあるらしい。
享年49。伯爵、正二位。
以上、違ってたらみんかさんが訂正します(こら)。
顕義園は、1979年に日大が土地を買い取って作ったそうで、狭いけど立体的で品のいい緑地になってます。
入口は土塀で、瓦が↓「日」「本」「大」「学」っっっw

きーこさん発見

実物より確実に全体がでかく、確実に頭身が小さい全身像。

でも山田って、身体ちっちぇーーわりにわりとバランスいいんですよね。
ってことは、頭もちっちぇーのか。
小柄で童顔な山田、明治になってヨーロッパ行った時、「日本では子どもが軍人になるのか」と驚かれたらしい(みんか某談)。
山田写真は、だいたいいつも困ってる。
銅像もやっぱり困ってた。

角度を変えてみた。

やっぱり困ってた。
道の駅萩往還の山田像と結びつかん…。
しかもものすごい緑度高い。
それにしてもきれいな公園で、日大頑張ってます。
でもタオル濡らそうとしたら、水道が出なかった。
「山田、水道代払えよ~」
と、毎度くだらないことを言うわしら

そして、これが一部で話題(このへんの一部だ)の、超絶技巧山田家家紋。
萩焼で作って、塀に貼り付けてあるみたいです。

笹竜胆の変形?かなりの珍紋でしょう。
近くのお宅の塀にも、見かけない紋がついてて
「かつてこのあたりで、珍家紋作成コンペがあったに違いない」
とか。どーして必ずくだらん話になるんだ…。
だれのせい?は?誰のせいなのっ? わし?(違いますっ)
いやーーーしかし、ついに顕義園来れたわー。
よかったああ~

ありがと、みんかさん

時計見たらまだ2時半でしたが、皆さん「涼しい車に乗りたいオーラ」全力で発動

松陰神社のとこのローソンで買出ししてから、山口まで戻ることに決定です。
幕末維新バナーを押してもらえると、励んじゃうよっと。

トップページ上、ピンクの「山口blog」の方もお願いします。
たしかに、いろんな要素を組み合わせたような
複雑な家紋ですねぇ~。
家紋の名称も凄いことになりそうですね。
夏休みを満喫されたようで。
もう夏も終わりですねぇ~。
的が小さいから弾に当りにくいってトコも合ってます(笑)
小さくて見つかりにくいので指揮官のクセに偵察にも出ちゃいます。
完全に前線指揮官向きな山田デス。
山田はどうしていつも困った顔してんでしょうね…笑えばカワイ(以下略)
文句は全くないですけど、すごい緑(笑)
家紋はあの有名なちゃいろい海外ブランド、ルイ●トンに使われてそう。なんかおしゃれ~。