長州に棲む日日

[PC推奨]直参と萩藩士の子孫で長州在、でも幕府海軍・箱館海軍松岡磐吉大好き。
★最初に【まず必読】をご覧下さい

萩オフ会12 萩往還を踏みしめる(20mくらいw)

2010年08月30日 | ★幕末維新の長州
さて、松陰先生号は萩を出ました。

そういやー、萩には「松陰先生」と「晋作くん」という名前の循環バスが走ってるんですが、先生には全く会わず、晋作にばかり8回くらい遭遇してしまった。
しかも一度など、晋作が曲がったので、なにげについて曲がったら信号赤だったし
やっぱ、安易に晋作についてくと、命がいくつあっても足りんということがわかりました。
(なら松陰先生ならいいのか?ってよけいアブネーw)


さて。
昨日来る時は、小郡から大田絵堂を経由したので、帰りは萩往還沿いの国道262号で帰ることになりました。
なりましたっつか、運転手の私の一存ですがw


もう何度も何度もブログに登場している「萩往還」。
防府に築城することを、徳川に許可されなかったどころか、不便な日本海側の萩に作れと言われた毛利氏が、萩と防府を結ぶ道(大半は山越え道!)を整備したのが萩往還です。
あの人もアノヒトも間違いなく、何度も踏みしめた道です。
重要な手紙も、たいへんなニュースも運ばれた、歴史の道です。

車道である国道262号は、ほぼこの萩往還に沿って作られていて、途中山の中では何度も何度も国道と萩往還がクロスします。
クロス地点には看板が立ってます。

その中の一つで車を停め、ちょっとだけ古道を歩いてみました!



ま、歩いたのは限定20mくらいだが。

「けっこう急な坂なんだ!」
久坂とか、さっさっと歩いてそうだよね」
山田は転がったほうが早いよね」
とか言いつつ。


道ってのは消耗品というか道具みたいなものというか、需要にあわせて新しいモノが作られると、古い道は見捨てられてしまいます。
特に現代では、車が通れない幹線道路には何の利用価値もありません。
山の中の萩往還も、草木が繁り、石畳は埋もれ、通れない廃道になってました。

でも、整備された!
私の体力じゃ歩けないけど、ちゃんと貫通してます。
嬉しいことです。

そして山の中だけに、景色が昔とあまり変わってないだろうというのも嬉しいです。

萩往還は、萩と山口の間の山が最も難所で、最高の標高は確か約500m。
そこからどんどん下って、家が現れ、ダムをすぎ、平地になったら、気持ち的には「あー山口ついた~」って感じです。

時間があるので、菜香亭(さいこうてい)に寄ることにしました。

ちなみに、このあたりに「内藤昶寓居」と「内藤昶誕生の地」があるんですが、碑が建ってないのでわかりませんww




幕末維新バナーを押してもらえると、励んじゃうよっと。
にほんブログ村 歴史ブログ 幕末・明治維新へ
にほんブログ村
トップページ上、ピンクの「山口blog」の方もお願いします。
コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 萩オフ会11 秘境(そうか?... | トップ | 萩オフ会13 帰着&オプショ... »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
はじめまして (ポチ)
2010-08-31 13:30:59
いつもブログ楽しみにしてます。萩往還は
中高生の鍛錬コースに県内ではよく使われます。私も中2の春鍛錬に山口瑠璃光寺スタートしましたが この道を彼も彼もと堪能できたのもつかの間。険しい山道にリタイアしそうに・・・。今は整備されていますのでいつか高校生並みに防府から萩まででもどうぞ。時々自衛隊に遭遇するかもしれません。
返信する
まさに!! (きーこ)
2010-08-31 22:44:17
ポチさんのコメント通りの鍛錬だったわけですね・・・・わたしw
あんまり覚えてないけどもw
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。