朱の徒然

変形性股関節症の76歳

映画「この道」・・北原白秋の生涯

2019年01月15日 | 日記

 今年初の映画「この道」。柳川の北原白秋って、どんな人なの?との好奇心と童謡が歌える!という楽しみで出かけました。

                 

 ああー残念、B級映画でした!

 いったい誰を対象にした映画を作ったの?   縁側での人妻との腐った導入部で、小学生には見せられないな と思い、三人の妻との生活を薄汚く見せるつもり?  ならば、日本の子供達に好まれてきた無垢な童謡の数々が、けがされる感じだね…と心配しました。

 映画は、白秋(1885(明18)~1942(昭17)57歳の死)と山田耕筰(1886~1965 79歳の死)の友情の話でした。最初っから、友情を前面にすれば良かったのにー。

 鈴木三重吉(1882(明15)~1936(昭11)54歳の死。1918(大7)に童揺本「赤い鳥」創刊なので、日本の童謡は100年)や、与謝野夫妻・特に晶子(明11~昭17で64歳の死)との友情は? 晶子役の羽田美智子さん 綺麗ねー。 へー、晶子と、そんなに親しかったんだーと、観ました。

 映画の後半で、戦時色が強まる中、各地の校歌や社歌を作ることに白秋がイラつく場面がありましたが、N新聞の昨年末「白秋ぶらり旅」連載で、三菱長崎造船所の社歌謝礼が、山田耕作と白秋がそれぞれ1000万円以上だったと書いてありました・・・白秋は、すっごい金持ちだったんでしょうねー。

 昭和11年に治安維持法が出来、戦争の暗い影が・・・、昭和13年には、糖尿病で盲目になった白秋のもとにやってきた耕作と二人で「夕焼け小焼け」を歌うんですが、

「夕焼け小焼けで日が暮れて山のお寺の鐘が鳴る」は、1923年の関東大震災の1か月前に作られた若干26歳の作詞・中村雨紅 作曲・草川信。

映画の中で歌ったのは、「夕焼け小焼けの 赤とんぼ 負われてみたのは いつの日か」作詞・三木露風 作曲・山田耕作。1921年の作。

     夕映えの中で、笑いながら(深い意味が?)二人で歌っていたねー。  子供のような大人のような白秋。日本一の詩人です。

 この映画の中で、一番感心したのが、子役の1歳か2歳の男の子。

              目線でうなづいて、食べて 演技する姿に  感心しました。スゴイ!

 また、大森南朋、AKIRAも適役でしたが、何でAKIRAの老後が別人なの?申し訳ないけど違和感がありました。GI役の方、ゴメンね。

 

 2017年4月の新聞の『読書館』で、福岡大学教授の國生 雅子が「北原白秋 言葉の魔術師」今野真二(清泉女子大教授)を推薦。

 白秋の生涯の入門書としては最適と書かれてましたが、思考力、表現力が欠如した知識偏重で、学者って アカン下手。脚本家も アカン下手。  もっと、もっと 庶民には、幻想でも嘘でも何でも いいから 美しく楽しませんかい! 映画も歌も学問も娯楽だよ!

 映画館の椅子の色がステキ。観客が少なすぎだね。

 例えば、「この道」は、札幌の時計台をいつ見て書いたの?馬車に乗ってって?  私は幼心に馬車の姿を、西洋風の馬車を思い描いていたけど、母親の実家の南関町から柳川までだとすると、どんな馬車だったの?  とか、人に、夢や知識を広げる映画だったり、学問であってほしいね。気楽に学びたいんだよ。

 映画の中では、作詞・北原白秋と作曲・山田耕作の唄を 沢山歌ってほしかったわ! リアルは要らない!

     ◎この道

 この道は いつか来た道、    ああ、さうだよ、あかしやの花が咲いてる。

 あの丘は いつか見た丘、    ああ、さうだよ、ほら、白い時計台だよ。

 この道は いつか来た道、    ああ、さうだよ、母さんと馬車で行ったよ。(ここはお母様と‥だよね)

 あの雲も いつか見た雲、    ああ、さうだよ、山査子の枝も垂れてる。   (大15年 「赤い鳥」にて)

 

 アクロスの昭和の懐かしい子供達。

 

  

家の中で、少しずつの変化は、やっぱりお花のアレンジから・・・。ちと寒くなったので、夜は、あんこう鍋にしたね。

 

コメント
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