朱の徒然

変形性股関節症の76歳

進路を決めるって、人生を決めることだったのね。

2019年09月01日 | 日記

 60年以上前の、中学3年の時、日頃は主張しない母が言いました。

 「高校には行かずに、洋裁学校はどお?」と、どうやら本気のようで、「○○さんのお姉さんもドレメに行って、お母さんに洋服とか作ってあげてるらしいよ」と言ったので、びっくり!  私、中学は、学力優等生。漠然とですが 当然、大学も念頭に入っていました。

 この時が、(あー、母は、世の中が分かってない、何も相談できない)と思った 一番の大きな母との出来事でした。

 あの時代は、大学に行く女よりも、手に職のある女のほうが 母たち世代には、良き人生と映っていたんでしょうね。

 5人姉妹の中で、一人は看護師、一人は教師になったので、母の願いは一応 叶えられたのね・・・。良かったね。母さん!

 今、テイラの服を作ってあげたい・・・と思う時、あの時の母との会話を思い出します。もしも、洋裁師になっていたら、スイスイと作ってあげてたんだろうね・・・と。ただし、当時は、この私が針と糸を持つなんて バカな・・・・結婚するまで考えられないことでした。

 でも、結婚したら 縫物をしたいという静かな気分になって、娘とお揃いのゴム入りの簡単スカートとか 色々と我流で楽しみましたね。今でも、洋裁の初歩でも習っていたらと、思いますよ。母さんの言うことを聞いていたら・・・。結局、高校でも大学でも、これといって役に立つ有意義なものは何も学ばなかった。洋裁なら、もっと私の個性が出せたかも?って思いますね。

 今でも 我が娘が、小物を作ってる姿や、イラストなどの上手さを見ると(親バカですが)、40歳過ぎてもやってるってことは、好きだからだよね。もっと、もっと、芸術学部なんかを勧めればよかった・・・などと母は後悔してますよ。 十代って、本人も周りも特別に好きなものが、分からないものねー。磨いたらよかったね、その能力を・・・。才能あったと思うよ。

 BAのブラウスをリフォームして、ドレスにしましたが・・。

 ネックレスは、娘からの20年前の誕生祝。まだ、あの頃は、独身だったね。

 いつから、カエル好きになったんだろう?

雨が続くと、家の中から花を見て過ごします。

 この方のブログのファンですが、本は私には無理、5ページまでしか・・。ゴメンナサイ。

 

 

コメント
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