近所のお寺で毎月座禅の会が開かれている。今のオフィスに戻ってすぐそのことを知るに至り、ずっと行きたいとおもっていたもののなかなか機会がなく、この程3年越しの念願かなってその会に参加することができた。
時間は夜7時から。初心者は6時半に集まってくださいとのこと。直前になって一緒に行くことになっていた友人から、間に合わないとの連絡。どうしたものかと思ったが、ぜひ先に行ってくれとのことだったので、気乗りはしなかったがオフィスを後にした。
自分を含めて初心者たちが6時半からひととおり作法についての説明を受けて禅堂から出てくると、はたしてその友人はまさに受付で交渉中だった。
お坊さんは口を尖らせて怒っている。初心者のくせに遅れて来て、それでもやってみようというのを不愉快に思っているのが、顔に出ている。どうしようかなぁと思ったけれど...
30分とはいえ賞味15分程度の講義だったし、、かなりゆっくりわかりやすく説明されたので、内容は大したことはない。彼女の頭の良さ(=理解力)を考えれば、これから始まるまでの5分でだいたい説明しきれるな...
と思い、「私が説明してはいけませんか?」
と余計な一言を言ってしまった。
「あなたも初心者なのに、何が説明できるんですか!!!!!!」
はい、確かにあなたの言うとおりです。浅はかでした。そうですよね、ほんの15分とはいえ、その裏側に脈々と広がる深~い禅の世界を私はまったくわかっておりません。申し訳ございません...
それにしても残念に思ったのは、その講義もどちらかというと禅の意義とか気持ちとかではなく、作法・振る舞いに終始していたこと。そして何よりも、お坊さんが怒っていたこと。どうして、微笑を湛えながら、慈悲に満ちた表情で
「あなたはこれから座禅を組む準備ができていませんね。だから残念だけど今日はお帰りください。また来月の機会にぜひ来てください」とか
「忙しい中でもよく来てくださいましたね。座禅は気持ちでするものです。まわりの真似をしながらやってみてください。でも来月は必ず講義を受けてくださいね」
とか言えないものか。始める前にいきなり怒られたら、とても心穏やかなではなくなってしまい、座禅もへったくれもあったもんじゃない。
もちろん、そんな生半可な気持ちで禅に向かうこと事態非難されるべきことなのかも知れないが、広く一般に普及を目指し、それを人の救いとしようという雰囲気からは程遠い。
彼女は懲りずにぜひもう一度行こうというけれど、僕は行かない(と思う)。僕には神道の方が性に合っている。神職の目線は一般人のそれにかなり近い。少なくとも表面上は威張っていないように見える。
いずれにしても、彼女のお陰で僕の極楽浄土は相当遠のいた(笑)。相当な貸しができたと認識している。しばらくネタにしてやる!っとゲラゲラ笑いながら寺を後にした。
いやぁ、終わってみたら、ほんと可笑しかった。