赤毛のアンちゃん

赤毛の柴犬アンちゃんは2014年11月、14年5カ月の生涯を閉じました。『決してリードは放しま宣言』発信中のブログです♪

65年目の夏―ヒロシマ

2010-08-06 13:15:02 | 祈念日


2010年8月6日
あの日から、65回目の原爆の日を迎えました。

世界中から戦争と核兵器がなくなる日が来ることを
祈念し黙祷を捧げます。

広島弁で核廃絶訴え「あっちゃいけん」
原爆忌、犠牲26万9446人
8月6日10時18分配信 産経新聞

被爆地・広島は6日、65回目の「原爆の日」を迎えた。
爆心地近くの平和記念公園(広島市中区)では「
原爆死没者慰霊式・平和祈念式」(平和記念式典)が営まれ、
菅直人首相や被爆者、遺族ら約5万5千人(市発表)が
犠牲者の冥福を祈った。
今年は国連事務総長として初めて潘基文事務総長が参列したほか、
原爆を投下したアメリカの代表としてルース駐日大使や
核保有国の英仏の代表が初めて出席。
秋葉忠利市長は平和宣言で「地獄の苦悩を乗り越え、
被爆者が発してきたメッセージは世界の行く手を照らしている」と述べ、
核兵器廃絶の一日も早い実現を訴えた。

■核保有・米英仏も初出席、菅首相「非核三原則を堅持」

式典では、この1年間に死亡が確認された広島での被爆者5501人分の
死没者名簿を、秋葉市長と遺族代表が原爆慰霊碑に奉納。
記帳開始の昭和27年以降、
名簿に記された死没者は26万9446人となった。

この後、被爆者代表や菅首相、遺族代表らが慰霊碑に献花。
原爆投下時刻の午前8時15分に「平和の鐘」が打ち鳴らされ、
参列者全員が黙祷(もくとう)した。

秋葉市長は平和宣言で初めて広島弁の表現を用い、
「こがなあいびせえこたあ、ほかの誰にもあっちゃいけん
(こんな恐ろしいことは、ほかの誰にも起きてはいけない)」と
被爆者の願いを代弁。
また、今年5月の核拡散防止条約(NPT)再検討会議で、
最終文書に「核兵器禁止条約を含め新たな法的枠組みの必要性」が
盛り込まれたことを評価。
日本政府が「非核三原則の法制化」や「核の傘からの離脱」を果たし、
「核兵器廃絶に向けて先頭に立つ」よう求めた。

一方、就任後、初めて参列した菅首相は
「非核三原則を堅持すること」を誓う、とした上で、
政府として「具体的な核軍縮・不拡散の措置を積極的に提案し、
国際社会の合意形成に貢献していく決意」と述べた。
また、あいさつの際に潘事務総長は「核兵器が存在する限り、
私たちは核の影に怯えながら暮らすことになる」と述べ、
核実験禁止など核軍縮に向けた交渉を進める必要性を強調した。

広島市の子供代表による「平和への誓い」では、
いずれも小学6年の高松樹南さん(12)と横林和宏君(12)が
「ヒロシマの願いを世界へ、未来へ、伝えていくことを誓います」と
読み上げた。

各国代表は、昨年より15カ国多い過去最多の74カ国の大使らが出席した。
初出席は核保有国の米英仏など17カ国。
同じ核保有国のロシアは11年連続で参列したが、
中国は2年連続で欠席した。

広島市によると、全国の被爆者数は今年3月末時点で22万7565人で、
前年より8004人減少。
平均年齢も76.3歳と、0.4歳高齢化している。

平和宣言



2007年8月に綴った追悼の旅の記録です。
ぜひもう一度ごらんください。


(2007年撮影)

特集●62年目の夏
特集●62年目の夏[1]ヒロシマへ
特集●62年目の夏[2] この地に立って その1
特集●62年目の夏[3] この地に立って その2
特集●62年目の夏[4] この地に立って その3
特集●62年目の夏[5] ヒロシマからナガサキへ
特集●62年目の夏[最終回] 平和への礎



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