徒然なるまままに

展覧会の感想や旅先のことを書いてます。

Los Angels空港とSt.Diego空港

2006-11-18 | Weblog
ロスLos Angels経由でSt.Diegoに行ってきました。

ロス空港は、すごい混雑ですね。だいたい国際線のターミナルは、ゲート間の間隔がつまっているのでしょうか。ゲートに到着する際に、飛行機が自力で到着できず、最後牽引していました。A380が日本に来日していましたが、ロスの空港にはだいたい到着できるのでしょうか?入国のパスポートコントロールも30分ぐらいかかりますし、すこしパンクしていますね。

ロスからサンディエゴは、コミュータ機です。プロペラ機で1時間弱。

そして、帰国の17日です。前夜から霧がでているなあとと気づいてはいたのですが、当日空港に到着すると、霧ですべてキャンセル。まあプロペラ機で有視界飛行ということでしょうか?8:25発の飛行機に乗るのに、6時過ぎには到着していたのですが、まあ大混乱です。朝一番のフライトの人は、ロスの空港までシャトルバスの代替輸送に変更とか言う状況。
でも、私のフライトは8時25分。とにかくとりあえず待て。8時過ぎには、霧も晴れてきて、漸く空港再開。しかし、もともと SAN DIEGO 8:25- LAX(Los Angeles) 9:20の予定だったのに、
1.飛行場が再開されてもロスから飛行機が到着しなくて、搭乗したのが 約45分遅れの9:15ごろ
2.離陸待ちの飛行機がならんで、離陸したのは、さらに約35分遅れの 9:50分頃
3.空は定時に飛んで ロス空港に10:40頃到着
4.しかし、ロス空港は、コミュータ機はサテライトターミナルに到着。メインのターミナルに移動のバスが、滑走路が混んでいて途中で立ち往生、全く進まない。滑走路横の道は、飛行機優先。そんなわけで25分ぐらいもバスの中で立ちっぱなし。
5.さらに、ターミナル4から国際線のターミナルBにほとんど駆けて5分程度移動。(行きと同じ経路でなければ、空港の中で迷っていました。)
6.国際線のチェックインを11:10ごろして、JL成田行きは、11:25搭乗開始といわれて、いきなりセキュリティチェックに10分強ぐらいならんで、でもJL自体の搭乗開始が遅れて、12:00頃搭乗開始。

霧で飛行機をサンデイェゴ空港で待っているのも疲れましたが、離陸待ち、メインターミナルへのバス移動が時間がかかったのには、もっと疲れました。
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浦上玉堂展(前期) 千葉市美術館

2006-11-12 | 美術
浦上玉堂展(前期)
2006年11月3日~12月3日
千葉市美術館

浦上玉堂の展覧会としては、1970年に東京において日本経済新聞社主催による「浦上玉堂名作展」が、1995年に林原美術館において「生誕250年記念 浦上玉堂」がありました。本展は、それらの成果をふまえ、近年の新出作品などを大幅に加えた過去最大規模の展覧会となる予定です。玉堂の書画作品は、国宝・重要文化財のすべて(計13点)が出品される、初めての機会となります。

という謳い文句があると、浦上玉堂について理解するよい機会ということで千葉市美術館は遠いなあと思いながらも、まず前期に行ってきました。 正確には第1期(11/12まで)。第2期(-11/19)は第1期と同じ内容。第3期(11/21-26)と第4期(11/27-12/3)は、後期となり内容が異なります。

今回、拝見できたのは、
  • 054 重美 深林絶壁図(しんりんぜっぺきず)個人蔵
  • 084 重文 山雨染衣図(さんうせんいず)個人蔵
  • 130 重文 一晴一雨図(いっせいいちうず)個人蔵(全期)
  • 144 重文 秋色半分図(しゅうしょくはんぶんず)愛知県美術館(木村定三コレクション)
  • 145 重文 酔雲醒月図(すいうんせいげつず)愛知県美術館(木村定三コレクション)
  • 146 重文 隸體章句(れいたいしょうく)愛知県美術館(木村定三コレクション)
  • 147 重文 深山渡橋図(しんざんときょうず)愛知県美術館(木村定三コレクション)
  • 166 重文 煙霞帖(えんかじょう)梅澤記念館(全期、頁替えあり?)
  • 168 重文 鼓琴余事帖(こきんよじじょう)個人蔵(全期、頁替えあり?)
  • 237 重文 山紅於染図(さんこうおせんず)愛知県美術館(木村定三コレクション)

    後期のみ、拝見できるのは、
  • 004 重文 山中結廬図(さんちゅうけつろず)東京国立博物館(第4期のみ)
  • 067 国宝 東雲篩雪図(とううんしせつず)川端康成記念会
  • 089 重美 疎松曲水図(そしょうきょくすいず)岡山県立美術館
  • 113 重美 寒林間處図(かんりんかんしょず)個人蔵
  • 127 重文 雙峯挿雲図(そうほうそううんず)出光美術館(第4期のみ)
  • 138 重美 山翁嘯咏図(さんおうしょうえいず)個人蔵
  • 224 重文 籠煙惹滋図(ろうえんじゃくじず)出光美術館(第4期のみ)

     たまたま、団体の説明をしている人の話をききました。浦上玉堂(延享2・1745~文政3・1820)は、ドイツの建築家ブルーノ・タウトに見出されたそうです。タウトの「この人こそ近代日本の生んだ最大の天才である。彼は『自分のために』描いた、そうせざるを得なかったからである。彼は日本美術の空に光芒を曵く彗星のごとく、独自の軌道を歩んだ。」との言葉により、同じ、岡山出身の大原孫三郎?などによって、散逸していた作品が発掘されたとのこと。多分このブルーノ・タウトの言葉がなければ、評価されることのなかった作家のようだ。

     会場の中の説明は、一点一点に詳細な解説がついている。ほとんど未知の画家なのでありがたい。


  • 70 対山撫琴図(たいざんぶきんず)個人蔵; 会場にはいって、最初の作品がこの作品。梅原龍三郎氏の遺愛品。浦上玉堂は陰陽思想に傾倒していたため、そのモチーフが多いとのいきなりの説明がある。ただ、この作品ついて言えば、山は、素直に見れば題のとおり、まるで、琴を撫でる指のように描かれている。玉堂の制作した琴や琴譜も展示されているが、琴を愛した玉堂の代表作といえるだろう。

  • 1 浦上玉堂像 (浦上春琴)林原美術館;春琴は、長子。当時は春琴のほうが玉堂の作品よりよく売れたという。頼山陽や田能村竹田、岡田米山人・半江、篠崎小竹、貫名海屋、柏木如亭ら著名な文人・墨客との交わりを深め、中林竹洞や山本梅逸らと名声を競った。

  • 初期の作品。水墨画というのが、それなりに鍛錬しないとうまく描けないというのが、よく判ります。

  • 37 夏山雨餘図(かざんうよず)個人蔵; 山が空中に浮かぶような構図が楽しい。
  • 40 山邨読書図(さんそんどくしょず)個人蔵; 川端康成氏愛蔵品。静かな山の中で読書する図。縦に描かれた林のような線が印象的。

    この辺から円熟期。

  • 54 重美 深林絶壁図(しんりんぜっぺきず)個人蔵;覆いかぶさるような絶壁を描く。中央の松の丹念な筆と、画面手前の濃い墨の塊の森と、巧みに筆を使い分けた作品。
  • 84 重文 山雨染衣図(さんうせんいず)個人蔵; 手前の樹木の白い部分、遠くに薄墨で、山が雨に濡れた様子を描く。
  • 86 雨褪臙脂図(うたいえんじず)千葉市美術館; 擦筆がいい。

    諸家寄書がいくつか並ぶ。京都の画壇の趣味のよさが光ります。
  • 102 諸家寄書 玉堂琴嚢 個人蔵;順順に諸家に書画を寄書をしてもらった作品。現代風に言えば、サインがいっぱいならんだレストランみたいなものでしょうか?しかし、これは高名な諸家を招いてもてなして描いたのでしょう。洒落ている。
  • 122 諸家寄書 江山間月図 個人蔵全期;福島関山、岡田米山人などの寄書;余白の白い部分が多く趣がある。
  • 123 寒林数家図・春山雨意図(書画貼交屏風のうち) 岡山県立博物館
  • 124 夏樹孤亭図(書画貼交屏風のうち)個人蔵;34点の書画を貼った金地屏風、非常に趣味がいい。池大雅、青木木米、田能村竹田など高名な画家の作がずらりと並んでいるいうのだから、是非そちらも解説してほしかった。
     
  • 140 山廻路転図屏風(さんかいろてんずびょうぶ)四曲一隻(もともとは四面の襖絵)個人蔵;川端康成愛蔵品。襖絵というわけで大作。近景は丹念に、遠景は湿った筆でリズミカルに山を描く。

    この展示室には、大作が並んで展示されているが、近くで1点1点解説を読み鑑賞しているとどうも細部ばかりみてしまう。もういちど、はじめから戻って展示を見ようとしたときに、遠くから眺めるとそれはそれで、一体となって湿気の多い日本を描いた山水画であり、また別の情景が広がったことを発見。

    綴じた画帖については、特定の頁しか拝見できないが、写真で全頁が展示はしてある。
  • 166 重文 煙霞帖(えんかじょう)梅澤記念館(全期、頁替えあり?)8面目 青山紅村図;かすれた朱で画面をいっぱいを擦って表現が力強い。 
  • 168 重文 鼓琴余事帖(こきんよじじょう)個人蔵(全期、頁替えあり?)-10 風高雁斜図;湧き上がる雲のような図。-1 山中無事図、-3 天寒遠山浄図 のような細線のエッチングのような画面構成の頁や、 -4 遁跡入隠図 ボカシ墨の山々の頁も見たいものだ。

    最後の展示室の次の三点は小品ながら優品。
  • 209 孤山風月図(こざんふうげつず)個人蔵;絹本の質を生かした墨による雲霞の明暗が見事
  • 211 春山染雨図(しゅんざんせんうず)個人蔵;独特の「毛気」があると評される作品。絹本の特性を生かした雲烟わきかえる世界。
  • 237 重文 山紅於染図(さんこうおせんず)愛知県美術館(木村定三コレクション); 秋景色を赤を枯れた筆擦って表現。枯れた秋景色。

    山水画で地味で、ちょっと難しいわけですが、大回顧展と謳っただけあり、鑑賞している人も多く盛況でした。



    図録の中で、佐藤康宏氏が、玉堂の位置づけについて解説している。掻い摘むと、ジェイムズ・ケイ・ヒルの指摘に寄れば、大雅、蕪村らは日本南画の主流がとりいえれた主題と様式は、明末蘇州の実質的には職業画家であった盛茂や李士達らのものであり、董其昌から四王呉輝に至る正統的な文人画ではなかった。蘇州派は、赤壁、蘭亭曲水、桃源郷、陶淵明の故事など題を絵画化し実際の自然をもとに経験に近い様子の風景を描く。一方董其昌は、抽象的な景観図を自然の描写よりも構成・筆足を重視した。
    玉堂は日本の南画とは異なる地点にいた。純粋な南宋画に近い。要するに玉堂は正統派の南宋画の方に接近し、そこから結局は蘇州派の絵画、そして南画の造形と等質のものを抽出した極めて稀な画家であった。米法山水に由来する横長の筆触を並べて山肌を描くさらには樹葉の描き方を筆触に微妙にニュアンスをつけることは、どれほど実感に富む自然の質と美しい表面の肌理をつくりだしたか、と。

    生い立ちが武士であり、文人を目指した玉堂の到達したものは、特異であったのでしょう。鑑賞したちょっと画風が違い、到達した地点は異なりますが、(10月に太田記念美術館で特集されていた)鳥文斎栄之も武士をすてて、画家となったわけです。江戸時代は面白い時代だったわけです。



     木村定三コレクションというのが目に付いた。木村定三コレクションは、名古屋の著名な美術品収集家木村定三氏(1913-2003)とそのご遺族から寄贈された、3,000点を超えるコレクションだそうだ。浦上玉堂や与謝蕪村、小川芋銭、木村氏と交流のあった熊谷守一や須田剋太といった画家たちの作品を核としながら、陶磁器等の工芸品や中国・日本の仏教彫刻、考古遺物など広範囲にわたっているとのこと。木村定三コレクションの多くの日本絵画には、近世以前の絵画も含めて、熊谷守一による箱書が多いそうだ。(伊藤若冲筆《伏見人形図》もあり、その箱書も熊谷守一のものだそうだ。)木村定三氏は、熊谷と40年もの長きにわたって親交を保ち、パトロンだったそうだ。木村氏は熊谷との親交の中で、その作品を買うだけではなく、自らが蒐集した古い日本絵画についても、新調した箱の箱書を熊谷に依頼していており、これは、木村氏が熊谷の味わい深い書を深く愛した証とのこと。
     東京近代美術館で開催されている「揺らぐ近代 日本画と洋画のはざまに」(2006/11/7-12/24)に、コレクションから熊谷守一の作品が7点も展示されているようだ。
    また、愛知県美術館には 「木村定三コレクション室」もあるようなので、機会があれば立ち寄りたい。

    (11日)
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    美術館ボランティアが選ぶ千葉市美術館コレクション展

    2006-11-11 | 美術
    美術館ボランティアが選ぶ
    千葉市美術館コレクション展
    (江戸から現代まで)
    2006年10月17日から12月3日
    千葉市美術館

    浦上玉堂展に併設されて、表記が開催されていました。
    千葉市美術館の7000点の所蔵品のなかから、美術館ボランティアの投票により選んだ57点が展示されています。ボランティアの方が企画、運営に関わった展覧会とのこと。千葉市美術館の優品ばかり拝見できて(私にとっては初めて作品が多いので)、なんと入場料が200円にも関わらず、(実際は、浦上玉堂展の入場券で無料で入場できるのですが)図版入りのパンフレットまでもらえますので、ちょっとお得な気分です。

    まず、第一室に、現代美術がずらっと並びます。21点もが現代美術です。学芸課長の浅野氏が現代美術が3分の1にも及んだことについて「日頃ギャラリートークで無理やり鍛えられた成果かな、と妙に納得した。」と感想を述べているが、ボランティアの方が選んだ現代美術だけあって、現代美術が不得意な私にとっても、とっつき易い作品が多く並んでいる。普段幸せな生活をすごしているボランティアの日常の延長線上の世界が広がっており、パステルカラーの装飾的な作品が多い。と感じる。
  • 山口勝弘 ヴィトリーヌ:風景1958l, 1958, ガラス、樹脂、蛍光灯
  • 李禹煥 With Winds, 1991, 油彩、岩彩、カンヴァス
  • 高松次郎 赤ん坊の影 No.387, 1974, アクリル、カンヴァス
    など

    17点が版画
  • 長谷川潔の 水浴の少女と魚、1925、ドライポイント
  • 喜多川歌麿 潮干のつと(版本)、1789
  • 川瀬巴水 日本風景選集 鹿児島桜島、1922
  • 伊藤深水 対鏡、1916
    など。他は、摺り色がよくない作品とかもあり一寸残念。棟方志功も堂々たるものですが、摺り色が一寸甘く感じるのは、NHK日曜日美術館30周年展で見てしまったからですが。

    近世、近代絵画は23点。
    肉筆浮世絵の優品が並びます。
  • 喜多川歌麿 納涼美人図、1794-95ごろ;千葉市美術館を代表するこの肉筆浮世絵を拝見できて大満足。ボランティアの投票でも一位。団扇をもって座る美人画も、実際に目にしてみれば、薄地の着物に透ける襦袢の描き方に目を奪われてしまいます。
  • 勝川春勝 花下の遊女図 1787-88ごろ
  • 窪駿満 砧打ち図 天明1781-89ごろ
  • 鳥文斎栄之 朝顔美人図 1795
  • 葛飾北斎 井出の玉川 1789-1801ごろ
  • 伝 鈴木春信 縁先美人図 明和1764-72ごろ
  • 無款 美人立姿図

  • 菱川師宣 天人採蓮図 元禄年間1688-1704
  • 菱川師宣 隅田川・上野風俗図屏風 延宝1673-81

  • 森狙仙 月下猿図 1798;猿いいですね。
  • 中村芳中 白梅図 文化1804-18;たらしこみの盆栽のような梅。

  • 円山応挙 秋月雪峡図 1786;国宝 雪松図屏風と並べてみないほうがいいとは思います。

    そして
  • 鏑木清方 薫風 1918年ごろ;色使いは土田麦僊ですが、清方が描くと美人ですね。赤い着物と棚引くショール(?)が薫風を表現しています。

    ボランティアの方の説明も、BLOGを読むようで面白いです。ちょっとは解説もほしいですが。
    (11日)
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    常設展示(絵画) 東京国立博物館(10月)

    2006-11-10 | 美術
    少し前の常設展の感想です。

  • 国宝 観楓図屏風 狩野秀頼筆 室町から安土桃山 A-10470 (2006/10/24-11/19)
    洛北の紅葉の名所高雄で紅葉狩りを楽しむ人々の様子を描いた屏風です。背景には神護寺の宝塔と冬の到来を告げる銀雪の愛宕社が見えます。清滝川の辺では女性と子供らしい洒落た衣装をまとって茶売りの茶や酒盃を片手に秋の美しい一時を楽しんでいます。橋上には笛を吹く一組の男性、橋を渡ろうとしているのは渇食(かつしき、童僧)を伴った僧侶。そして僧侶の背後には車座になった男たちが舞を舞い、謡を謡って酒宴に興じています。その空には、今まさに白鷺が舞い降りようとしています。
    この屏風には、かつてもう一隻、春夏の名所絵が存在し、一双で四季名所絵であったと考えられています。描いたのは狩野秀頼。かれの活躍期には応仁の乱の荒廃から都がようやく復興した永禄年間頃にあたり、画中にはその頃の人々の衣食や芸能の様相が細やかに散りばめられています。四季名所絵でありながらも、そらら時世勢(じせいそう、絵画や文学中の同時代の装いや習慣の様子)の活き活きとした描写は、のちの遊楽図などの先駆けともいえる輝きを放っています。ぜひ、室町人の遊楽の様子と紅葉の美しさとともにお楽しみください。


    と説明がありましたが、本当に人々の様子が活き活きと描かれていて思わず魅入ってしまいました。画像はSRCリンク。東博のHPには拡大図もあります。楽しめます。

    もう1点の狩野派の絵として
  • 重文 山水人物図 伝狩野元信 京都・霊雲院(妙心寺塔頭) (2006/10/11-11/19)
    が展示されていました。(撮影禁止)霊雲院は、大休宗休が妙心寺内に創建した塔頭。この図は狩野元信一派によって制作されて方丈障壁画の一部。方丈は天文12年に移築され、障壁画の大部分はその頃の作と見られている。

    後日池袋のJUNKDOの美術書コーナーを訪れた時に、別冊太陽 狩野派決定版が並んでいた。ああ狩野派の名作の二図が展示されていたなあと思い出し、つい買ってしまいました。
    狩野派決定版

    平凡社

    このアイテムの詳細を見る


    狩野派決定版では、狩野元信は、磐石の基礎を固めた二代目経営者。狩野秀頼は、元信の二男。流派を支えた名脇役と紹介されています。

    このほかに
    (2006/9/20-10/29)
  • 重美 秋山遊猿図 2幅 森狙仙筆 A-11725
    鹿も猿も毛並みが素晴らしい。
  • 秋郊鳴鶉図 1幅 土佐光起・土佐光成筆 江戸時代・17世紀 A-65
    鶉 土佐法眼常昭筆 菊 土佐将監光成筆
  • 猿猴図 1幅 狩野山雪筆 江戸時代・17世紀 植松嘉代子氏寄贈 A-11845
    ユーモラスな猿 体毛の表現、指、水紋もおかしい
  • 半月白鷺図 1幅 狩野常信筆 江戸時代・17世紀 A-12209 墨画淡彩
  • 松巒古寺図 田能村竹田筆 天保4年(1833) A-12098
    田能村竹田は、豊後岡藩の儒官を辞職し、詩画三昧の生活を送りました。この図は天保三年に頼山陽の依頼で描かれたが、同年山陽が亡くなったため、翌年賛を加えて共通の友人である青木木米に送られました。薄い茶色で着彩がされている山のようすが描かれる。

    浮世絵では、今回(2006/10/11-11/5)も鈴木春信の発色のいい優品が展示されていました。
  • 見立恵比寿 鈴木春信筆 中判 錦絵 A-10569-74
  • 見立大黒天 鈴木春信筆 中判 錦絵 A-10569-75
    鯛の玩具を手にした若衆は恵比寿に見立てられ、大黒天に見立てられた俵に座る美人の姿と向き合って対になります。若い男女の恋の場面を多く描いた春信らしい作品
  • 六玉川・擣衣玉川 鈴木春信筆 中判 錦絵 A-10569-81
    「松風の 音だに秋は さびしきに 衣うつなり 玉川の里」源俊頼『千戴和歌集』巻六
    ここでは 俊頼でなく相模の歌とされる。窓の外には、宇津木の花。部屋の中で娘二人が砧を打つ。 
  • 紅葉舞 鈴木春信筆 中判 錦絵 A-10569-77
    傘を2つを手に持ち、紅葉の中で舞をまう娘。

  • 雁金五人男 勝川春章筆 安永9年(1790)A-10569-237~241
    大阪市中を荒らしまわって捕えられ打ち首の刑に処せられた雁金文七ら、ならず者五人組を義侠のモデルとして多くの戯曲が作られました。各々家紋をつけたそろいの着流し衣裳に一本差しという男伊達姿で描かれました。
    発色もよく優品。カッコいい。

  • 往古うはなり打ちの図;歌川広重筆 大判錦絵3枚続き


    とらさんのBLOGで紹介されていたのでよく見てきました。
    後妻(うはなり)打ちは、前妻が後妻の家に親類や友人らと押しかける風習をいう。室町時代には行われたが江戸時代には廃れた。ここでは「往古」と冠し古き風習をコミカルに描いている。笊(ざる)や杓文字など当時の様々な生活道具が描写されているのも興味深い

    「うはなり打ち」とGOOGLEしてもの直接的な説明は見つからず不明ですが、管理人ミユさんのBLOGの記事から推測するに、たぶん子宝に恵まれず離縁させらた前妻が後妻の家に押しかける風習ではないかと思われます。謡曲「葵上」の「ツレ「あら浅ましや六条の。御息所程の御身にて。うはなり打ちの・御振舞。いかでさる事の候ふべき。唯思し召し」ともあるので、謡曲などで有名ななった「うはなり打ち」が、封建制度と結びついて風俗流行として当時の人が行っていたのではないかのか。それを、歌川広重筆の絵は描いたのではというのが、単なる推測ですが、まあ多分違うでしょう。こういう風俗の絵の解題は相当な知識がいりますね。どなたか詳しければ教えてください。

    (10月27日)
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    竹内栖鳳と弟子たち-重要文化財 「班猫」登場

    2006-11-08 | 美術
    竹内栖鳳と弟子たち
    -重要文化財 「班猫」登場
    2006年9月30日から11月19日
    山種美術館

    竹内栖鳳の「班猫」を拝見しに山種美術館に向かう。

    いつも、山種美術館は九段下駅からは遠いなと思っていた。晴れていれば散歩気分で東京国立近代美術館から歩ける。別の美術館のついでに車で寄ったこともある。ある時は時間がなくて、タクシーで行ったりもしたことがある。たまたま半蔵門線の出口案内を見ていると半蔵門駅のところに英国大使館方面とかいてある。なんだと、半蔵門駅で降りて見ることにした。九段下よりの出口を出て、一番町の閑静な通りを内堀通りまで歩くと、もう山種美術館。意外に平らな道です。直接を山種美術館を訪れる時は、往路はすくなくとも、半蔵門駅下車が正解と今頃気がつきました。目印がないのではじめて訪れる方には薦めませんが。

    さて、竹内栖鳳についての説明を見ながら拝見。竹内栖鳳は、棲鳳の雅号を用いていたが、欧州から帰国後に栖鳳に変えた。描写の仕方に西洋画的な風合いがあるのは気がついていたが、雅号を変えていたとは初めて知る。昭和12年(1937)に制定された文化勲章を横山大観とともに受章。西の第一人者だったということになります。

    今回の呼び物は、重要文化財 「班猫」(1924)(第一回淡交会展)。沼津で歩いていて見かけた猫に表現欲がむらむらと湧いたという。徽宗皇帝の猫がいるぞと思い、再三交渉。沼津から京都までつれて帰り描いたそうだ。栖鳳らしい、猫の毛並みの表現、背中を丸くしたポーズが、なんともいえません。でも徽宗皇帝の猫は、どこに行けば見れるのでしょうか?

    さてこのほかの栖鳳の作品のいくつか。
    「潮来小暑」(1930)(第六回淡交会展);揚州のようなと栖鳳は形容していますが、長閑な風景です。彩色。
    「晩鴉」(1933)(第七回淡交会展);墨画。水の吸い込みのよい特製の栖鳳紙に描かれている。墨の滲んだところもいいですが、細線で描かれた樹木に惹かれます。
    「蛙と蜻蛉」(1934)(第15回帝展);西洋画的描写が日本的画題と技法に溶け込んだ栖鳳らしい作品。 
    「憩える車」(1938)(第4回春虹会展)
    「艶陽」(1940)(紀元2600年奉祝日本画大展覧会);えんどう豆と蛇です。ちょっとした庭先の風景でしょうか?これも栖鳳らしい作品。紀元2600年奉祝日本画大展覧会に出展された作品のようですが、どういう意味だったのでしょうか?

    「色紙十二ヶ月」(艸影帖)(1938頃)。どの色紙も魅力的だが、「鯛」は栖鳳の真骨頂。

    弟子としては、
  • 上村松園の「蛍」(1913)「砧」(1938)など;昨年の11月にも山種美術館で(記録はこちら)鑑賞しましたが、一年たっても「砧」は迫ってくるものがあります。
  • 西村五雲
  • 橋本関雪
  • 土田麦僊「大原女」(1915、第9回文展)、「香魚」(1926-35); 今年は、土田麦僊の作品に思いがけず会えた年でした。「舞妓林泉」(1924)(記録はこちら)、「湯女」(1918)(記録はこちら)。そして六曲二双の作品「大原女」を鑑賞。土田麦僊らしい黄緑色を背景に、土田麦僊らしいおおらかな女性が描かれています。同題の作品「大原女」が京都国立近代美術館に所蔵されているようです。「香魚」は栖鳳の弟子らしい作品。

  • 村上華岳「裸婦図」(1920、第3回国画創作協会展);この作品はよく図版では見たことがありますが、実際に鑑賞するのは始めて。実際大画面を目の前にするとインド的な風貌や衣裳が迫ってきます。<永遠の女性> の一部として描いたという。
  • 福田平八郎「筍」(1947、第3回日展);この作品も代表作ですね。実物は、背景が雲母摺りのようで美しい。
  • 池田遙邨「まっすぐな道でさみしい-山頭火-」(1986、山種美術館開館20周年記念展);91歳の時の作。信州馬籠宿から十曲峠への旧中仙道。信州飯田にて病む身になった山頭火を情景して描いた。ススキや黄色の花咲く石畳の道、お地蔵さんがたつ。
    (10月29日)
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    国宝 煙寺晩鐘図 @畠山記念館

    2006-11-05 | 美術
    国宝 煙寺晩鐘図 伝 牧谿筆
    2006年10月31日~11月12日
    畠山記念館

    畠山記念館にこの1点を拝見しにいってきました。前期の最後の日ですから、他の展示は前回と1点を除いて変わりはありません。(前期の他の作品の感想はこちら

    瀟湘八景図の一、
    道有印(義光の愛用品)
    東山御物、柳営御物
    伝来 足利義満、松永久秀、織田信長、徳川家康、紀州徳川家、前田家伝来

    一文字・風帯 紫地二重蔓大牡丹文金印
    中廻し 白茶地小花唐草文古金襴
    上下 縹地獅子丸唐草文銀襴(縹色とは薄い藍色とのことだが、濃い緑色だった。)

    表装の色合いが見事。金、銀を織り込んであり豪華。表装まで眼がいってしまうように説明してあるところが畠山記念館の憎いところ。

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    成熟社会の実相 鷲田清一さんに聞く

    2006-11-02 | 美術
    成熟社会の実相 鷲田清一さんに聞く

    日経新聞2006年11月2日夕刊の紙面から

    成熟社会は皮肉にも皆が子供でいられる社会だった
    社会が成熟するプロセスは人間が無能力になっていった時代だと思うんです。命の世話(お産、死、食事など)を自分や家族、地域で担ってきた。こうした行為の大半を民間や公共サービスに委託している。豊かで便利で安心できる社会を追求した結果で、これを成熟社会というわけだが、いつの間にか自分たちの命を自ら世話する能力を失った。全てをシステムに任せれば何とかなる。成熟社会は皮肉にも人が成熟しないでも生きていける社会だった。だから会社の社長や政治家など社会的地位の高い人まで学芸会みたいな茶番を演じてしまう。

    世の中に答えがひとつしかないことなどめったにない
    あるのは3つ。①正解が複数ある。②不確定要素があって答えがすぐにはみえない。③いくらと問うても人間には答えられない。
    今の社会はすぐに答えを求める。でも分からないものにはわからないままにきちんと向かい合うことが大切だ。
    私たちは自由を自分の思い通りできることと勘違いした。そして、じっくり考え判断する力までなくしてしまった。

    待つことが大切。でも本当に待つこととは待つものを放棄すること。



    〈鷲田清一〉1949年京都生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程修了。大阪大学理事・副学長。専攻は臨床哲学。「「聴く」ことの力」で桑原武夫学芸賞、「モードの迷宮」でサントリー学芸賞受賞。

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    大胆な演出と構図、そして独特のシュールな感性で世界のファンを魅了してきた、わが国アート写真界の至宝・植田正治。その膨大な遺作の中から、「やわらかな」哲学エッセイスト・鷲田清一が新たな視点で珠玉の75点を厳選し、「哲学のこころ」を濃やかに投影したモノクロームのオムニバス。



    「「聴く」ことの力」の表紙に見え覚えありませんか?植田正治氏の作品ですね。「ルソーの見た夢、ルソーに見る夢」@世田谷美術館(記録はこちら)でみた植田 正治氏について臨床哲学の鷲田清一氏が論じているとは!読まなくては!
    コメント (1)
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