徒然なるまままに

展覧会の感想や旅先のことを書いてます。

書籍:日本古代史の謎を解く(★★★)

2005-07-31 | 歴史
日本古代史の謎を解く―『記・紀』に秘められた真実

新泉社

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諸研究家の論考や異説を比較・検討し、「記・紀」編集の秘められた目的を問う。と謳うだけことはある一冊。

卑弥呼と宇佐八幡の関係、宗像神社と出雲大社の関係、縄文人と弥生人のほかに騎馬民族がやってきて混血した日本人と日本文化。つまり征服者が来ると娘を差し出してきた歴代王朝(これはまるで、映画「アレキサンダー」大王で知ったが、彼が遠征で妻を娶るような話だ。)

でも、この書籍の難解さは、結局奈良時代。あまりの想像を絶する推理にびっくりしてまだ消化不良だ。文武天皇は新羅からやってきた。聖武天皇は、血筋はかなり怪しい。など

もともと鹿島神宮とは何かを問うために、いくつかの著作を読んできた。事実は確かに澤田洋太郎氏の説の通りかもしれない。
虚飾(すなわち藤原氏はどう虚飾の歴史を作成しようとしたか)も理解しなければ古代史を分からない気もしてきている。たとえば、中村幸雄氏の天智天皇王朝論、百人一首も天智天皇から順徳院に限定されているのは「王朝の光と影」と独特の回顧的美学により表現したと見るべき。という説。
また延喜式内社に含まれていない古代からの神社は何を意味をしているのか。この辺についての書籍を見つけたい。
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映画 Jaws(1975)(★★★) USS.Indianapolisの話

2005-07-24 | Review
Jaws (1975)
Directed by Steven Spielberg

Cast
Roy Scheider .... Police Chief Martin Brody
Robert Shaw .... Quint
Richard Dreyfuss   Matt Hooper

Oscarを3つも受賞したというこの作品を公開30年目にして昨日始めてテレビで見ました。映画館で見れば、本当にSharkによるThrillerなのでしょうが、画面が小さいだけに、結構深い映画で考えさせられました。Amity Islandのよそ者であるMartin, Mattが、SHARKがいるからビーチは閉じるべきというのを、観光産業に打撃をうけるからだめだという市長をやっと説得してQuintを雇うサインを貰うまで前半の筋書き。よそ者と一寸島では外れた下品なQuintが結局Amity Islandを救うのに立ち上がるのです。なんと言う皮肉でしょう。

後半は、白鯨のような筋書き。Sharkとの死闘が繰り広げられます。1945年にUSS Indianapolisは原爆をテニアン島に運ぶ任務を果たした後に日本軍の攻撃を受け沈没し、乗務員は数日後に救助されるまで波間でSharkに囲まれます。Quintは、その時の乗務員だと昔話をします。そのときは、仲間が最後は救ってくれたに、今回は、Quint自身がが無線機を壊すことにより、仲間からの救助を断ち切ったせいでしょうか、SHARKに襲われてしましました。なぜQuintだけが、襲われる筋書きなのか考えてしまいました。

USS Indianapolisの伝説は、結構有名らしく、NAVAL HISTORICAL CENTERの193のFAQの1つとしてOral History -The Sinking of USS Indianapolisに語られています。Spielbergがこの話を出してきたのは何か意味があるかとも思いますが、それにしてもSharkの話といえば人口に膾炙した話のようです。でも、もう少しのところで原爆は日本に落とされなかったのですね。

(@NHK BS2)

ジョーズ 25周年記念コレクターズ・エディション

ソニー・ピクチャーズエンタテインメント

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映画SAHARAとマリ

2005-07-24 | Review
映画SAHARA サハラ-死の砂漠を脱出せよの舞台は、アフリカのニジェール川の流れるマリ。でも何故マリなのと思い、一寸だけGOOGLEしました。

マリは「黄金のマリ帝国」と呼ばれていたようです。そのマリの響きがトレジャーハンターを引き付けるのですね。マリツアーによれば、「800年ごろから始まったマリ帝国は、14世紀マンサ・ムサの時代に最盛期を迎えます。1324年、マンサ・ムサは第一夫人を伴ってメッカに巡礼しました。その時、数千人の側近と軍隊、召使い、そして100頭のラクダと2トン以上の金を運んだとされています。途中立ち寄ったカイロでは、彼がばら撒いた黄金のせいで数年間金が暴落、12年間インフレが続いたそうです。この巡礼は、イブン・ハルドゥーンの著書を通してヨーロッパにも伝わり、「黄金のマリ帝国」の名は一躍知られるようになりました。この黄金伝説が後ほどのヨーロッパの列強諸国によるアフリカ進出のきっかっけのひとつとなったのです。」とのこと。F.ブローデルの地中海にも、ヨーロッパの金融の歴史を記述するところに、南米の銀、アフリカの金の話が書いてあったような記憶があります。マリの話だったのでしょうか。

地中海〈1〉

藤原書店

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もう一点見ていて気になったのは、内戦の話を映画にしてしまって、マリという国のイメージを損なわないかという点でした。調べてみると、
CIA Fact Bookによれば、

Mali:Background:
The Sudanese Republic and Senegal became independent of France in 1960 as the Mali Federation. When Senegal withdrew after only a few months, what formerly made up the Sudanese Republic was renamed Mali. Rule by dictatorship was brought to a close in 1991 with a transitional government and in 1992 when Mali's first democratic presidential election was held. After his reelection in 1997, President Alpha KONARE continued to push through political and economic reforms and to fight corruption. In keeping with Mali's two-term constitutional limit, he stepped down in 2002 and was succeeded by Amadou TOURE.

としか書いていないのですが、

WIKIPEDIAによれば「セネガルと共に、マリ連邦を結成し、フランスから独立。しかし、その年の8月にセネガルが連邦から離脱したため、翌9月にマリ共和国と国名を改めた。軍事独裁体制が長く続いたが、民主化運動が成功し、1991年に暫定政府が発足。翌1992年に憲法を制定し、大統領選挙が行われた。ただし、北部ではトュアレグ族が過激な分離闘争を繰り返してきた。」ということで、これもある程度事実にもとづく話だったのですね。
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やっと帰国 BY Northwest

2005-07-21 | 日記
7月7日から韓国3泊、ニース6泊、フィラデルフィア3泊とSkyteamによるKE,AFと乗り継いだ世界一周も昨日やっとNW025で帰国しました。西向きに地球を回ったのであまり時差は苦労しなかったのですが、最後の最後にNW025の中で熟睡してしまったので、ぜんぜん寝れません。朝の6時です。失敗です。

フィラデルフィアの空港では予想通り、ペーパチケットなのでチェックインに20分近くかかり、ボーディングパスにSSSSと重要人物のレッテルを貼られて、セキュリティで荷物の中までしっかり検査されました。でもこれを予想して早めに空港に着いていたので、それでも時間がたくさん余ります。もともと930AM発のNW703 (後で調べれはA319)の予定だったのですが、7時すぎには終了して、仕方がない2時間空港で待つかと思って座っていたら、デトロイト行きかとカウンターの女性に聞かれます。次のフライトだと答えると、荷物預けていなければ乗ってもいいよといわれて、722AM発NW1775と一本前のフライトに乗ることになってしまいました。でもDC-9Sに10人ぐらいしか乗っていなかったです。

デトロイト空港は、はじめてです。とてもきれいです。何とモノレール(シャトル?)がコンコースの屋内を移動用に走っています。わおー。お店も多く、GMのショップでミニカー(といってもアメリカサイズで30センチほどですが)とかソウルミュージックの大御所モータウンレコードのショップとかが並んでいて、デトロイトのイメージそのものです。(街中はどんな感じかいったことないのでわかりませんが)Brook Brothersでセールをしていたのでシャツぐらい買いたかったけど荷物が増えるので断念。十分時間をつぶせるショップです。御寿司屋さんもありました。

ノースウェストのパイロットは元軍人が多いといいますが、発着陸が上手ですね。DC-9は、鳥のように着陸しましたし、747-400での成田の着陸は本当に旨かったです。何の振動も感じませんでした。プロです。機材も見た目は結構新しかったですし、何と機内誌によれば787もすでに発注したそうです。結構見直しました。佐藤さんによればやはり機材は古いのが多いようですが、私は理解して機材を選択して乗っていないので偶々当った機材の感想だけになってしまいます。ただ私でも、パリCDG-NRTは、日系の航空会社の特に747の座席配備はエコノミーとか狭くて耐えられないので、最近は一寸でも座席が広い777やA300-200?を運行させているAFを選択しています。ナイトフライトも乗りなれるとNRT発もCDG発も結構よく睡眠でき、時差調整も簡単です。ちなみに一番今回着陸が下手に感じたのは、AFのソウル-パリ便でした。AFのNRT-CDG間はJAL, ANAよりはいつも発着陸は上手に感じるのですが。

パリCDG ターミナル2Eでの騒動はこちら
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映画 SAHARA(2005)

2005-07-20 | Review
サハラ-死の砂漠を脱出せよ-



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映画 SAHARA(2005)
Directed by Breck Eisner
トレジェーハンターのD.Pitt(Matthew McConaughey)が砂漠に南北戦争の時の難破船の宝さがしにアフリカで内戦のつづくマリに相棒のAl GIoridino(Steve Zahn)入る。WHOの女医Eva Rojas(Penélope Cruz)も疫病の原因の探求のために同じくマリへ。3人は遇い、なぜか難破船を砂漠で偶々見つけあて、病気の原因も判明し、内戦も乗り切って、めでたしめでたし。


linlilinさんのサイトに原作の面白さが書いてあります。
mishimabluesさんの証言ほどではないと思いますが、単にストーリを見るだけですと、アドベンチャーものがお好きなら、という感じでした。

P.S.映画 SAHARAとマリでこの映画の舞台となったマリの話を書きましたのでよろしければ。

<@NW025>
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フィアデルフィア 最後に

2005-07-19 | 日記
フィアデルフィア 最後に

Philadelphia Museum of Artとインデペンデンス公園を楽しんだ。Franklin Parkway付近は、銀行とか高層ビルの間に古い教会First Baptist Churchとかの建物がならぶ感じで魅力的な街並みです。でも、一寸意外だったのは、DELAWARE側に沿って工業地帯だったということ。街の近くまでも古い工場が並んでいて、結構煙モクモクで空港からの道も異臭がしました。また、Philadelphia Soulという言葉があったのを思い出しましたが、Sisterとか黒人の教会関係者を結構街中で見かけました。移動はPHILASHが便利で安心して乗ることができていいですね。チーズステーキというのが有名なようですが食べ損ないました。

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インデペンデンス国立歴史公園

2005-07-18 | 日記
インデペンデンス国立歴史公園
PhialdephiaにあるIndependence National Historic Park。セキュリティチェックを受けて、念願のLiberty Bell(kazoousacaさんのサイトに写真を発見)を鑑賞。Independence Hallがガラス越し背景になるように最近改装されたようだ。道をわたり、独立宣言などをみる。独立宣言は100部印刷され、25部現存しているもの一つが展示されている。最近オークションにかかったら6.5M$(だか8.5M$?)の値段がついたとのこと。Originalとはサインがしてあるもので、国立公文書館に保管されているが、実は丸めて持ち歩いたので手垢のため汚いとのこと。Congress Hallは、レンジャーの説明を受ける。歴史と憲法の話でちんぷんかんぷん。一階が下院。二階が上院。上院の横の部屋には、フランスのルイ14世とマリーアントワネットの肖像画が。フィラデルフィアとフランスの関係を物語る。Independence Hallは疲れたのでスキップ。近くにあるBenjamin Farnkinが住んでいた場所Franklin Courtなどを見る。なんで200年前の建物がREMAINSになって遺跡になってしまうのか不思議。
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Philadelphia Museum of Art(Part2) フィラデルフィア博物館

2005-07-17 | 美術
Part 1はこちら

Philadelphia Museum of Artの1階の北WINGは、米国美術。家具とかSilverware、肖像が並ぶ。ニ階は、回廊にタペストリーがかけられている。北WINGは、ヨーロッパ美術1500-1700年と1700年-1850年。教会や貴族のシャトーなどの部屋がそのまま再現された展示室が並ぶ。没落貴族からそのまま購入したのだろう。展示点数の割には、絵画の名作が見つけられない。

南WINGは、ヨーロッパ美術1100年から1500年とアジア美術。教会の内部が再現されている。そのあとは、中国の広間、インドの寺院、ペルシアのタイル。日本の茶室などがそのまま再現されている。美術館を期待してはいけなく、世界の文明のスタイルを学習する場、すなわち博物館だ。悪く言えば、世界の二流のものをそのまま持ってきたテーマパークというところか。テーマパークと違うのはあくまでも現地から本物を持ってきたというところだろう。

西WINGには、武器と甲冑がならんでいる。ここは明るい部屋なので、英国のLondon Towerで武器と甲冑を見学するような陰湿さがなくていい。というわけで、美術館、博物館の両面のあるMuseumである。

カタログISBN 0-87633-098-7を最後に購入。なぜかハードカバーしか在庫がなく27$支払う。ソフトカバーで十分なのに。
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Philadelphia Museum of Art フィラデルフィア美術館(Part1)(★★★)

2005-07-17 | 美術
Philadelphia Museum of Art(Part1)

Philadelphia Museum of Artはこちら
収蔵品のハイライト

City HallからPhiladelphia Museum of ArtまでのFranklin Parkwayは、その名の通りParkway。並木にそってABC順に各国の国旗が掲揚してある。一寸蒸し暑い。汗がひどい。米国も異常気象らしい。それとも日頃の不摂生のせいか、ちょっとしたエクササイズだ。ジョギングをしている人もいる。ローラスケートの競争を楽しむ学生たち。Parkwayの中間にあるRogan Squareにたてば、ドームの上にウィリアム・ペン像があるCity Hallとギリシア風の三角屋根とエンタシスの柱の威風堂々たるファサードのPhiladelphia Museum of Artがちょうど見渡せる。気持ちのいい散歩道だ。ロダン美術館は、2004年9月にパリで堪能したのでここではスキップ。さらに歩きJapan日本とかいた国旗までくればほぼ到着だ。Parkwayの最後にある彫刻の前で建物をバックに写真をとる人が大勢いる。二階入り口までつづく東玄関の正面の階段を上る。フィラデルフィア美術館といえば、この階段で映画ロッキーの場面を思い出す人も多いらしい(たとえば jony_t55さん)。日曜は無料らしいが、一応ドネーションをして入場。ミロの彫刻が出迎えくれる。屋内階段がさらに二階までつづく。ともあれ、まずは、1階のヨーロッパ美術1850年から1900年、現代美術を鑑賞。

ヨーロッパ美術1850年から1900年。さすが米国、まずマネの南北戦争を描いたThe Battle of the Kearsarge and the Alabama(1864)(H)(P)で始まる。マネがこんな絵を描いていたとは。そのあと目に入るのは、セザンヌの小品のBather。そのあとの部屋に、ゴッホの晩年のRain(1889)(H)などの作品が3点、2点は、黄色ベースにした作品だが、Rainは褐色の風景に白い雨のタッチが印象的。

さらにセザンヌは、何とセザンヌ夫人肖像が3点、サン・ビクトワール山が2点並ぶ。セザンヌは、セザンヌ夫人肖像を多く描いているが、上半身像とはいえ、3点も並んで鑑賞できるのには圧巻。すごいと感激する間もなく、次の部屋のその奥にセザンヌの大水浴The Large Bather(1906) (208 x 249 cm)(H)(P)が見えるではないか。吉田秀和氏のセザンヌの評論に出てくる作品だ。セザンヌ物語〈2〉で、吉田氏は、この作品の震駭について一言で言えば、ヘンリー・ムーアが1921年が述べた「ペルラン・コレクションを見に行って、ものすごいショックを与えられたのは、セザンヌのあの巨大な水浴の三角形のコンポジションだった。あすこには、まるで山の岩石から切り出されたみたいな裸体が、遠近法的に、大地にごろんと横になっている。私は、シャルトルの大聖堂でも見ているような気がした」という以上のことはいえないだろう、述べている。Juliaさんの発見したCézanne, Paulセザンヌのオンライン回顧展によれば、The Barnes Collectionsにも色調が違う大作(132.4 x 219.1 cm)のLes grandes baigneusesという作品があるようだ。比較して鑑賞出来れば最高だろうがチャンスがなく残念。

The Large Batherの手前の池を囲んで、ゴッホのひまわり(1888or 1889)(ミント色の背景)(H)(P)(安田火災のひまわりよりは感情が落ちついて見えた。)、セザンヌが6点、モネ(睡蓮と橋を描いた作品Japanese Footbridge and The Water Lily Pool at Giverny, 1899)(P)、マネが2点(1点はLe Ban back(1873)(H))、ルノワールが3点ならぶ。

The Large Batherの横の左側の列の部屋を進んでいくと、ルノワールが数点。ムンクの部屋に壁から取り外したMermaid(1896)等が目を引く。

右側の列の部屋には、モネの風景画がならぶ。Manne Port, Etretat(1885)など3点はノルマンディーの海岸の風景を描いた作品、Port Le Harveは、ノルマンディーの港だ。Poplars(1891)(H)(P)など他に10点ほどの風景画がならぶ、睡蓮でないモネをこれだけ見ると大変新鮮。モネの中に、ルノワールのPortrait of Madamoisell Legrand(1875)(P)が展示されている。6歳の黒いワンピースで正装した少女の絵。愛らしい。Barnes Collectionにこのモチーフの第二作があるとのこと(これは、多分Barnes Collectionが来日したときに見ているはず)。まだ、ルノワールが苦労していた時代の作品。

The Large Batherの隣に並ぶのが、ルソーの作品。Carnival Evening(1886)(H)は、透き通るような森の冬景色に、月光が照らされたカップルが手前に小さく描かれた幻想的な作品。The second Salon des Independants in Parisに初めて展示された作品。これが、19世紀の作品といいたくなる。The Merry Jesters(1906)(P), Young Girl in the Pink(1893-95)も並ぶ。ルソーのAvand-gardeさ作風を改めて認識した。ドガは油彩が何点かあった。ドガのデッサンも充実していて数点展示されていた。

現代美術は、今回もピカソをエンジョイできた。5月にパリのピカソ美術館を訪れたのは本当によかった。黄色の背景のHead of Woman(1901)、魔女のような顔で黒が目立つ彩色をしたOld Woman(1901)。Woman with Loaves(1906)はroseの時代。Self Portarit(1906)(H)は、灰色の背景で、白いシャツのピカソの表情に画家としての自身と不安が読み取れる。1901年以来では初めての自画像。Seated Female Nude(1908-9)を過ぎてからは、Female Nude(1910), Man with guitar(1912), Man with Viollin(1912)とキュービズムの作品に。そのあとの静物画が何点かならぶ。Three Musicians(1921)(P)は大作。夫人たちエロティックな作品は偶々か展示されていなかった。フィリップスコレクションの4点のほうが確かに教科書的にはピカソらしいか。初期の作品をピカソ美術館とここで数点見たのでまたブリジストン美術館のピカソをまた帰国したらチェックしたい。

ピカソのキュビスムの作品の中にマチスのMademoiselle Yvonnes Lansderg(1914)。第一次世界大戦の時代彷彿とさせる黒褐色をベースとした悲しげな肖像画。白い半弧の引っかいたようなタッチの線が印象的。マチスの南欧滞在の風景の作品Histoire Juives, 1924(P)、Still Life on a Table, 1925(P)は別室に。

シャガールのキュビズムの作品Half past three(1911)(H)(P)も。(シャガールといえば、建物の西玄関の壁いっぱいに大きな作品も見逃しなく。)

マルセル・デュシャンが一部屋以上を占めている。Readymadeの便器(1917年)のほかにも絵画とかが。壁から風景を覗くことにより鑑賞者に自分自身を意識させるという意図と思われるGiven I Waterfall II. Illiminating Gasという作品は、覗いてみると不思議な気分。ichiro1983さんによれば、マルセル・デュシャンは、最近、横浜美術館に来ていたらしい。勉強しておけばもうちょっと楽しめたかも。 

このフロアは、夏のバカンスのシーズンのためか、フランス人が結構多い。印象派が大好きな日本人はちらほらというところか。予約が必要だが、BarnesコレクションもこのPhiladelphiaにある。また、各部屋は、この絵画を寄付した人の説明もあり、コレクションごとに並んでいたりする。本当に米国の20世紀繁栄を象徴するような美術館だ。

Part2 博物館へ



(H) Philadelphia Museum of Art: Handbook of the collections(ISBN 0-87633-098-7)に解説のある作品
(P) Web19世紀印象派または20世紀のアートにポスターの画像のある作品。上記に注を挙げた作品以外にもセザンネ、モネ、ゴッホの画像が何点か。

吉田秀和氏のセザンネ関連著作
-『セザンヌ物語〈1〉』 中央公論社 このアイテムの詳細をみる
-『セザンヌ物語〈2〉』 中央公論社 このアイテムの詳細をみる
-『セザンヌは何を描いたか』 白水社 このアイテムの詳細をみる 本書に対するlysanderさんのコメント 


元の記事へのリンク(コメント)はこちら(July 17, 2005)
(Aug 3, 2005 Update)
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Philadelphia Museum of Art フィラデルフィア美術館(Part1)(★★★)

2005-07-17 | 美術

UPDATEしました。こちらへ

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