見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

人口動態と家族観の変化/喪失の戦後史(平川克美)

2016-09-23 20:52:53 | 読んだもの(書籍)
○平川克美『喪失の戦後史:ありえたかもしれない過去と、ありうるかもしれない未来』 東洋経済新報社 2016.9

 声と語りのダウンロードサイト「ラジオデイズ」が企画した全六回の講演をもとに戦後史を中心とした話をまとめたもの。著者の名前や発言は、SNSを通じて以前から知っていたが、著書を読むのは初めてである。そして著者紹介を見て、経済に関する本を多数書いているということも初めて知った。

 書き出しによれば、戦後の日本の経済を追いながら、日本人の価値観の変遷、特に家族に対する考え方の変化を中心に戦後史を語ることが本書の眼目である。そして経済を眺める指標として、著者が重視するのは「人口動態」である。第二講には、西暦800年を起点とする超長期的な人口動態のグラフが示される。著者が「驚いたこと」は、今日(2009年以降)急激に人口が減っていることではない。「本当に驚くべきことは、日本の歴史が始まってから、2008年に至るまで一度も人口が減ったことがなかった」ことであり、人口減について「日本人は誰も、これまで歴史の中で考えてきたこともない」のだという。冷静に考えると、飢饉や戦乱で日本の人口が激減したことは何度かあったはずだ。しかし「自然に人口が減っていく」というのは、確かに歴史上、はじめて経験する事態ということになるだろう。「現在の日本に続く、すべてのシステム、考え方は人口増を所与として考えられてきた」という指摘は首肯できる。

 そして「経済的に苦しい時代ほど、実は子どもをたくさん生んでいる」というのも、感覚的に同意できる。将来に対する不安が増大すると子供は増える。経済的に豊かになったことが少子化につながっているので、「金目」で人口は増やせない。う~ん、これは半分真実で、半分間違っているように思う。経済的援助が充実したからといって、三人も四人も生もうという女性は少ないかもしれないが、一人目を生む選択の後押しにはなるのではないか。

 さて、家族形態は、そのエリアの共同体(会社、国家)のフレームワークになっているのではないか、と著者は述べ、「Y軸:親子関係が自由主義的か権威主義的か」「X軸:兄弟関係が平等か不平等か」の組み合わせによって、4つのパターンを例示する(エマニュエル・トッドに教えてもらった、との説明あり)。親子が自由主義的で兄弟が平等=フランスの一部。親子が自由主義的で兄弟が不平等=英米。これらの国は核家族が絶対で、個人という概念が生まれやすい。親子が権威主義的で兄弟が不平等(長子相続が原則)=日本。ドイツ、スウェーデンもこれに近い。親子が権威主義的で兄弟が平等=中国・ロシア・ベトナム・キューバ。大家族を形成する国で、社会主義化した国は全部ここ。うまく説明がつきすぎて、ちょっと眉唾な感じはある。でも、いい悪いでなくて、伝統的な家族形態に似せた政治形態が国民にとっていちばん居心地がいい、というのは分かる気がする。

 日本の権威主義的家族主義の価値観はかなり堅牢で、敗戦によって表面的には否定されたが、内面に残り続けた。これが完全に払拭されるには、高度経済成長期以後の、社会の構造的変化を待たなくてはならなかった。

 高度経済成長は、貧しさと旺盛な食欲(購買欲)、そしてGHQが主導した「自由な空気」によってもたらされた。1973年にエンゲル係数が30%まで落ちることで、高度経済成長は終わり、日本経済は相対的安定期に入る。1973年は石油ショックの年でもあり、経済学者の下村治は「もはや経済成長は望めない」と予測していた。ところが、石油ショック以後、再び成長軌道に乗った日本経済に、世界の投資マネーが押し寄せる。73年までの日本経済は「ものづくりの資本主義」であったが、これ以降「マネー資本主義」が始まる。

 74年から90年までの間、週休二日制が定着し、コンビニエンスストアが生まれ、労働派遣法が成立し、人々の生活スタイルと価値観(労働中心から消費中心へ)を変えていく。核家族化が進行し、個人主義的な生き方が普通になり、さらに80年代後半から90年代にかけて、「金目」が全てと考える人々が出現する。

 90年代以降、日本経済は低成長またはマイナス成長が続き、長期デフレの時代となったが、前日銀総裁の白川氏は、このデフレはそれほど悪いものではない、と述べていたそうだ。著者はこれを解説していう。デフレとは物価がどんどん下がっていく状況をいうが、2008年から2015年まで、日本は賃金も上がらないが物価も上がらず、固定化した状態が続いていた。欧州経済危機だのリーマン・ショックだの、世界は激しく動いており、国内では東日本大震災もあったが、一般の日本人は、まあまあ普通に暮らしていられた。これは白川さんの功績ではないだろうか。この評価は、私の実感にかなり近い。

 ただ、それは私が安定した職を有していたからで、今の生活に満足できていない人々は「現状を変える」「特権を暴き出す」と主張する政治家に吸い寄せられていまうのだろう。しかし、人口が減少する社会では「縮小均衡」を上手に生きるしかない。人口減少は経済発展の帰結なのだから、昔に戻すことはできない、と著者は断言する。果たしてこれが正解なのかは、もう少し考えてみたい。
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カミとほとけの姿(岡山県立博物館)+尾道浄土寺ご開帳、他

2016-09-22 20:30:49 | 行ったもの(美術館・見仏)
岡山県立博物館 特別展『カミとほとけの姿-岡山の信仰文化とその背景-』(2016年9月9日~10月16日)

 三連休中日は岡山からスタート。本展は、彫刻を中心に岡山を代表する宗教美術を紹介するもので、展示替えを含め64件を展示。近年は、こうした展覧会がさまざまな地域で開かれていて、仏像好きにはたいへんありがたい。もっとも、滋賀(近江)や島根(出雲)と違って、岡山と聞いて思い浮かぶ仏像は全くなかったのだけど、とりあえず来てみた。

 受付で「2階から始まります」と教えられる。2階の2部屋と1階の2部屋、要するに常設展示を全て取っ払って、館内全てをこの特別展に使っているらしい。2階の第1展示室は「仏の造形」で15点あまり。倉敷・安養寺の小さな誕生仏像(天平時代)と銅造の如来立像(白鳳~天平)は例外として、平安時代の古仏がけっこうある。整っていて美しいなあと感じたのは、岡山市・明王寺の観音菩薩立像。腰から下の裳と弧を描く天衣の表現がリズミカルで華やか。つぶれたお団子みたいな頭髪の結い方もかわいい。

 第2室は神像。壁に沿った展示ケースには、小さな坐像が並んでいたが、中央に大人の背丈ほどの大きな男神像一対があった。津山市・高野神社(たかのじんじゃ、美作国二宮)の随身立像である。どこで見たのか思い出せなかったが、調べたら、2013年の『国宝 大神社展』で見ていた。随身門に安置されていたものというが、めったな気持ちで門をくぐれないくらい、厳しい顔をしている。

 1階に下り、第3室は浄土信仰を背景にした中世の造形。各時代の仏画も楽しめた。第4室は密教仏。曼荼羅、十二天像など絵画が中心だが、真庭市・勇山寺の巨大な不動明王と二童子像(平安時代)には圧倒された。彫刻としてはバランスが悪く、顔つきも悪相だが、異様な迫力がある。展示図録はいちおう買って帰ったが、もう少し詳しい解説がほしかった。

大本山 浄土寺(広島県尾道市)秘仏御本尊・十一面観世音菩薩御開帳(秋期:2016年9月18日~11月20日)

 開創1400年と平成の大修理完成を記念して、今年は春と秋にご開帳が行われている。本来、ご本尊は33年に一度の開扉で、近年のご開帳は2001年4月13日~15日とのこと。かなり本格的な秘仏である。私が訪ねたのは秋期ご開帳の初日で、午前中は開扉式が行われていたらしく、まだ本堂の外陣に白い布が敷いてあったり、落ち着かない雰囲気だった。机を据えただけの拝観受付で、おばさんが「えっと、本堂と阿弥陀堂と宝物館のセットで○○円、庫裏と庭園(?)を加えると○○円」と早口に説明してくれたので、安い方のコースを選択。本堂のご本尊は小さなお厨子に収まり、幕(戸帳)を左右に分けて中央を開けただけなので、正面に立たないとお姿が見えない。しかし、内陣のお厨子の前まで行けるので、じっくり拝観することはできた。

 平安初期の端正な十一面観音立像。右手は胸の前で水瓶を持ち、長い左手は体の側面に垂らしている。どちらの手も指先に流れる音楽のような表情があって美しい。顔つきにあまり人間味が感じられない(超越的である)のと対照的だ。曖昧な記憶なのだが、もとは左手に錫杖を持つ長谷寺式の十一面観音だったという説明がお堂の中にあったような気がする。

 廊下伝いに隣りの阿弥陀堂に入って、阿弥陀如来坐像(平安末期)を拝観。それから別棟の宝物館に入る。各種の聖徳太子像などがあったふが、一番面白かったのは、巨大な仏涅槃図。鎌倉時代の作だというが、集まった動物や鳥の表情が、どことなく蘆雪の画風に似ている感じがした。カピバラにしか見えない動物がいたのだが、イノシシだったのかしら…。



 そのあと、え?ここが道?というような細道に迷い込む古寺めぐりコースをたどって、駅まで戻った。

徳川美術館 特別展『ザ・ベスト@トクガワ』(2016年9月15日~11月6日)

 三連休最終日は名古屋。「ザ・ベスト@トクガワ」とは大きく出たな、と思った。徳川家康(1543-1616)没後400年の記念企画かな?と思ったが、ホームページを見ると、特にそのような趣旨は掲載されていない。よく分からない展覧会である。まあしかし、確かにいつもより名品が多いかなと感じた。無準師範筆『達磨図』(中央)『政黄牛』『郁山主図』三幅対が揃って出ていたり。高麗仏画の地蔵菩薩像(被帽地蔵菩薩)や朝鮮の活字本、『河内本源氏物語』(鎌倉時代、完本として最古のもの)、徳川家康所用の『保元物語・平治物語』など。

 一番びっくりしたのは、岩佐又兵衛筆『豊国祭礼図屏風』右隻(豊国神社社頭における田楽猿楽の奉納)が出ていたこと。8月に福井県立美術館で見た作品とこんなに早く再会するとは! 後期(10/12~)は左隻に展示替えらしい。ほかにも近世の風俗画は『歌舞伎図巻』『遊楽図屏風(相応寺屏風)』『本多平八郎姿絵屏風』と充実していた。『平家物語図扇面』は、根津美術館所蔵の作品を思い出した。唐物漆器のミニ特集も楽しい。しかし、メイン会場が蓬左文庫の展示室で、本館(第7~9展示室)が2017年1月下旬まで耐震補強工事で閉室中なのは、やっぱり数量的に物足りない。早く工事が終わってほしい。
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若狭国と絵巻(京都国立博物館)+ノンカウ展(楽美術館)

2016-09-20 23:46:01 | 行ったもの(美術館・見仏)
 三連休は関西方面に出かけてきた。初日が京都、二日目が岡山と尾道、三日目が名古屋。この連休は、東京の展覧会めぐりで過ごすつもりでいたのだが、どうしても見たいものができて、上洛してしまった。↓その理由がこれ。

京都国立博物館 『若狭国と絵巻』(2016年8月30日~10月2日)

 常設展示(名品ギャラリー)の一室の小さな特集展示なのだが、重要文化財『若狭国鎮守神人絵系図』を中心に、若狭国にまつわる絵巻物を紹介するという。私がこの絵巻の存在を意識したのは比較的最近で、2014年7月、リニューアルオープンした若狭歴史博物館で複製品を見たとき。それ以前も以後も、原品を見たことはないと思う。これは…見たいと思ったら、いても立ってもいられなくなった。

 今回の展示作品は4件。まず『彦火々出見尊絵巻』(4巻のうち巻4)は京都・曇華院所蔵。若狭国松永庄新八幡宮に伝わった原本は失われたが、明通寺に江戸時代の模本が残る。これは明通寺本をさらに写したもの。人の姿が大きく、面長な特徴も古風(鎌倉の絵巻はちまちましている)。場面は龍王の姫君が従者に守られて海を渡るところ。

 次の『若狭国鎮守神人絵系図』は若狭彦神社旧蔵、2年間の修復作業が2013年に完了して初めての公開だという。つまり、少なくとも2011年以降、公開されていなかったと考えられる。はじめに若狭彦神が節文(たかふみ)という名の眷属(人?神?)を連れて遠敷(おにゅう)郡に姿を現す。山の中に黒と赤の縞模様の幕がめぐらされ、壮年の厳めしい男神の前で横顔を見せているのが節文。この仮の御座所には、のちに神宮寺が建立された。

 場面が変わり、白馬にまたがった若狭彦神と後ろに従う節文が青雲に乗って空を駆けている。はるか下に山並み。衣服や帯紐のなびき方、馬の姿態、節文の足の跳ね上げ方に軽やかな躍動感がある。描線は細くて緻密。絵師のわくわくしている気持ちが伝わってくるようだ。こうして選ばれた地に社殿が建てられた。次の場面に神の姿はなく、木々に囲まれた社殿の前で、節文が幣をとって拝礼している。これが若狭彦神社だ。社殿の図の外れ(回廊の外)に小さな社と「黒童子社」という墨書があって、何かと思ったが、調べたら、節文自身が「黒童子神」として祀られたらしい。

 次に若狭姫神が天女たちを引き連れて高い岩の上に現れる。岩の下には黒い鵜が二羽描かれている。若狭姫も社殿に鎮座し、節文がこれを礼拝する。若狭姫神社である。このあとは、歴代社務職をつとめた笠氏の肖像が、二人ずつペアで描かれる。奇数代は礼盤に座し、偶数は上げ畳に座しているのは「一代は神と為り、一代は凡と為る」という伝承の視覚化だとか。初代の節文は明らかに特別な風貌に描かれているが、その後も個性をよく描き分けている。13代以降は後補。

 この数年、毎年、小浜に行っていることもあって、若狭彦・若狭姫神社といえば、そうか、あそこか~と風景が思い浮かぶので、とても興味深かった。チャンスを逃さず、この作品を見に来て、本当によかった! ほかに『伴大納言絵詞』模本(原本は若狭国松永庄新八幡宮に伝わった)と『日蓮聖人註画讃』(京都・本圀寺所蔵、若狭・長源寺で制作された)。

※参考:e国宝『若狭国鎮守神人絵系図

■京都国立博物館 特集陳列『生誕300年 与謝蕪村』(2016年8月23日~10月2日)

 通常「中世絵画展示室」と「近世絵画展示室」となっている二室を使って行われている。特に屏風と俳画に着目し、屏風の名品が多く出ている。所蔵者が空欄になっているものが多く、たぶん個人蔵なんだろうなあと想像していた。中国の山水画の学習成果を消化して、独自の世界を切り拓いていく様子がとても面白いのだが、まだうまくその魅力を言葉にできない。現場でいいなあと思ったのは、明和元年(1764)の『山水図屏風』。いま図録で見ていると『竹渓訪隠図』が好き。

楽美術館 秋期特別展・重要文化財指定記念『三代 楽道入・ノンカウ展』(2016年9月10日~11月27日)

 京都でもう1箇所くらい寄れそうだったので、慌てて探したら、ノンカウ(ノンコウ)展をやっていると分かって行ってみた。先だって、日本橋三越の『千家十職の軌跡展』で、やっぱりノンコウが好き!と再認識したばかりだったので、嬉しかった。冒頭に特別展示で長次郎の『万代屋黒(もずやくろ)』があり、最後の方に光悦の白楽茶碗『冠雪』があったのを除くと、全て道入の作品。茶碗だけでなく、香炉や灰器、めずらしい置灯籠もあった。高台の異様に高い、馬上盃形の茶碗には笑ってしまった。いろんな大胆な試みをしながら、最終的には「茶碗屋らしい」造形に落ち着いている気がする。自由すぎる光悦の楽茶碗を思いあわせると興味深くて、どちらも好き。
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歴史のものさしで考える/戦争まで(加藤陽子)

2016-09-19 22:42:28 | 読んだもの(書籍)
○加藤陽子『戦争まで:歴史を決めた交渉と日本の失敗』 朝日新聞社 2016.8

 大きな反響を呼んだ『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(2009)の続編と言っていいだろう。前作は神奈川県の男子校で、中学一年生から高校二年生までの17名の生徒を相手に行った講義だったが、今回はジュンク堂書店池袋本店の企画で、さまざまな学校の高校生・中学生が参加している。

 初回は、歴史(学)とは何かという総論から始まる。シラバスのお手本みたいだ。日本という国家が最初に書いた歴史書『日本書紀』は、白村江の戦いの後に成立した。これは、戦勝国の唐に対して、倭国が日本という新しい国に生まれ変わったことを主張するために書かれたのだという。「ある意味で、自ら憲法原理を書き換えたということになりますね」と著者。え~この視点は知らなかった。注を見たら、東大の大津透さんが論じているらしい。そして、昭和天皇も、太平洋戦争に負けた翌年、日本が負けたのは初めてではない、663年、白村江の戦いに敗北し、その後に改新が行われ、日本の文化の発展の転機となった、ということを述べているのだそうだ。こういう「長い時間のものさし」で世の中を見ることの大切さを著者は説くのだが、それにしても天皇家のものさしは見事に長いなあ…。

 2回目以降は、近代日本が世界と「斬り結ぶ」体験をした3つの事件を時代順に取り上げる。「満洲事変とリットン報告書」「日独伊三国同盟」「(日米開戦前の)日米交渉」である。共通した感想は、こんなに重要な事件なのに、日本人である私が、基本的なことをほとんど知らないという事実。リットン報告書といえば、日本の主張を否認し「満州国は民族自決によって作られた国ではない」と結論したことで、日本が国際連盟を脱退するきっかけとなったもの、と理解してきた。しかし、本書の紹介によると、中国側の非も指摘しており、具体的な調停案は、かなり日本に譲歩する内容となっている。にもかかわらず、当時の日本の新聞が「支那側狂喜」と報じていたというのは、やれやれという感じだ。

 一方、昨今、一部の人々に見られるように、リットン報告書が示している日本への同情を過大に評価するのもいかがなものか。リットンは、満州国の実態が「傀儡」であることを承知しながら、日本に対して、お前は侵略者だろう、と指さすのではなく、日本が交渉のテーブルにつける条件を準備したと著者は述べている。本書には、こういう驚くほど我慢強い、老練で老獪な外交官や政治家がたくさん登場する。世界の歴史は、子供のケンカのような単純な二分法で動いてきたわけではないのだ。

 なお、昭和天皇は、リットン報告書の調停案を先取りするように、満洲国に新政権をつくり、張学良をトップに据えることは不可能か、と陸相らに問いかけている。これはすごいわ~。天皇がいかに「日支親善」を心底望んで、具体案を考え抜いていたかが分かるように思う。

 日独伊三国軍事同盟は、さらにさまざまな思惑が絡んでいてややこしい。まず軍事同盟の三要素 (1)仮想敵国の設定 (2)援助義務 (3)それぞれの勢力圏、の説明がある。今後の安保関連法制を見て行くためにも覚えておきたい事柄。三国同盟の仮想敵国はアメリカであり、アメリカが日独伊いずれか一国を攻撃したら、日独伊も参戦することとした。より重要なのは、日本の勢力圏として掲げられた「大東亜」で、第二次世界大戦がドイツの勝利で終結した場合、日本はフランス、イギリス、オランダの旧植民地を手に入れるつもりでいた。つまり、三国同盟は「戦後のドイツ」を牽制するために結ばれたのである。これは河西晃祐さんの説とのこと。目からウロコが落ちる。

 日米交渉については、「ハル・ノートはアメリカの罠」「駐米日本大使館員の怠慢による対米通告の遅れ」などの風聞をばさばさと退ける。しかし、アメリカは日本の真珠湾攻撃を予測できなかった。石油生産でもGDPでも圧倒的な差があるにもかかわらず、戦争を仕掛けてくる不合理な国があることを見落としていた。この失敗は、戦後、アメリカにとって「ソ連の不合理な行動を予見するプログラム」を開発する際の重要な歴史的教訓となったという。たぶん今も、たとえば北朝鮮の行動を評価するときも日本の教訓は生かされているんだろうな。

 そして日本人として考えなければいけないのは、なぜ日本は勝ち目のない戦争に走ってしまったのか。「やっぱり民衆の声が大きかったのですか」という質問に対し、著者は「これを避けるための一つの知恵は教育だと思うのです」と答える。戦前は、普通の子どもたちにとっての天皇は、修身の授業で習う神話の中の天皇だった。本当の古代史を教えてもらえるのは旧制高校に入ってからで、100人に1人くらいしかいなかった。それでは正しい「歴史のものさし」は持ちえないし、最適解は選べない。本当にそうだと思う。いま小中学校で、道徳教育の拡充を図る動きがあるけれど、そんな余裕があるのなら、史料に基づく歴史を学ばせたほうがよほど有意義なのではないだろうか。
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皇帝と庶民の国/ネオ・チャイナ(E.オズノス)

2016-09-17 06:55:18 | 読んだもの(書籍)
○エヴァン・オズノス著;笠井亮平訳『ネオ・チャイナ:富、真実、心のよりどころを求める13億人の野望』 白水社 2015.7

 読む前の予想とはずいぶん異なる内容だったが、面白かった。まず、新刊だと思ったら2015年(1年前)の刊行だった。原著は2014年刊。著者が2005年から2013年まで「ニューヨーカー」の特派員として中国で暮らしたときの体験と取材がもとになっている。中国という国の変化があまりに速いので、5年~10年前の社会状況は、もはや遠い昔話のような感じがした。私は「ネオ・チャイナ」という邦題から、もっと直近あるいは近未来の中国について書かれた本かと思っていたので、余計に時代錯誤に戸惑った。

 また、オーソドックスな評論集かと思ったら、小説に近いスタイルだったことにも驚いた。著者は今世紀初頭の中国を叙述するにも、まず彼らの生きて来た軌跡を振り返ることから始める。本書の冒頭は、1979年5月16日、台湾の若き陸軍大尉・林毅夫が、馬山という小さな岩礁の駐屯地から、海を泳いで大陸に亡命するところから始まる。彼は、期待していたような英雄扱いはされなかったが、中国の生活に順応し、北京大学に入学を許可されて経済を学ぶ。そして本書の後半で、世界銀行のチーフエコノミスト(2008-2012)として再登場し、著者のインタビューを受ける。こんな人がいるとは全く知らなかったので、びっくりした。

 本書には、老若男女、有名無名、本当に多数の中国人が登場する。男女のマッチングサイトを立ち上げて成功した実業家の龔海燕(女性)。企業の不祥事などを暴いて雑誌「財経」を育てた元編集長の胡舒立(女性)。「クレイジー・イングリッシュ」に心酔し、自らも英語を使って世に出ようとしている張志明。愛国主義的な動画をインターネットに投稿し、幅広い支持を集めた大学生の唐傑。ブロガー、小説家、レーサーとして若者の人気を集めた韓寒。日本語に翻訳された『上海ビート』の作者だ。彼らは、本書の前半で登場したあと、また後半で著者の前に登場する。その間に10年あまりの歳月が流れており、13億人の暮らす大国で、変化の波に乗ること、あるいは乗り続けることの難しさを感じさせる。

 天安門事件以降も民主化運動を続け、獄中でノーベル平和賞を受賞した劉暁波も知っていた。盲目の弁護士にして人権保護活動の陳光誠のことは、本書で初めて詳しく知ることができた。壮絶だなあ。そして支援者たちの機智に富んだ運動(サングラスをかける、カーネルおじさんに似せたFree CGCのステッカー)も面白かった。芸術家の艾未未(アイ・ウェイウェイ)も名前くらいしか知らなかったが、作品も本人も面白いなあ。映画監督の賈樟柯(ジャ・ジャンクー)が数行だけど登場していたのは嬉しかった。

 日本では紹介されないような人物に光が当たっていて興味深かったのは、マカオのカジノで莫大な財産を築き、ギャングに狙われた「賭神」蕭潤平。無学な農民の息子から鉄道部長(大臣)に成り上り、絶大な権力を手にした劉志軍。急速な高速鉄道網の整備を実現して「劉跨越」(大躍進の劉)と呼ばれたが、温洲鉄道事故によって責任を問われることになる。この人は功罪ともに巨大で、大運河を開いた煬帝みたいだと思った。こうした、ギラギラした野心にあふれた人々を取り上げる一方で、温洲鉄道事故で生活を一変させられた人々、四川大地震の被害者(手抜き工事によって、多くの子供たちが命を落とした)なども取材している。

 2011年10月、広東省仏山市で、小さな女の子が車に轢かれて倒れたあと、しばらく生きていたにもかかわらず、周囲の人々が放置していた様子が近くの監視カメラに録画されていて、中国の人々に衝撃を与えた。日本でも「だから中国人は」的な取り上げられ方をしたのを見た記憶がある。著者は、最初に女の子を轢いたが気づかず通り過ぎてしまったバンの運転手、「見て見ぬふりをしていた」ことで、後に国民の非難の対象になった人物の言い分、最後に女の子を救おうとしたことで時の人扱いになった老女などを丁寧に取材している。そこから浮かび上がるのは、余計なことをすれば、たちまち生活の基盤が崩れてしまう不安を抱えて、余裕なく生きる人々の姿である。中国って、いつまでも皇帝と庶民の国なのかもしれない、と思った。

 著者は北京の孔子廟近くに家を借りていたらしく、ときどき生活圏の描写が入るのは楽しい。あのへん、古い王城らしくていいところだよねえ。また、途中に中国人向けのパッケージツアーに参加して欧州を旅行したときのルポルタージュも挟まれて面白い。著者は、あらゆるタイプの中国の人々に冷静で公平な関心を向け続けている。中国の民主化に掉さす心情の読者は、そのことを物足りなく感じるかもしれない。最後には、新しい指導者・習近平の登場が、帰国間際の著者の目にどう映ったかが語られており、わりと好意的な言葉が並んでいた。

 最後に思ったこと。もし外国人記者が、こんなふうに「日本の現在」を書くとしたら、どんな人々に取材するだろう。どんな本になるだろうか。

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週末は北海道:植物園+北大総合博物館

2016-09-14 23:12:38 | 行ったもの(美術館・見仏)
 日曜日は、北海道立近代美術館の『ゴジラ展』を見に行く前に、二年前まで住んでいた宿舎の近くを散歩してみた。札幌市有形文化財の清華亭は看板などが新しくなって、以前よりきれいになった印象。正面の偕楽園緑地は、こんなに緑が深かったかなあ。緑地の隅にある井頭龍神(いのかみりゅうじん)社は、雪のない季節に近づいてみるのは、実は初めてのこと。

 それから、朝9時に開園する北大植物園を訪ねる。まだ秋の気配はなくて、したたるような緑一色。人の少ない園内を、自転車です~っとまわっている作業服姿のお兄さんを見かけた。いいなあ、こういう仕事。いつもと順路を変えて、初めてバラ園に行ってみると、控えめな秋バラが少しだけ咲いていた。あまり人の手の入っていない、自然にまかせた庭の様子が、秘密の花園っぽい。



 園内の博物館(展示室)で南極に行った樺太犬ジロに会う。先日、科博でタロに会ったので、兄弟犬のジロにも会いたかったのだ。そして、タロもジロも黒一色の樺太犬だったことを再確認する(どちらかが白かったように誤って記憶していた)。

 調べたら、タロとジロは稚内生まれ。ジロは第4次越冬中の1960年に昭和基地で病死し(5歳)、剥製は国立科学博物館に保管されることになった。タロは第4次越冬隊と共に帰国した後、10年近く、この植物園で飼育されていたらしい。1970年に老衰のため14歳7か月で死亡。まあ故郷の北海道で穏やかな余生を過ごせたのなら幸せだったのかな。



 展示室には、エゾオオカミの剥製もあり。すでに絶滅した種。



 近代美術館を見たあと、午後は北大キャンパスの中にある北海道大学総合博物館を見に行く。2015年4月から改修工事のため休館していたが、今年2016年7月、リニューアルオープンしたばかりだ。

 外観は特に変わった印象を受けなかったが、中に入ると、けっこう変わっていた。「北大のいま」の展示が、学部・研究センター別になり、分かりやすくなった。各組織が、自分たちの研究をいかに分かりやすく面白く伝えるか、知恵をしぼっている様子が楽しい。北大を受験しようかどうしようかと考えている高校生にも、アピールすると思う。あと「北大の歴史」では、「国家主義の東大」に「リベラリズムの北大」を明確に対置しているのが小気味よくて、笑ってしまった。

 3階の「収蔵標本」の展示は、以前より展示らしくなった。以前というのは、初めて訪ねた2010年のことで、ただの資料倉庫のように見えて、実は中に入ってもいい、という曖昧な公開の仕方(※当時の記事)が、個人的にはとても好きだったのだけど、今回は、展示室は展示室らしくなっていた。

 でも通路の奥には入り込めないよう、さりげなくクマの剥製が邪魔をしているあたりは、この博物館らしくて好き。棚の木箱には、前回も気になった「遺存体」というラベルが貼ってある。



 この子たちも、古くからこの標本室の住人だったように思う。足元にすり寄ってきそう。

 

 そして、古生物標本の部屋はやっぱり最高! 北海道立近代美術館の『ゴジラ展』を見に行く方には、是非あわせて、この標本室の参観をおすすめしたい。耳の奥でゴジラのテーマ曲が鳴り響いて、いつも以上に想像力を刺激される。



 リニューアル前の、何が隠れているか分からない「ワンダーカマー(驚異の部屋)」的な雰囲気は薄らいでしまったが、明快で科学的(理性的)で、市民に愛される雰囲気が増したように感じた。館内にカフェができたのもうれしい。今回は利用しなかったが、なんと生ビール(サッポロクラシック!)も飲めるらしく、素晴らしい。

 このあと、まだ少し時間があったので、2015年12月にループ化された市電を1周乗ってみた。満足。

※おまけ:昼食に食べたもの。赤れんがテラス「布袋」のレディースランチ。ザンギ2個って少ないかな?と思ったが、普通の市販のから揚げの2~3個分のボリュームがあるので、お腹いっぱい。ザンギ6個の定食Aって、ちょっと信じられない。



 今回は帰りの飛行機に遅延もなく、無事帰宅。北海道、近いなあ。また行きたい。
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週末は北海道:ガロ展(小樽文学館)+ゴジラ展(道近美)

2016-09-13 22:59:19 | 行ったもの(美術館・見仏)
 週末1泊2日で北海道に行ってきた。見たい展覧会が2つあったので。土曜の昼過ぎ、小樽に着いて、駅舎の中にある立ち食い寿司「伊勢寿司」で軽い食事。ここ、札幌に住んでいたときも何度か通りがかっていたけど、気後れして入れなかった。今日は旅行者なので、ちょっと勇気を出してみる。やっぱり海鮮美味い~。

小樽文学館 企画展『編集者・長井勝一没後20年『ガロ』と北海道のマンガ家たち展』(2016年9月3日~10月23日)

 最初の目的はこれ。伝説のマンガ雑誌『ガロ』を創刊時から編集長を務めた長井勝一(ながい・かついち)と作家たち、特に北海道出身の作家たちに焦点をあてて紹介する。『ガロ』といえば、私は、白土三平、水木しげる、つげ義春など貸本マンガ出身の作家たち(※この展覧会ではマンガ家と呼ばずに作家と呼んでいる)のイメージが強いが、実は1964(昭和39)年に創刊され、内部分裂や休刊・復刊を挟みながら、2002(平成14)年まで刊行されていたことを初めて知った。展示は、とにかく物量に圧倒される。

 各時代の『ガロ』の表紙。初期の表紙デザインは『朝日ジャーナル』を意識しているそうだ。



 初期の『ガロ』と時代を共有する児童向け読み物作品も。



 ガラスケースの中の展示品以外に、自由に手に取って読める雑誌やマンガ本も大量に置かれている。



 『ガロ』とはあまり関係ないと思うのだが、たまたま目についた、雑誌サイズの鉄腕アトム「地上最大のロボット」(※浦沢直樹「PLUTO」の原案)を読み始めたら、むかし読んだ時の記憶がどんどんよみがえってきた。しかし、その場に上巻しか置いてなかったので、尻切れトンボの読書になってしまい、まだフラストレーションが残っている。白土三平の「忍者武芸帳」は、世間の評価など全く知らなかった中学生の頃、近所の区立図書館で見つけて、全巻読破した思い出がある。あ、そういえば、つげ義春作品集もその図書館で読んだのだった。

 『ガロ』関連作家の原画も多数展示されており、森雅之さんの原画があって、うれしかった。北海道浦河町出身で札幌市在住なんだな。Wikiを見たら、この展覧会に大きくかかわっている鈴木翁二さんの義弟と初めて知って、びっくり。

北海道近代美術館 特別展『ゴジラ展 特撮映画のヴィジョンとデザイン』(2016年9月9日~10月23日)

 札幌駅前に一泊し、翌日はこの展覧会へ。近年、ゴジラと特撮をテーマとした展覧会が各地で行われているが、この展覧会は、福岡と札幌にしか巡回しないようだ。福岡市美術館では副題がちょっと違っていて『ゴジラ展 大怪獣、創造の軌跡(あしあと)』(2016年7月15日~8月31日)だった。

 写真撮影可能な展示品がいくつかあって、これは平成版ゴジラスーツ(着ぐるみとか言わないのだな)。ゴジラ以外の怪獣のスーツや模型もいろいろあったが、もふもふしたモスラ(天井に釣ってあった)が可愛くて見とれた。



 映画『シン・ゴジラ』で使われた(?)東京駅の模型は会場の外に置かれていた。展示を見ると、宇宙船や兵器の模型は残されているが、怪獣に壊される街や建物は1回限りの「消えもの」なので、基本的に残っていないようだった。しかし、模型の制作を指示する設定書が微に入り細に入り、職人の情熱にあふれていて、非常に面白かった。



 グッズ売り場に隣接しておかれているシン・ゴジラのフィギュア。尻尾が大きくて特徴的だ。後方に上半身だけのシン・ゴジラがもう1体いて、こちらは撮影禁止なのだが、映ってしまったということで。



 私はこの夏の『シン・ゴジラ』が初めて見たゴジラ映画なので、初めて知ることばかりで面白かった。ゴジラ映画って、こんなに繰り返し制作されていたのか。『シン・ゴジラ』が過去作品からいろいろなヒントを得ていることもようやく分かった。それから、ゴジラが日本各地に出没していることに感心した。札幌にも福岡にも現れているんだ~。※参考:ゴジラに破壊された有名スポット(Wikitravel)

 会場には、ずっと伊福部昭氏(釧路出身)の『ゴジラ』のテーマが低く流れていて、気持ちよい昂揚感をもたらしていた。
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地図と写真で歩く/真田一族(平山優)

2016-09-08 22:25:40 | 読んだもの(書籍)
○平山優執筆・監修;サンニチ印刷真田丸プロジェクト企画・編集『戦国サバイバルを生き抜いた真田三代の軌跡:真田一族』 サンニチ印刷 2016.3

 NHK大河ドラマ『真田丸』が、まもなく関ヶ原合戦を迎え、佳境に入っている。私は、久しぶりに初回から一度の見逃しもなく、完走中である。正直なところ、どハマりの回はないのだが、毎回、何かの見どころがあって、ハズレ回が無いのはすごい。本書は、4月に山梨県立博物館の『武田二十四将』展を見に行ったとき、今年の大河視聴の参考になりそうだと思って、ミュージアムショップで購入した。執筆・監修の平山優氏は『真田丸』時代考証担当のおひとりである。

 私は戦国時代の歴史には詳しくない(あまり関心がない)が、池波正太郎の『真田太平記』は、以前、夢中になって読んだことがある。だから、真田昌幸と息子の信之(信幸)・信繁(幸村)が、このあとどうなっていくかはだいたい分かっている。真田家初代・幸隆(幸綱)のことは、やはり大河ドラマ『風林火山』で覚えた。その程度なので、本書から学ぶことは多かった。

 カラーイラストや写真を多用したムック本の形態だが、内容はオーソドックスで(面白半分に俗説や風説を取り上げたりしない)、文章もしっかりしていて安心して読めた。『真田丸』関連本ではないので、幸隆の事蹟が詳しいのはありがたかく、必然的に武田氏についての解説が多いのも嬉しかった。発行元の「サンニチ印刷」は甲府にあって、山梨日日新聞社(山日)の関連会社らしいから、武田びいきなのは当然だけど。

 地図と写真では、長野県上田市の真田の郷、岩櫃城のある群馬県吾妻郡などを興味深く眺めた。いつか行けることがあるかしら。かなりマイナーな史跡まで、ちゃんと写真が載っていてうれしい。そして小さな写真でも、対象の史跡や寺社・屋敷・城などの印象がいちばんよく分かるものを選んで使っている。編集者の心遣いと心意気が伝わってくるようでうれしい。

 甲府・上田・九度山は何度か行っているので、だいたい分かる。意外と知らなかったのは、大阪の地図。「真田丸顕彰碑」があるのは、たぶん私が一度も行ったことのない一帯だ。信繁が討たれた安居神社は、漠然と天王寺公園の近くだと思っていたが、よく行く大阪市美術館からは少し離れていることを認識した。歩くのに都合のよい気候のときに、まとめて史跡散歩してみたい。
 
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博物学者として官僚として/田中芳男(国立科学博物館)

2016-09-07 20:13:50 | 行ったもの(美術館・見仏)
国立科学博物館 企画展『没後100年記念 田中芳男-日本の博物館を築いた男-』(2016年8月30日~9月25日)

 企画展といっても常設展エリアの展示である。確か始まっているはずだと思って行ったのだが、館内に入ってしまったら何も案内がなくて、どこでやっているのかよく分からない。慌ててスマホを取り出して「日本館地下1階、多目的室」であることを確認し、ようやく会場を見つける。

 田中芳男(1838-1916)は、幕末から明治期に活躍した博物学者・植物学者。蘭方医伊藤圭介に学び、新政府の官僚として、パリやウィーンで開催された万国博覧会に参加し、内国勧業博覧会の開催を推進し、数々の著作を残し、農林水産業のさまざまな団体、東京上野の博物館や動物園の設立にも貢献した。国立科学博物館の「設立者ともいえる人物」であるところから、没後百年を記念して、田中の幅広い事蹟を紹介すると「あいさつ」にうたわれている。展示資料は44件。私はこれまで、大学図書館を中心に、田中の著書あるいはノート、スクラップブックなどはよく見てきたが、科博の資料には、田中が採集した植物や貝の標本、あるいは田中が関わった博物館天産部旧蔵の化石やキウィ(鳥)の剥製もあって、物持ちのよさにびっくりした。あと胸像と油彩の肖像画も伝わっているのだな。

 個人的には、やっぱり文書資料に関心が向く。明治15年(1882)3月15日の日付のある「博物館開館式始末書」は、上野博物館(現在の東京国立博物館)の開館式に関する資料で、町田久成博物局長(初代館長)が招待状を送った二人目に農商大書記官・田中芳男の名前がある。開館式は3月20日に執り行われた。町田と田中の名前を並べて見ると、関秀夫『博物館の誕生』(岩波新書、2005)が思い出されて、感慨深い。

 東京大学総合図書館所蔵の『捃拾帖(くんじゅうちょう)』と『外国捃拾帖』も出ていた。どちらも田中のスクラップブックで、引札・ラベル・包み紙など、屑のような資料を大量に集めて保存してある(※詳細は、モリナガ・ヨウ『東京大学の学術遺産:捃拾帖』参照)。しかし、全96冊の『捃拾帖』が2冊しか出ていないのは物足りない。『農業館陳列掛図写真帖』(明治24年/1891)も東大総合図書館の蔵書。ふつうの刊行図書のようだが、写真が貼り付けてあり、かなり劣化が進行している。これ、目録を確認したら貴重書にも指定されていないようだけど、早く処置をしたほうがいいように思う。老婆心ながら。

※おまけ:ついでに日本館の常設展示をひとまわり見て来た。日本列島の地質・気候・動植物・人間の歴史などを紹介する同館は、徹頭徹尾「博物ワールド」で、子供の頃から私が科博の中でいちばん好きだったエリアである。田中芳男の精神とすごくシンクロしていて、楽しかった。

手前の白犬は忠犬ハチ公。意外と大きい。飛びつかれたら重そう。後列右のもふもふした黒犬は南極に行った樺太犬のジロ。そうか、ここにいたのだったか。タロには札幌の北大植物園で何度か会っている。後列左の黒犬は日本原産の甲斐犬。



ニワトリが並ぶと、どうしても若冲。



日本近海の生きもの。こういう多様性と物量の「博物学ワールド」大好き。


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江戸っ子の愛した水滸伝/国芳ヒーローズ(太田記念美術館)

2016-09-06 04:49:55 | 見たもの(Webサイト・TV)
太田記念美術館 『国芳ヒーローズ~水滸伝豪傑勢揃』(2016年9月3日~10月30日)

 『通俗水滸伝』シリーズのほぼ全点に加え、歌川国芳(1797-1861)が手がけた「水滸伝」に関連する多彩な作品を展示する。うわーたまりませんね! 「奇想」「ユーモア」「役者絵」「美女」など、国芳の魅力は数々あれど、やっぱり武者絵のカッコよさにとどめを刺すと思う。

 文政10年(1827)に刊行を開始した『通俗水滸伝豪傑百八人之一個(ひとり)』は、国芳を人気絵師の一人に押し上げた出世作。図録解説によると「108人を残らず出版した」と言われているが、74点しか確認されていない。しかも同じ人物を何回も描いたり、1枚に複数の人物を描いたものもあるので、108人のうち絵画化されたのは75人である。本展(前後期展示替あり)では、その「ほぼ全て」を見ることができるが、『神行太保戴宗』だけ出品が叶わなかったそうだ(図録に図版は掲載)。う~残念。

 よく知られている作品は、大木をたたき割る『花和尚魯知深』、倶利伽羅紋々の裸身で刀を咥えた『浪裡白跳張順』、黒馬で白雪を蹴散らす『急先鋒索超』などか。一方、天球儀みたいな器具を横に置いて夜空を眺める『智多星呉用』、剣を捧げて天に祈る『神機軍師朱武』などは、あまり記憶になかった。たぶん「武者絵」としてはインパクトが弱いから、あまり取り上げられないのだろう。しかし、文と武、静と動のさまざまなバリエーションを楽しめるのが、このシリーズの魅力である。だいたい赤と青の強いコントラストが目を引くが、『入雲龍公孫勝』みたいに黄色と緑とオレンジを基調にしたものもあって面白い。

 着物や彫り物の図柄をよーく見ていくと本当に面白い。『旱地忽律朱貴』の彫り物は九尾の狐。『菜園子張青』の彫り物は孫悟空。そして腰に巻いた着物の柄もサルに見える。『豹子頭林冲』の衣の前には手長足長?みたいのがいるし、『玉麒麟蘆俊義』の腹にいる変な動物は白澤? 衣の柄は河童だろうか?

 『通俗水滸伝』には、彫り物をしたヒーローが多数描かれる。原文『水滸伝』でも花和尚魯知深や九紋龍史進は、彫り物をしていたことになっているが、国芳はその数をうんと増やしている。しかし中国に彫り物文化があったというのは忘れがちだ。「身体髪膚…あえて毀傷せざるは孝の始めなり」という儒教のお国柄だから、彫り物を入れるって、ものすごくアウトローだったんじゃないかと思う。また、国芳は水中で活躍するヒーローを好んで描いているような気がする。これ、『水滸伝』以前の中国の小説にはなかったタイプのヒーローで、必然的に単独行動になる点でも、近世的で、魅力的だ。

 国芳の門人・河鍋暁斎は、国芳が「宋人李龍眠の描きし水滸伝百八人の像」を見て参考にしたと述べているそうだ。李龍眠の水滸伝! そんなものがあったの? 李龍眠筆と思われていた中国絵画という意味だろうか。しかし、国芳の描く豪傑たちは、いかにも中国テイストのものもあれば、そうでないものもある。まあ細かいことはどうでもいいのだ、カッコよければ。この感じは、中国の武侠物といわれるテレビドラマに少し似ている。国芳の絵を見ているうち、まだ見ていない中国ドラマの『水滸伝』が見たくなってきた。

 さて国芳は『水滸伝』の「見立て」や「パロディ」も手掛けている。『狂画水滸伝豪傑一百八人』は19枚の続きもので、豪傑たちがざまざまに滑稽な姿で登場。九天玄女にデレる宋江とか、虎を手なずけて振り分け荷物をかつがせる武松とか、思わず吹き出してしまう。描き添えられた犬猫もかわいい。

 そして、武者絵の傑作『本朝水滸伝豪傑百八人之一個』も、一種のパロディなのだな。『犬塚毛野』の着物が(応挙風の)仔犬柄でかわいい。このシリーズは、巨大な動物と戦っている図が多いなあ。版本『風俗女水滸伝』は「当世の美女たちを水滸伝の豪傑たちに見立てた」と解説にいうけれど、私はむしろ「水滸伝の豪傑たちを美女に見立てた」んじゃないかと思う。現代人が三国志の英雄を美少女キャラ化する感覚と同じなんじゃないかと。『当盛水滸伝』は「108人の淫乱な男女が放たれる」という艶本だそうで、この発想には笑った。さすが日本人、クールだわ。残念ながら、危ない場面は展示されていなかったけど。

 江戸時代の日本人が、ほんとに水滸伝を愛していたことはよく分かる。でも今の日本人は、たぶん水滸伝より三国志だろう。反体制の豪傑より忠義の英雄。この変化は、いつ頃、どうして起きたのかは、とても気になっている。中国人の好みは三国志より水滸伝だと言われてきたけど、今でもそうなのかな。そして、この国芳描く水滸伝のヒーローたちを、ぜひ中国人に見せて感想を聞きたい。
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