見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

張家界・鳳凰古城2016【補遺】食べたもの・気になったもの

2016-08-24 23:31:49 | ■中国・台湾旅行
武陵源のホテルの夕食に出た張家界名物の竹筒飯。竹筒の容器に入っていたのは、ご飯ではなくおかずだった。魚の辛味煮込みや豆腐など数種類が出た。



武陵源のホテルは、めずらしくアメニティセットが有料(10元)だった。これは日本でも広まってもいいな。



武陵源から鳳凰城に向かう途中、トイレ休憩を取った道端のお店で売っていた草餅。1個2元。よもぎがぎっしり。ザラメ砂糖のじゃりじゃりする餡入り。素朴な甘さで美味。



そして、このお店の外に放置されていた椅子。むかし(※2005年9月)日本民藝館のミュージアムショップで買った「張家界製」の椅子と全く同じデザインだった。今でも私はこの椅子を使っている。毎日、このブログも「張家界製」の椅子に座って書いている。



鳳凰古城のある鳳凰県の特産はキウイ。中国語では「奇異果」が一般的だと思うが、ここでは「猕猴桃」(mi2 hou2 tao2)という表記をよく見た。



古城街を流れる異臭の正体は香豆腐。臭豆腐を揚げたもので、湖南省の名物。



湖南省といえば唐辛子。ツアーの食事は、日本人向けに辛味を抑えたものばかりだったが、唐辛子はあちこちで見た。



鳳凰古城の名物・姜飴(生姜飴)は、どの店も店先で、叩いてこねて伸ばすパフォーマンスをやっていた。



なお、現地で張家界森林公園の地図を見たとき、「百龍天梯」(ガラスのエレベーター)の降り口のそばに「張良墓」という記載があって気になった。ネットでいろいろ調べてみたら、漢高祖・劉邦の軍師であった張良は、仙人になることを求めて青岩山という地に移り住み、張良の名にちなんで「張家界」と呼ばれるようになった、という伝説があるそうだ。まあ伝説だけど。
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張家界・鳳凰古城2016【最終日】上海→成田

2016-08-21 23:14:28 | ■中国・台湾旅行
朝早い帰国便に乗るため、最終日のモーニングコールは5時半。しかし、この上海大衆航空賓館、空港のターミナルビルと通路でつながっている。たいへん便利でありがたい。今回の旅行は、連日ホテル着が遅くて、中国のテレビ放送を見る時間がほとんどなかったが、最終日の朝、チャンネルをまわしてみたら、人気ドラマ『琅琊榜』の再放送をやっていて、思わず見入ってしまった。私はBSもCSも見られない環境なので、最近、YouTubeで中国語字幕版を見始めたところである。



機内食は中華おこわ。これは旨い。たぶん炒飯より日本人好み。前日の張家界→上海でも中華おこわの軽食が出て、夕食を食べたあとにもかかわらず、半分くらい食べてしまった。



成田には時間どおり、無事、到着。しかし翌日(8月22日)が台風で大混乱になったことを思うと、台風と台風の間をうまくすり抜けたラッキーな旅行だった。そして、やっぱり中国は、トラブルを含めて楽しい。ツアー参加者の中には、いろいろ細かい不満を漏らしていた人もいたけど、私は全く不満なしだった。また行きたい。

(8/22記)
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張家界・鳳凰古城2016【4日日】鳳凰古城→張家界→上海

2016-08-20 23:51:05 | ■中国・台湾旅行
観光最終日は、鳳凰古城の中心部を徒歩で観光。古城街の広場に朱鎔基さんの「鳳凰城」の文字があった。好きな政治家だったので懐かしい。しかし字はお世辞にも上手くないなあ。朱鎔基さんは湖南省長沙市の出身だが、鳳凰城との関係はよく分からない。明太祖・朱元璋19世の子孫であるというのは、今、Wikiを見て知ったが、そう言えば朱元璋も癖字だった。



沱江の南岸に、城壁に囲まれた古城街(写真右側)がある。ただし、表通りは、ほぼ観光商店街と化している。



明清の古建築は、強く反った瓦屋根を乗せた「うだつ」が特徴。写真は2階と3階部分で、1階部分は現代的な店舗になっているものが多い。



街歩きのあと、10人乗りの小船に分乗して、30分ほど川下り。川幅が広いので湖のようだ。船頭さんは長い竹竿とオールを使い分けて、器用に船を操り、船歌も聞かせてくれる。川岸にせり出した高床式の「吊脚楼」という建物が櫛比し、どこか東南アジアの国に来たような感じ。日差しが刺すように強く、暑い。



万名塔。清・嘉慶年間にあった字紙炉(文字を書いた紙を焼くための炉)の塔を前身とし、1980年代に人々の寄附で建てられたもの。



下船後、二層式の虹橋(風雨楼)の二階から眺望を楽しみ、銘菓・生姜飴の老舗「鎮竿張氏」でショッピング。銀製品や織物・水牛の角製品・楽器の店も多かった。



少し早い昼食を済ませ、予定どおり、高速道路を使って張家界市内へ戻る。昨日のような生活感のある車窓風景には出会わなかったが、起伏に富み、緑に覆われた雄大な風景は、黄土高原の高速道路では見られないもので、楽しかった。

空港の近くで夕食。遠くの山並みに穴が開いたように見えるのが「天門山」であると、ガイドの王さんが教えてくれた。慌てて写真を撮ろうとしたが、結局、張家界空港の滑走路からがいちばんよく見えることを発見。来たときは夜遅かったので、まわりの風景に気づかなかったのだ。



ツアー31人のうち、東京組は19時出発の便で上海浦東空港へ。関西組6人は11時過ぎの便に乗ったため、上海到着は深夜3時近かったとのこと。

(8/22記)
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張家界・鳳凰古城2016【3日日】武陵源→鳳凰古城

2016-08-19 22:12:50 | ■中国・台湾旅行
朝は索渓谷自然保護区の宝峰湖で遊覧船観光を楽しむ。ガイドの王さんが「ベトナムのハロン湾の風景に似ていると言われます」と言っていたが、確かにそんな感じ。湖岸にしつらえた小屋に民族衣装の歌い手さん(男性・女性)が待っていて、通りすがりに船の中から拍手で呼ぶと、民謡をひとふし歌ってくれる。



お茶屋さんに寄って、土家(トチャ)族の苺茶などを試飲し、ショッピング。午後は昨日に続き、森林公園地区の中に入って、金鞭渓流を観光。この銅像は、画家の呉冠中(1919-2010)で、あまり知られていなかった武陵源の絶景を絵に描き、世の中に広めた人なのだそうだ。



そう言われても思い出せなかったが、2012年の東京国立博物館『中国山水画の20世紀 中国美術館名品選』に作品が出ていて、私は、わざわざ名前を挙げて「すごく好き」と書き留めていた。ガイドの王さんの説明では、伝統的な山水画を描いたように聞こえたが、抽象画のような、全く新しい墨画を描いた人である。

それにしても、武陵源地区が1980年代に発見された名勝である、というのも面白い。そのため、中国の名勝古跡にありがちな、岩壁に刻まれた大きな文字(たいてい赤く塗ってある)が全くないのが、非常に新鮮でよい。

金鞭渓流の遊歩道では野生のサルに遭遇。アカゲザルという種類らしい。ニホンザルに似ているが尻尾が長い。しかし、姿勢によっては尻尾を尻の下に巻き込んで座るので、素人には、ニホンザルと区別がつかない時がある。東博の名品、南宋絵画の『猿図』はこのサルだろうか、と思う。



当初、この日は高速道路で一気に鳳凰古城に向かい、翌日、苗(ミャオ)族の村を観光しながら張家界に戻ることになっていたが、予定を変更。観光最終日に余裕を持たせるため、この日は一般道を走って、5時間以上かけて鳳凰古城に向かう。車窓から眺める人々の生活風景が楽しい。全土に高速道路網が張り巡らせる前の、90年代くらいの中国旅行を思い出して、懐かしかった。

日が傾く頃、ミャオ族の村に到着。険しい山に張り付いた一本道で、どこに村があるのかと思ったら、車道から川に向かって下りていく斜面に瓦屋根の木造家屋が肩を寄せ合うように固まっている。人々が普通の生活を営みながら、その一部を観光客に公開していた。



村の入口に「脱貧到小康」というスローガンが掲げられていたけれど、こうした観光収入も役に立っているんだろうか。



渋滞に苦しみながら、鳳凰古城(湖南省湘西トゥチャ族ミャオ族自治州鳳凰県)に入り、ホテルに到着したのは夜の9時過ぎだった。夕食後、ガイドさんの案内で、徒歩でライトアップを見に行く。ライトアップと聞いて、嫌な予感(笑)がしていたが、中国人って、ほんとにやることが徹底している。



水量豊富な沱江(だこう)には、新旧さまざまな橋がかかる。水遊びで涼をとる家族連れ、川沿いのバーやディスコで楽しむ若者など、深夜になっても賑やか。



ガイドさんが引き上げたあとも、ツアーの仲間と自由散策を楽しみ、ホテルに戻ったのは午前0時過ぎだった。こういう盛りだくさんの1日も、むかしの中国ツアーみたいで懐かしかった。

(8/22記)
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張家界・鳳凰古城2016【2日日】張家界→武陵源

2016-08-18 19:38:56 | ■中国・台湾旅行
朝、張家界市中心部のホテルを出発して、車で1時間ほどの武陵源(ぶりょうげん)に向かう。武陵源は、張家界森林公園、索渓谷自然保護区、天子山自然保護区などの地域からなる広大な自然保護区の総称である。空港で「阿凡達」の世界へようこそ、という広告を見て、何だろう?と思ったら、奇岩の峯々が聳え立つ武陵源の絶景は映画「アバター」のパンドラ星のモデルになっているのだそうだ。へええ、知らなかった。

今日の観光は天子山自然保護区から。観光ステーションでツアーバスを下り、小型のシャトルバスに乗り換える。さらにロープウェイに乗ると、絶対に日本では見られない光景が開けて行く。絶壁の間を軽やかに上っていくロープウェイは、SFというより、武侠ドラマの達人の神功の如し。



ロープウェイの終着駅から再びシャトルバスで移動し、最初の観光ポイントである賀龍公園へ。張家界の出身で建国の英雄である賀龍将軍(←このひとは好き)にちなんだ公園である。筆を立てたような「御筆峰」(↓)と二人の仙女が花籠を抱えたような「仙女散花」の峰が見どころ。



公園内に楼閣風の展望台があり、入ってみると、途中の階で、パフォーマンスとしてひたすら蝦(エビ)の墨画を描いているおじさんがいた。「張家界書画院副院長 劉毅」の看板が掲げてあった。中国の芸術家は(今も昔も?)大変だなあ。最近、どこかの展覧会で「海老を描かせたら右に出る者のいない画家」の作品を見たなと思いながら、その場で思い出せなかったが、調べてみて斉白石だと分かった。劉毅先生の海老も薄い墨色がきれいで、なかなかよかった。



賀龍公園内には麦当労(マクドナルド)もあり。日本にはない、どんぶり飯みたいなメニューが美味しそう。



午後は「天下第一橋」と呼ばれるアーチ型の岩山、眺望のすばらしい「迷魂台」などを散策。結局、一万歩くらい歩いた。あまり高低差のないルートで楽だったが、とにかく暑いので、汗びっしょりになった。

最後は、絶壁に張り付いたガラス張りのエレベーターで下山。335メートルの高さをわずか1分で移動する。「百龍天梯」「天下第一梯」とはよく言ったものだ。景観保護の観点から批判もあるだろうけど、これはこれでよいと思う。何百年かしたら、きっと万里の長城みたいに、とてつもない発想の遺跡として残るだろう。それから、中国の山水画は、よく見ると必ず人の通り道が描かれている、という話を聞いたことを思い出した。



ちなみに、私たちのツアーが張家界を離れた8月20日には、張家界市に世界一のガラス橋(地上300メートル、全長約430メートル)がオープンして話題になっていたが、この橋は武陵源でなく、市中心部に近い天門山国家森林公園(※後述)にできたものである。夜は武陵源区のホテルに宿泊。

(8/22記)
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張家界・鳳凰古城2016【初日】成田→上海→張家界

2016-08-17 23:28:37 | ■中国・台湾旅行
2012年の江西・福建旅行から4年ぶりの中国旅行である。仕事の関係で長い夏休みが取りにくかったり、中国の大気汚染が深刻化したり、いろいろあって中断していた。今年も、いつも同行してくれる友人と休暇が合わず、オーダーメイドは早々にあきらめてしまったのだが、初めてパッケージツアーにひとりで参加を申し込んでみた。行き先は張家界・鳳凰古城(湖南省)である。

初日、つくばセンターから成田空港へは高速バスで約1時間。東京西部に住んでいたときに比べると非常に近い。しかし、私の乗る飛行機は、前夜、台風の影響で成田に降りられず、名古屋に着陸したとかで、2時間半遅れの出発となる。成田-上海の搭乗券と一緒に、上海浦東空港で乗り継ぎの目印(シール)を渡されたが、あまり機能していなかった。



乗り継ぎには十分な余裕があったので困らなかったが、そもそも何の計画も立てていなかった上に、中途半端な時間になってしまったので、時間のつぶしかたに迷う。ふとリニアモーターカーの空港駅を見つけたので、往復を乗ってみた。最高時速300キロで終点まで約8分。日本にも(成田~東京間の一部でもいいから)欲しい! 終点の「龍陽路」から地下鉄に乗り換えると、市内中心部に行けるらしい。



夜遅く、張家界空港に到着し、現地ガイドの王さん(丸顔の若い男性)に迎えられる。同時にツアーの参加者も初めて顔合わせ。関西組&成田組の合計で31名と聞く。思っていたよりずっと大人数で、若い世代(30代以下?)もちらほら混じる。張家界市内のホテルにチェックイン。

(8/21記)
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お盆休みイタリアン

2016-08-16 23:55:32 | 食べたもの(銘菓・名産)
お盆休みに昔の職場の友人と会食。本郷通りにある「ラ・ストラーダ・ディ・カンパーニャ」というイタリア料理のお店。

老舗の多い本郷通りでは、比較的新しいお店。昔、何のお店だった?と聞いたら、古本屋だったとか。よく覚えていない。

北海道産の食材を多く使っていて、美味でした。友人は、ランチにも使っているとのこと。都会生活がうらやましい。









さて、明日から中国旅行なのだが、台風の影響で窓の外の天気はかなり荒れている。果たして、飛行機が飛ぶか否か?が第一関門。まあ寝よう。
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2016年8月:お盆休み@東京とその近郊

2016-08-15 23:37:27 | 行ったもの(美術館・見仏)
今週は丸1週間のお盆休み。土曜日から今日までの3日間、美術館・博物館を回遊してきたので、まとめてレポート。

根津美術館 コレクション展『はじめての古美術鑑賞 絵画の技法と表現』(2016年7月23日~9月4日)

 「たらしこみ」「溌墨(はつぼく)」「そとぐま(外暈)」「金雲(きんうん)」など、日本美術・東洋美術で使われる技法と用語について、実例を見ながら学ぶ。あまり見たことのない珍しい作品もあり、思わぬ名品が出ていたりもした。「金雲」の例に出ていた『洛中洛外図屏風』に吉田神社の大元宮を発見する。展示室2は「截金(きりかね)」「繧繝(うんげん)彩色」など仏画が多く出ていた。「裏箔(うらはく)」は言われないと気づきにくいなあ。

太田記念美術館 企画展『怖い浮世絵』(2016年8月2日~8月28日)

 あまりよく知らなかった歌川芳員(よしかず)、歌川芳艶(よしつや)の作品が印象に残った。どちらも国芳門人。特に芳艶は、ちょっと画像検索してみたら、魅力的な作品が多数ヒットして、目も心も持っていかれた。Wikiには「月岡芳年や落合芳幾など並み居る国芳門弟たちの中に隠れ、名前は殆ど知られていないが、国芳の武者絵の才能を最もよく受け継いだ絵師である」とある。これから強く推していこう! いわゆる「血みどろ絵」も多数あって、見ているお客さんがだんだん口数が少なくなっていく気がした。

出光美術館 開館50周年記念『東洋・日本陶磁の至宝-豊麗なる美の競演』(2016年7月30日~9月25日)

 出光美術館が誇る陶磁器コレクションの中から、中国・朝鮮・日本陶磁の選りすぐりの作品を展観。私は東洋陶磁器に関心を持ち始めた発端が出光の展覧会だったので、この企画はとても懐かしかった。2002年から10年くらいやっていた「やきものに親しむ」シリーズの展覧会はほぼ全て見ている。大好きな磁州窯の『白地黒掻落鵲文枕』を久しぶりに見ることができて、ほんとに嬉しかった! 古九谷に柿右衛門に鍋島に、元代の『青花魚藻文皿』にも満足。ただ、絵唐津でいちばん好きな『柿文三耳壺(水指)』が出ていなかったのは残念。久しぶりに陶片室もひとまわりしてきた。

神奈川県立金沢文庫 企画展『国宝でよみとく神仏のすがた 新国宝指定 称名寺聖教・金沢文庫文書から』(2016年8月5日~10月2日)

 開催概要に「新国宝である『称名寺聖教・金沢文庫文書』を通じて、普段あまり見る機会の少ない個人蔵の神像や仏像、仏画などの仏教美術作品をご紹介いたします」とある。重要なのは後段。学術的には知られているのかもしれないけど、私のような素人は全く見たことのない「個人蔵」の神像や仏像、および仏画が多数出ている。ポスターにもなっている弥勒菩薩立像(鎌倉時代)も個人蔵。衣の襞の彫りが深くて、装飾的でシャープ。光背が笠のように後頭部にくっついているのが面白い。確か大和文華館でも見たことのある『金胎仏画帖』(平安時代)もあった。

鎌倉国宝館 特別展『仏像入門~ミホトケをヒモトケ!~』(2016年7月23日~9月4日)

 「ミホトケをヒモトケ!」は「毎年好評をいただいている特別展」だそうだが、あまり展示に変化もないだろうと思って、一度も行っていなかった。初めて行ってみたら、なかなか充実していてよかった。涅槃図など、絵画資料も出ている。新顔?と思ったのは、平常展示ゾーンで十二神将の中になぜか混じっていた十一面観音菩薩立像(南北朝時代)。頭上面が妙に大きくて、横に飛び出している。解説によると、山崎宝積寺の本尊であったが室町時代に廃寺となり、円覚寺派の昌清院(鎌倉市山崎)に伝えられたそうだ。金沢文庫と鎌倉国宝館をハシゴすると、仏像好きにはかなり満足の1日になる。

国立歴史民俗博物館・企画展示室 『よみがえれ!シーボルトの日本博物館』(2016年7月12日~9月4日)

 シーボルト(1796-1866)が亡くなる直前にミュンヘンで開いた「日本博物館」の再現を試みる。ミュンヘン五大陸博物館から約300件の資料が里帰り。江戸博では類似の展覧会があったな、と思ったのは、お雇い外国人エドワード・モースの展覧会だった。シーボルトの日本コレクションが一部とは言え、里帰りするのは初めてのようだ。里帰り品は、私の江戸イメージを裏切るところもあって面白かった。「日本の宗教」と題された展示(木版画が残っている)の再現コーナーは、蛇神弁才天像(宇賀神だな)はともかく、亀形筮筒台(こんなの見たことない)、蓮華を模した鍍金の高杯一対、銅製の麒麟の香炉一対など、わけの分からない取り合わせになっている。蝦夷図など北方関係の資料が意外と多いのも印象的だった。

■国立歴史民俗博物館・第3展示室(近世)副室 『「もの」からみる近世「戦国の兜と旗」』(2016年8月9日~9月19日)

 戦国時代を象徴する資料として名高い『落合左平次道次背旗』(東京大学史料編纂所所蔵)が修理後初のお披露目。たぶん現物は初めて見た。裏表に同じ絵(正面の図)が描かれているとは知らなかった。表面のほうが少し体毛が濃い気がした。あわせて「変わり兜」多数。「眼鏡付兜」にはびっくりした。

江戸東京博物館 『伊藤晴雨 幽霊画展』(2016年8月11日~9月25日)『大妖怪展』(2016年7月5日~8月28日)

 「責め絵」で有名な伊藤晴雨が描いた幽霊画コレクション。落語家五代目柳家小さん(1915-2002)の手元に残された画幅で、谷中の全生庵に寄贈されている。かなり怖いものもあり、ユーモラスなものもある。あわせて『大妖怪展』の後期も見て来た。お目当ては、長徳寺の『六道絵』2面と『百鬼夜行絵巻』真珠庵本。高井鴻山という画家の『妖怪図』『妖怪山水図』が面白かった。幽霊画はかなり入れ替わっていて、金性寺の『提灯に幽霊』が激しく怖かった。

以上。今月の展覧会めぐりはほぼこれで打ち止め。
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破壊の爽快感/映画・シン・ゴジラ

2016-08-14 09:57:44 | 見たもの(Webサイト・TV)
○庵野秀明脚本・編集・総監督『シン・ゴジラ』(TOHOシネマズ流山おおたかの森)

 話題の『シン・ゴジラ』を見て来た。爽快感があって面白かった。それ以上に、これでさまざまなネタバレ批評を心置きなく読めると思ってホッとした。実はこの映画、私が初めて見た怪獣映画である。1970年代、テレビの特撮物は大好きだったのに、超人の出ない怪獣映画には興味がない子どもで、そのまま大人になってしまった。初代『ゴジラ』に関しては、さまざまな解釈や批評を読んできたが、実は原典を見ていないのである。

 『シン・ゴジラ』についても、セリフの量が異常に多くて会議の場面が多いとか、庶民の姿があまり描かれないとか、小池百合子似の防衛大臣と甘利明似の大臣が出るとか、ゴジラは野村萬斎のモーション・キャプチャーであるとか、その程度の情報は(求めなくても)入ってしまっていた。

 しかし、始まってすぐ画面に全身を表すゴジラ第二形態には意表を突かれた(第一形態は尻尾のみ映る)。瞳の小さい大きな目。笑っているように大きく開いた獰猛な口。吾妻ひでおのマンガっぽい。無様に這いずりながら多摩川を遡行する姿は、ゴジラとは全く別の怪獣だった。あとで立ちあがった第三形態、第四形態のゴジラの圧倒的な強さより、私は第二形態のほうが夢に見そうで怖かった。全然忘れていたけど、埼玉県鶴ヶ島市の脚折雨乞(8年前に見た)の龍蛇、一部で騒がれていたように、確かに第二形態に似ている。あと、水面に隠れたゴジラが、ボートや車や建造物の残骸を巻き込みながら川を遡行してくる姿は、どうしたって東日本大震災の津波の映像を思い出させた。

 この映画の見どころは、現在の日本にゴジラ(巨大不明生物)が現れたら、という想定で、閣僚・官僚・自衛隊の対応がリアルに描かれている点だと言われている。確かにセリフが容赦ない霞が関用語でできているので、字幕がほしいと思うときはあった。「自由」?と思って続きを聞くと「事由」だと分かるとか、気が抜けない。しかし官僚って、四六時中あんな調子でしゃべっているのか?と呆れたが、取材に基づくというから、そうなんだろうなあ。なお、私は、そんなことより、ゴジラの圧倒的な巨大さ、自衛隊の攻撃も米軍の攻撃も、ものともせずに撥ね返す強さが爽快だった。あまり(擬人化された、分かりやすい)怒りを露わにしないところに凄みがあってよかった。

 私は、ゴジラに血液凝固促進剤を飲ませる「ヤシオリ作戦」の意味が不覚にも分からなかった。あとでヤマタノオロチに飲ませて眠らせた「八塩折之酒」に由来すると知って、なるほど~と唸った。どちらかというと、福島第一原発事故のとき、消防車で水を注入したことを思い出していた。同時に、あれは結局、根本的な解決にならなかったなあ…という記憶があったので、ゴジラは、こんな人間の浅知恵を蹴散らして、もう一度起き上がるんじゃないかと思ったら、起き上がったところで、あっさり凍りついてしまったので、拍子抜けした。

 この映画、現政権のプロパガンダだとか、いや政権批判の立場だとか、いろいろ議論もあるそうだ。私はどっちでもいい。主要閣僚がゴジラの一撃で全員死亡してしまうのは、なかなかブラックだと思った。国会前(官邸前?)のデモらしきものが一瞬、遠景に映るが、これは意図がよく分からなかったところ。不眠不休の官僚たちの奮闘を際立たせるための対比なのかな? 一般庶民が自分たちの声を上げている唯一の場面とも言える。リアリティを追及しているようでいて、物事を決めるのは閣僚会議ばかりで、議会や議員が全く描写されないのは不思議。しかしこれが今の日本人の平均的認識なのかもしれない。

 あと天皇と皇室をどうするか、という描写もない。今の皇室一家を念頭に置きながら、あの混乱の中で避難はされたのだろうか、と案じてしまった。何しろ、ゴジラと自衛隊が最後の死闘をくりひろげるのが東京駅で、目の前が(映っていないけど)皇居だから気になったのだ(気になって調べたら、1954年のゴジラも皇居すれすれを通過していたことが分かった)。

 野村萬斎のゴジラであるが、とにかく姿勢がいい(笑)。全くきょろきょろせず、上半身を動かさずに摺り足で動いていく。下半身が袴を穿いたようにふくらんでいるし(自重を支えるためにそうなるのだろう)、背景に能舞台の松の絵(鏡板)が見えてくるような感じだった。あとは高橋一生さん演じる文部科学省の官僚(安田)がキュート。絶対、平時はダメ官僚なんだろうな、と想像できる。
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信念と勇気が未来をつくる/書店と民主主義(福嶋聡)

2016-08-11 21:58:33 | 読んだもの(書籍)
○福嶋聡『書店と民主主義:言論のアリーナのために』 人文書院 2016.6

 福嶋さんの著作では『劇場としての書店』(新評論、2002)と『希望の書店論』(人文書院、2007)を読んできた。本が売れないと言われ、インターネットやデジタルコンテンツが普及する中で「紙の本」はなくなるのか、という危機意識が主要テーマだったと思う。本書は、近年、書店と出版文化をめぐって注目を集めた「ヘイト本」問題が中心になっている。2014年から2016年前半にかけて、折にふれて著者がさまざまな媒体に発表してきた文章を収録したものだ。

 その冒頭に、2014年11月に刊行された『NO! ヘイト:出版の製造責任を考える』(ころから)の話が出てくる。書店員へのアンケートに現れた多様な意見、書棚がヘイト本で埋め尽くされることに抵抗を感じる書店員がいる一方で、「表現の自由を否定するのか」「編集者や出版社は、思想に奉仕するためにあるものではない」という反発の声もあることを紹介した上で、著者は、自らの志向に反する書物を、安易に「書物の森」から排除することはしたくない、と述べる。

 1995年のオウム事件の直後、全国の書店からオウム出版の本が一斉に消えた。しかし、著者は勤め先の書店で「オウム出版の本を外さなかった」という。周到に考えられた理由のひとつは、学界やジャーナリズムの人たちは、これからオウム事件の原因や状況について検証しなければならないのだから、彼らに原資料を提供する責任が書店にはある、というもの。これは納得である。

 たとえその主張に大いに疑問を感じる本でも、書店の棚から排除すべきではない。「右翼」の鈴木邦男さんは、はじめは保守主義や愛国的な傾向のあるものを読んでいたが、左翼陣営の考え方を知りたくなって、自由主義やマルクス主義の本を読むようになり「自分の思想信条を強化する本を読むよりも、自分に敵対する思想信条を読んだ方が、よほど勉強になった」と語っているそうだ。いいなあ、この発言。でも、つまらぬ左翼学者の本ではなくて、源流まで遡って、マルクス主義の古典と直接対決することが重要なんだと思う。これは、どんな思想でも同じ。

 鈴木邦男さんは著者とのトークイベントでも「こういう本を読んでいる人は、こんな本も読んでいますよ」という類似本のレコメンドでなく、「こんな本ばかりでなく、違う考え方のこういう本も読んだらどうですか?」というアドバイスがあった方がいい、という発言をされている。これができたら素晴らしいな~。ちなみに福嶋さんは、流行りの「コンシェルジュ」を書店員がつとめることには懐疑的で、むしろ本を買いに来るお客様こそが、書店員にとってのコンシェルジュ(いろいろ教えてくれる先導者)だという。実は図書館員と利用者も、最良の関係はそういうものかもしれないと思った。

 とはいえ書店員は、ヘイト本を右から左へ流していればいいというわけではない。ヘイト本であふれる書店の棚は、ふらっと立ち寄った利用者の心になにがしかの影響を与える。「自分がつくった書棚が読者に害悪を与えるリスクを引き受ける覚悟を、書店員は持たなければならない」って、書店員の矜持が感じられていい言葉だ。

 そして、実際に著者がジュンク堂書店難波店でおこなった「店長の本気の一押し! STOP!! ヘイトスピーチ、ヘイト本」フェア(2014年12月)の顛末も語られている。この取組みは破格の注目を集めると同時に「お前は朝鮮人、中国人の味方なのか?」等のクレームもあった。著者がどのように論理的に対応したかも掲載されていて参考になるが、相手は「どうにも聞く耳を持っていない」人たちであったようだ。

 2015年10月、MARUZEN&ジュンク堂渋谷店で起きた「自由と民主主義のための必読書」ブックフェア中止問題(※備忘録)についての文章も複数収録されている。事件直後の2015年11月「WEBRONZA」は読んだ記憶があるが、2016年2月「Journalism」掲載の文章は、より旗幟鮮明で、題名から「『中立の立場』なぞそもそもない」と言い切っている。そうそう。「ぼくたちが扱っている商品である書物は、さまざまな意見の〈乗り物〉であり、相互に異なる主張の塊なのだ。テーマに沿って書物を選んで展示するブックフェアは、書店の主張の場であり、すべての主張には異論がある」。そのとおりだ。

 私は、本が「さまざまな意見の〈乗り物〉」であるからこそ、それらが集まる書店や図書館が好きなのだ。しかし、いま、書店の棚は販売記録(POSデータ)によって制御されている。同じように大学図書館の蔵書も利用統計が評価の指標となり(特に電子的コンテンツ)、論文の価値は被引用数で決まることになっている。しかし、著者の言うとおり、過去のデータを基礎にする限り、未来をつくる「新しい本」を発見することはできない。本書の最後は、こう結ばれている。「必要なのは信念であり矜持であり、そして勇気なのである」。
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