見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

眼にも楽しい/舞楽・太平楽、古鳥蘇

2017-02-27 00:29:35 | 行ったもの2(講演・公演)
国立劇場 2月雅楽公演『舞楽:太平楽(たいへいらく)一具/大曲 古鳥蘇(ことりそ)』(2月25日、14:00~)

 毎年、この時期に行われる宮内庁式部職楽部の舞楽公演に行ってきた。今年は私の大好きな「太平楽」が演じられると聞いて、絶対に行きたいと思った。

 「太平楽」は左方(オレンジ色を着る)の式舞。私は、たぶん今上天皇の御即位十年記念の宮内庁楽部公演(1999年)が初見、2012年の『四天王寺の聖霊会 舞楽四箇法要』公演が二度目、2013年に『天理大学雅楽部 北海道公演』でも見ている。国家の慶事には必ず演じられる舞で、人気も高いのだと思う。

 プログラムの解説によると、「調子」「道行(朝小子/ちょうこし)」「破(武昌楽/ぶしょうらく)」「急(合歓塩/がっかえん)」「急 重吹/しげぶき」から構成される大曲で、今回は全曲を通して演奏されるが、一般にはその一部を省略することが多いとのこと。確かに、今回、思ったより長い感じがした。

 「文化デジタルライブラリー」の解説を参考にすると、舞人が入場する前の前奏曲が「調子」。次に「道行」の演奏に合わせて、鉾を携えた四人の舞人たちが舞台に上がる。「破」(ゆるやかなリズム)では、前半、鉾を床に横たえて空手で舞う。両手とも人差指と中指だけをピンと伸ばしたかたちを崩さない。剣印とか刀印とかいうのだそうだ。途中からは鉾を持って舞う。「急」(速いリズム)では、再び鉾を横たえ、太刀を抜いて舞う。雅楽にしては、かなり動きが速い。最後は、再びゆるやかなリズムに戻り、鉾を掲げ、大地を踏み固めて退場。

 さすが宮内庁楽部で、衣装は豪華絢爛であった。優雅なオレンジ色の長い裾(きょ)、純白の沓(くつ)、そして金銀の鎧・兜がキラキラ光る。プログラムに楽部の方が体験談を書いているが、兜と頭の間に空間があるので、鐘の真下にいるような状態になり「ゴーン」と音が鳴り響いて聞こえるとか、鎧は革製の小札(こざね)で出来ているので動くと「ミシミシ」軋む音がするとか、舞台に立たなければ分からない苦労がしのばれて興味深かった。動物の顔をした肩喰(かたくい)、帯喰(おびくい)は、舞人によって違う顔形をしているのだそうだ。二階席からでは、とても判別できなかったけれど、覚えておこう。

 「古鳥蘇」は右方高麗楽。たぶん初めて見た。右方だから緑色の衣装で登場すると思っていたら、緑色の袍は肩脱ぎしていて、下襲の袖口のオレンジ色が目立つ。巻纓老懸の武官の冠。六人舞。長い袖をひらめかせながら、深く腰を落として、ゆっくり左右に移動しながら舞う。六人が順々に退場して、これで終わりかと思ったら、二人が何か不思議な得物を持って再登場した。長煙管の先に白い毛が植わった、細い払子のようにも見えるもので、後参桴(ごさんばち)というのだそうだ。これを振りながら二人で舞って終わった。
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梅ヶ枝餅とさいふうどん

2017-02-23 22:59:48 | 食べたもの(銘菓・名産)
大宰府天満宮の銘菓といえば梅ヶ枝餅。定番だけど「かさの家」は美味しいと思う。毎日でも食べたい。



昼時だったので、「さいふうどん」(宰府うどん)もいただいた。西国らしい薄味のおつゆ。竹輪とさつまあげが甘くて美味。このどんぶりが欲しい。


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海は文化をつなぐ/宗像・沖ノ島と大和朝廷(九州国立博物館)

2017-02-23 22:44:51 | 行ったもの(美術館・見仏)
九州国立博物館 特別展『宗像・沖ノ島と大和朝廷』(2017年1月1日~3月5日)

 仕事で福岡へ行くことになったので、自費で前泊して大宰府に寄った。梅の花が満開で暖かかった。九博は、なかなか来られないが、好きな博物館である。事前に特別展のバナーを見て「あ、沖ノ島か!(九博らしい~)」と早呑み込みをしていたら、見どころは「宗像・沖ノ島の国宝と大和の国宝・重要文化財を一斉公開」「考古学から読み解く日本神話」「史上初! 日韓の黄金の指輪が集結」の3点なのだそうだ。したがって、会場に入ると、奈良や大阪や埼玉で出土した埴輪や土器、銅鐸、銅矛などが並んでいて、なかなか沖ノ島に行きつかない。まあでも、これだけまとまった量の古墳時代の遺物を見る機会はあまりないので面白かった。イモガイの伝播と加工・使われ方が面白かった。

 会場の半分くらいまで進むと、ようやく「神宿る島の源」と題したセクションが始まる。沖ノ島からも三角縁神獣鏡が出土していることに驚く。隣には奈良・黒塚古墳の三角縁神獣鏡も。よく見るとキャプションに「大和」「沖ノ島」そして「韓国」というマークが入っていて、展示品の由来が識別できるようになっていた。ほかにも奈良県出土の勾玉や子持勾玉、車輪石、鍬形石、石釧(いしくしろ)と沖ノ島出土のそれらを並べてみると、類似性がはっきりする。一方、金属製品、特に金製指輪は、韓半島との親近性を強く感じさせる。

 途中に、沖ノ島の自然風景や宗像大社の沖津宮の映像を映し出す大きなスクリーンがあった。女人禁制の沖ノ島へは、たぶん私は一生、近づくことができないだろう。そう思うと、どんなに遠い外国の風景にも感じない、不思議な感覚を持った。

 それから常設展(文化交流展示)へ。見通しのきくワンフロアで、先史時代から近代まで、日本とアジアを往還し、さらにヨーロッパとの文化交流も体感できるのがとても楽しい。複製品が多い印象だったが、今回、本物のいい仏画が出ていた。元代の釈迦如来図、南宋・陸信忠筆の羅漢図、南宋の諸宗祖師像は水陸画の一種。彫刻(アジア人の理想の姿)の部屋に、興福寺の五部浄の右腕があるのは驚かされる。空をつかむように、細い指を中途半端に曲げている。いつか本体と会わせてあげたいものだ。それから「アジアの面」で見た神楽面の荒神は、よく似たものが霧島神宮にあるというが、あごの長い赤い面だった。

 交易関係では、対馬宗家旧蔵の各種の印(偽造印)が面白い。それらしい架空の人物の名前を刻んだりしている。ウンスンカルタは楽しい。「多彩な江戸文化」の部屋で、蘆雪の『宮島八景図』を見ることができたのも嬉しかった。

 最後に1階エントランスホールの「博多祇園山笠」の飾り山。いつも同じものがあるのかと思っていたら、時々変わるようだ。現在の作品は『真田丸』にちなんで、表が「大坂冬の陣」、裏(見送り)が「大坂夏の陣」(2018年8月11日~2017年3月頃予定)。見ることができてよかった。

↓冬の陣の大坂五人衆。上の方で床几に座っているのが家康。


↓夏の陣。これも大坂五人衆。燃え上がる大坂城を背景に秀頼と淀殿。

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悲惨な人々/文楽・曽根崎心中、冥途の飛脚

2017-02-22 22:01:59 | 行ったもの2(講演・公演)
国立劇場 開場50周年記念2月文楽公演「近松名作集」(2月18日、14:30~、17:00~)

・第2部『曽根崎心中(そねざきしんじゅう)・生玉社前の段/天満屋の段/天神森の段』

 先々週の第1部に続いて、第2部と第3部を鑑賞。曽根崎心中は、上演時間がコンパクトで、登場人物が少なくて、分かりやすくて面白い。名作だと思う。ただ、初演と現在の上演形態には、ずいぶん違いがあることを、本公演のプログラムの中で咲太夫さんが語っていらっしゃる。復活初演当時は、『曽根崎』一本だけではやっていけない(出演者全員に役が振れない)ので、一度に何本も狂言をかけるため、コンパクトにまとめた。「今、国立劇場で復活すれば、おそらく初演のまま、原本のままでやったでしょう」というが、どちらがよかったかは分からないなあ。

 それから最後の道行の場面は「外国で上演してから、完全に変わりましたね。徳兵衛がお初を刺して、あと喉を切って、あの振りは初めはなかったわけですからね」「(それは作曲者の松之輔師が亡くなったあとのことで)もし生前でしたら、あれだけの鬼才の人ですから、あの振りをするんだったらもっと曲を工夫されていたと思いますよ」「今、変えようがないからシャリンシャリンを伸ばして弾いている」とのこと。この話、初めてきちんと知った。

 『曽根崎』は学生の頃から何度も見ているのだが、初見は「相対死に」の振りのない演出だった。二度目はこれがあって、二人が折り重なるように倒れる幕引き、「シャリンシャリン」の伴奏とともに衝撃を受けたことをよく覚えている。1988~89年くらいかなあ。いちばん最近見た2012年の大阪公演も、このパターンだったように思う。実は、今回は、絶命までいかず、徳兵衛が覚悟の刀を抜いたところで柝(き)が入り、幕となった。このパターンだと、あ、あれ?そっちか、と感動のタイミングを外されて、物足りなさが残ってしまう。鑑賞の前に「本公演は〇〇版で上演」と分かっているといいのかもしれない。

 人形は徳兵衛を玉男、お初を勘十郎。2012年は徳兵衛を勘十郎、お初を蓑助だったなあ。語りは生玉社が文字久太夫、天満屋が咲太夫。2016年にドラマ「ちかえもん」を見た記憶が薄れていないので、どうしてもドラマの配役の顔が浮かび、「お初」「徳さま」にニヤニヤしてしまった。

・第2部『冥途の飛脚(めいどのひきゃく)・淡路町の段/封印切の段/道行相合かご』

 これも何度か見ている演目。『曽根崎』に比べると、若い頃は面白さが分かりにくかったが、だんだん好きな狂言になってきた。お初徳兵衛が、非の打ちどころのない悲劇のカップルであるのに比べて、梅川忠兵衛は、少なくとも忠兵衛は自業自得すぎる。だがそこがよい、それでこそ人間である、と言えるようになるには、それなりの成熟が必要であると思う。

 淡路町の口は松香太夫休演のため咲甫太夫が代演。第3部は床のすぐ下の席だったので、咲甫さんファンの私は、思わぬ得をした気分だった。奥(羽織落とし)は呂勢太夫。封印切は千歳太夫。梅川は清十郎、忠兵衛は玉男。こういうダメな男演ずる玉男さんはわりと好き。幕間に近くの席にいた男女が「何これ」「だめんずじゃん」みたいな会話をしてるのが聞こえて可笑しかった。
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2017年2月@関西:京博、白描の美(大和文華館)など

2017-02-18 11:02:44 | 行ったもの(美術館・見仏)
京都国立博物館 名品ギャラリー+特別公開 修理完成記念『鳥取・三佛寺の蔵王権現立像』(2017年1月17日~2月19日)

 絵巻は「ふたつの遊行上人縁起絵」(2017年1月17日~2月19日)で真光寺本と金蓮寺本を2巻ずつ展示(佐久の念仏踊の場面と兵庫の一遍上人の御影堂に参る弟子たちの場面)。同じ場面を開けて、比較を容易にしている。真光寺本のほうが、犬とか子供たちとか、本筋に関係ないものを楽しんで描き込んでいる感じ。あと弟子集団の中に、顔が白く唇の赤い、華奢な人々が描かれているのだが、あれは尼僧なのかな。

 仏画は「涅槃図」(2017年1月17日~2月19日)で面白かった~。金輪寺(きんりんじ、亀岡?)の巨大な仏涅槃図は元代絵画を模倣したもの(14世紀)といわれる。宝台(釈迦の寝台)の前で胡人が踊っているというのはよく分からなかったが、阿修羅(?)が左右にいたり、白象が鼻で牡丹(?)の花を掲げていたり、よく分からない動物がいたり、面白かった。長福寺の仏涅槃図も宋元画の影響があるという。象が白象でなく、リアルな灰色をしていた。

 中世絵画の「瀟湘八景図」(2017年1月17日~2月19日)は知らない作品をたくさん見ることができ、さすが京都だなと思う。細見美術館の秀盛筆『瀟湘八景図』(15世紀)は八幅揃いで出ていた。ちょっと泥臭くて素人風の魅力がある。単庵智伝筆『煙寺晩鐘図』も細見美術館所蔵。琳派だけではないのだな。相阿弥筆『瀟湘八景図』(小幅)(大仙院所蔵)はふわふわと柔らかでかわいい。童話の世界みたい。大仙院には、この大判、襖絵の瀟湘八景図もあるのだな。見に行きたい。

 近世絵画の「富士山の絵画」(2017年1月17日~2月19日)もバラエティ豊かで楽しい特集だった。中国絵画は「須磨コレクションの嶺南派絵画」(2017年1月17日~2月19日)。

 1階・彫刻の展示室に1体だけ、修理完成記念の鳥取・三佛寺の蔵王権現立像がいらしていた。木目のよく分かる木造仏である。大きな目を丸く見開いて、きかん気の子供のような顔をしていた。蔵王権現であるけれど、あまり高く右足をあげず、左足より少し高いくらいの位置に踏み出し、体を傾けて動きを出している。

 ここまで初日。京都国立博物館が土曜日20時まで開館してくれているのは、旅行者にとって本当にありがたい。

大和文華館 特別展『白描の美-図像・歌仙・物語-』(2017年1月6日~2月19日)

 京都で見たかった展覧会を土曜日に効率よく制覇できたので、日曜の朝は、奈良に足をのばすことにした。白描は大好きなのである。以前、大和文華館で同じような展覧会を見た記憶があって、調べたら2012年に『清雅なる仏画-白描図像が生み出す美の世界-』という特別展を行っている。今回は、図像・歌仙絵・物語絵を合わせて取り上げ、中世の白描図像から幕末のやまと絵作品にまで視野を広げる展覧会だという。

 まず、おすすめの名品として『尹大納言絵巻断簡』(五島美術館)。すごくかわいいのだけれど、あまり記憶がないのは、2012年に見て以来だろうか。『源氏物語浮舟帖』(大和文華館)は画面の大部分を山水の風景が占めるのが、物語絵として面白い。『時代不同歌合絵(白描上畳本)・延喜帝』(個人蔵)は気品があるなあと思って見とれた。いずれも鎌倉時代。

 次に「図像(仏画)」「歌仙」「物語」というカテゴリーごとに見ていく。歌仙絵は、室町時代の『時代不同歌合絵・伊勢と藤原清輔』(徳川美術館)が、鎌倉時代の図像(個人蔵)を真似ようとしており、画力がなくて模倣し切れていないところに、かえって味わいが出ているのが面白かった。物語絵は、知らない作品をたくさん見ることができた。石山寺所蔵の『源氏物語絵巻・須磨』(室町時代)が稚拙すぎて、かわいすぎて、もっと見たい。室町時代の絵巻は何とも言えず好きだ。

 根津美術館の『伊勢物語・源氏物語図屏風』は金雲の間に白描で物語の場面を描いたもの。後期は「源氏物語」の展示で、「葵の巻のみ二場面描かれている」というので探したら、車争いらしい場面と碁盤の上の姫君(紫の上)の場面を見つけた。花の宴がどう描かれているかも探したのだけど、物語の流れに沿った配置になっていないようで、よく分からなかった。

 ちょうどこの日(日曜)は初午の日だったので、京都に戻る途中、伏見稲荷にお参りして旅行のシメとする。参道には各国語がとびかい、にぎわっていた。
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2017年2月@関西:茶碗の中の宇宙(京都近美)、日本の表装(京大)など

2017-02-17 23:52:13 | 行ったもの(美術館・見仏)
 レポートが遅くなってしまったが、先週末は関西に出かけた。金曜日に東京で仕事が終わった後、新幹線で京都入り。雪の影響が心配だったが、幸い、京都市内は粉雪で済んだ。しかし、夜になると底冷えしてつらかった。

京都国立近代美術館 『茶碗の中の宇宙 樂家一子相伝の芸術』(2016年12月17日~2017年2月12日)

 16世紀後半、楽家の祖・長次郎に始まり、一子相伝により継承されてきた楽焼の歴代作品を通観する。3月から東京国立近代美術館に巡回すると分かっていたが、素通りできすに見に行ってしまった。会場は、楽家が最も大切にする「黒」を基調とし、闇の中に展示品が浮かび上がる幻想的な雰囲気。入るとすぐ、三つの黒楽茶碗(全て長次郎作)が並んでいた。右から、黒の極み「俊寛」、四角い造形の「ムキ栗」、そして左端の茶碗に目をやると、上からの照明で、口縁部が丸い金色の輪のように見えた。闇に浮かぶ天使の輪のようだった。銘は「万代屋黒(もずやぐろ)」。以前見たとき、黒茶碗にしては黄色っぽいなと思ったのだが、照明の効果で、こんなふうに素敵に見えるとは。

 照明は、当然ながら茶碗の前面を明るく照らしている。その結果、裏側は影になる。「万代屋黒」の展示ケースをぐるりとまわりながら気づいたのだが、実は裏側から見た方が、黒が引き立って美しいような気がする。また側面から見ると、光の当たっている部分と影になった部分の色味の落差が面白かった。黒茶碗は、光を当てないほうがいいなあというのが、今回の私の感想。

 長次郎の茶碗だけで14件(?)も出ていて、むちゃくちゃ凄かった。黒茶碗「シコロヒキ」好きだわ~。景清にちなむというのが、すごく分かる。「禿」は黒になりきれない黒茶碗という感じ。「一文字」も赤らしくない赤茶碗。長次郎の赤楽茶碗をこんなに見たのは初めてで、どれもよかった。「白鷺」も「二郎坊」もいい。手の存在を強く感じる。

 以下、代々の当主の作品が並ぶ。三代・道入(ノンコウ)の茶碗の前で、おばちゃんグループが「お茶が美味しそうよね~」と話していた。確かに薄手で飲みやすそうだと思う。そして、華やかで文化的でモダン。光悦の茶碗もたっぷり眺めることができて眼福だった。黒楽茶碗「雨雲」は裏からの眺めがよかった。前面の裏側に、稲光のようなひびが深く入っているのだ(照明の加減で気づいた)。

 その後の代々の作品もそれぞれによい。茶碗だけでなくて、四代・一入の赤楽獅子香炉とか、五代・宗入の黒楽獅子香炉とか、十一代・慶入の鵞鳥大香炉とか、面白かった。そして、十五代・吉左衛門の作品はざっと60件ほど、会場の半分くらいのスペースを占めている。茶碗のほかに、土で焼いた茶入や花入や水差もあった。東南アジアのネイティブアートとコラボレーションした展示コーナーも面白かった。

京都大学総合博物館 平成28年度特別展『日本の表装-紙と絹の文化を支える』(2017年1月11日~2月12日)

 紙と絹に書かれた(描かれた)東アジアの絵画や書がなぜ傷むか、どうやって傷まないようにするか、傷んだものをどう修復するか。特に表装を用いた文化財修理を分かりやすく紹介する。ちょうど大学院生の方(女性)の展示解説を聞くことができた。

承天閣美術館 生誕300年記念『伊藤若冲展:後期』(2016年12月15日~2017年5月21日)

 まだまだ続く若冲ブーム。前期ほど目をひく作品は出ていないが、若冲の伝記資料がいろいろ出ていたのは、さすが縁の深い相国寺で面白かった。『祖塔旧過去帳』は月命日ごとに関係者の名前が記された帳面(折本?)で、十日の項に「寛政十二年庚申九月 動植画寄進 斗米庵若仲居士」の記載がある。「若冲」ではなく「若仲」。となりが常憲院殿(徳川綱吉)なのも面白い。ほかにも『役者寮日記』には、若冲が高倉通四条上ル問屋町に所有していた屋敷を、死後、町内に譲り、その家賃料の一部を永代供養料として相国寺に収める予定だったことが記されている(この契約は、天明の大火で若冲が困窮したため解除となる)。また『参暇寮日記』には、大病を患った「若仲」のもとに、相国寺から見舞いの菓子箱が送られたことなども記されている。第二展示室にあった指図(地図)からは、若冲の寿蔵(生前墓)が松鴎庵という塔頭にあったことが分かった。

 作品で目についたのは、常州草虫画みたいで、あまり若冲らしくない『牡丹百合図』。初公開の『鸚鵡牡丹図』。水墨の『山水図』は、画面の真ん中から下へ太い墨の線が下っていて、その上に小さく屋根や木々らしきものが乗っていて、あ、山水画なのか、と気づく。『蕪の図』には仙厓義梵の賛がついていた。『群鶏蔬菜図押絵貼屏風』は何度見てもニワトリがかわいい。セサミストリートのキャラみたいに動き出しそう。

京都文化博物館 総合展示『日本の表装-掛軸の歴史と装い-』(2016年12月17日~2017年2月19日)

 薄い紙や絹といった脆弱な材料で作られた絵画・書跡類を保管し鑑賞するための掛軸(表装)という工夫について考える。「保存の工夫」という観点と「装飾」の観点が混じっているのは、少し分かりにくかった。個人的には表装の「美」をテーマとした展覧会が見たい。本展で、陽明文庫に伝わる近衛家熙の表装をいくつか見ることができたのは嬉しかった。
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メンツと科学捜査/殺人犯はそこにいる(清水潔)

2017-02-16 22:52:55 | 読んだもの(書籍)
〇清水潔『殺人犯はそこにいる:隠蔽された北関東連続幼女誘拐殺人事件』(新潮文庫) 新潮社 2016.6

 清水潔さんの本2冊目。前作『桶川ストーカー事件』は、1999年の事件発生から翌年の犯人逮捕と警察の謝罪会見までを主に扱っていた。本書の始まりは2007年6月。雑誌「FOCUS」休刊後の著者は、日本テレビ報道局の社会部記者になっていた。上司から、報道特番をつくりたいので、未解決事件を取材してくれないか、という相談を受け、事前リサーチを開始する。

 すると、1979年から1996年の17年間に、栃木・群馬県境の半径10キロ圏内で、5件の幼女誘拐・殺害事件が起きていることが分かった。3件の誘拐現場はパチンコ店、3件の遺体発見現場は河川敷など、共通点が多い。しかし、1990年に起きた「足利事件」は、幼稚園の送迎バスの元運転手・菅家利和さんが逮捕され、刑務所に収監されている。証拠は「自供」と「DNA型鑑定」だった。では、96年に群馬県太田市で起きた事件は、別人の犯行なのか? 当初、菅家さんは、79年と84年の事件も「自供」していたが、物証のない2つの事件は不起訴となった。90年の足利事件についても、菅家さんは、自供をひるがえして無実を主張したが、DNA型鑑定の証拠能力はゆるがず、最高裁は控訴を棄却した。どうしても違和感を拭いきれない著者は現場に飛ぶ。

 そして、菅家さんが犯人ではありえないことが、少しずつ分かってくる。いちばん納得できたのは、菅家さんの住まいから警察が押収したビデオの検証。元捜査幹部は「ロリコンのビデオがたくさん置いてあった」と語るのだが、著者が現物にあたって調べてみると、200本以上あったビデオのうちアダルト系は133本で、熟女や外国人がほほえむ巨乳系ばかりだった。警察の「捏造」が可笑しいやら、ぞっとするやら。

 取り調べ室での自供は、本当に信じられるのか。著者は、死刑確定から無罪判決をかちとった免田栄さんの取材経験からも疑問を呈する。また、法医学者の協力を得て調べるにつれて、足利事件で使用されたDNA型鑑定が、十分に確立した方法でないことも分かってきた。2008年、日本テレビは「『連続幼女誘拐殺人』の真相追及」と題したキャンペーン報道を開始し、2009年1月、ついにDNA型再鑑定が行われることになった。結果は、真犯人のものと思われるDNA型と菅家さんのDNA型は不一致。5月、菅家さんは17年半ぶりに釈放された。

 著者はまだ喜ばない。著者の目的は真犯人を捕まえることだからだ。すでに著者は目星をつけていた。90年の足利事件で、幼女と手をつないで土手を降りていく姿を目撃されている男。マンガのルパン三世に似た、ひょろりとして、はしっこそうな男。96年の事件の重要参考人(パチンコ店のビデオに映っていた)にも似ていた。著者は男の居場所を割り、接触して、事件についての会話を交わしたことも本書に記されている。現実にこんなことが起きているとは思えない、すごい場面。

 警察は動かない。足利事件とそれ以前の3件は「公訴時効」が成立しているためだ。しかし、犯人を追い続けての「時効」ならともかく、間違った犯人を捕まえて「解決」したと決め込んだあげくの「時効」はおかしいのではないか。捜査をやりなおすべきではないか、という主張に全面的に同意する。

 もうひとつ、警察はどうしても「DNA型鑑定絶対の神話」を守りたいのではないか、と著者は推測する。これには科警研(科学警察研究所)のメンツがかかっている。さらに、1992年、福岡県で起きた「飯塚事件」では、足利事件と同じMCT118法というDNA型鑑定で確定した犯人の男が死刑判決を受け、2008年、刑を執行されている。「足利事件DNA再鑑定へ」というニュースのわずか十数日後のことだ。

 結局、「ルパン」は捕まらなかった。報道キャンペーンに加え、国会でもこの問題が取り上げられ、ついに菅直人総理が対応を約束するに至ったのが、2011年3月8日。しかし、3日後に起きた東日本大震災は、あらゆる予測や期待を押し流してしまったのである。憤懣やるかたない著者は、引き続き「飯塚事件」の取材に取り組み、冤罪の可能性を指摘する。法廷に提出された鑑定写真がトリミングされていたとか、分かってみれば、呆れるほどずさんでひどい話だ。科学が信心の対象になって、誤謬を許したらメンツが立たないみたいな話になっていくところは、研究不正論文や原発の構図にも似ている。

 それと、せっかく無罪をかちとった免田さんや菅家さんなのに「あいつは本当はやっている」という社会の視線があることも衝撃だった。理由はないので、これも一種の信心みたいなものだろう。無責任な一般庶民はともかく、警官が「菅家は本当の犯人なんだ」「先輩がそう言っているから」と無邪気に語っていたというのは恐ろしすぎる。この国に科学や実証の精神を普及させるにはどうしたらいいのだろうか。
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アメリカはアメリカ/ルポ トランプ王国(金成隆一)

2017-02-14 22:41:54 | 読んだもの(書籍)
〇金成隆一『ルポ トランプ王国:もう一つのアメリカを行く』(岩波新書) 岩波書店 2017.2

 特にアメリカの政治にも文化にも興味のない私が、ドナルド・トランプの名前を知ったのはいつ頃だったか。はじめは大統領選挙の候補者の中に変なヤツがいる、という程度の認識だったと思う。共和党の予備選に勝ち残り、ついに党の指名候補になっても、共和党バカじゃないの?くらいの冷ややかな気持ちで見ていた。民主党のヒラリー・クリントンとバーニー・サンダースの戦いのほうに気をとられ、いよいよヒラリー対トランプの本選挙に突入しても、トランプが勝利する事態を想像することは全くできなかった。それが…。一体、アメリカに何が起きたのか。考えを整理する上で参考になったのは、大統領選の直後に刊行された水島治郎『ポピュリズムとは何か』である。そして、アメリカの状況をもう少し知りたいと思い、本書を読むことにした。

 著者は朝日新聞社のニューヨーク特派員で、本書の取材は2015年11月、本選挙のほぼ1年前から始まる。テキサスで初めてトランプの集会を取材した著者は、その熱気、迫力に驚き、「トランプが負けるにせよ勝つにせよ、注目に値する社会現象であることは間違いない」と確信して、トランプ支持者の取材に本腰を入れることにする。主な取材対象として選んだのは、オハイオ、ペンシルバニアなど五大湖周辺の「ラストベルト(さびついた工業地帯)」と呼ばれるエリアと、これに一部重なる「アパラチア地方」(生活水準が相対的に低く、時代の変化についていけず、現状への不満・不安が強い地域)である。

 ニューヨークから車を飛ばして、さびれた田舎町に入り、ダイナー(食堂)で出会った人々やその紹介でインタビュー対象を広げていく。最終的に14州で約150人のトランプ支持者にインタビューをしたというから、本書に取り上げられているのは、そのほんの一部なのだろう。老若男女、さまざまな人生とさまざまな「トランプを支持する理由」が語られている。

 共通するのは「没落するミドルクラス」の苦悩である。かつて五大湖周辺は、製鉄業や製造業で栄え、十分に豊かなブルーカラー労働者が住んでいた。高校を出て、まじめに働けば、家族を養い、マイホームを買うことができた。ところが、産業が衰退し、働き口がなくなると、才能ある若者は街を出ていくようになる。人口が減り、廃墟が増える。残った若者は、失業、貧困、閉塞感に悩み、薬物に溺れて命を縮める。

 知らなかった。都市部の貧困については認識があったけれど、アメリカの地方がこんなに疲弊しているとは知らなかった。現状に大きな不満を持つ彼らは、何かを変えてくれそうな、型破りのエネルギーを持つトランプに大きな期待を寄せた。トランプのシンプルな公約「雇用を取り戻す」がどれだけ彼らの心に響いたか。そして、本書を読んで、トランプが意外と真っ当なことも言っていることも分かった。

 トランプははっきり「社会保障を守る」と言っている(ただし、具体策はなくて、自分なら経済を立て直せるというのだが)。へえ~共和党候補なのに「小さな政府」志向ではないんだ。また、地場産業の衰退から、公共サービスの低下、学校教育の縮小(音楽や美術の授業の削減)に危機感を感じて、実業家のトランプに「やらせてみたい」と語る支持者もいる。公務員叩きが大好きな日本のポピュリスト政治家及びその支持者とは、ずいぶん異なる感じがした。一方、「オバマケア」は嫌われているんだなあ。財源確保のため、保険料の支払いが跳ね上がることの不満は大きいのだ。

 トランプ支持者は、エスタブリッシュメント(既得権益層)や政治エリートに強い反感を持っていて、ヒラリーはその代表格と見られている。大企業の献金を受け取る政治家は、大企業のため政治しかできない。そこで大富豪のトランプなら、庶民のために独立独歩の政治ができると考えられているのだ。実態はあやしいが、期待する気持ちは分かる。彼らは権力の世襲と固定化が大嫌いなので、大統領を輩出した共和党の名門ブッシュ家には冷たい。一方、貧困家庭から這い上がったビル・クリントンには好意的だ。このへんも、ひとくちにポピュリズムと言っても、日本の政治カルチャーとはずいぶん違う気がした。しかし、ブルーカラーを見捨てて「中道」化(エスタブリッシュメント化)した民主党が、支持基盤だったブルーカラー労働者に見切られる構図は、日本の左派リベラルと共通しているようにも思う。なお、本書はバーニー・サンダースの選挙運動のルポにも1章が割かれている。実は「反エスタブリッシュメント」の点で、トランプとサンダースには共通項が多いことが分かって、面白かった。

 また、ルポを終えての最終章のまとめにも示唆が多かった。いちばん印象的だったのは、以前のように「ブルーカラーの仕事がない」一方で、高度な技術を要する仕事は今も国内に残っていて「募集しても熟練機械工がいない」という状況だ。この「スキルギャップ」が、多くの先進国で「雇用の不安定化」の要因になっている。教育(人材育成)は、これを解決できるだろうか。エコノミストのミラノビッチは「多くの富裕国で量的な教育は上限に迫っているし、提供される学校教育の質でもそうであるかもしれない」と悲観的な言明をしている。トランプ大統領が、あるいはポピュリズム政治が、この状況に解決をもたらすとは全く思えない。しかし、では、どこに解決策があるのかは、考え続けなければならないだろう。
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本と人それぞれ/検閲官-戦前の出版検閲を担った人々の仕事と横顔(千代田図書館)

2017-02-10 06:30:45 | 行ったもの(美術館・見仏)
千代田図書館 『検閲官-戦前の出版検閲を担った人々の仕事と横顔』(2017年1月23日~4月22日)

 面白そうな展示をやっていると聞いたので、見てきた。千代田図書館は、一度だけ利用したことがある。九段の千代田区役所の9階と10階に入っていて、平日22時まで開館し、ビジネス支援に力を入れている図書館である。キャッチフレーズは「あなたのセカンドオフィスに」だ。そんな図書館が出版検閲をテーマにした展示というのは、なんとなく似合わない感じがしながら、行ってみた。会場は通路のようになった「展示ウォール」という一角で、10数枚のパネルとその前に設置された書棚や展示ケースで構成されていた。



 戦前の日本では、明治期から「出版条例」と「新聞紙印行条例」に基づく検閲が行われていた。明治8年(1875)から内務省の所管するところとなり、警保局保安課、同図書課などを経て、昭和15年(1940)には情報局が設置された(このへん記憶あいまい)。展示では、これらの組織で「検察官」をつとめた人物を具体的に紹介する。土屋正三、佐伯慎一(郁郎)、内山鋳之吉、安田新井の四人。いずれも初めて聞く名前だった。

 土屋正三(1893-1989)は帝大卒の内務警察官僚で、山梨県知事や群馬県知事もつとめた。エリート官僚と言っていいだろう。戦後、国立国会図書館専門調査員もつとめているということに、へえ~と少し驚いた。佐伯慎一(郁郎)(1901-1992)は詩人でもあり、児童読物の改善に携わり、戦後は岩手で教育行政に従事した。その蔵書と文学者たちとの交流を示す資料は、奥州市江刺区の私設図書館・人首(ひとかべ)文庫に保存されている。内山鋳之吉(1901-?)は、東京帝大在学中はセツルメント活動に参加、卒業後は劇団「心座」に参加し、検察官をつとめる一方で、左翼劇団員として活動していた。面白いなあ、このひと。戦後は「神奈川になる私立学校の理事長」になったそうで、調べたら湘南学園らしい。佐伯と内山は、本や文学が好きだったために、何か間違えてこの仕事についてしまった人たちのような気がする。安田新井(新栄)は、実直な普通の官僚だったようで、特に目をひく事跡は残していない。

 通路の反対側の壁にまわると、「検察に使用された本のゆくえ」が図示されていた。検閲の結果、発売中止になったものは内務省に留め置かれていたが、戦後、GHQに接収されて、アメリカ議会図書館に渡った。一部は返還されて、国立国会図書館の発禁図書コレクションとなっている。一方、発売中止にならなかったものは、昭和12年(1937)から東京市立日比谷図書館に委託されることになり、その一部が千代田図書館(内務省委託本)に伝わっているのである。なるほど~明るい閲覧室とビジネス支援を売りものとしている千代田図書館が、なぜこの展示を企画したか、やっと理解できた。

 なお、検閲関係図書は、地方の図書館に伝わっている場合もある。すでに購入済みの出版物について、内務省→警察庁→各地の警察→所管の図書館へと「発行禁止」が伝達されると、図書館は自主的な閲覧制限などの処置をとった。長野県立長野図書館には、これら出版物検閲に関する事務文書の綴りが残されており、興味深いことに文書の現物が展示されていた。発行禁止の理由には「風紀を乱す」と「安寧秩序を乱す」の二種類がある。「性」に関するものは前者(他愛のない題名が並んでいた)。文書綴りの展示ページには、江戸川乱歩の「黒蜥蜴」の書名があって、「風」(風紀を乱す)の記号が付いていた。納得。しかし、同じ乱歩の「鏡地獄」は「安」マークだった。ほかにも知っている作家名や書名が目について、面白かった。

 千代田図書館のホームページで「内務省委託本」の解説を見ると、「従来は閉架書庫に収められている資料の一部として所蔵しておりましたが、出版文化史を研究する浅岡邦雄氏(中京大学文学部教授)が、検閲を含めた戦前期の出版事情について研究される中で、これらの本の貴重性に注目されたことがきっかけとなり、2007年に全閉架資料約9万冊を1冊ずつ調べ、『内務省委託本』として抽出しました」とある。大きな功績だと思う。こういう調査を待っている資料は、まだあちこちの図書館・文書館にあるのだろう。
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週刊誌記者の執念/桶川ストーカー事件(清水潔)

2017-02-09 20:39:56 | 読んだもの(書籍)
〇清水潔『桶川ストーカー事件:遺言』(新潮文庫) 新潮社 2004.6

 清水潔さんの名前を知ったのは、2015年10月、NTV系列の深夜枠で放送されたドキュメンタリー『南京事件 兵士たちの遺言』だった。放送前からSNSなどで注目が集まっていたが、深夜じゃ起きていられないだろうなあと思っていたら、ヘンな寝方をしてしまったので、たまたま起きていて見ることができた。元日本軍兵士の証言や当時の日記などの一次資料から、実際に何があったかに迫る内容だった。

 硬派なジャーナリストだなと思っていたら、今度は、その清水さんの旧著『桶川ストーカー事件』『殺人犯はそこにいる』が面白いという声が、SNSで複数の人から聞こえてきた。そこで読んでみたのが本書。1999年10月、埼玉県のJR桶川駅前で、白昼、女子大生が刺殺される。当初は通り魔か?と疑われたが、著者は、被害者の友人への取材から、被害者が元交際相手の男に執拗につきまとわれていたことを知る。しかし、その男と、目撃された実行犯の特徴が一致しない。その男は「金で動く人間はいくらでもいる」と言っていた。この文明国家の日本で、そんなことがあり得るのか?

 しかし、あったのだ。著者は、元交際相手の男の交友関係から、実行犯の男を割り出し、潜伏先に張り込んで、写真撮影に成功する。当時の著者は、写真雑誌「FOCUS(フォーカス)」に勤務する、カメラマン上がりの記者だった。FOCUS! 正直、びっくりした。同誌は1981年に創刊され、2001年に休刊した写真雑誌の草分けである。類似誌の「FRIDAY」や「FLASH」に比べれば、エロや芸能記事は少なかったけど、テレビや新聞などの「健全」なメディアが絶対に扱わない記事や写真を掲載し、物議をかもして上等、という路線の雑誌だった。正直、胡散臭い印象しか残っていない。そして、警察の「記者クラブ」に加盟していないから、警察の会見にも入れてもらえない。それでも著者は、人脈を使い、足を使って、真実に迫ってゆく。

 取材に行き詰まると、どこからか協力者が現れることを著者は「幸運」と呼ぶ。しかし、その幸運は著者の執念が手繰り寄せたものだろう。殺されることを覚悟していた被害者は「遺言」を残しており、彼女の友人たちは、その「遺言」を必死で著者に手渡した。そう信じて、著者は犯人を追う。結局、殺害の実行犯は逮捕されたが、元交際相手の男は北海道の湖で遺体となって見つかり、自殺と判断された。事件はこれで終わらなかった。

 被害者の友人たちは、はじめから「彼女は〇〇(元交際相手)と警察に殺された」と著者に訴えていた。その背景には、被害者が相談していた埼玉県警・上尾署のおそるべき無気力・無責任な捜査実態があった。「FOCUS」はこれを記事にし、テレビの報道番組「ザ・スクープ」が取り上げ、さらに国会でも警察庁長官に対する追及が行われた。最終的に、埼玉県警は過失を認めて謝罪会見を開き、関係者の処分が発表された。

 この事件を機に「ストーカー規制法」が成立したというのは、ぼんやり認識していたが、私は事件の梗概をほとんど記憶していなかった。2002年と2003年に、この事件を題材にしたテレビドラマが放映されたというのも全く覚えていない。そのため、不謹慎ではあるけど、よくできた社会派のミステリーを読むような気持で本書を読んだ。しかし、事実は小説より奇なりで、こんな異常な犯人がいるんだなあ、人間にはあらゆる可能性があるのだなあ、と思った。そして、雑誌「FOCUS」に対する印象を少し修正した。
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