見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

宗教と気分/日本の右傾化(塚田穂高)

2017-04-21 23:51:51 | 読んだもの(書籍)
〇塚田穂高編著『徹底検証 日本の右傾化』(筑摩選書) 筑摩書房 2017.3

 本当は一気に読める面白い本だが、引っ越しを挟んで読み終わるまで3週間もかかってしまい、印象が散漫になってしまった。「壊れる社会(ヘイトスピーチ、レイシズム)」「政治と市民」「国家と教育」「家族と女性」「言論と報道」「蠢動する宗教」の6部構成で、それぞれ数編ずつ、計21人が寄稿している。

 どれも面白かったが(一番最後に読んだということを差し引いても)宗教の右傾化に関する章が印象深かった。そもそも私は、右傾化という思想に全く共鳴できないので、「日本スゴイ」に快感を覚えたり、文化や宗教の違う人々を排撃したりする人々は、何か私とは違う「宗教」を信奉しているとしか思えないので。本書には、戦前の国体論的な神道に流れをくむ神道政治連盟を取り上げた論考もあるが、むしろ、「右傾化」とは結びつかないはずの創価学会・公明党が、今や自民党に「内棲」化してしまった経緯(自民党からの恫喝が決定的な原因なのか)を論じたものや、統一教会=勝共連合や幸福の科学=幸福実現党などの新興宗教に関するものが面白かった。要するに信者たちは、何か自分の存在根拠となる集団がほしいのかな、と思う。そして、古い社会では宗教が果たしていた紐帯の役割が、民主主義の社会では政治にとって代わられているのかもしれない。でも、右傾化する宗教としない宗教(特に新興宗教)は何が違うんだろう?など、いろいろ考えさせられた。

 それから、強い危機感を感じたのは教育の問題である。1980年代後半以降、日本の教育がじわじわと侵食されてきたことがよく分かった。でも保守派は日本を強くし、国際社会における日本のプレゼンスを高めたいはずなのに、それなら親や教師のいうことを聞く子供を作っている場合じゃないと思うのに、彼らはそう考えないようだ。家族と女性についても同様である。私は強い個人、他人に過度に依存しない、したがって他人を攻撃したり搾取したりしない個人を育てることが、誰でも暮らしやすい社会をつくることにつながると思うのだけど、そう考えない人は多いのだな。まあ宗教としては、家族の形は神が創造したとか、家庭を守るのは女性とか、信じることは勝手だが、それを他人に押し付けることに政治が介入するのは、よろしくないと思う。

 安保法制とか共謀罪を考えることも重要だが、教育や家族など、より身近な問題で何が起きているかをまとめて振り返るには好適な論集だった。
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風にのる仙人/雪村(東京芸大大学美術館)

2017-04-20 22:52:35 | 行ったもの(美術館・見仏)
東京芸大大学美術館 特別展『雪村-奇想の誕生-』(2017年3月28日~5月21日)

 この春、いちばん楽しみにしていた展覧会。戦国時代の画僧、雪村周継(せっそんしゅうけい)の主要作品約100件と関連作品約30件によって、雪村の「奇想」はどのようにして生まれたのか、その全貌に迫る。特設サイト(音が出ます!)によれば「15年ぶりの大回顧展」とあるが、2002年に千葉市美術館で開催された雪村展(山下裕二先生企画監修)を私は見に行った記憶がある。まだ、水墨画の世界におそるおそる首をつっこんだばかりの頃だったから、雪村(せっそん)の名前と作品も、ほとんどこのとき初対面だったと思う。

 しかし、雪村から室町水墨画に入った私は、とても幸運だった。こんなに自由で楽しい世界があっていいんだ!と思って、すぐに虜になってしまった。雪村は、常陸国部垂(茨城県常陸大宮市)生まれの佐竹氏だが、代表作は関西にあるものが多い気がする。旅行の折に、大和文華館の『呂洞賓図』や京都国立博物館の『琴高仙人・群仙図』を見ることができると、いつも得をした気分になる。

 本展は、やっぱり『呂洞賓図』(前期-4/23)が一押しのようだ。入口にはこの作品のデジタル複製があって、湯気だか煙だかがゆらゆら立ち上る動画が流れている。展示は、まず雪村の生涯を概観し、常陸の修行時代→小田原・鎌倉滞在時代の作品から紹介する。茨城・常陸太田市の正宗寺(うう、行きにくそうな立地)に伝わる『滝見観音図』の模写や、ミネアポリス美術館所蔵の『山水図』など、めずらしい作品を見ることができてうれしかった。京博の『夏冬山水図』二幅は繊細でじわじわ胸に迫る素敵な作品だったが、全く記憶になかった。自分のブログを検索したら、宮島新一先生が日経ビジネスオンライン『日本美術と道づれ』で好きな作品にあげていらっしゃるようだった。

 『琴高仙人・群仙図』は後期だが、『列子御風図』を見ることができて嬉しかった。ひゅるひゅると風を巻き上げて(私の造像)垂直に浮かび上がった列子は、長い触角の生えた昆虫のようだ。『竹林七賢酔舞図』の仙人たちもかわいい。みんな、私の好きな中国武侠ドラマの登場人物たちに見えてくる。いま金庸の『射雕英雄伝』2017年版をYouTubeで視聴中なこともあって、みんな老頑童や洪七公の仲間たちのような気がしてくる。いや、雪村が現代に生きていたら、ああいうドラマが大好きだっただろうなあと思う。大和文華館の『呂洞賓図』の独創性は言うまでもないが、雪村は、龍の頭上で腰を落とした呂洞賓の図(通期・個人蔵)やこの反転図(後期・個人蔵)も描いている。ほかにもバリエーションがあったかもしれないと思わせる。

 雪村が晩年を三春で過ごしたことは、あまり意識していなかった。晩年の作品は山水図が好き。笠間稲荷美術館所蔵の『金山寺図屏風』の緻密さ。一方、現し世とも幻想の世界とも分からないような『山水図屏風』(栃木県立博物館)など。湧いては消える雲と、大地(山)の区別がなくなって、大地もふわふわ漂っているのが雪村の山水世界なのである。

 後世の画家による雪村トリビュート作品がたくさん集められており、特に光琳が雪村を深く敬愛していたことがあらためて分かったのは収穫だった。確かに光琳が繰り返し描いた布袋さんは、雪村の布袋によく似ている。

 図録はどの作品の解説も詳しく、寄稿者も充実していて読み応えあり。この展覧会で、15年前の私のような雪村ファンが大量に生まれてくれたら嬉しい。グッズは「雪村出世飴」が下町らしくて楽しかった。鯉、龍、呂洞賓が各2個ずつだったが、個人的に、雪村といえば「馬」を入れてほしかったと思う。


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真言律宗の名宝、勢ぞろい/奈良 西大寺展(三井記念美術館)

2017-04-18 23:58:36 | 行ったもの(美術館・見仏)
三井記念美術館 特別展 創建1250年記念『奈良 西大寺展 叡尊と一門の名宝』(2017年4月15日~6月11日)

 西大寺の公式サイトを見ると、天平神護元年(765年)孝謙上皇が重祚して称徳天皇となり、金銅製の四天王像を鋳造されたのが西大寺のおこりと説明されている。よって、2017年は、ピタリ創建1250年ではないようだが、奈良の西大寺+真言律宗の諸寺院の名宝を集めて展観する企画である。わりと最近、真言律宗関係の展示があったような気がして調べたら、2016年に叡尊の弟子・忍性を主役とする展覧会が、奈良博と金沢文庫で開かれていた。私は、叡尊も忍性も好きなので、連続して真言律宗の展覧会が開かれるのは大変うれしい。

 最初の展示室は密教法具が中心。暗い空間に金色の法具が浮かび上がり、神々しい。ほとんどが西大寺の所蔵品だったが、小さな厨子入りの金銅製の愛染明王坐像は称名寺(金沢文庫)の所蔵とあった。しかし、あまり記憶にないものだった。西大寺の金銅透彫舎利容器(鎌倉時代)は、繊細な細工にためいきの出る逸品。ちょっと日本製とは思えない。六花形の屋根を持ち、円筒形の釣り灯籠のようなかたちをしている。

 西大寺の瓦と塼(せん)、茶室には大茶盛式の大茶碗に微笑んで、展示室4に進むと、仏像と肖像彫刻がたくさん! 西大寺に伝えられる興正菩薩(叡尊)坐像も来ておいでだった。八の字の垂れ眉毛が特徴だが、解説を読んで姿勢のよさにも気づいた。それから太い血管の浮き出た大きな手が、いかにも実務家である。そのほか西大寺からは、愛染明王坐像(善円作)、文殊菩薩坐像、善財童子立像、最勝老人立像などもいらしていて驚いた。獅子がいないのは残念だったが、三井記念博物館の展示ケースだと入らなかったかもしれない。

 仏画では、西大寺の『十二天像』(平安時代)から、目の大きい白象に乗った「帝釈天像」と羊に乗った「火天像」(前期)。東寺の十二天像と違って、やや素朴絵ふうで生命力にあふれていて、また別の魅力がある。宝山寺の『愛染明王像』は、宝瓶から少し浮き上がった円相の中に、赤を基調とした色鮮やかな愛染明王が浮かび上がっている。美しい。

 また舎利容器などの繊細な工芸品をはさんで、最後の部屋は、入った瞬間に「見たことのある仏像」の集団に目がとまった。「真言律宗一山の名宝」「忍性と東国の真言律宗」をテーマとした展示室で、奈良・百毫寺の太山王坐像(閻魔王)(大きい!)と司命・司録像、鎌倉・極楽寺の忍性菩薩像、称名寺の頭の大きい釈迦如来立像、十大弟子立像の一部などがいらしていた。後期には、浄瑠璃寺の吉祥天立像(!)や極楽寺の釈迦如来坐像など、秘仏もおいでになるようだ。そして図録を見ると、どうやら東京展には出陳されず、大阪展(あべのハルカス)か山口展(山口県立美術館)だけに出陳されるもののありそうなのが気になる。
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2017引っ越し完了

2017-04-17 22:31:43 | 日常生活
2年間暮らしたつくばの宿舎は、こんな部屋でした。





壁には、使えないヒーター(セントラルヒーティング)の名残。撤去するとお金がかかるから、そのままにしてると聞かされた。台所のガスレンジ横のガラス壁にはヒビが入っていたけど、それも気にするなと言われた。まあ、旧公務員宿舎なんてこんなもの。ただみたいな家賃だったので文句はない。



ドアを出ると、だいたい毎日、正面(北側)に筑波山が見えていたのに、宿舎退去の日は、天気が悪くて見えなかったのが心残り。そしてこの心境、和歌になるなあと思いながら、詠めないのが悔しい。
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コレクション自慢/絵巻マニア列伝(サントリー美術館)

2017-04-16 23:56:36 | 行ったもの(美術館・見仏)
サントリー美術館 六本木開館10周年記念展『絵巻マニア列伝』(2017年3月29日~5月14日)

 東京に引っ越して、ようやくネットも開通。今週末は、気になっていた展覧会にも行ってみることができた。本展は「絵巻」を通じて、個性に満ちた「絵巻マニア」の人々に焦点をあてた企画。登場する「絵巻マニア」は、後白河院、花園院、後崇光院・後花園院父子、三条西実隆、足利将軍家、松平定信。まあ、なるほどの人選である。

 制作にかかわった作品の質の高さで群を抜くのが、冒頭の後白河院。『病草紙』断簡が複数出ていて有難かった。「不眠症の女」はサントリー美術館所蔵だったか。見た目は特に病気らしさもない女だが、同輩たちが無防備な寝顔をさらしている中で、ひとり体を起こしている「わびしさ」が表現されている。指先は数を数えているのかしら。個人蔵の「居眠りの男」は色彩あざやかで明るい画面。あと九博所蔵の「侏儒」が出ていた。

 『伴大納言絵巻』がデジタル複製、『年中行事絵巻』が伝・田中親美模写の京都市立芸術大学本だったのは仕方のないところ。東博の『後三年合戦絵巻』が出ていたのは嬉しかった。後白河院も後三年合戦を描く絵巻(承安本)を制作させており、蓮華王院→醍醐寺→仁和寺に所蔵されていた記録があるが、行方不明である。展示の貞和本は承安本の面影を伝える作例と考えられている。

 後白河院が上洛した源頼朝に、自慢の絵巻コレクションを見せようとしたが、頼朝が丁寧に遠慮したという話が『古今著聞集』に載っているというのは知らなかった。どうもこの二人の関係は面白い。一方、実朝は和歌や絵巻を愛好したことという。へえ、和歌はともかく、実朝が絵巻マニアだとは思っていなかった。『吾妻鏡』には、実朝が「小野小町一期盛衰事」を好んだ記事がある。ということで「九相図巻」(個人蔵)が展示されていたが、すさまじかった。首のくるっとひっくり返った犬のいるやつである。実朝の趣味、よく分からないなあ。

 花園院は、あまり絵巻マニアの印象がなかったが、父の伏見院ともども絵巻好きで、この父子の周辺で絵画制作に従事していたのが高階隆兼であると聞くと、なるほどと思う。三の丸尚蔵館本の『春日権現験記絵』などを展示。後崇光院と後花園院も父子で絵巻好きであったことが、日記や書簡から浮かび上がる。『彦火々出見尊絵巻』が「若狭国松永荘新八幡宮」にあるという記事は、後崇光院の『看聞日記』に見える。展示は複製だったが、『看聞日記』の当該箇所を見ることができて、ちょっとわくわくした。この父子は『玄奘三蔵絵』(藤田美術館)も興福寺大乗院(※『応仁の乱』に出てきた)から取り寄せて見ているのだな。

 『実隆公記』を残した三条西実隆も絵巻マニアで、『酒呑童子絵巻』など数々の制作にかかわった。2012年のサントリー美術館『お伽草子』展でも同様の指摘がされていたと思う。室町時代の絵巻は、絵も物語も稚拙で、そこが一種の魅力になっている感じもする。足利将軍家では、義教が後崇光院と後花園院の絵巻貸借サークルに加わっていた由。また、義尚は「天性の絵巻好き」と呼ばれている。私は、足利家=唐物愛好のイメージが強かったので、彼らの内心でどのように「棲み分け」ていたのか興味深い。

 最後の松平定信は、考証マニアであったことは確かだが(絵画+文学を楽しむような)絵巻マニアだったかどうかは疑問。しかし『蒙古襲来絵詞』が世に知られるようになったのは、新井白石の武器考証書に紹介されてからで、定信の求めにより、細川斉茲がこの絵巻を江戸に運んで以来だというのは面白い。伝統の始まりは、意外と新しかったりするものだ。最後に付け加えておくと、歴史上、女性の「絵巻マニア」はいなかったのだろうか。主な享受層は、むしろ女性だったのではないかと思うのだが。
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2017引っ越し中

2017-04-01 07:45:14 | 日常生活
2017年4月1日、新年度のはじまりは土曜日。

先週末に宿舎から荷物を搬出して、1週間はつくば市内のホテル住まい。
窓辺には送別会でもらった花。



今日は、東京の新しい賃貸マンションに初めて泊まります。
(その前に職場の机まわりの清掃…)

ブログも、少しずつ復帰します。
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パンを求めて/ロシア革命(池田嘉郎)

2017-03-23 22:49:51 | 読んだもの(書籍)
〇池田嘉郎『ロシア革命:破局の8か月』(岩波新書) 岩波書店 2017.1

 今年2017年は、ロシア革命から100年目に当たる。そのことに気づいて本書を読んでみたが、難しかった。旧勢力側は皇帝ニコライ二世、革命勢力はレーニンとトロツキーくらいしか名前を知らないので、なじみのない人名や党派名がずらずら出てくるのに辟易した。明治維新や中国の辛亥革命なら、名前を聞くだけで、親しみや反感が湧く人物がたくさんいるのだけど。

 本書が焦点をあてる「8か月」とは、1917年2月の二月革命から同年10月の十月革命までの期間をいう。革命以前のロシアは、ニコライ二世の治世で、1906年に二院制の議会が開設されていた。真に議会らしかったのは下院(国家ドゥーマ)である。1914年には第一次世界大戦が勃発し、ロシアは参戦して、挙国一致の総力戦体制がつくられる。しかし、戦線では退却が続き、経済は悪化し、食糧事情が逼迫する中で、1917年2月23日、女工たちが「パンを!」の声をあげて街頭に出たことが革命の始まりとなる。街頭に出る労働者の数は日ごとに増え、はじめは軍隊が群衆に発砲して鎮圧につとめたが、やがて兵士も反乱に加わる。議員たちは、議論の末、ドゥーマとしてではなく「臨時委員会」として、事態に対応することを決める。

 やがて群衆の中から、労働者と兵士の代議員評議会=ソヴィエトが誕生する。このへんが私には唐突で、よく分からないのだが…皇帝退位後、ドゥーマの権威を継承する臨時政府がつくられた。しかし、臨時政府とペトログラード・ソヴィエトの二重権力状態にあった。5月には、社会主義者が入閣して、自由主義者と社会主義者の連立政府が発足するが、ドイツ軍との戦闘は続き、農民による土地の奪取、生産現場の混乱、民族紛争、食糧不足、犯罪の横行など、あらゆる災厄に疲弊する中で、武装蜂起による十月革命が成立する。そして、新政府の決断で、ドイツ・オーストリア・オスマン帝国とは講和が成立するが、そのかわり、白軍×赤軍に分かれた内戦が勃発し、諸外国の介入が始まる。

 初学者のメモはこのくらいにしておくが、とにかくロシア民衆にとって苛酷な時代だったことは少し分かった。やっぱり「食べるものがない」怒りから始まる革命は後戻りしないのだな。人間にとって、最も根本的な欲求であるから。逆にいうと、自由や平和を求めるデモにも意味はあるけど、食べさせている限り、政権は簡単に倒れないんだな、とも感じた。そして革命は、長い混乱と暴力を伴う。革命なしで過ごせるなら、たぶんそのほうがいいだろう。

 また、ロシア革命の特徴としては、女性の活躍が目につき、面白かった。もちろん一部の少数者であり、著者は「総じて、女性の役割を限定しようとする発想法は、革命ロシアの労働者の間にも長く残った」と述べているけれど、臨時政府は女性を迎え入れている。
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適正な働きかた/正社員消滅(竹信三恵子)

2017-03-21 23:02:56 | 読んだもの(書籍)
〇竹信三恵子『正社員消滅』(朝日選書) 朝日新聞出版 2017.3

 竹信さんの本は『ルポ雇用劣化不況』(岩波新書 2009.4)『ルポ賃金差別』(ちくま新書 2012.4)などを読んできた。いま、これらの感想を読み返してみたら「あまり感心しない本だった」「あまり共感しない本だった」と繰り返していて苦笑した。そうだったかもしれないが、本書はわりと共感できる内容だった。

 著者はいう。私たちはいま、二つの意味での「正社員」消滅に直面している。一つは、非正社員(時間雇用、有期契約、昇給なし)の増加による、労働現場からの文字通りの正社員消滅。もう一つは、「正しい(適正な)働きかた」という意味での正社員消滅である。正社員として就職することは、もはや「安定と安心の生活」を保障しない。「正社員なんだから」という理由で課される長時間労働、さまざまな拘束、内面支配。そのあげく、要らなくなれば、正社員でも「追い出し」に遭う。これまでの著者のルポは、主に前者にフォーカスされていたと思うが、後者の問題が重点化している点に、私は共感したのである。

 全6章のうち、はじめの1章だけは「正社員の消えた職場」を描く。そこでは、責任もノルマも辞めにくさも、正社員そっくりのパート社員が、低賃金と不安定雇用に苦しみながら働いている。スーパー、郵便局、ハローワーク、製造業までも。「人件費を下げるには、働き手の自尊心を砕くことが最も効果的だ」って、ぞっとするほど怖い記述だ。

 次に正社員である。今でこそ正社員は、会社に対して無限の責任を負うかのようになってしまったが、1970年代までは、戦後の国際社会が目指した「あるべき働き方」のモデルだった。この指摘には、あらためて蒙を開かれた。1990年代には、臨時職員と正職員の賃金格差について「同一労働の賃金差は八割を超えてはいけない」という判例が示される。うーむ、なんだこれ。なぜ八割?という問いに対して、ある労働法研究者は「同一義務同一賃金」を唱えた。正社員は残業命令や配転命令に従わなければならず、パートより重い義務を負っているから、賃金も高いのだという。

 これが「メンバーシップ型契約」という用語とともに定着していく。この言葉は濱口桂一郎さんの『働く女子の運命』(文春新書 2015.12)で知ったが、少なくとも濱口さんは「日本の正社員はメンバーシップ型だから、無限定に働くべき」なんてことは言っていなかったのに、現状と規範を混同する人が多いのは困ったものだ。

 そして「高拘束」の実態には暗澹とする。ハラスメントの横行である。これは非正社員の労働現場にも及んでいて、多くの学生もブラックバイトの餌食となっている。「高拘束に耐える働き手」は素晴らしい、という価値観が広まることで、悪辣なビジネスが淘汰されにくくなっているという指摘は重い。耐えることを称賛する道徳観は、ほんとにもう辞めたほうがいい。

 一方で「正社員追い出しビジネス」というものが進化しているらしい。これも酷い話だ。「痛みを感じずにクビを切る」ことを外注する会社もひどいし、それを請け負ってビジネスにしている会社もひどい。しかし、最もひどいのは、リストラ推進に助成金を投じる国の政策である。正社員のクビを切り、同じ職場が低賃金の派遣労働者として、その人を受け入れる。これだけで会社は助成金をもらえるのである。いつの間に日本は、こんな社会に向けて舵を切ってしまったのだろう。

 政府主導の「働き方改革」はさらに進む。経営者の代表たちが、とにかく「解雇しやすさ」を切望していることはよく分かった。さらに残業代ゼロ法(ホワイトカラー・エグゼプション)やら、残業時間規制の緩和など。しかし、その結果は、正社員が増えても消費が伸びない現実となっている。確かに会社経営も大変かもしれないが、だからと言って労働者が「わがままはいけない」と我慢する態度が、みんなが幸せな社会の実現に貢献するかは、もう一度考えてみる必要があると思う。
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大阪あいりん地区の経験/貧困と地域(白波瀬達也)

2017-03-20 23:03:48 | 読んだもの(書籍)
〇白波瀬達也『貧困と地域:あいりん地区から見る高齢化と孤立死』(中公新書) 中央公論新社 2017.2

 東京育ちの私も「あいりん地区」の名前くらいは聞いたことがある。たぶん「愛隣」なのだろうと推測していたが、それが正しかったことを初めて確認できた。大阪市西成区の「あいりん地区」は、東京の山谷(さんや)、横浜の寿町と並ぶ「日雇労働者の町」として知られてきた。1966年に大阪市・大阪府・大阪府警本部の「愛隣対策三者連絡協議会」によって地区指定され、今日に至るまで、主に日雇労働者を対象にした治安、労働、福祉、医療などの対策が講じられてきた。同地区は「釜ヶ崎」と呼ばれることもあるが、本書は「あいりん地区」を用いる。著者は、院生だった2003年から同地区にかかわり、調査・研究と並行して地域福祉施設の職員もつとめ、さらに新しいまちづくりの取り組みにも関与している。

 歴史を振り返ると、釜ヶ崎は田畑が広がる農地であったが、20世紀に入ると、貧困層が集住する木賃宿街となった。名護町(いまの浪速区日本橋界隈)のスラム街の強制クリアランスによって、貧困層が移住してきたと考えられている(へえ!日本橋はスラム街だったのか)。その後、太平洋戦争下で釜ヶ崎は焦土となったが、戦後、下宿旅館の町として復興し、1950年代には全国有数の「ドヤ街」となった。ただし、当時は男女の人口比があまり変わらず、子供の姿も見えるなど、ドヤ(個人的・一時的・流動的)というよりスラム(家族的・恒久的・固定的)であった。

 1960年代後半、「大阪万博建設に伴う労働力需要の急激な高まり」が、あいりん地区を単身日雇労働者の町(=寄せ場)に変質させたと考えられている。東京人の私は、考えたこともなかった歴史で、びっくりした。大きな経済的プロジェクトは、よきにつけ悪しきにつけ、町(社会)のありかたを根本から変えてしまうんだなあ。なお著者は、図式的に考えすぎないよう留意を求めつつ「概ね的を射ている」と評している。

 同じ頃から、労働運動に従事する若い活動家たちが流入し、ラディカルな労働運動(新左翼運動)が活発化する。公的機関によるあいりん対策も続いた。女性、児童、高齢者など弱い立場の人々に対しては、キリスト教関係者が支援を展開した。外国人宣教師による活動もあった。はじめは布教に熱意を持っていたが、やがて信者を増やすことよりも「人を人として」向き合うようになる。先日読んだ、沖浦和光『宣教師ザビエルと被差別民』を彷彿とさせる。

 90年代、バブル景気の崩壊や建築工法の高度化によって寄せ場の求人が激減し、高齢化した日雇労働者は野宿生活を余儀なくされるようになる。著者は、日本で中高年の単身男性が野宿者となる理由として、彼らが労働市場から「雇用するに値しない」と見切られると同時に、行政からは「稼働能力がある」と見られて、福祉サービスへのアクセスを断たれていると指摘する。考えてみると、こういう二律背反は、よくあると思う。

 さまざまな支援の取り組みによって、あいりん地区では生活保護受給者が増加し、野宿者は減少した。同地区は、再び定住型の貧困地域に変化しつつある。簡易宿泊所を転用し、多様な支援を提供するサポーティブハウスの取り組みや、社会的孤立や孤立死への対策として、新たな地縁の構築も試行されている。キリスト教と仏教が協働する事例も報告されていて、興味深い。

 さて、2011年12月に就任した橋下徹大阪市長は、あいりん地区の改革に関心を注ぎ、「西成特区構想」計画を提示した。著者は、あいりん地区を「金のかかる町」から「金を生み出す町」に変えていこうという橋下構想に一定の理解を示しつつ、その歩みは平坦なものにならないだろうとの危惧を表明している。手厚いケアは「強い管理」と一体であり、さまざまな事情から匿名性の中で生きている人々を圧迫するものであること。再開発によって地価が上昇すれば、生活困窮者は排除され、手厚いケアは有名無実化せざるを得ないこと、など。そして、「生活困窮者をあいりん地区だけに押しつけてしまっている社会のあり方」でいいのかどうか。必要なのは、彼らの問題を我々の問題として考える態度だと思う。
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裁判官の仕事と胸のうち/裁判の非情と人情(原田國男)

2017-03-17 23:49:53 | 読んだもの(書籍)
〇原田國男『裁判の非情と人情』(岩波新書) 岩波書店 2017.2

 著者の名前は全く知らなかった。オビの紹介文を見て、裁判官のエッセイだと知り、ぱらぱら中をめくって、読みやすそうだったので読んでみた。原田國男(1945-)は、刑事を専門とする日本の裁判官で、2010年に東京高等裁判所部総括判事を最後に定年退官し、慶応大で客員教授をしているそうだ。Wikiには「量刑研究の第一人者として知られており、この分野に関して多数の論文を発表している」とあるが、私は門外漢で全く知らなかった。

 あとがきに、本書は岩波の雑誌『世界』に連載されたエッセイ「裁判官の余白録」をまとめたものという種あかしがあって、へえ!と驚いた。最近の『世界』は、ずいぶん平易な読みものを載せているのだな。内容は、普遍的な裁判官の仕事についての解説と著者の個人的な体験談が、ほどよく混ざり、興味深い。

 著者は、裁判官は多くの小説を読むべきだという。裁判官は社会の実情や人情に通じている必要があり、小説で経験の不足を補うことができるからだ。裁判官のこういう発言はうれしい。著者のおすすめは池波正太郎の『鬼平犯科帳』で、悪い奴はこらしめ、可哀想な奴は救うことで一貫している。「ここがいい」のであって、裁判官は権力をもっているのだから、可哀想と思ったら、量刑相当でなくとも、軽い刑や執行猶予にすればよい、という。ちょっと誤解を招く言い方だが、裁判官の権力は何のためにあるかを考えさせられる。

 裁判の仕事が記録に始まって記録に終わるらしいことも、あらためて認識した。はじめは予断を排して訴状を読み、公判記録を読む。大きな事件だと、公判記録がロッカー何棹分になることもあるそうだ。これを整理して頭の中に入れ、判決を書く。歴史学の史料研究などと基本は同じで、典型的な文系の作業であると思った。

 著者が出会った先輩裁判官たちの話も面白かった。裁判は、裁判長と右陪席、左陪席の三人の合議でおこなわれるが、自分は最後まで意見を言わず、右陪席、左陪席、それに司法研修生に時間制限なく議論させる裁判長がいた。また、判決文は左陪席が起案し、右陪席が手を入れ、最後に裁判長が確定する。このとき、全く文章を直さない裁判長だと、プレッシャーがかかって大変だったという。今のご時世では裁判長の手抜きと見られそうだが、私は、こういうおおらかな人の育て方をする年長者はいいなあと思う。

 逆にあまり愉快でなかったのは、最近の学生のひとりが「自分は将来最高裁判所長官になりたい」「どうしたらなれますか」と聞いてきた話。出世を望むこと自体は悪くないが、出世するためにどういう裁判をしたらいいかばかり考えるようになると、目の前の事件や被告人の姿が消え失せてしまう、と著者は心配する。全くそのとおりだ。著者は「自分を待っている事件は、日本中のどこにでもある」と考える。そうそう、世間の一番や二番に惑わされることはない。仕事に対するこの考え方にはとても共感する。

 著者の個人的な体験で微笑ましかったのは、在外研修員にノミネイトされ、ディクテイション(聴き取り)の試験を受けたら、大学時代懸命に覚えたケネディ大統領の就任演説だったので、聴き取るまでもなく全文書けたというもの。まるで武侠小説『射鵰英雄伝』で郭靖が九陰真経を暗唱する下りみたいだと思った。

 それから、著者は20件以上の逆転無罪判決を出しており、ネットで「またやっちゃったよ原田判事」と揶揄されたこともあるそうだ。無罪判決を続出すると出世に影響するのではないかという推測について、著者は「残念ながら事実」と書いている(正直!)。しかし、犯人とすることに「合理的な疑い」が残る場合は、無罪としなければいけない。この原則は、私たち市民のほうが忘れがちだが、法の専門家は忘れずにいてくれるものと信じたい。

 なお、気になったことだが、日本は他国に比べて偽証罪の起訴が極めて少ないという。これは日本人が偽証をしないからではない。たとえば裁判で、同じ事実に正反対の証言がされるときは、どちらかが偽証しているはずだが、検察は起訴をしたがらない。警察が偽証した場合も同様である。これはよくないと思った。こんな状態を放置しているから、政治家にもジャーナリストにも嘘を言い放題の風潮がはびこるのである。
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