見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

神道的国民意識への回帰/日本会議 戦前回帰への情念(山崎雅弘)

2016-07-25 00:22:48 | 読んだもの(書籍)
○山崎雅弘『日本会議 戦前回帰への情念』(集英社新書) 集英社 2016.7

 菅野完『日本会議の研究』(扶桑社新書)が出たあと、テレビや新聞でも日本会議への言及が増えたような気がする。そして、(売れると分かったとたん?)同じテーマの出版が相次ぐのはなんだかなあ、と思いながら、もう一冊くらい読んでみることにした。著者の山崎雅弘さんは戦史・紛争史研究家で、著作を読むのは初めてだが、ときどきSNS上で発言を拝聴している。

 よく知られているとおり、安倍政権の閣僚の多くは「日本会議国会議員懇談会」のメンバーである。もうひとつ「神道政治連盟国会議員懇談会」(会長は安倍首相)のメンバーも多く、両者は重なりあっている。両団体は「仲の良い兄弟」のようなものである、と著者は説く。確かに両団体がホームページに公開している目標はよく似ている。

 そこで、慰安婦問題、南京大虐殺問題、憲法改正などについて、安倍政権と日本会議の主張・価値観・その目指すものがきわめて類似していることを確認し、日本会議の人脈と組織の系譜を検証する。著者が重視するのは「神道・宗教勢力」である。日本会議の淵源のひとつ「日本を守る会」は1974年成立。著者によれば、当時の日本社会には共産主義に共鳴する市民が少なからず存在し、宗教家や保守的な政治家は懸念を強めていた。臨済宗円覚寺派管長が伊勢神宮で「世界に目を向ける前に、まず自分たちの足元を見直せ」という神託を受けたことが、同会設立のきっかけとなる。僧侶なのに伊勢神宮で神託を受けるって、日本の伝統に忠実だなあ、とへんなところに感心した。

 なお、創価学会は公明党を通じて国政への影響力を有し、「国立戒壇(仏教の国教化!)」を目指していたため、当時、他の宗教団体からは(共産党と同じくらいの)「脅威」とみなされており、「日本を守る会」には参加しなかった、というのも興味深い。宗教に動かされる政治って、過去のものではないんだなあ。

 宗教勢力の中でも、特に著者が注目するのは「神社本庁」である(菅野氏の著書が重視した「生長の家」の人脈は、それほど掘り下げられていない)。いや、実は私、神社本庁が単なる民間の宗教法人のひとつだということを認識できていなかった。よく考えれば、当たり前なのだけど。伊勢神宮を頂点とし、全国の神社が神社本庁の下に入るかどうかは、その神社の判断に任されたが、ほとんどの神社が加入した。神社本庁は、GHQによって変質させられた「神道的国民意識」を取り戻すべく、さまざまな活動を展開していく。それは安倍政権が目指すものとほぼ一致すると言ってよい。天皇中心の国体、愛国的歴史教育、家長中心の家族主義、など。

 そして、戦後日本の悪いところは全部「日本国憲法のせい」と考えて、敵意と憎悪を隠さない。最後に自民党の憲法改正草案(2012年4月)が示され、短い紙数ではあるが、さまざまな問題点が指摘されている。しかし、もっと驚いたのは、2013年4月に産経新聞が紙面に発表した「国民の憲法」と題した改正案。自民党案が霞んでしまうくらい酷い。でも、これ覚えていないなあ…まだ改憲に現実味がなかったからだろうか。彼らが取り戻そうとしている「神道的国民意識」なんて、せいぜい幕末このかた百年も持たなかった流行に過ぎないので、もっと大きい歴史の流れに任せて、変わるものは変わるままにしておけばいいと思うんだけどね、私は。
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人生相談と未来予測/内田樹の生存戦略(内田樹)

2016-07-24 20:02:27 | 読んだもの(書籍)
○内田樹『内田樹の生存戦略』 自由国民社 2016.6

 男性向けの月刊誌『GQ』に連載されていた人生相談。『GQ』といえば、一流企業で颯爽と働く金持ち男性が読む雑誌のイメージで、著者の読者層と合わないなあ、とはじめに思った。本書には、2012年5月から2016年5月までの相談が雑誌掲載順に収録されている。長いものもあれば、短いものもある。「はじめに」で著者が「僕の人生相談の回答はわりと『冷淡』です」と述べているが、読んでみたらそのとおりだった。「どうぞそのままで」とか「自分で納得されていれば、それでよろしいのではないですか」とか「悩んでも時間の無駄です」とか、これ大丈夫なのか?と慌てるくらい冷淡な回答もあって、だんだん笑えてきた。

 教育や政治についての回答は、だいたい著者がこれまでの著作で述べてきたのと同じことが書いてあった。「あとがき」に、途中から政治的な質問が増えてきて、いささか単調になってしまった、とあるが、確かにそんな感じがする。前半(古い時期)のほうが、思わぬトピックについて、内田先生の考えを聞けて面白い。

 古い回答に含まれる未来予測は、当たっているものもあり、当たっていないものもある。2012年9月には、憲法9条が日本人の海外ボランティアの安全を担保していると述べ、日本が憲法を改正して紛争に軍事介入できるようになれば、「日本人ボランティアや観光客が、思いがけないところでテロの標的になるということはかなり高い確率で起きるでしょう」と述べている。これは当たってしまったとみなすべきか。

 2014年1月の「護憲の最終ラインはアメリカ政府と天皇陛下」という発言には、まさに直近のニュースを思い合せて、ちょっと唸った。もし国民投票になったら、最後に日本国民は「で、陛下のご意向は?」ということを必ず気にかける。そのとき「陛下は改憲を望んでおられない」ということがリークされたら、国民投票の趨勢に大きな影響を及ぼす。うーん、でも後半は楽観的にすぎるような気がする。

 2014年10月の、集団自衛権が使えるようになりました、といっても、これはアメリカの許諾がないと使えないものなので、何もしないで終わる可能性があります、という予測はどうか当たってほしい。でも、2014年11月の沖縄知事選挙と2015年4月の統一地方選で、有権者が現政権への批判票を投ずれば、自民党がボロ負けして、責任を押し付けられた安倍さんが辞めさせられる可能性がある、というのは、全然当たらなかったなあ…。

 個人的に印象に残った解答のひとつは「どうやったら人生に名を残せますか?」という相談に対しての「名前を残したかっら贈与ですよ」という答え。たとえば自分の名前を冠にした奨学金制度。1,000万円あれば、ひとり100万円で10年続けられる。もっとお金があれば、体育館とか美術館とか橋でもいい。なるほど。子供のいない私としては(老後の生活にいくらかかるか分からないが、もし余裕があるなら)これは覚えておこうと思った。
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東アジアの希望/日本×香港×台湾 若者はあきらめない(SEALDs)

2016-07-23 08:03:43 | 読んだもの(書籍)
○SEALDs編;磯部涼構成『日本×香港×台湾 若者はあきらめない』 太田出版 2016.7

 7月10日の参議院選挙の前、選挙や政治関連の書籍を集中的に読んでレビューを書いていた中で、最後に(選挙直前に)読んで、非常に面白かった本。SEALDsメンバー(奥田愛基、牛田悦正、溝井萌子)と台湾および香港で学生として政治運動に携わった若者の対話5篇を収める。2015年12月から2016年3月にかけておこなわれたもの。

 冒頭で牛田くんが、「自分が『東アジア』という地域に住んでいることを想像したことがあるだろうか。僕はあまりなかった」と率直な告白をしている。だいたい今の標準的な日本人の感覚はこんなものだと思う。私は「東アジア」という地域に強い愛着があるので、台湾のひまわり学生運動(2014年3月18日~4月10日)にも、香港の雨傘運動(2014年9月26日~12月15日)にも関心を払ってきた。特に前者は、ちょうど台湾滞在中だった教育学者の佐藤学先生が、Twitterで刻々と現地の様子を伝えていたのが印象的だった。逆に、日本のテレビがほとんど何も伝えていないことに絶望していた。

 香港の雨傘運動については、座り込みの始まった当初の印象はあまりないが、だんだんTwitterなどで情報が伝わってくるようになり、ついに解散(強制排除)に至ったときは感慨深かった。当時の私は、どうして日本では、こういう若者の政治運動が起きないんだろう、と少し苛立っていたのだが、SEALDsの前身のSASPLが初めてサウンドデモをしたのが2014年2月1日だというから、私が気づいていなかっただけかもしれない。

 対話1は、香港の雨傘運動の中心となった学生組織「学民思潮」のスポークスマンをつとめた周庭(アグネス・チョウ)さん、対話2~4は「学民思潮」招集人だった黄之鋒(ジョシュア・ウォン)くんがゲスト。香港の抱える政治的課題について、日本の有識者の解説ではなく、香港人の話が聞ける機会は少ないので、非常に興味深かった。多くの日本人は、親中国か反中国かで問題を単純化しがちだが、そういうものではないということも分かった。中国人でもイギリス人でもない「香港人」というアイデンティティが、返還から20年経って、生まれつつあるのだ。雨傘運動の学生たちは1997年の香港返還以降に生まれたので、香港の前途を決めなければいけない世代だという自覚がある。黄くんが日本のアニメ『デジモン』を引用して、自分たちを「時代に選ばれし子どもたち」と呼んでいるのが面白かった。

 対話5は、台湾のひまわり学生運動のリーダーの一人だった陳為廷くんがゲスト。彼の考える「台湾ナショナリズム」とは、「その土地に住んでいる人たちが、自分の土地やその土地の将来について、責任をもって考える」社会をつくることである。だから、中国の介入には反対するけれど、むやみに中国人を排斥し、差別すること(台湾にはそういう勢力もいるのだ)には否定的である。非常に理性的で、気持ちがいい。また、立法院侵入の経路など、臨場感のある裏話もあって面白かった。

 香港の学生も台湾の学生も、最終的にはかっちりした組織をつくった。SEALDsの、指導者のいないふわふわした組織も魅力ではあるけれど、香港の黄くんに「組織化は重要です!」と諭されて、奥田くんと牛田くんが「勉強になるね」と神妙に反応しているのが面白い。そして、香港も台湾も学生運動をベースに新しい政党が生まれているので、SEALDsが解散することをとても惜しんでいる様子だった。

 また、どの国の学生運動も共通して、反民主勢力との闘争以上に(?)共闘勢力の大人たちとの感覚や認識の違いに苦労しているらしい。香港の学民思潮がカンパで100万香港ドル(1千450万円以上)を集めたとき「草の根運動じゃない」と言われたとか、台湾の時代力量(ひまわり学生運動から生まれた政党)が旧来の左翼から「お前らは左派じゃない」と批判されたとかの話に、SEALDsメンバーは「超共感」していた。

 非常に面白かったのは、香港・台湾の学生たちが共通して聞きたがった「日本人は共産党が嫌いなんですか?」という質問。香港の周さんが「日本人は共産主義というものをちゃんと知っているんですか?」とも聞いていたけど、中国共産党と実際に対峙している彼らのほうがずっと冷静で理性的である。関連して、奥田くんが志位さん(日本共産党委員長)に冗談で「名前を民主党にしましょう」と言って「そりゃ無理だよ」と返されたという話には笑ってしまった。

 若者らしい軽い口調で、冗談もはさみながら、それぞれの国(社会)を思う対話の内容は真剣である。個人的には、日本国内でSEALDsへの関心が高まったおかげで、本書のような出版が企画され、香港や台湾で新しい政治運動を牽引する若者の声を聞くことができたことが、何より嬉しかった。
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2016年7月@京都、名古屋(若冲生誕300年と家康没後400年など)

2016-07-20 22:00:51 | 行ったもの(美術館・見仏)
三連休関西旅行で行ったもの拾遺。

京都国立博物館 常設展(名品ギャラリー)

 初日の京博。特別展をやっていない期間だと、人の数が少なくて幸せ。3階の「古窯の美」で、信楽や丹波の壺をじっくり眺める。2階「絵巻」の『伊勢物語絵巻』『西行物語絵巻』はどちらも江戸時代・17世紀の作。『伊勢』は煙立つ浅間山、雪をかぶった富士山の表現が面白い。海や川が濃紺で描かれており、白い波との対比が美しい。『西行』にも神々しい富士山の姿。『源氏物語歌合絵巻』は室町時代・15世紀の作で、幅の狭い小さめの料紙に白描だった。中世絵画「描かれた動物たち」は、さすが渋い。単庵智伝『龍虎図屏風』の虎は、入れ歯のおじいちゃんみたいに顎が細い。龍は腕白坊主の顔をしているが、尻尾の先が蛸の足みたい。中国絵画には久しぶりの(かな?)王雲筆『楼閣山水図屏風』。台の上に載っていることもあって、屏風の下半分が目の高さになる。まあ細部がよく見えていいけれど。

 1階の特集陳列・徳川家康没後四百年記念『徳川将軍家と京都の寺社-知恩院を中心に-』(2016年6月14日~7月18日)も鑑賞。家康は京都の寺社を保護したというけれど「家康の京都」って、あまり意識したことがない。展示ケースの端々に、ピンク色の葵の造花がさりげなく飾られていた。最後に、京博のゆるキャラ・トラりんにも会えた。金・土・日・祝日は1日5回登場って、がんばってるなあ。

泉屋博古館 生誕140年記念『上島鳳山と近代大阪の画家』(2016年5月28日~7月24日)

 2日目の午後に訪問。同館としては、ちょっと珍しい企画なので気になっていた。上島鳳山って、私は全く知らない名前である。ホームページの解説によると、上島鳳山(うえしまほうざん、1875-1920)は「独特の濃厚な雰囲気を漂わせた人物像を多く描き」「大規模な公募展にはあまり関わらず、住友家主催の園遊会などで席上揮毫を行ったり、後援者の求めに応じて描いていました」とのこと。「こうした後援者との密接な関係は、鳳山だけでなく大阪の他の画家たちにも見られます。彼らは作品が公になりにくく、経歴も辿れない事が多いため、今ではあまり知られていないのが現状です」というのが、ある時代・ある地域のの「画家」の姿をうかがわせて興味深い。鳳山の代表作『十二月美人図』(泉屋博古館分館所蔵)を公開(前後期6幅ずつ)ということもあって、「大阪の美人画は濃い!」というキャッチフレーズが用いられているが、私は『虎渓三笑之図』『雲中寿老図』など、あやしいおじさんを描いた「非美人画」のほうが印象に残った。ほかにも初めて知る画家がいろいろあって、長崎系の写生画を描いた山田秋坪(1876-1960)が印象に残った。大正年間には古くさい花鳥画だと思われただろうが、今見ると、一周まわって新しく感じる。

細見美術館 生誕300年記念『伊藤若冲-京に生きた画家-』(2016年6月25日~9月4日)

 到着は15時過ぎくらいだったと思うが、周囲の歩道に長い列が見える。げ!「最後尾」の看板を持ったお姉さんに聞いたら「(待ち時間は)30分ほどです」とのこと。細見美術館、こういっては悪いけど、そんなに見逃せない名品が出ているわけではないのに、宣伝の力か。中に入ると、狭い室内は人でいっぱい。第1室は「若冲の鶏 さまざま」がテーマだが、『鶏図押絵貼屏風』はあまりいい作品だと思わない。さまざまなモチーフを貼り交ぜた『花鳥図押絵貼屏風』は好き。ひょうきんな叭々鳥、とびかかるようなカワセミ、リーゼントみたいな頭のオシドリ、ニワトリもいい。最後の梅もいい。

 『踏歌図』『萬歳図』など、若冲にはめずらしい人物画が見られたのはよかった。若冲の弟子、もしくは若冲ふうの画家の作品もあり。若冲の名前の記載がある『京都錦小路青物市場記録』(京都大学文学部所蔵)や、若冲の名前が内側に刻まれた狂言面「僧」(壬生寺所蔵、寄贈者銘か)など「京に生きた画家」を実感させる展示品は貴重なものだった。展覧会限定菓子「綵菜」(PDFファイル)にはちょっと心が動いたけど、やめておいた。錦小路を歩いたら「若冲漬け」(京漬物・桝悟)なるものも売り出されていて、京都ではすっかり商売のネタにされている様子。

徳川美術館蓬左文庫 夏季特別展『信長・秀吉・家康-それぞれの天下取り-』(2016年7月14日~9月11日)

 2日目は名古屋に移動して1泊。最後に徳川美術館に寄った。第1展示室には『朱塗啄木糸威具足』(徳川義直着用)と『軍配団扇馬標』(関ヶ原合戦時使用)。周囲は「戦国名刀物語」と題した展示で、若い男女がキラキラした視線を注いでいた。私は、第2展示室の茶道具のほうに惹かれる。油滴天目(星建盞)はダンディな名品。家康が臨模した小倉色紙「こひすてふ」に和む。室礼、武家の式楽(能)を経て、第5展示室から「天下取り」の展示が始まる。まずは具足、辻ヶ花の小袖、徳川家康着用の浴衣など。たたんだ状態の母衣も面白かった。『茶屋交易図』(模本)はホイアンの日本町を描いた図だそうだが、8~9軒の長屋のような家が並ぶばかり。「日本橋」らしい姿は描かれていない。

 蓬左文庫の展示室に進むと、引き続き「天下取り」に関する各種資料が並ぶ。時代順に「信長」「秀吉」「家康」の三区画に分け、「信長」のエリアには、北条早雲の書状や武田信玄の書状も。『徳川家康三方ヶ原戦役画像』(徳川美術館所蔵)は残念ながら複製展示だった(8/2-8/31は原本展示)。「秀吉」のエリアでは、太閤秀吉が関白秀次に宛てた書状(個人蔵)を見た。まだ二人の仲が和やかだった時期のもので、正月祝いの礼を述べている。前日、大河ドラマ『真田丸』で秀次の自害シーンを見た直後だったので、感慨深かった。追書の追書に「たかのつめ一つ進(以下欠)」とあるのは、唐辛子のこと? 家康が北条氏政・氏直に上洛を促した書状とか、秀吉が水野忠重に宛てた真田昌幸征伐の督励状とか、けっこう『真田丸』を思い出させる資料が多い。加藤清正が朝鮮から持ち帰ったという、虎の頭蓋骨(歯を残し、全体が黒く塗られている)は珍品。そのあと「家康」のエリアには、田安徳川家伝来の『関ヶ原合戦絵巻』が出ていたが、真田父子の「犬伏の別れ」の場面を開けているのは、絶対、大河ドラマファンをねらっていると思う。

 ここで予定外に時間を食ってしまい、まだ徳川美術館の企画展示室がある、と思って急いだら、企画展示室(第7~9展示室)は閉室していた(耐震補強工事のため)。拍子抜け。今回の特別展のメインは蓬左文庫エリアなので、時間配分をお間違いないよう。
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〈複製〉動植綵絵30幅を堪能/伊藤若冲展(承天閣美術館)

2016-07-19 23:00:57 | 行ったもの(美術館・見仏)
承天閣美術館 生誕300年記念『伊藤若冲展』(2016年7月1日~12月4日)

 関西旅行2日目は近江八幡のホテルで目覚めた。朝から祇園祭の山鉾巡行を観に行くつもりが、うっかり寝過ごしてしまったので、最初に美術館に行くことにする。承天閣美術館でも若冲展をやっているというのは、京都に来て初めて知った。観光案内所で入手したチラシに、地味に「相国寺観音懺法を荘厳する 動植綵絵30幅(コロタイプ印刷による複製品)を一堂に展示」という説明があって、え、どういうこと?と思って訪ねたら、そのまんまだった。第1展示室(2007年に釈迦三尊像+本物の動植綵絵30幅が展示された部屋)に入ると、あのときの展示が再現されていた。ただし室の中央に茶室「夕佳亭」の模型があるので、一目で全貌は見渡せない。

 コロタイプというのは美術品の複製に適した印刷技術である(※詳しくは、便利堂のホームページで)。若冲描くニワトリの複雑華麗な羽根の色と質感も見事に再現されていた。複製であることは、ほぼ意識にのぼらない。そして、東京都美術館の『若冲展』と違って、作品の正面に飽きるまでたたずんでいても誰にも怒られないから、「蓮池遊魚図」の蓮のピンク色がきれいだなあとか、「桃花小禽図」の白い鳩(?)の足の踏ん張り方が鶴亭に似ているとか、「雪中錦鶏図」の落款は「錦街若冲製」(錦小路のことか)であるなど、いろいろなことに気づく。「群魚図」を見ていたおじさんが「あれメバルや。あれはサヨリや」と迷いなく言い当てているのも面白かった。

 第2展示室では、鹿苑寺大書院旧障壁画がなんと全部(たぶん)見られる。常設の「葡萄小禽図床貼付」「月夜芭蕉図貼付」のほか、「竹図」「芭蕉叭々鳥図」「葡萄小禽図(襖絵)」「松鶴図」「菊鶏図」「秋海棠図」「双鶏図」。展示ケースの中ではあるけれど、襖を嵌め込む柱や欄間をしつらえて、部屋の一部らしく見せる展示方法が心憎い。ほかにも中国絵画の『鳳凰図』(明・林良筆)とそれを写した若冲の『鳳凰図』、力強い『玉熨斗図』、ちょっと鶴亭を思わせる『芭蕉小禽図』など。

 面白かったのは久保田米僊(1852-1906)の描いた『伊藤若冲像』。明治18年(1885)相国寺で若冲の八十五回忌法要と作品の展観が行われた際、古老の追憶話をもとに生前の若冲の風貌を推定して描かれたものと伝えられている。若草色の衣、ほぼ禿頭、鼻の下と顎に黒い髭あり。けっこう目付きが鋭い。まあ八十五回忌では、生前の若冲を記憶している人が本当にいたかどうかねえ。なお第1展示室に出ていた『参暇寮日記』(相国寺の寺務日記)によれば、釈迦三尊像+動植綵絵は相国寺の公的な法要だけでなく、若冲自身の年忌法要にも掛けられたようだ(文政7年、二十五回忌)。なんだか、うらやましい。

 明治になって窮乏した相国寺は、動植綵絵30幅を皇室に献上し、金1万円を下賜されることで、寺域を保ったというのは(若冲ファンには)有名な話だが、今回の展示に「宮内大臣子爵土方久元」と大書した封筒と、宮内庁の罫紙に記された文書が出ており、伊藤若冲筆「花鳥画幅」が「今般御用相成候」(偉そう!)「依テ寺門保存費トシテ金壱萬圓下賜候事」とある(明治22年3月15日 宮内省)。

 そのあとに30幅の目録があったので、参考までにメモしておいた。蘆雁図/雪中錦鶏図/鵞図/牡丹図/松白鸚鵡図/月梅図/群鶏図/松白鶏図/紫陽花鶏図/南天鶏図/芙蓉鶏図/棕櫚鶏図/大鶏雌雄図/梅花図/紅楓図/大菊図/薔薇図/雪柳鴛鴦図/鶴図/芍薬蝶図/蓮図/桃花図/禾雀図/諸魚図/諸虫図/貝甲図/群魚図/白鳳図/松孔雀図/鶏日車図。…現在の標準的な名称と若干異なるが、どの作品を差すかはだいたい推定できる。しかし「諸魚図」と「群魚図」はどっちがどっちか、分からないなあ。

 なお、今回の展示での30幅の掛け方は以下のとおり。東京都美樹館の『若冲展』と比較できるように『釈迦三尊像』の隣から遠ざかる方向へ記録してある。

右(上手)/左(下手)
1 老松孔雀図/老松白鳳図
2 芍薬群蝶図/牡丹小禽図
3 梅花皓月図/梅花小禽図
4 南天雄鶏図/向日葵群鶏図
5 蓮池遊魚図/秋塘群雀図
6 老松白鶏図/棕櫚雄鶏図
7 雪中鴛鴦図/雪中錦鶏図
8 紫陽花双鶏図/芙蓉双鶏図
9 老松鸚鵡図/梅花群鶴図
10 芦鵞図/芦雁図
11 薔薇小禽図/桃花小禽図
12 群鶏図/大鶏雌雄図
13 池辺群虫図/貝甲図
14 菊花流水図/紅葉小禽図
15 群魚図(蛸)/群魚図(鯛)

 部屋を一周しながら歩いていると気が付きにくいのだが、実は左右の対比に気をつかっていることが分かる。このコロタイプ複製展示、12月までやっているのかしら。春の東京都美術館の大行列&大混雑にうんざりした若冲ファンはぜひ行くべき。
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2016祇園祭・前祭(若冲 生誕300年の旅)

2016-07-18 20:40:03 | 行ったもの(美術館・見仏)
今年は三連休に祇園祭の前祭(さきまつり)が重なると気づいたのは1ヶ月ほど前で、もう市内の宿はどこも取れなかったが、なんとか近江八幡のホテルを確保して、京都に行ってきた。お目当ては、新調された長刀鉾の見送(みおくり)を見るため。原図は伊藤若冲の『旭日鳳凰図』(宮内庁三の丸尚蔵館所蔵)だという。これは見たいでしょ!

16日(土)は宵山。京都国立博物館の常設展をさっと見たあと、明るいうちから山鉾めぐりに向かう。まず、四条通りの長刀鉾。すでに交通規制で、一方通行でしか通れないようになっている。長刀鉾って(女性も)上がれたっけ?と心配しながら聞いてみると、鉾には乗れないが会所には入れるとのこと。授与品を何か買う必要があるので、500円のあぶらとり紙を購入。

 

二階に上がると、これ! 微妙な色彩の再現度が想像以上に素晴らしい。川島織物セルコン制作。ただただ口を開いて馬鹿になったように眺める。



これは実際に「装着」されたところも見たいと思ったので、翌日、烏丸御池のあたりで、先頭の長刀鉾がやってくるのを待ち構える。そうしたら背後は…え?どうしてなの? ちょっと小雨がパラついていたのでカバーで覆ってしまったのだろうか? 真相はよく分からず。



しかし、めげずに追いかけていくと、四条通りの定位置に戻った長刀鉾に、ちゃんと『旭日鳳凰図』の見送が装着されていた。カッコイイ! 眼福。



長刀鉾以外の写真も少し。大好きな船鉾。船鉾の近所で京都市指定有形文化財の長江家住宅が公開されていた。住宅や美術品もさることながら、長江家の蔵から見つかったという、昭和初期の京都を映した白黒フィルムが面白かった。祇園祭の巡行の様子や船鉾もちゃんと映っていた。念願だった杉本家住宅も見学。

祇園祭の山鉾めぐりをすると、結果的にふだんの観光で行かないエリアを歩くことになって面白い。



蟷螂山は、御所車の上に大きなカマキリを乗せた楽しい山で、会所の中にもカマキリ。



提灯の紋もなにげにカマキリ。



夕方が近づくにつれ、人の数が増えてきたので、早めに退散することにした。

承天閣美術館と細見美術館の若冲展めぐりはまた別稿で。
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2016年7月展覧会拾遺@東京

2016-07-16 07:09:27 | 行ったもの(美術館・見仏)
レポート未掲載が溜まっているので、まとめて。

日本民藝館 『沖縄の工芸』(2016年6月21日~8月21日)

 玄関を入ると、大階段前の展示ケースには朱塗の沖縄漆器。踊り場には漆喰づくりの個性豊かなシーサー。沖縄だなあと思いながら2階に上る。大展示室の中は紅型(びんがた)で統一。2012年にも同じような展覧会『琉球の紅型』があったことを思い出し、見覚えのある模様を見つけて喜ぶ。奥の壁の中央には、藍地に鶴亀・松竹梅と「胡」の字を染め抜いた「芝居幕」が飾られていた。「胡」は苗字なのかなあ、と考える。「沖縄の織物」の部屋に飾られていた、絣や縞の着物も簡素で美しかった。芭蕉の繊維で織ったものもあるらしい。「沖縄の焼物」では、腰に下げたらフィットする抱瓶(だちびん)が欲しい。

 興味深かったのは、1940年、柳宗悦が沖縄を訪ねたときの短い映像が上映されていたこと。戦前の沖縄! 首里城(焼けたんだよね?)や玉陵(たまうどぅん)など、見覚えのある風景が映っている。人々の服装はずいぶん違う。同じ年、坂本万吉が撮影した写真には、紅型を染め、焼物を焼く人々の姿のほか、崇元寺の石門や円覚寺の堂宇(確かに鎌倉の円覚寺に似ている)も写っていた。この撮影から5年後に、沖縄を襲った運命のことを思うのはつらい。

静嘉堂文庫美術館 『江戸の博物学~もっと知りたい!自然の不思議』(2016年6月25日~8月7日)

 「本草書の歴史をたどりつつ、それと並行して江戸時代の人々に西洋博物学がどのように受け入れられてきたのか」を紹介する展覧会。行ってみたら、想像以上に「書物」を見る展覧会だった。めずらしい漢籍が多数。『新編証類図註本草』(元刊本)は水牛の図が開いていた。『纂図増新群書類要事林広記』(明刊本)は桃の種類を記した箇所で、モンゴル文字が見えた。『飲膳正要』(元刊本の明代復刻)は、中国唯一のモンゴル系の食物の本。判型はかなり大きい。「蝦(エビ)」について「味甘、有毒多食損人、無髯者不可食」云々とあった。

 江戸の学者たちの著書・蔵書も多数。多紀元簡が校勘した『本草和名』や西川正休が訓点をつけた『天経惑問』なども。大槻玄沢旧蔵書は、大槻文彦氏を通じて静嘉堂に入った。『日東魚譜』など、挿絵が楽しいものが多い。『解体新書』は有名な表紙ではなく、「眼目編」という箇所が開いていて、新鮮な印象だった。ポスターにもなっている司馬江漢『天球全図』の本物は意外と小さい。でも確かに迫力がある。岩崎灌園『本草図譜』は、あまりに色鮮やかでセンスがいいので、植物図鑑というより、植物柄のテキスタイルブックみたいだと思った。最後の『鱗鏡(うろこかがみ)』は初公開。高松藩の家老だった木村黙老の撰。近縁種の魚も、その模様や体型の特徴を細かく楽しそうに描いている。たくさんページを開けてくれていて嬉しい。狩野探幽『波濤水禽図屏風』は、この展覧会の中では異色だが、意外と違和感なくマッチしていた。

東京国立博物館 特別展『古代ギリシャ-時空を超えた旅-』(2016年6月21日~9月19日)

 ギリシャ本国の各地の博物館のコレクションで構成された展覧会。古代ギリシャ世界のはじまりから、ミノス文明、ミュケナイ文明を経て、幾何学様式、アルカイック時代、クラシック時代、マケドニア王国、ヘレニズム、ローマにおけるギリシャ文明の受容までをたどる。高校時代に読んだ澤柳大五郎『ギリシアの美術』(岩波新書)が今でも頭に入っているので、基本的な時代区分には迷わない。ミノス文明(ミノア文明、クレタ文明)は面白い。華やかで、どこか軟弱な感じ。牡牛が神聖視されていたようだが、蛸とか魚とかイルカとか、海洋文明らしいモチーフも散見される。

 古典ギリシャの都市国家について、民主政治に使われた投票具などが展示されていたのも面白かった。オストラキスモス(陶片追放)に使われた陶片(オストラコン、本当にゴミのような陶片なのだな)には、テミストクレスとかアルキビアデス(ソクラテスの弟子の?)の名前があり、詳しい説明はなかったけど、おお~と感心して見入った。

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金地屏風たくさん/江戸絵画への視線(山種美術館)

2016-07-13 11:48:52 | 行ったもの(美術館・見仏)
山種美術館 開館50周年記念特別展 山種コレクション名品選I『江戸絵画への視線-岩佐又兵衛から江戸琳派へ-』(2016年7月2日~8月21日)

 1966(昭和41)年に開館した同館が、館蔵品の中から名品を選りすぐって紹介する「山種コレクション名品選」の第1弾。私は山種美術館といえば「近代・現代日本画専門の美術館」のイメージが強く、ときどき、あ!こんな古い作品も持っているんだと驚くことはあるが、江戸絵画だけをまとめて展示するのは珍しいと思う。「初めてかもしれない」と書きかけたが、よく調べたら、広尾に移った2010年の開館記念特別展シリーズにも『江戸絵画への視線-岩佐又兵衛《官女観菊図》重要文化財指定記念-』という企画があった。

 最初に展示されていたのは、若冲の『伏見人形図』。縦長の画面に七体の布袋さんが並んでいる図。展示ケースの奥行きが薄いので、ぎりぎりまで作品に近づけるのが嬉しい。それから版画のような色の塗り方。酒井抱一、鈴木其一など琳派の作品が並び、華やか。それから「金屏風コーナー」があって、伝・宗達筆『槙楓図』、酒井抱一筆『秋草鶉図』、鈴木其一筆『四季花鳥図』、伝・土佐光吉筆『松秋草図』と並ぶ。保存がよいのか、照明の具合がよいのか、金の輝きに品と深みがあって美しい。はっきり記憶にあったのは『槙楓図』だけで、あとの作品は全く忘れていた。其一の『四季花鳥図』は、金地をものともしない、鮮やかな色彩の草花と鳥(右隻はニワトリの家族、左隻はオシドリの夫婦)はパラダイスに近いという意味で、ちょっと「南国風」。最初の三点は写真撮影が許可されているが、あまりバチバチ撮っている人はいなかった。



 金地屏風はこのほかにも『竹垣紅白梅椿図』『源平合戦図』『輪踊り図』(いずれも17世紀、作者不詳)が出ていて、同館のコレクションの厚みをあらためて感じた。『竹垣紅白梅椿図』は六曲一双の堂々とした屏風で、右隻から左隻へ斜めに横切る長い竹垣に、紅白の梅と紅白の椿がからんでいて、その間に小さな鳥たちが隠れている。山種の江戸絵画としてはおなじみの岩佐又兵衛筆『官女観菊図』や狩野常信筆『明皇花陣図』も。

 後半の「文人画」特集は地味だと思ったが、だんだんこの手の絵画が好きになってきた。たぶん初めて名前を意識した日根対山(1813-1869)の『四季山水図』は、夏と冬が墨画、春と秋が色つきで描かれている。紙本ではなく絖本。おおらかな山水と、その中に閑居する人物の姿に惹かれる。椿椿山の『久能山真景図』は久しぶりに見た。絵本の挿絵みたいでほのぼの。最後の岡本秋暉『孔雀図』は、低い姿勢に構えた孔雀が猛禽類らしく迫力があった。

 第2展示室は上村松園『蛍』など全て近代日本画。最後に1階のカフェで一休み。今期のオリジナル和菓子は力作揃いだが、『輪踊り図』にちなんだ「おどり姿」をいただく。駿河台下の和菓子屋ささまの「玉川」をカラフルにした感じ。お茶は「冷やし抹茶」で、ガラスの茶碗に大きな氷の塊が入っていた。幸せ。

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黒田観音の風格/観音の里の祈りとくらし展II(東京芸大)

2016-07-12 21:50:57 | 読んだもの(書籍)
東京芸術大学大学美術館 『観音の里の祈りとくらし展II-びわ湖・長浜のホトケたち-』(2016年7月5日~8月7日)

 芸大と長浜市が主催する展覧会。長浜市に伝えられた仏像40点余りを展示する。「長浜市」という行政区画がいまだにしっくりこないのだが、余呉町、木之本町、高月町など、かつて「湖北」と呼ばれた地域のことである。かなり高い期待を抱いて出かけたのだが、会場(3階)を入口からチラと覗いて、期待以上の壮観に声が出そうになった。広いホールに数十体の仏像。ちょうど同じくらいの人数の観客が散らばっていた。会場内の配置図を記録に残しておく。

 右下の入口からしばらくは観音像が並ぶ。(5)十一面観音立像(善隆寺)はしゅっとした鋭角的な顔立ち。(7)聖観音菩薩立像(長浜城歴史博物館)は板彫を思わせる平面的な体躯、素朴でやさしい微笑み。(11)千手観音立像(総持寺)は夢見るような童子の顔。脇手の持物がよく揃っている。続いて、薬師如来。湖北に伝わる古仏は観音だけではないのだ。(25)薬師如来坐像(舎那院)は足首のフリルがかわいい。

 大好きな石道寺からは、赤銅のような肌を持つ(でも木造の)(6)十一面観音立像と、(35)巨大な持国天・多聞天立像が来ていた。さすがにご本尊はいらっしゃらないか。大日如来、阿弥陀如来などに続いて、馬頭観音のエリア。(21)馬頭観音立像(徳円寺)は長い腕のつくる角度がシャープで力強い。踵だけを地につけ、両足のあしのうらを見せているのも面白い。その隣りは(20)馬頭観音立像(横山神社)。高月の観音まつりでも拝観している。歯をむき出していた頭上の馬頭が印象的。黒々とした(19)馬頭観音坐像(西浅井町山門自治会)は、平安時代でも最古級の違例(11世紀前半)。頭上の馬頭がやたら大きいと思ったら、頭だけでなく上半身(肩から上)全体をのぞかせている。馬頭観音は、若狭~奥丹後とのかかわりも気になり、興味がつきない。

 (15)観音菩薩立像(洞寿院)は地元仏師の作と思われる。滑らかな木肌の中で目と唇だけ、はっきり彩色が施されていて、ちょっと怖い。33年ごとに御開帳される秘仏で、展覧会にも初出展だそうだ。ここで振り向くと、いきなり(22)千手千足観音立像(正妙寺)の姿があって、たじろいでしまった。360度四方から拝見できる、またとない機会。背面から見ると、上半身・下半身とも金色の甲羅をかついでいるようだ。側面から見ると、手は三列、足は二列であることが分かる。顔は非常に精巧で、唇や歯の表現に全く手抜きがない。さすが江戸時代の技術力の高さ。(37)愛染明王坐像(舎那院)は明王の顔と頭上の獅子の顔がほぼ同じ大きさで、その上に大きな三鈷杵の先が突っ立てている。お茶目な造形に思わず笑ってしまった。顔は怒りの表現が極まって、ちょっと動物っぽい。なのに背中が美しい。

 この部屋の見ものは、まず中央に立つ(4)聖観音立像(来現寺)。眼鼻立ちが明確で、横幅のある堂々としたお顔。大きな耳、長い(長すぎる)腕。右足を少し外に踏み出して立つ。あたりを払う威厳。これと向き合うのが(3)十一面観音立像(医王寺)。薄めのお体で、ほぼまっすぐに立つ。簡素ですっきりしたお姿、彫りの浅い曖昧な表情が、ただただ美しくて見とれた。化仏の顔まで美しかった。入口でもらったクリアファイルには、この十一面観音の写真が使われていたが、ふだんは華やかな宝冠と瓔珞で飾られているらしい。雰囲気が違うので、はじめ気が付かなかった。解説を読んで驚いたのは、明治20年頃、ときの医王寺の僧侶が長浜の古物商から求めて寺に安置したという由来。「大切に守られてきた」仏様ばかりではないんだなあ、というのが妙にリアルだった。

 展示はさらに奥に続くらしいので、石道寺の諸仏が並ぶ壁の向こうにまわる。このエリアには、びわ湖・長浜の四季やいくつかの寺院の写真パネルが飾られていた。そのうちの一枚に、黒田観音寺の千手観音とそれを拝む人々の写真があった。ああ、一度お会いしたいと長年願いながら、まだ叶っていない観音さま。あれ?この展覧会にいらしているんじゃなかったかしら? そう思ったとき、短い通路の先に、その黒田観音のお姿があった。

 (2)伝千手観音立像(木之元町黒田・観音寺)は、電撃に打たれた気分だった。今まで見たどの写真よりも実物がいい。眉・目・髭などは墨線ではっきり描かれている。これは後補だというけれど、とても美しい。彫刻の眉と墨描の眉の線が一致していないところなど、はっきりした美意識を感じる。左右各九本の腕は、左右対称のようで、指の曲げ方、手の反り方など、微妙に非対称でリズミカルである。太い脇手を支える胸は厚く、腹は少し出ている。前に傾けた二本の錫杖とあわせて、上に向かって大輪の花が開いたような形をつくっている。まさに王者の風格。この観音像も、ふだんは大きな身体を窮屈そうにお厨子の中に収めているから、360度から鑑賞できるこの展覧会は貴重である。

 (49)安念寺の如来形立像(いも観音)にお会いできたのも嬉しかった。(48)善隆寺の大きな仏頭には驚いた。地下2階では、びわ湖・長浜の仏を紹介するビデオ上映と『平櫛󠄁田中コレクション展』(2016年7月5日~8月7日)を開催中。実は『観音の里の祈りとくらし展』「I」を見た記憶が全くなかったのだが、調べたら2014年3月に見ていた。でも「全18件」だから、今回の半分以下の規模だった。記事を読み直したら、善隆寺の十一面観音とか総持寺の十一面観音とか、自分が同じ仏像に反応しているのが可笑しい。もうひとつ、「滋賀県長浜市ふるさと寄附のご案内」(観音文化振興事業の応援)のパンフレットを入れてくれるのはいいのだが、それなら特典に「特製ご朱印帖」や「秘仏ご開帳ご招待(寄附者限定)」があるといいのになあ。
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ETV特集『薬師寺 巨大仏画誕生~日本画家 田渕俊夫 3年間の記録~』

2016-07-09 23:47:27 | 見たもの(Webサイト・TV)
○NHK ETV特集『薬師寺 巨大仏画誕生~日本画家 田渕俊夫 3年間の記録~』(2016年7月2日、23:00~)(※NHKオンデマンド配信中)

 めずらしく母からメールが来て、この番組のことを教えてくれた。そうでなければ、たぶん見逃していたと思う。奈良・薬師寺では、16世紀までに焼失した伽藍(がらん)の復興が50年に渡り進められてきた。薬師寺のホームページによれば、昭和51年(1976)に金堂、同56年(1981)に西塔、昭和59年(1984)に中門が復興された。回廊が姿を現したのもこの頃か。現在、第3期工事まで完了済という。

 さて、まだ薬師寺ホームページの伽藍図には姿を見せていないが、2015年3月21日、白鳳伽藍復興の総仕上げとなる食堂(じきどう)の起工式が行われ、2017年5月完成に向けた工事が始まっているのだそうだ。ネットで探したら、いくつか記事が見つかったけど、関東に住んでいると、全然知らなかった。

※建設通信新聞:【薬師寺食堂】1042年の時を超える再建工事起工! 内部設計は伊東豊雄氏、完成は2年後(2015/3/24)

 建設に先立ち、食堂の本尊となる6m四方の巨大な仏画の制作にあたったのが、日本画家の田渕俊夫さん(1941-)である。薬師寺の山田法胤管長が田渕さんに白羽の矢を立てたのは2012年。2010年、京都・智積院の講堂に収められた墨画の襖絵に感銘を受けての決断だった。この襖絵も番組中で一部が映るのだが、素晴らしい。色がないのに色が見えてくる。観にいかなくっちゃ!

 山田管長は食堂の古い記録にのっとり、丈六(6メートルくらい)の阿弥陀三尊を描いてほしいと注文する。依頼を受けた田渕さんは、現代に生きる人々の祈りの対象となる仏画を描きたいと語る。そして、各地の仏像を訪ね歩き、画集や写真集を見ながら、さまざまな仏像のスケッチを繰り返し、「どういう顔にしたらいいか」をひたすら考え、「手でそのかたちを捉え直す」作業を続けていく(私の知る限り、田渕さんはあまり人物を描かず、植物や風景を多く描いてこられた画家なので、薬師寺の管長の依頼は、けっこう無理筋だったんじゃないかと思う)。そして、田渕さんが最後に、やっぱり薬師寺の聖観音像を観に行く気持ちには強く共感する…。

 まず、とても小さな下絵(手のひらに隠れるくらいの)を描き始め、完成すると、本番用のパネルをアトリエに設置し、プロジェクターで下絵を映写して、鉛筆で写し取る。全長6メートルのパネルは設置できないので、上下を分割して描き進める。それにしても上のほうを描くときは建築現場のような可動式の足場の上に乗り、下のほうを描くときは、無理な姿勢で床に寝そべって描く。下絵ができると、いよいよ二度描きできない、本番の墨の線を引いていく(中尊の顔から始めていた)。本当に気の遠くなるような作業量。阿弥陀様の螺髪のひとつひとつも田渕さんが描いているのだ。

 古い作品で、彫刻でも絵画でも、ちょっと手の込んだ大作を見ると、すぐ「工房作」という言葉を思い浮かべてしまうので、ひとりの作家が全ての線・全ての彩色に責任を負うというのが、どれだけ途方もないことか、しみじみ思い知った。たぶん本当にすごい仏画(法隆寺金堂とか、敦煌莫高窟とか)は、こんなふうにひとりの芸術家が肉体を削って描いたんだろうな。

 下絵の墨入れが終わって、色付けを始める前に筆入法要が行われるはずだったが、その前日、田渕さんはウィルス感染で呼吸困難に陥り、病院に緊急搬送されて、一命をとりとめる。まさかNHKも取材の途中でこんなことが起きるとは思っていなかっただろう。

 色付けは絵具が垂れないよう、パネルを寝かせ、その上に乗って作業をしていく。鮮やかな色彩、かすかな色彩、そして無彩色の部分が同居する、田渕さんらしい仕上がり。3月、薬師寺に運び込まれ、起工式の舞台上で披露された。食堂の完成は2017年5月ということだが、そのときはこの阿弥陀三尊図のまわりを、仏教が奈良に伝わるまでの道のりを描いた14枚の壁画が取り囲む計画、とナレーションが言っていた。それも田渕さんの作品なのか? 違うのかな? いずれにしても楽しみだ。

 田渕先生の代表作はいろいろあるけど、仏画というのは格別なものだと思う。これから、長い年月、あの阿弥陀三尊図が、薬師寺に詣でる人々の祈りを受け止めていくのだと思うと感慨深い。いつか田渕先生がこの世を去られても、私もいなくなっても、仏の姿は残っていくだろう。
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