徒然なるまままに

展覧会の感想や旅先のことを書いてます。

4月の記録

2006-04-30 | 美術(Index)
4月の記録

展覧会(日付は鑑賞日)
  • 1日  ロダンとカリエール 国立西洋美術館(6/4まで)
  • 1日  天寿国繍帳、庭園開放、見返り美人 東京国立博物館

  • 7日  Melancholy - Genius and Madness in Art, Neue Nationalgalerie ベルリン
  • 8日  ベルリン絵画館・Gemaldegalerie
           ドイツ絵画
           フランドル絵画
           17世紀フランドル・オランダ絵画
           イタリア絵画

  • 15日  燕子花図 と藤花図 根津美術館(5/7まで)
  • 15日  常設展 高麗茶碗、良寛の書、李朝のやきもの 根津美術館(5/7まで)

  • 16日  天台宗開宗1200年記念 特別展 最澄と天台の国宝(前半) 東京国立博物館
  • 16日  常設展 東京国立博物館
           光琳“風神雷神図屏風”(重文)(5/21まで)
           国宝室 伝藤原光能像(神護寺蔵)(5/7まで)
  • 16日  芸大コレクション展「大正・昭和前期の美術」 東京藝術大学 大学美術館(5/28まで)

  • 19日  伊東深水展 美術館「えき」KYOTO(終了、天心記念五浦美術館 6/4まで、弘前市立博物館 6/10-7/16 を巡回 )
  • 20日  藤田嗣治展 東京国立近代美術館(5/21まで)
  • 22日  春の優品展 五島美術館(5/7まで)
            古写経と古筆茶道具

  • 28日  天台宗開宗1200年記念 特別展 最澄と天台の国宝(後半) 東京国立博物館(5/7まで)
  • 28日  平成18年新指定国宝・重要文化財  東京国立博物館(5/7まで)
  • 29日  国宝 関屋・澪標図屏風と琳派の美 静嘉堂文庫美術館(5/14まで)
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    国宝 関屋・澪標図屏風と琳派の美 静嘉堂文庫美術館

    2006-04-29 | 美術
    国宝 関屋・澪標図屏風と琳派の美
    静嘉堂文庫美術館
    2006年4月8日~5月14日

    実は、琳派の名品をこれほど一同に鑑賞するのは私としては初めて。参考展示の重要文化財 平治物語絵巻 信西巻も鑑賞できて大満足。

  • 国宝「源氏物語関屋澪標図屏風」俵屋宗達
    「関屋図」には源氏と空蝉が逢坂山で、「澪標図」には源氏と明石君が住吉神社で、邂逅する場面を描く。金・緑・白で画面を構成する。左に「澪標図」、右に「関屋図」を並べて展示していたが、こちらが私の好み。最近は逆の配置もあり、とことでクイズがパンフレットに。「澪標図」には、同じような人物が何組か描かれているので探してみようというクイズも。
    画題については、源氏物語に物語に素養がない(映画もドラマもみたことがない)ので感激が薄い。宗達の国宝3点のうちのひとつ。他の2点は、「風神雷神図屏風」(建仁寺)、「蓮池水禽図」(京都国立博物館)

    (HPから)俵屋宗達の代表作として名高い国宝「源氏物語関屋澪標図屏風」は、『源氏物語』第14帖「澪標」と第16帖「関屋」に取材し、源氏と女性との再会の場面を金屏風の左右に描き分けたもので、「関屋図」には源氏と空蝉、「澪標図」には源氏と明石君の偶然の出会いが、それまでの源氏絵にない大胆な構図と色遣いでドラマテイックに表わされています。京都山科の醍醐寺に伝来し、明治半ば頃、岩崎彌之助(静嘉堂創設者、三菱第二代社長)が同寺に寄進した返礼として岩崎家に贈られました。


  • 重美 「秋草蒔絵謡本箪笥」
  • 重文 尾形光琳「住之江蒔絵硯箱」
    和歌を硯箱に刻む。

  • 尾形光琳「紅白梅図屏風」二曲一双
  • 尾形光琳「桜鹿・紅葉鶴図屏風」二曲一双
    春(さくら)の鹿と秋(紅葉)の鶴が季節を超えて鳴きわたる。鹿に見とれていましたが、一寸ひねった画題でした。

  • 重美 尾形光琳「鵜舟図」一幅  絹本墨画淡彩 一幅

  • 尾形光琳「定家詠十二ヶ月花鳥図屏風」六曲一双 (7月から12月)
  • 尾形乾山「色絵定家詠十二ヶ月花鳥図角皿」十二枚  
    おしゃれですね。定家の詠歌にあわせた花鳥図を、屏風と角皿で並べて展示です。

  • 尾形光琳「四季草花図小屏風」六曲一双
    もともと巻物として製作したものを小屏風に仕立てた作品。草花が重なって描かれる様が、西洋絵画のような構図を構成して見事です。
  • 尾形光琳「布引滝・双鶏図」三幅 うち二幅
    伊勢物語87段が画題。

  • 重要美術品 酒井抱一「麦穂菜花図」二幅
    麦穂と菜の花の咲く野を、鳥がさえ渡り、舞い上がる。麦穂の緑と菜の花の黄の対比が鮮やか

  • 酒井抱一「絵手鑑」 一帖
    様々な技法で動植物等を描いています。

  • 鈴木其一「雪月花三美人図」三幅
    江戸新吉原の三浦屋抱えの薄雪、高尾、長門の三美人を初雪、萩と月、桜を背景に描く。

  • 鈴木其一「雨中桜花楓葉図」 二幅
    薄墨で雨を画面に斜めに描いています。淡い薄墨は暖かい雨を感じさせ、楓の紅が映えます。

  • このほかに初めて知ったが原羊遊斎の工芸品。不昧公の注文にも応えた人物。不昧公の注文の「菊蒔絵大棗」(1817)とか、「桐蒔絵茶杓」(不昧公の正室セイ(青へんに彡)楽院の箱書きで東福門院御好みの意匠とある)、「片輪車螺鈿蒔絵棗」などが展示されていた。

  • 宗入(楽家五代)黒楽茶碗 銘やまからす、赤楽平茶碗 銘さざ波 も展示されていた。


  • 重要文化財 平治物語絵巻 信西巻 一巻
    彩色の風景が描かれていたので吃驚。先般見た東京国立博物館の六波羅行幸は背景は無地。ボストン美術館所蔵の三条殿夜討も「国宝」とかで写真を見る限りは、背景は無地。物語絵巻全体でいろいろな作風があるということなのか、それとも絵巻全体の構成として白地で緊迫感を強調したのか。
    展示解説は、つくりえ、彫絵(輪郭線をさけて彩色する)の技法、話の筋書きなど説明が詳しく楽しめました。話の筋書きをキチンと読み進めていくと、信西を首を刎ねる場面。緊張しました。

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    平成18年新指定国宝・重要文化財 @東京国立博物館

    2006-04-28 | 美術
    平成18年新指定国宝・重要文化財
    本館特別1室・特別2室 2006年4月25日~5月7日
    主催:文化庁、東京国立博物館

    平成18年(2006)に新たに国宝・重要文化財に指定される美術工芸品のうち、42件(国宝2件、重要文化財40件)が展示されていた。

    目に付いたものを

  • 国宝 琉球国王尚家関係資料(紅型) 第二尚氏時代~明治時代・16~19世紀 沖縄・那覇市歴史博物館蔵
    紅型は色鮮やか。

  • 重文 ジョサイア・コンドル建築図面 468枚のうち 明治~大正時代・19~20世紀 京都大学蔵
    彩色された設計図
    我が国の近代建築の基礎を築いた英国人建築家ジョサイア・コンドル(1852~1920)が設計を委嘱された建築、付属施設、室内装飾などの建築図面である。代表作である工部大学校、ニコライ堂、三井家倶楽部、島津邸、古河邸、成瀬邸などをはじめとする38作品の基本設計、実施設計に関わる各種の図面を含む。コンドルが我が国の近代化に果たした役割は大きく、彼が設計に携わった建築図面は、近代建築史上きわめて貴重な資料である。

  • 重文 紙本著色東福門院入内図 4曲1双のうち 江戸時代・17世紀 東京・三井文庫蔵
    幕府の威信にかけて執り行った東福門院の入内の行列の様子。きちんと名前まで記していますので、記録写真のようなものでしょうか。
    元和6年に徳川二代将軍秀忠の娘和子が後水尾天皇の女御として入内した際の行列を、順次も正確に、生彩に富む描写力で記念的に描いた作品。細線を駆使して一人一人を個性的に描き分けており、群像的な風俗画としても精緻さに優れている。詞書には他の文献資料にみられない記録も含まれ、資料的にも貴重である。当初は絵巻として構想されたと思われ、縦は42センチメートルと大型で、長さは28メートルを超す長大な行列図を屏風に貼り付けた力作である。

  • 重文 紙本著色地獄草紙断簡(火象地獄) 1幅 平安時代・12世紀 東京・五島美術館蔵
    地獄絵です。これからたびたび展示されるでしょう。
    仏法に背いた僧侶が堕ちる地獄を描いた一図。もと益田鈍翁所蔵の七図からなる益田家甲本の名で呼ばれた絵巻の断簡である。国宝に指定されている東京国立博物館本、奈良国立博物館本の地獄草紙の絵巻と並ぶ貴重な作品で、優れた筆致で描かれる。さらには国宝本餓鬼草紙や病草紙などとともに六道絵の一環をなしていたとも考えられている

  • 重文 能装束 紅浅葱地菊笹大内菱文様段替唐織 1領 安土桃山時代・16世紀 広島・厳島神社蔵
    保存状態がよく、美しい能装束。
    表は唐織地、裏は紅平絹(後補)の袷仕立てである。全体は、紅地に菊・笹・花菱亀甲の文様を、浅葱地に大内菱文様を表し、それらを互い違いに配した段替りの唐織である。袖の部分は、江戸時代に両袖の一部に裂を継ぎ足して袖幅を出し、文様を補っているが、当初は身幅に対して袖幅が狭い桃山時代に通例の形態であったことがうかがわれる。全体に紅を基調とし、文様を表す絵緯は多彩で柔らかみがある。保存状態が良好であり、遺例が極めて少ない桃山時代の能装束唐織の優品として貴重である。(桃山時代)

  • 重文 彩磁禽果文花瓶 1口  板谷波山作 大正15年(1926) 新潟・敦井コレクション
    孔雀や石榴などの文様を描く大型花瓶。東京府美術館開館記念聖徳太子奉賛美術展出品。
    近代陶芸の指導者として先駆的役割を果たし、昭和4年に帝国美術院会員、同9年に帝室技芸員、同12年に帝国芸術院会員、同28年に文化勲章を受章した陶芸家・板谷波山(本名は嘉七、1872~1963)の作品である。高さ50センチメートルを越す大形花瓶の器表全面に薄肉彫りで孔雀や石榴などの文様を見事に表し、藍・桃色・緑・紫の釉下彩で賦彩し、全体にむらなく掛けられた透明釉も完璧な仕上がりを見せる。本品は大正15年東京府美術館開館記念聖徳太子奉賛美術展に出品されたもので、完成までには3年余りを費やしたといわれ、波山が最も精魂を傾けた作品で、動植物文様を主題にして優美な曲線文様として表現するアール・ヌーボー様式による大作の集大成として焼造したものである。波山は本作品製作以後は大作の製作から手を引いていくことになり、波山の記念碑的な作品であるとともに、波山を最も代表する作品の一つである。(大正時代
    =1926)


  • 重文 紙本著色四季日待図 1巻 英一蝶筆 江戸時代・17~18世紀 東京・出光美術館蔵
    日待は民間信仰の行事で、前の夜から潔斎して日の出を待つものであったが、近世には徹夜の遊興が行われるようになった。本図は、正月、5月、9月に武家の邸内で繰り広げられる日待のさまざまな風俗を活写する。筆者の英一蝶(1652~1724)は新興都市江戸で人気を博し、軽快な筆致と明朗な彩色で江戸の市民生活を溌剌と描き出した都市風俗画家。本図は、機知的な構成と生動感あふれる人物表現による、一蝶の代表作である

  • 重文 伊勢集 1帖 鎌倉時代・13世紀 奈良・天理大学蔵
    『伊勢集』は、平安時代中期の女流歌人で三十六歌仙の一人である伊勢の私家集である。物語風の記述は、伊勢の生涯や当時の後宮文化を知る上にも貴重である。本書は藤原定家(1162~1241)監督の下に書写された鎌倉時代の古写本として、また完本として現存する最古写本として重要である。集付は勅撰集撰歌を示し、冷泉家相伝の証本として実際に使用されていたことを示している。

    エリファレット・ブラウン・ジュニア撮影の銅板写真、賀茂別雷神社文書、長崎奉行所関係資料なども展示されていました。

    BLUEの部分は、文化庁の報道発表資料の引用(PDF)
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    天台宗開宗1200年記念 最澄と天台の国宝 (後半)

    2006-04-28 | 美術
    天台宗開宗1200年記念 特別展
    最澄と天台の国宝 (後半)
    2006年3月28日から5月7日
    東京国立博物館

    連休に入る前の最後の機会と思い、金曜日の夕方、最澄と天台の国宝 (後半)に行ってきました。

    前半はさすがにちんぷんかんぷんだったので、今回は音声ガイドをお借りした。まずは「おさらい」をテープで伺う。
    最澄が804年に唐にわたり、天台宗は、平安京遷都から間もない806年(延暦25年)、桓武天皇の勅許を得て開宗。法華経の「人は国の宝」とか、「すべての人が救われる」とか。無常が日常茶飯事だった世界で素晴らしい教えですね。

    ■天台の祖師たち
  • 国宝 聖徳太子及び天台高僧像 最澄 (平安時代・11世紀)兵庫・一乗寺蔵; 今回の目的のひとつ。教科書に載っている最澄像です。このほかに円仁、善無畏も展示。
  • 重文 伝述一心戒文 3帖のうち;平安時代・応徳元年(1084) 滋賀・延暦寺蔵; 弟子の光定が編著した一心戒(円頓一乗戒)を 伝述した文。写本。
  • 国宝 伝教大師入唐牒 1巻 唐時代・貞元20・21年(804・805) 滋賀・延暦寺蔵;唐の国内を旅行するための、牒(パスポート)。「日本国僧」ではじまり、最後に達筆の署名。
  • 国宝 伝教大師請来目録 1巻 唐時代・貞元21年(805) 滋賀・延暦寺蔵; 明州刺史(長官)の長文の書がすばらしい。また明州之印、遣唐使3名の署名、遣唐使印もあり、見れば見るほど歴史を感じさせる。
  • 国宝 刺納衣 1領 隋時代・6世紀 滋賀・延暦寺蔵; 何と天台宗の開祖智ぎ(豈へんに頁)の法衣だそうで。

    復習
    智ぎ(天台大師)(538-597):陳から隋代の僧。著書「摩訶止観」、灌頂筆録の法華玄義、法華文句。
    湛然(711-782):唐代の天台の僧。中国天台中興の祖。
    円仁(慈覚大師)(794-864):天台第三代座主
    円珍(智証大師)(814-891):天台第五代座主。彼の作と伝えられる仏画、仏像が多い。赤不動(高野山明王院蔵)、黄不動(園城寺蔵)。(青不動は作者不詳、青蓮院蔵)。
    山門派・寺門派:天台宗の二派。円仁、円珍の仏教解釈の相違から末流が対立。993年円仁派が円珍派坊舎を焼き払ったため、円珍派は山を下り園城寺に入って独立。
    天海(1536-1643):徳川氏の保護のもと東叡山(寛永寺)、日光山を建立、比叡山と合わせて天台三山とよび、天台宗の繁栄を取り戻した。

    ■法華経への祈り
  • 重文 一字宝塔法華経 不軽品神力品残巻 平安時代・12世紀 栃木・輪王寺蔵;ほとんど何も見えませんが、胡粉地に銀箔を散らし、雲母で宝塔をすり出した中に金泥で一字づつ法華経を写経。江戸時代に後醍醐天皇筆と鑑定された。
  • 重文 法華経 8巻のうち 巻第8 平安時代・12世紀 滋賀・弘法寺蔵;界上界下に金泥切箔、砂子、野毛を散らす。活字のような字。

  • 普賢菩薩像 1幅 平安時代・12世紀 京都・細見美術館蔵;国宝の普賢菩薩像とは違って、とても秀麗な表情に見入ってしまう。象もやさしげ。

    ■天台の密教
    天台宗の本尊は薬師如来しっかりと見ました。
  • 重文 薬師如来坐像 1躯 平安時代・正暦4年(993) 滋賀・善水寺蔵;成立年代がはっきりしている薬師如来
  • 重文 薬師如来坐像 1躯 平安時代・9世紀 京都・雙林寺蔵; (「京都の天台」に展示されていた。こちらは、最澄の薬師如来の模刻とされる「天台薬師」といわれる作品。善水寺の薬師如来坐像も雙林寺蔵の薬師如来も似ていて、丸い顔立ちの坐像です。

  • 重文 薬師如来および両脇侍立像 3躯 (中尊)平安時代・10世紀(脇侍)平安時代・12世紀 東京・寛永寺蔵;中尊は、伝承では最澄自刻。四角い頭部と直線的な体部、そして肩のあたりの削り具合が印象的。日光・月光菩薩像は立石寺から移された。立石寺が慈覚大師創建という事に、天台宗の山林修行者的な要素を感じました。
    延暦寺の根本中堂を模して元禄11年(1698)に建立された、寛永寺根本中堂の秘仏本尊像。中尊は滋賀の石津寺(いしづでら)から迎えられました。肩が角張って 輪郭線が直線的な体部と、それに対応するように四角い頭部はたいへん個性的です。すこし鄙びた表現にみえますが、それがかえって最澄自刻という伝承の真実味を増しているようです。台座の蓮肉を含め一材から彫出する構造、鎬(しのぎ)のある襞と丸みのある襞を交える翻波式衣文(ほんぱしきえもん)と呼ばれる表現は、平安時代前期の特徴。しかし、圧倒的な重量感が見られず、肉身や衣文に均整が見られることから、10世紀になってから造られたと考えられています。脇侍の日光・月光菩薩像は、慈覚大師創建という山形の立石寺(りっしゃくじ)から、中尊と同時期に移されたもの。

  • 重文 大日如来坐像 1躯 平安時代・寿永2年(1183) 岐阜(揖斐川町)・両界山横蔵寺蔵;横蔵寺は805年最澄創建。美濃の正倉院と呼ばれる。紅葉の綺麗なところなようで。大日如来坐像は三重塔の本尊。筑前講師作。

  • 国宝 不動明王像(黄不動)平安時代・12世紀 京都・曼殊院蔵;後半の目玉です。円珍の修行中に出現した不動像。原本は園城寺(大津市、三井寺とも)に。今回の展示は模写だが、国宝。

  • 金銅大壇具敷曼荼羅 1具 2面 江戸時代・弘化3年(1846) 滋賀・無動寺蔵
    よくみると敷曼荼羅の上に、結界を切って 法具が並べて、お供えを並べて、面白いです。

  • 国宝 金銅迦陵頻伽文華鬘 1枚 平安時代・12世紀 岩手・中尊寺金色院蔵
  • 国宝 金銅幡頭 1枚 平安時代・12世紀 岩手・中尊寺金色院蔵
    中尊寺の国宝は、前回は飛ばしていたのですが、迦陵頻伽の飾りとか、細工がいいようで。 パンフレットにある天女がどこに展示されているか気になっていたのですが、金銅幡頭の飾りでしょうか?
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    春の優品展 @五島美術館(茶道具)

    2006-04-28 | 茶道具
    館蔵 春の優品展 水墨画・古筆と陶芸 @五島美術館
    2006年4月1日から5月7日

    22日に表記に行ってきました。古写経と古筆については、既に記しました。この稿では茶道具について書きます。今回の「春の優品展」では、茶碗(黄瀬戸、志野茶碗、楽茶碗)水指の優品が展示されていました。これだけお茶碗をゆっくり見て、700円(ぐるっとぱすで500円)はとってもお値打ちです。使い込んだ楽茶碗がよかった。

  • 42 黄瀬戸平茶碗 銘 柳かげ 桃山時代;(写真)もと揃物の向付を茶碗に転用したもの。黄瀬戸釉の下に植物文様を描く。美濃焼(岐阜県)の優品。内箱蓋裏に小堀十左衛門(1639―1704)が、「道のべの清水ながるゝやなぎ影しばしとてこそ立ちどまりけり」と西行の和歌を歌銘として記す。
  • 43 黄瀬戸胴〆茶碗 桃山時代

  • 44 重要文化財 鼠志野茶碗 銘 峯紅葉 桃山時代;(写真); 茶道具取合せ展でも拝見しました。;美濃焼(岐阜県の陶器)の一種。形姿は逞しく、堂々としているが、成形が巧みなため、手に持つと意外に軽い。桃山時代の和物茶碗の代表作。銘は茶碗の景色からの連想。鉄釉を施した上に、亀甲文と桧垣文様を掻き落とした後、志野釉をかけて文様を白く浮き出させている。九鬼家伝来。
  • 45 志野茶碗 銘 梅が香 桃山時代;(写真);流石雲州名物です。「赤志野」と呼ぶ赤味を帯びた釉薬は、志野焼の中でも珍しい。志野釉(長石釉)と素地の中の鉄分とが作用して赤く発色する。松江藩主松平不昧(1751―1818)が所持し、『雲州名物』に記載がある。岐阜県土岐市の高根西窯から同手の陶片が出土した。
  • 46 志野亀甲絵茶碗 銘ときわ

  • 47 長次郎黒楽茶碗 銘 千声 桃山時代; (写真)銘は、表千家六世の覚々斎宗左(原叟 1678~1730)による内箱蓋裏の墨書から。楽家の初代長次郎(?~1589)作の茶碗の中では、丸みの少ない形式に属し、口縁部の形状が変化に富む。
  • 48 長次郎赤楽茶碗 銘 夕暮 桃山時代;鴻池家伝来 銘は宗旦による。

  • 49 のんこう黒楽茶碗 銘 三番叟 17世紀;三代のんこうの茶碗
  • 50 黄のんこう茶碗 銘 雪ノ下紅葉 17世紀
  • 51 一入黒楽茶碗 銘 若松;四代
  • 52 宗入黒楽茶碗 銘 あやめ;五代

  • 乾山黒楽茶碗 銘 露堂々
     
  • 古伊賀水指 銘 破袋 桃山時代;茶道具取合せ展でも拝見
  • 古備前矢筈口水指 桃山時代
  • 信楽一重口水指 銘 若緑 桃山時代
  • 志野矢筈口水指 桃山時代
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    春の優品展 @五島美術館(古写経と古筆)

    2006-04-27 | 美術
    館蔵 春の優品展 水墨画・古筆と陶芸 @五島美術館
    2006年4月1日から5月7日

    22日に表記に行ってきました。実は、ゴールデン・ウィークの4月29日から5月7日には、国宝 源氏物語絵巻 鈴虫一・鈴虫二・夕霧・御法の4点が特別展示されます。私の鑑賞したかったのは、源氏物語絵巻と入れ替え前に28日まで展示されている久能寺経。ということで早々に行ってまいりました。

    この稿では、古写経と古筆について記します。

    まずは、法華経(久能寺経)。法華経(久能寺経)は、1142年に待賢門院が出家の際に鳥羽上皇、美福門院をはじめ、近臣、女房らが逆修供養のために写経したもの。平家納経と並ぶ装飾経として有名。(詳しくは以前に書いたこちらを)今回展示されていたのは、序品と法師功徳品の2巻。どちらも鳥の子料紙に金銀の砂子や切箔を散らして美しい。後者は上下の余白に蓮が青や緑で描かれている。序品の方が巻頭ということもあるのか、能筆家が写経したようだ。何故か見返し絵は展示されていなかったのが残念。ちょっとガッカリ。

    第一:序品
    第二:方便品(国宝静岡・鉄舟寺蔵)@国宝室
    第七:化城喩品(国宝静岡・鉄舟寺蔵)@書の至宝展(前期)
    第十四:安楽行品(東京国立博物館蔵)@書の至宝展(後期)
    第十九:法師功徳品
    第二十七:厳王品(国宝静岡・鉄舟寺蔵)@国宝室
    を鑑賞したことになる。

    古写経は、
  • 重要美術品 長屋王願経 大般若経 巻第三百四十三 和銅5年(712年)書写
  • 重要美術品 光明皇后願経 五月一日経 大宝積経 巻第百二十 天平12年(740年)書写
  • 重要美術品 光明皇后願経 五月一日経 得無垢女経
  • 重要文化財 破邪論 法琳撰 法隆寺覚印筆 平安時代・12世紀  
    など。まずは、光明皇后願経が流通していることに吃驚。展示解説を読むと、数千巻も写経があるようで、それもさもあり何というべきか。長屋王願経は、大陸風のきちんとした写経で素晴らしい。

    古筆は、今回は主に、万葉集、和漢朗詠集の断簡が展示されていた。

    五大万葉集(元暦校本、金沢本、藍紙本、桂宮本、天治本)のうち、下記が展示されていた。
  • 27 有栖川切(元暦校本万葉集)伝藤原公任筆 巻四の断簡643・644 11世紀;金銀泥で草花、蝶、鳥を描いた料紙
  • 28 藍紙本万葉集断簡 藤原伊房筆 11世紀;
  • 33 仁和寺切(天治本万葉集)伝藤原忠家筆 天治元年(1124)1980-1982;薄藍色の料紙、巻10の断簡のみ仁和寺切とよぶ。断簡は巻2,10,14,15が現存。天治本は断簡しかないのでしょうか?

    和漢朗詠集は、
  • 26 関戸本和漢朗詠集切 伝藤原行成筆 11世紀
  • 29 伊予切 伝藤原行成筆 11世紀 192-198;伊予西条藩松平家伝来 1924年断簡
  • 30 大田切 伝藤原公任筆 11世紀;掛川藩大田家伝来
  • 32 下絵和漢朗詠集切 伝藤原公任筆 11-12世紀
  • 35 唐紙和漢朗詠集切 伝藤原公任筆 11世紀;伊房と推定
  • 39 戊辰切 伝藤原伊行筆 上279-285;女郎花は定信、萩は伊行と推定。一橋徳川家旧蔵、1928年(戊辰)に断簡。
    など。

    料紙がすばらしかったのは、
  • 36 重要美術品 東大寺切(三宝絵詞) 伝 源俊頼筆 1120年;亀甲模様の雲母紙。

    かなでは。
  • 38 香紙切 伝 小大君筆;明らかに数人の書が小さい空間に閉じ込められている。出光美術館で開催された「平安の仮名、鎌倉の仮名」でも香紙切には目が思わずいってしまいました。今回も数ある断簡で、「升色紙」より 目が留まったのはこの一葉。
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    高麗茶碗 根津美術館

    2006-04-25 | 美術
    高麗茶碗 根津美術館
    2006年4月15日から5月7日

    燕子花図 と藤花図 -館蔵屏風絵 -については、既に書きましたが、本館展示室では「高麗茶碗」が展示されていた。さらに、秋山順一氏寄贈の作品を軸に 「良寛の書」「李朝のやきもの」も展示されていた。「高麗茶碗」と「会記」についてメモしておきます。

    なにしろ陶磁器、茶道具を鑑賞し始めたのは、たった半年前からですから、「高麗茶碗」をまとまって鑑賞するのは今回が初めてです。とりあえず、リストしておくといったところです。もしかするとメモに間違いがあるかもしれませんが、ご容赦を。

    会記では、花入 古銅筋象耳が畠山記念館に鑑賞した古銅象耳花入に一寸似ているが、筋がはいっています。香合 祥瑞 蓮華は発色が素晴らしい。

  • 高麗茶碗

    青井戸茶碗 銘柴田(重要文化財)
    あまり青味のある釉色ではないが青井戸といわれているのは、高台からほぼ直線的に開いた浅めの姿が、青井戸といわれる碗のそれであるためである。胴には轆轤目が目立ち、高台際には深い削り目がまわっている。この茶碗は、柴田勝家が信長から拝領したというので柴田井戸として知られている。内箱の蓋裏には朱漆で「柴田修理所持 青山家臣朝比奈氏伝来」とある。幕末には大阪の豪商平瀬家に伝わった。

    三島茶碗 上田暦手
    井戸茶碗 銘宗及 大名物
    井戸茶碗 銘さかい 中興名物
    井戸茶碗 銘忘水 名物
    井戸茶碗 古織割高台 (重要美術品)
    刷毛目茶碗 銘雪月
    刷毛目茶碗 銘西江
    粉引茶碗 銘 花の白河

    雨漏堅手茶碗(重要文化財)
    半磁胎の白い素地に釉が厚くかかるが、焼けがあまいためにやわらかく、ところどころに雨漏状の斑があらわれているので、雨漏堅手と称している。高台際から轆轤目を見せて大きく開き、ややゆがんだ姿をしている。薄手に作られているが、高台まわりは削り出した際の箆の跡が縮れ、施釉のときの指の跡も認められ、それぞれに景色となっている。見込みは深く、茶溜りをかこむように目跡が四つ残っている。外箱蓋表には「高麗茶碗」「雨漏」と佐々木文山が書き付けている。姫路酒井家に伝来した茶碗である。

    堅手茶碗 銘長崎(重要文化財)
    堅手とは、灰白色の半磁質の素地で焼かれた茶碗をいう。この丸い腰から端反りにした口縁につづくやわらかな曲線を描く碗には、中心のずれた削り目が見られる。見込みの箆削りや高台の削り方、口縁の曲線的な仕上げ方、高台を中心にして土見せにした釉のかけ方などには、茶碗作りの作為を感じる。
    内箱蓋おもてには小堀遠州が「長崎」と墨書している。この銘については、長崎太夫という所持者によったといわれ、この人から遠州に伝わり、小堀大膳亮の時に大徳寺弧蓮庵へ寄進されたが、松平不昧の所望によってその所持するところとなったという。

    玉子手茶碗 銘小倉
    熊川雨漏茶碗
    金海茶碗 銘龍宮
    黄伊羅保茶碗
    御所丸茶碗
    御本立鶴茶碗


  • 会記

    床 重要美術品 石室善玖筆 墨跡 寒山詩
    花入 古銅筋象耳 徳川家綱公伝来
    香合 祥瑞 蓮華
    釜 古天明 十王口 方丈得月 雪村筆
    炉縁 木地久以作
    水指 古信楽 鬼桶 銘龍鱗 如心斎所持 玄々斎箱書
    茶入 中興名物 正意 銘六祖 土屋相模守所持 小堀十左衛門箱書
     仕覆 柿地織留緞子・紹光裂
    茶碗 重要文化財 鼠志野 銘山端
    副 赤楽 銘芋頭 藤村庸軒作
    茶杓 千家中興名物 千宗旦作 共筒 銘よろぼうし 如心斎箱書
    建水 南蛮 〆切糸目
    蓋置 利休在判 竹 紀州徳川家伝来 了々斎箱書付 
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    藤田嗣治展 東京国立近代美術館

    2006-04-20 | 美術
    藤田嗣治展
    LEONARD FOUJITA
    東京国立近代美術館
    2006年3月28日~5月21日

    生誕120周年を記念した藤田嗣治展行ってきました。20日から木・金・土曜日は夜20時まで開館という情報をNHK日曜美術館で見て、それならば、木曜日ならば、ゆっくりと鑑賞できるだろうと狙っていきました。予想は的中。ゆっくりと楽しめました。24日目の20日に10万人目の入場者があったということですから、プラド美術館に比較すれば(すでに30万人を記録した。)どちらにしろ混雑はどうということはないでしょう。

    私にとって、藤田嗣治(1886-1968)は、戦争画家などという経緯は全く抜きに、ブリジストン美術館に展示されている《猫のいる静物》などの作品を見て好きになった画家です。乳白色の白、その白と黒の対比、猫の表情でしょうか。私が鑑賞した記憶があるのは、1986年に小田急デパートでの回顧展、それに引き続き1988年から1989年にかけて東京パリ友好提携記念レオナール・フジタ展(東京都庭園美術館)。後者は、当時の私にしては珍しく図録を買い求め手元にあります。乳白色に見せられた展覧会でした。それ以降は、日本では、本格的な回顧展は開催されていなかったようです。

    今回の展覧会は、3回にわたって日経の美の美のコーナで解説があり、「一人の芸術家としての藤田嗣治の全貌を、日本初公開作品約20点を含めたこれらの作品を通して探ることで、伝説ではない、あらたな藤田像を見出そうとするものです。」という触込みもあり、大変期待していました。そんなこともあり、気合をいれ、珍しく音声ガイドまで借りて鑑賞しました。

  • 第一の感想は、乳白色とは違う、多様な表現に藤田はトライしているという点。

    墨の文化の日本人が何故黒を使ってはいけないのだと黒田清輝に反発して描いた《自画像》(1910)、渡仏しピカソに出会い影響を受けたという《キュビズム風静物》(1914)、ルソーに影響を受けたという(それにしては藤田らしく画面が真っ暗な)《パリ風景》(1918)、中米旅行に出て極彩色の絵を描いた時代。ロココ調の今は迎賓館に飾られているという《銀座コロンバン壁画 天使と女性》(1935)、泥臭い日本の風俗を描いた時代、ルネサンスを髣髴とさせる《優美神》(1946-48)。

    今回の展覧会の話題の5点の戦争画も、余りに画面が暗褐色なのでティントレットの戦争画のようですし、《サイパン島同胞臣節を全うす》(1945)は、ルーブル美術館に掲げられている18世紀の大作のような画面構成が印象的です。その意味では、西洋絵画の伝統を身に着けた藤田というものを感じます。

  • 第二の感想は、「日本画に通じる乳白色と細い筆で描いた線」の作品に関するもの。

    《自画像》(1921)(ベルギー王立近代美術館):藤田がはじめて、乳白色の作品を出展したのは、1921年のサロン・ドートンヌ。3点を出品し大好評を得た。そのうちの1点。もう2点は、どんな作品なのか興味があります。
    《五人の裸婦》(1923)は、五感がテーマ。クリュニー美術館にある六枚のタペストリーにでも触発されたテーマだろうか?
    《タピスリーの裸婦》(1923)は、裸婦の肌のなめらかさ、猫の毛並みの様子。バックのカーテンのちょっとごわごわした感触を再現しようとした作品。モノとして絵画表現という時代に潮流にのった作品。
    《ライオンのいる構図》(1928):システィナ礼拝堂の《最後の審判》の影響を受けたという。
    ここでも、藤田は忠実に西洋絵画の伝統や流行にそった作品を残している。だからここまで、フランスで人気がでたのだろう。

  • 第三の感想は、藤田の私生活が、特に宗教的な作品に色濃く表れるということ。

    藤田は、初期から宗教画を描きはじめている。
    《生誕 於巴里》(1918)は、1917年にフェルナド・バレーと結婚をした影響ではないだろうか?西洋の女性と生活することにより、キリスト教そのものが生活の中に入ってきたのはないだろうか。例えば、クリスマス・イブをすこしでも理解できたからではないだろうか。

    《エレーヌ・フランクの肖像》(1924):肖像画を依頼にしにきた彼女は護身用にピストルを所持していたという。藤田はモデルを誘惑するという噂があったからという。そして、1924年からは、フェルナド・バレーと別居、ユキと住む。

    《三王礼拝》(1927)《十字架降下》(1927);金箔をはった作品。日本絵画と金箔という技術とキリスト教の主題。なぜか涙がでてきました。パリの社交界で明るく振舞うが、心の奥では宗教に救いを求めているのでは。翌年に《ライオンのいる構図》(1928)では、ライオンが檻に閉じ込められているが、なにか、宗教に求めるものがあったでは。

    1931年からは、マドレーヌと1933年に帰国。1936年にマドレーヌが急死。同年、堀内君代と結婚。1939年に渡仏するが、1940年にはすぐ帰国。戦争画を描き、敗戦後、非難され、1949渡米、1950年渡仏。

    《カフェにて》(1949-63):頬づえをついて座っているのはメランコリーの意味。藤田のメランコリーな気分を表しているのだろう。このバージョンでは、お店の名前にクレールと君代夫人の洗礼名が記されているので、1959年以降の作品になる。本作品には4つのバリエーションが知られており、1949年にニューヨークで描かれた作品は、パリ国立近代美術館に寄贈された。(1988年の東京パリ友好提携記念レオナール・フジタ展で展示されていた。)

    《アージュ・メカニック》(1958-59):フランスの産業を代表する飛行機や掃除機で遊ぶ子供たち。子供のいない夫妻が描く子供の絵。

    そして、最後に《キリスト降誕》(1960)、《磔刑》(1960)、《キリスト降架》(1959)。《礼拝》(1962-63)。ランスのノートル=ダム・ド・ラ・ペ礼拝堂のフレスコ画。日本人であることをやめ、フランス人になり、子供もいない夫妻にとって、神への祈りのみが救いだったのだろうか。

    ほとんどすべての作品にコメントしたいくらいだが、ひとまずはここで。

    P.S.図録は、音声ガイドぐらいには、解説を書いてほしかったです。ちょっと物足りない。
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    伊東深水展 @美術館「えき」KYOTO

    2006-04-19 | 美術
    伊東深水展 @美術館「えき」KYOTO
    2006年4月1日から23日

    いづつやさんのBLOGを見て、19日に合間があったので、京都で駅ビルで開催されている伊東深水展に寄ってみました。

    伊東深水(1898-1972)の美人画はいまひとつピンときていないのですが、初期から晩年までの画業を振り返った展覧会で彼の画風の一端がすこし理解は出来たような気はします。

    個人的には、初期の作品に共感します。
    《指》(平和記念東京博覧会美術展 二等銀杯)(1922)
    《湯気》(第9回郷士会展、名都美術館蔵)(1924)
    《美人図屏風 こたつ・鏡の前》(1928)
    《浄晨》(第11回帝展)(1930)
    あたりが私の好み。《指》と《湯気》は両者とも妻好子をモデルにした作品。《指》は、黒の薄い着物をまとった女性が指を見つめる姿。ほんのりと朝顔の青、頬紅などが画面に色を添える。《湯気》は、白い着物を着た女性が湯気に曇る姿を描く。線をぼかした描き方は、朦朧体の流行の影響という大正時代の絵画動向を直截に反映した作品だと深水自身も振り返っている。

    《桜(春酣)》(1946)は、六曲一隻の大作。満開の桜、緑の毛氈のような舞台の上の女性が横座りに桜を愛でる。艶やかですばらしく、まさしく春酣(たけなわ)。

    中期には、様々な女性をモデルにし、またさまざまなスタイルにトライしているのが面白い。戦後の家族写真のような《姉弟》(1950)、新橋演舞場の楽屋を描く《春宵(東おどり)》(1954)、日劇ミュージックホールを描く《戸外は春雨》(1955)。平面的な画面の《宋磁》(1955)、単純化した線で描く《黒いドレス》(1956)など。
    もちろん、女性の手の動きなどの所作を描かせたら右に出るものはいないだろう。《都鳥》(1954)《菊を活ける勅使河原霞女史》(1966)。

    そして、画業50周年を記念して描かれた《雪の夕》《月の出》《春の宵》(雪月花三部(1962年)が初めて展覧会としては揃う。出典は白居易の「雪月花時最憶君」とされる。《雪の夕》は雪中に和傘をさす二人の芸者姿。《月の出》は背景に秋の草花を散らし、揚巻を結った女性二人。《春の宵》は艶やかな振袖姿の芸者。素晴らしい作品。《雪の夕》は、一月に鑑賞した《雪の宵》(1931)とほぼ同構図。
    気合の入った画面、三部作と並ぶと圧巻です。

    最後に、図録の巻頭に前京都国立近代美術館館長の内山武夫氏の言葉ある。今後美人画を鑑賞する参考となりそうなので、要約引用したい。
    「近年は美人画といえる作品がないが、女性美は多様化し、女性はかくあるべしという考えは全く意味をなさなくなったことの反映といえよう。しかし今日おいても世人の過去の優れた美人に対する愛好は根強いものがある。」「清楚な女性美を描く鏑木清方、優美な中に凛とした品格をあらわす上村松園、健康で生気溢れる女性美を描いた伊東深水。」「伊東深水が河北倫明との対談の中で、師の鏑木清方を鈴木春信に、上村松園を勝川春草に、竹下夢二を喜多川歌麿に、自らを鳥居清長に見立てた話は有名」「自己については「非常にリアルで割合に均衡がとれて、すこし常識的であり、そうして非常にエネルギッシュである。。。。」としている」
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    天台宗開宗1200年記念 特別展 最澄と天台の国宝

    2006-04-16 | 美術
    天台宗開宗1200年記念 特別展
    最澄と天台の国宝 @東京国立博物館
    2006年3月28日~5月7日

    前半の最終日の16日に、慌てて1回目に行ってきました。10時過ぎに到着したのですが、意外にも新聞社の宣伝が効いているのか混雑していました。特別展の会場に入る前に解説ビデオを飛ばして展示会場に入ってしまったのですが、これは見ておくべきでした。天台宗の本尊は薬師如来であることぐらい知っておくべきでした。

    ■天台の祖師たち
    このコーナは、博物館としての天台宗の展示です。天台大師、伝教大師(最澄)、慈覚大師(円仁)、智証大師(円珍、園城寺を再興)らの祖師たちを振り返ります。肖像画や彫刻のほかに、重要な文書が展示されています。(ある意味博物館のコーナーです。このコーナが大変混んでいました。びっくりです。)

  • 国宝 伝教大師度縁案並僧綱牒、京都・来迎院蔵
  • 国宝 天台法華宗年分縁起 (てんだいほっけしゅうねんぶんえんぎ) 伝教大師筆、滋賀・延暦寺蔵
    (解説引用)延暦25年(806)から弘仁9年(818)にかけての文書6通を、最澄が自ら書写したもの。天台法華宗に正式な僧侶である年分度者(ねんぶんどしゃ)2人を認めてもらうよう上表した文書、それを許可した太政官符(だじょうかんぷ)、年分度者の歴名(れきめい)、比叡山に戒壇(かいだん)設立を申請した文書、加えて天台法華宗の学生(がくしょう)が守るべき項目を6か条にまとめたものが収められており、日本天台宗開創までの経過を知ることができる。最澄の筆跡を知るとともに天台宗の歴史を物語る極めて重要な遺品。
  • 国宝 光定戒牒 嵯峨天皇筆 弘仁14年(823)、滋賀・延暦寺蔵
  • 国宝 円珍贈法印大和尚位並智証大師諡号勅書  小野道風筆 延長5年(927)、東京国立博物館蔵
    小野道風はやはり三跡といわれるだけは、あります。書がすばらしい。

  • 国宝 伝教大師入唐牒 貞元20・21年(804・805) 滋賀・延暦寺蔵 (これは後期)
  • 国宝 伝教大師請来目録 1巻 唐時代・貞元21年(805) 滋賀・延暦寺蔵
    この2つは、入唐牒はパスポート、請来目録は輸出品目録。経済史という面の記録としても興味深いもの。

  • 国宝 智証大師関係文書典籍 46種のうち 越州都督府過所 尚書省司門過所 唐時代・大中9年(855)、滋賀・園城寺蔵
    小野道風の書体を褒めたあとではありますが、中国の官吏の漢字は、書家ではないのですが、楷書は書きなれているので能筆だと感心。

  • 重文 維摩居士坐像 1躯 平安時代・9世紀 滋賀・延暦寺蔵;青龍寺伝来、初期天台宗彫像の例。きりっとした顔立ち、流れるような衣装。

    ■法華経への祈り

    最近、はまっている装飾経のコーナ。楽しく鑑賞しました。
  • 重文 紺紙銀字法華経 8巻のうち 巻第2 平安時代・9~10世紀 滋賀・延暦寺蔵:伝円仁または伝円珍、僧侶の写経らしくきちんとした文字。
  • 重文 紺紙金銀交書法華経 8巻のうち 巻第1 平安時代・11世紀 滋賀・延暦寺蔵; 銀のところはもう文字がほとんど見えない。
  • 国宝 法華経 開結共 10巻のうち 巻第1 平安時代・11世紀 東京・浅草寺蔵; 見返しに破けあり?
  • 国宝 一字蓮台法華経 9巻のうち 巻第3 平安時代・11世紀 福島・龍興寺蔵; 一字蓮台法華経は、大和文華館にも所蔵されていると解説ビデオではいっていましたが、同一のもの別の巻でしょうか?それとも何度も写経されている?
  • 国宝 法華経 一品経のうち 厳王品 1巻 13世紀 埼玉・慈光寺蔵; 先般も常設展示で功徳品第十九を鑑賞しましたが、ほぼ同様の料紙です。見返しはつなぎ合わせたもの。

    経箱,宝塔も立派なものは立派です。
  • 国宝 金銅宝相華唐草文経箱 (こんどうほうそうげからくさもんきょうばこ) 長元4年(1031)滋賀・延暦寺蔵
    (解説引用)長元4年(1031)、叡山の僧覚超は円仁がかつて書写した如法経を銅筒に納めなおし、横川の如法堂に埋納した。その際、藤原道長の娘、上東門院彰子(じょうとうもんいんしょうし)もこれに結縁(けちえん)して自ら書写した法華経を埋納した。この経箱はその彰子書写の法華経を容れていたもの。銅製鍛造で、隅丸長方形をした箱。全面に宝相華唐草文(ほうそうげからくさもん)が蹴彫(けりぼ)りされ、全体に金メッキ、間地や床脚の格狭間には銀メッキを施した美麗な金銀の色彩対比が見事。印籠蓋造(いんろうふたづく)りの蓋と身を簡単には開けられないように指金(さしがね)で留める仕様は、経巻が長く保護されることを願った、一条天皇中宮の上東門院の信仰の深さを表しているかのようです。平安時代の金工品を代表する優品の1つ。
  • 国宝 宝相華蒔絵経箱 11世紀末~12世紀初頭 滋賀・延暦寺蔵
  • 国宝 金銅宝塔 12世紀 京都・鞍馬寺蔵

  • 国宝 普賢菩薩像 12世紀 東京国立博物館蔵

    ■天台の密教
    仏像のコーナです。薬師如来が本尊。天台宗寺院によく見られる聖観音・毘沙門天・不動明王の三尊形式は、円仁の信仰から成立した独自なもの、という知識すらなく見てしまいました。

  • 重文 聖観音菩薩立像 12世紀 滋賀・延暦寺蔵
  • 重文 千手観音菩薩および両脇侍立像 12世紀 滋賀・明王院蔵
  • 重文 千手観音菩薩立像 9世紀 滋賀・延暦寺蔵
    この3点が、やはり秀逸で手をあわせたくなります。聖観音菩薩は、聖地「横川」(よかわ)の中心となるお堂の本尊。蓮華を片手に少し腰をくねった姿は美しい。千手観音菩薩は、精緻な細工が思わず見とれてしまう。最後の千手観音菩薩は、異国人の顔をしていている。まだ唐と交流のあった初期の作品らしい。

  • 重文 梵天立像・帝釈天立像 運慶・湛慶作 正治3年(1201) 愛知・瀧山寺蔵
    は、着色されている。

    寛永寺、善水寺の薬師如来は、見逃しました。次回に。

  • 重文 水晶舎利塔 13世紀 滋賀・延暦寺蔵

    ■浄土への憧憬

  • 重文 往生要集 3帖のうち 承安元年(1171) 京都・青蓮院蔵 (1帖ずつ展示) ;写本。
  • 国宝 阿弥陀経 慈光寺経のうち 1巻 鎌倉時代・13世紀 埼玉・慈光寺蔵

    そして前期の目玉。NHK日曜美術館を見る限り京都国立博物館では、一部屋におどろおどろしく展示されていたようです。今回は、さっと展示されていました。
  • 国宝 六道絵 15幅 鎌倉時代・13世紀 滋賀・聖衆来迎寺蔵

    ■天台の神と仏
  • 重文 山王霊験記 15世紀 滋賀・延暦寺蔵
  • 重文 山王霊験記 巻下 15世紀 大阪・和泉市久保惣記念美術館蔵

    素養がないので、ぐったりしました。
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