岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

「弘前公園」は熊野神社とつながっている(2)/「生物多様性」を無視した行政の愚行(6)

2010-05-18 05:11:51 | Weblog
 (今日の写真は、スズメ目メジロ科の鳥「メジロ」である。私がこの「メジロ」と最初に出会ったのは、岩木山でもなければ、弘前公園でもない。さりとて、時々出かける「久渡寺山」でもない。
 それは、岩手山でのことだった。確か、柳沢登山道の山麓部であったと思う。5月中旬のことだった。自衛隊の演習地が道の両側に広がる辺りで、道端の低木に止まって、盛んに餌を採っているモスグリーンに近い色合いをした「野鳥」を発見したのだ。
 私が傍に寄っても、何を食べているのかは分からなかった、まるで私を無視しているかのように、飛び立つこともしないで、採餌に夢中なのである。時折、自衛隊の重火器が発射される轟音が響くが、全く気にする様子はない。
 そこで、歩くのを止めて、じっくりと観察した。とにかく、褐色がかった緑色をした鳥である。背面は黄緑色、喉は黄色。腹は白く、脇腹は赤褐色で、眼の周囲には白い輪がある。何だか、私の庭に時折、熊野神社の森から迷い込んで来る「ウグイス」に似ている。だが、それは色具合と「目の周りに白い輪」のあることで、ウグイスではなかった。私はもちろん、初めて見る鳥なので、この「鳥」の名前を知らなかったのだ。だが、その「姿」を忘れることはなかった。
 その後、「野鳥図鑑」で、調べてそれが「メジロ」であることを知ったが、それ以降長い間、何故かしら、岩木山でも久渡寺山でも「メジロ」との出会いはなかったのである。
 そして、それを理由に「メジロ」は岩木山等にはいないのだと勝手に思い込んでしまったのだった。
 だが、それは、大変な思い込みであり、間違いだった。実際「メジロ」の生息環境は広く、平地から山地の林に棲む。都会でも見られ、森林、市街地、農耕地、里山でも、庭木や街路樹などの花を巡って生活している留鳥なのである。
 また、「メジロ」は比較的警戒心が緩く、頻繁に鳴き交わしながら群れで行動するので、昔から人々に親しまれてきた鳥なのだ。鳴き声がいいので広く飼われていたが、現在は保護鳥となっている。)

・見えかくれ居て花こぼす目白かな (富安風生)
・目白鳴く磧(かわら)つづきの家の中 (飯田龍太)

◇◇「弘前公園」は熊野神社とつながっている…キビタキとメジロがやって来た(2) ◇◇
(承前)間が開きましたが、12日のブログに続けて読んで下さい。

 …キビタキが飛び去った後で、「虚ろな眼」をしていた私の視界に、なにやら動く「緑色」の2つの個体が飛び込んできた。忙しく動く。同型で同体の2羽の鳥である。
 窓から3、4m離れた藤の蔓に向き合うように止まりながら花芽をつついている。よく見える。オリーブがかった緑色。翼と尾は少し暗い色をしている。
 白い「アイリング」、これが「メジロ(目白)」という「名前の由来」ともなっているのだ。「メジロ」科に属する鳥は英名で、「White-eye」と呼ばれ、中国語名では「繡眼鳥」と呼ばれているそうで、それぞれ「名前の由来」となっている。洋の東西を問わず、この鳥は「同じように」見られて愛されてきたのだろう。
 喉は黄色味を帯びている。腹部は白く、尾は黄色い。脇は薄く褐色味を帯びている。雌雄同色、これは一夫一妻をとる「メジロ」の番いに違いない。
メジロは、樹上生活をして、甘い蜜を好み、花の蜜(みつ)や樹液などをなめるようにして飲む。もちろん、昆虫や柔らかい木の実を食べる。
 全長は12cm前後で、スズメよりも小さめだ。野鳥の中では小さい方に属する。鳴き声であるが、地鳴きは「チィー」と優しく、囀りは「チーチー チュルチュル チリツルツル」と長く鳴くと言われているが、その日は聴くことが出来なかった。
「メジロ」は、平地から山地までの林に生息する。よく茂った常緑広葉樹を最も好み、冬季には本州中部以北で繁殖する個体は暖地に移動するのである。
 「弘前公園」は「岩木山」や他の山々の森とつながっている。「公園」の森は「熊野神社」の森とつながっている。そして、私の「狭い庭」は、この「熊野神社」の森とつながっているのだ。それを断ち切ることは誰にも出来ない。また、してはいけないことである。 これも、「生物多様性」の一例であろう。まるで、その「お零れ(失礼かな?)」でもあるかのように「野鳥たちは私の庭に姿を見せる」のである。
 野鳥たちに「生息域」という境界線も「進入禁止」や「相互乗り入れ禁止」という規制はない。それは「生物多様性」を自由に、保守堅持しながら、護って生きているだけのことなのである。

◇◇「安全」はすべてに優先するのか、またまた、「生物多様性」を無視した行政の愚行・最高裁判決を吟味する(5)◇◇
(承前)

 今一度「最高裁の判決」を吟味してみたいと思う…(中)。

 「判決」は、「国の機関の森林管理署が毎年、県などと現場周辺の山林を点検し、遊歩道近くの樹木については実際に安全対策をとっていたこと」を踏まえ、国の責任も認めた。
この「実際に安全対策をとっていたことを踏まえ、国の責任も認めた」ということは「実際に安全対策をとっていたことから、国の責任も認めた」と読解することは可能だろう。
 それでは、「何も安全対策を取っていなかったら、国の責任はなかった」ということになるのではないだろうかという疑問が出て来るのは私だけだろうか。

 民法の第709、710条を次に掲げる。
(不法行為による損害賠償)
第709条 故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は、これによって生じた損害を賠償する責任を負う。
(財産以外の損害の賠償)
第710条 他人の身体、自由若しくは名誉を侵害した場合又は他人の財産権を侵害した場合のいずれであるかを問わず、前条の規定により損害賠償の責任を負う者は、財産以外の損害に対しても、その賠償をしなければならない。

 国家賠償法には次のような条文がある。 
第1条 国又は公共団体の公権力の行使に当る公務員が、その職務を行うについて、故意又は過失によつて違法に他人に損害を加えたときは、国又は公共団体が、これを賠償する責に任ずる。
2 前項の場合において、公務員に故意又は重大な過失があつたときは、国又は公共団体は、その公務員に対して求償権を有する。
 
第2条 道路、河川その他の公の営造物の設置又は管理に瑕疵があつたために他人に損害を生じたときは、国又は公共団体は、これを賠償する責に任ずる。
2 前項の場合において、他に損害の原因について責に任ずべき者があるときは、国又は公共団体は、これに対して求償権を有する。

 この条文のどこにも「自然」に関する概念事項はない。これだと「自然公園」における「自然」の特性に腐心する判決は出されない。最高裁判所の判決は、この法律だけを根拠になされている。「生物多様性」や「多様な生態系」などの概念が取り入れられて、その上で出された「判決」ではない。
 「生物多様性」や「多様な生態系」を含む、いわゆる「環境権」というものに関する体系的な法的根拠は「政治と司法の怠慢」によって我が国では、議論にすら登らないのが現状である。
 この事故に対する判決には当然「生物多様性」等の概念が反映されてしかるべきものであった。「生物多様性」に対する世界的な潮流に目敏く反応する意識さえあれば、このような「偏在的な判決」にはならなかったであろう。(明日に続く)

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