(今日の写真は「アオイスミレ」である。ひょっとすると「エゾアオイスミレ」かも知れない。何故、曖昧な同定しか出来ないかというと、この「スミレ」の咲いて場所が、余りにも、このスミレが普通に咲くところではなかったからだ。「正常」では考えられないようなところなのである。
撮影をしたのは4月22日だ。その場所は私に家の裏(北側の敷地内)であったのだ。私に家は狭いし、もちろん敷地も狭い。家の周りには「川砂利」を敷いてある。その「砂利」の間に、たった1株だけが生えていて2輪の花をつけていたのだ。
驚きである。この花びらの「くびれ方」と「縮れ方」、さらには形から強いて言うならば、これは「エゾアオイスミレ」の方ではないかと思われる。
とすれば、これは単なる「驚き」では済まされない。「アオイスミレ」は国民宿舎「岩木荘」の裏に接する林内の笹藪の中ではすでに咲き出しているし、百沢登山道ではこれからどんどんと咲き出すだろう。このように、大体何処でも見られる「スミレ」だ。
だが、「エゾアオイスミレ」は、何処でも見られるというものではない。「アオイスミレ」の出現率を100とすれば、「エゾアオイスミレ」の方は5にも満たない。それほど、数が少ない。咲いている場所が少ないのである。
その「岩木山」でも珍しい「スミレ」が私の家の裏で咲いていたのである。)
◇◇ 気をつけないと種子を…運んでしまう。植物は恐ろしい ◇◇
スミレ科スミレ属の多年草「エゾアオイスミレ(蝦夷葵菫)」は、日当たりのいい斜面の、岩の窪みなどに咲く花である。北海道や本州北部で見られるので、花名に「蝦夷」を冠している。
私が、最初にこの「エゾアオイスミレ」と出会ったのは、残雪期に後長根沢を詰めて、出来れば源頭部を登りたいと思って出かけた時である。
…ある年の4月半ばである。アルパイン的な登攀気分を満喫したいとの思いを持って、残雪のある沢に入った。太陽はすでに高く、左肩口から照りつけていた。残雪の脇にフキノトウが勢いよく伸びている。フキノトウは先端だけがきれいに摘み取られていた。
これは熊の喰い散らし、きわめて新しい今し方の採餌痕だ。近くにいるはずだ。左岸に急斜面のブナ林が見えてきた。ブナの幹は白く眩しかったが、黒いものが林内の雪の上を横切って行くのが見えた。ゆっくりと歩く熊だ。時々、立ち止まってはこっちを見ている。 距離は約30mだ。嬉しくもあり、妙に懐かしくもあり、古い友達に会ったような気持ちになっていた。
ブナ林下端の大きな岩の裂け目から、「ごうごう」と音を立てて水が噴き出していた。それは小さな滝を思わせた。雪解けの時しか現れない大きな「噴水」である。
水しぶきが辺りを十分に湿らせていた。岩肌はそのために光っていた。その光の中で異質な輝きが目に飛び込んで来たのだ。
そこは岩の窪みで、小さな土と葉の褥となっていた。そして、陽光を存分に浴びていた。そこに咲いていたのは薄紫の花2輪、日当たりのいい斜面、岩の窪みに咲く山の生気、エゾアオイスミレであった。…
このような場所に生えて咲く「エゾアオイスミレ」がどうして、我が家の裏の「川砂利」が敷き詰められている場所に生えているのだろう。はっきり言ってこの場所は「貧土」である。「草」は皆強いが、その強い草ですら殆ど生えていないところである。ただし、昨年は近くに「アカバナ」がこれまた1株だけ生えて花をつけた。
先ず、その物理的な移動だ。私が、気がつかないままに「種子」を運んできたのである。恐らく、登山靴のソールの溝に土と一緒に閉じ込めて「運んで」きたのである。山から帰ってくると、いつもこの近くで、靴底に泥や土を落とす。それからその近くにある水道の蛇口で靴を洗うのだ。
恐らく、私によって「運ばれた」種子は、去年や一昨年のものではないはずである。何故ならば、ここ数年は岩木山で「エゾアオイスミレ」に会っていないからである。それよりもずっと前に「種子を運んで」きていたのだ。
実は、敷地は変わらないないが3年前に家を新築した。土台工事のために、かなりの表土を剥いだし、その上「川砂利」を敷いた。見た目には家の周囲の「土壌環境」は、「貧土」であるということ以外は、かなり変わった。
その変化の中で、それ以前から「存在」していた「種子」が芽を出す準備をしていたのだろう。そして、今年の4月20日過ぎに花を咲かせたのであろう。
じっと、耐えて、耐えて、ある年、突然花を開く。この執拗なまでの「生」に対するこだわり、健気さなどではあるまい。その執着心は恐ろしいほどだ。植物は怖い。花は恐ろしい。環境を自分のものにしてしまえるその能力が恐ろしい。
私はあるがままの自然環境に「異物」を持ち込ませないことと、そこから「持ち出さない」ことを大切にして行動していると自負している。その「私」に「種子の運び屋」を難なくさせてしまうのである。
それにしても、この「エゾアオイスミレ」の生命は強いものだ。この場所は真夏であっても終日、直射日光を浴びることはまったくない。北側である。家自体が南からの陽光を遮る。東には隣家があり、日の出の微かな光をも遮ってしまう。
陽光が、瞬時でも射し込むとすれば、それは日の長い夏に、夕日が岩木山に沈むその時だけである。そのような場所に、芽を出して花を咲かせたのである。その生命力はやはり、恐怖に値する。
岩木山に生えているものは、必ず陽光を存分に浴びていた。何処に咲くものも同じであった。
…「恐ろしい」とか「恐怖」という言葉を使った。本当に恐ろしいと思っている。だが、それは「畏怖」に近い感慨であることを断っておきたい。私は植物に不思議を見ている。その能力の柔軟性に、「自在な臨機」に憧れている。
だが、いくらこのような植物でも人間の手によってもたらせられる急激な「生育環境の変化」には対応しきれないである。
撮影をしたのは4月22日だ。その場所は私に家の裏(北側の敷地内)であったのだ。私に家は狭いし、もちろん敷地も狭い。家の周りには「川砂利」を敷いてある。その「砂利」の間に、たった1株だけが生えていて2輪の花をつけていたのだ。
驚きである。この花びらの「くびれ方」と「縮れ方」、さらには形から強いて言うならば、これは「エゾアオイスミレ」の方ではないかと思われる。
とすれば、これは単なる「驚き」では済まされない。「アオイスミレ」は国民宿舎「岩木荘」の裏に接する林内の笹藪の中ではすでに咲き出しているし、百沢登山道ではこれからどんどんと咲き出すだろう。このように、大体何処でも見られる「スミレ」だ。
だが、「エゾアオイスミレ」は、何処でも見られるというものではない。「アオイスミレ」の出現率を100とすれば、「エゾアオイスミレ」の方は5にも満たない。それほど、数が少ない。咲いている場所が少ないのである。
その「岩木山」でも珍しい「スミレ」が私の家の裏で咲いていたのである。)
◇◇ 気をつけないと種子を…運んでしまう。植物は恐ろしい ◇◇
スミレ科スミレ属の多年草「エゾアオイスミレ(蝦夷葵菫)」は、日当たりのいい斜面の、岩の窪みなどに咲く花である。北海道や本州北部で見られるので、花名に「蝦夷」を冠している。
私が、最初にこの「エゾアオイスミレ」と出会ったのは、残雪期に後長根沢を詰めて、出来れば源頭部を登りたいと思って出かけた時である。
…ある年の4月半ばである。アルパイン的な登攀気分を満喫したいとの思いを持って、残雪のある沢に入った。太陽はすでに高く、左肩口から照りつけていた。残雪の脇にフキノトウが勢いよく伸びている。フキノトウは先端だけがきれいに摘み取られていた。
これは熊の喰い散らし、きわめて新しい今し方の採餌痕だ。近くにいるはずだ。左岸に急斜面のブナ林が見えてきた。ブナの幹は白く眩しかったが、黒いものが林内の雪の上を横切って行くのが見えた。ゆっくりと歩く熊だ。時々、立ち止まってはこっちを見ている。 距離は約30mだ。嬉しくもあり、妙に懐かしくもあり、古い友達に会ったような気持ちになっていた。
ブナ林下端の大きな岩の裂け目から、「ごうごう」と音を立てて水が噴き出していた。それは小さな滝を思わせた。雪解けの時しか現れない大きな「噴水」である。
水しぶきが辺りを十分に湿らせていた。岩肌はそのために光っていた。その光の中で異質な輝きが目に飛び込んで来たのだ。
そこは岩の窪みで、小さな土と葉の褥となっていた。そして、陽光を存分に浴びていた。そこに咲いていたのは薄紫の花2輪、日当たりのいい斜面、岩の窪みに咲く山の生気、エゾアオイスミレであった。…
このような場所に生えて咲く「エゾアオイスミレ」がどうして、我が家の裏の「川砂利」が敷き詰められている場所に生えているのだろう。はっきり言ってこの場所は「貧土」である。「草」は皆強いが、その強い草ですら殆ど生えていないところである。ただし、昨年は近くに「アカバナ」がこれまた1株だけ生えて花をつけた。
先ず、その物理的な移動だ。私が、気がつかないままに「種子」を運んできたのである。恐らく、登山靴のソールの溝に土と一緒に閉じ込めて「運んで」きたのである。山から帰ってくると、いつもこの近くで、靴底に泥や土を落とす。それからその近くにある水道の蛇口で靴を洗うのだ。
恐らく、私によって「運ばれた」種子は、去年や一昨年のものではないはずである。何故ならば、ここ数年は岩木山で「エゾアオイスミレ」に会っていないからである。それよりもずっと前に「種子を運んで」きていたのだ。
実は、敷地は変わらないないが3年前に家を新築した。土台工事のために、かなりの表土を剥いだし、その上「川砂利」を敷いた。見た目には家の周囲の「土壌環境」は、「貧土」であるということ以外は、かなり変わった。
その変化の中で、それ以前から「存在」していた「種子」が芽を出す準備をしていたのだろう。そして、今年の4月20日過ぎに花を咲かせたのであろう。
じっと、耐えて、耐えて、ある年、突然花を開く。この執拗なまでの「生」に対するこだわり、健気さなどではあるまい。その執着心は恐ろしいほどだ。植物は怖い。花は恐ろしい。環境を自分のものにしてしまえるその能力が恐ろしい。
私はあるがままの自然環境に「異物」を持ち込ませないことと、そこから「持ち出さない」ことを大切にして行動していると自負している。その「私」に「種子の運び屋」を難なくさせてしまうのである。
それにしても、この「エゾアオイスミレ」の生命は強いものだ。この場所は真夏であっても終日、直射日光を浴びることはまったくない。北側である。家自体が南からの陽光を遮る。東には隣家があり、日の出の微かな光をも遮ってしまう。
陽光が、瞬時でも射し込むとすれば、それは日の長い夏に、夕日が岩木山に沈むその時だけである。そのような場所に、芽を出して花を咲かせたのである。その生命力はやはり、恐怖に値する。
岩木山に生えているものは、必ず陽光を存分に浴びていた。何処に咲くものも同じであった。
…「恐ろしい」とか「恐怖」という言葉を使った。本当に恐ろしいと思っている。だが、それは「畏怖」に近い感慨であることを断っておきたい。私は植物に不思議を見ている。その能力の柔軟性に、「自在な臨機」に憧れている。
だが、いくらこのような植物でも人間の手によってもたらせられる急激な「生育環境の変化」には対応しきれないである。