岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

岩木山に夏の使者、今年最初に出会ったミチノクコザクラ / 「事務局長退任」は承認ならず(2)

2010-05-31 04:41:56 | Weblog
(今日の写真は、今季、最初に出会ったミチノクコザクラ「サクラソウ科サクラソウ属」である。
 出会った場所は赤倉登山道の「赤倉御殿」近くの「風衝地」である。ここは年中、強い風が吹き付ける場所だ。その所為で特に冬場は殆ど雪が積もらない。だから、「雪消え」も早い。当然、ミチノクコザクラ「サクラソウ科サクラソウ属」の咲き出しも早く、これまで、何回も5月の上旬に咲き出したことを確認している。一番早かったのは10数年前の5月3日であった。
 だが、ここ数年は開花は遅くなっている。温暖化や暖冬ということが言われ出しているから、開花は早くなるのだろうと考えるのは人間だけのことであるらしい。
 このミチノクコザクラに混じって、純白の小さな花をつけるヒメイチゲ「姫一花:キンポウゲ科イチリンソウ属」も咲いていた。
 例年ならば、ミチノクコザクラと前後して咲き出す「ミヤマキンバイ」はまだ、殆どその花の姿を見せてはいない。これも異常の一つであろう。)

◇◇ 今年最初に出会ったミチノクコザクラ ◇◇

 昨日、岩木山の赤倉登山道を登り、山頂から百沢に降りた。8時に登り始めて、百沢のバス停に着いたのは15時少し前であった。7時間を僅かに切る「タイム」だった。登りには時間がかかったが、山頂から百沢「バス停」までは2時間30分ほどで降りた。
 登りに時間がかかったのは、大鳴沢源頭部からの雪渓を「アイゼン」を装着し、ピッケルを使い、慎重に登ったからだ。例年に比べるとここの雪渓は厚みと高さがないが、長さは例年のそれではない。上部ピークまでびっしりと張り付いている。
 雪渓はそこだけではない。そこを登り切ると雪渓は切れるが、頂上直下の北東斜面にも、まだびっしりと雪渓があり、「アイゼン」を外したり、着けたりという動作の繰り返しでも、時間がかったのだ。
 頂上は素通りである。外した「アイゼン」をザックにつけて、一気に鳳鳴小屋まで降りる。種蒔苗代上部の雪渓でまた「アイゼン」を着ける。
 そこまでは「花の影」はまったくない。山頂部を含んで標高1500m以上のところでは、まだすべての草本は花をつけていないのだ。
だが、積雪に覆われて、顔を出していない種蒔苗代の東面には、僅かに1、2個のミチノクコザクラの蕾が揺れていた。しかし、これはまだ、開花とはいえない。
 また、積雪が途絶えた。大沢を覗いたら、そこから20mほどのところに雪渓があった。火山灰と小石が続いているので「アイゼンの爪」が損傷することもそれほどはないだろうと「狡」を決め込んで、外さないで移動した。
 大沢の雪渓は、「種蒔苗代」直下から大沢が「蔵助沢」と名前を変える滝まで続いている。その長さは2km弱、直ぐ傍が「焼止り小屋」である。もちろん、この雪渓に沿っては「草本の花」の開花は何もない。
 今季の積雪は少ない。例年の半分もない。降雪が少なく、その上、季節風の吹き出しも弱かった。大鳴沢源頭付近には毎年、巨大な吹きだまりが出来る。厳冬期にはその高さは10mを越えることもあり、それが垂直の壁になっている。それが、この時季でも高さが4、5mの「雪壁」となって残っているのだが、今季はそれがない。昨年はしっかりとあった。
 私は、40数年「岩木山通い」をしているが、このようなことは初めのことである。
 積雪の量は異常にすくないのだが、解け方がまた、異常に遅いのだ。4月、5月と寒い日が続いているからだ。昨日は平地の気温が20℃だったそうだが、登っていて、汗はもちろんかいているが、「暑い」という感じはまったくなかった。岩木山はまだ、「寒い」のである。

 そのような雪解けが遅く、寒い岩木山で「赤倉御殿からの風衝地」に咲くミチノクコザクラは今が盛りだ。それ以外の「赤倉登山道沿いの花」について少し触れよう。
 石仏一番辺りの春の花はすでに終わった。イワナシはすでに果実になりかかっている。伯母石手前も雪が消えたばかりで、ミヤマスミレくらいしか花をつけていない。伯母石からの岩稜左岸には、木本のミネザクラ、タムシバ、ムシカリ、ハウチワカエデの花がまだ見られる。鬼の土俵手前までも、雪消えが終わったばかりで、多く見えたのはタケシマランであるが、シラネアオイも僅かだが咲いていた。
 鬼の土俵から大開までも雪が消えたばかりのところが多いがコヨウラクツツジが咲き、コメツガ林下にはツバメオモト(ユリ科ツバメオモト属)が白い蕾をつけ、ヒメモチが昨年の赤い実をつけている。
 大開から赤倉御殿までは所々に残雪があり、その脇には背丈の低いショウジョウバカマ(ユリ科ショウジョウバカマ属)が咲いているだけである。この辺りも例年はすでにミチノクコザクラが咲き出している場所なのである。

◇◇「事務局長退任」は承認ならず(2)◇◇

 (承前)…だが、こと「生徒」に対して「向上心を持って学び、目的を持って生活し、自立し、互いを思いやりながら生きる」ことを指導する場合は違っていた。この場合、私の「人の使い方」は、それは教育の専門家として当然のことだから「苦手」から「得意」に変わる。、「得意になるように努力していた」と言うべきだろう。
 そうでなければ、「3年間欠席なし」という学級経営は出来なかったであろう。しかしだ。私は「大人」や「社会人」をして、「人を使う」ことは心情的に出来ないのである。 それは、その人たちをうまく「まとめる」ことが出来ないこととなって現れる。「事務局長」という役柄でウエイトを占めるのは、この「まとめ役」である。会長を親父とすれば「事務局長」は「女房役」である。事務局長になった時から、私は会にあって、この「女房役」は務まらないと思っていた。また、本心なる気もなかった。
 そこには、「いい大人の集まりが、しかも、岩木山の自然を護ろうという意志を持っている人たちだけの集まり」に「まとめ役」や「女房役」は不要だ。
 「岩木山を考える会」は組織をただ、温存していくだけの「…である」会ではない。「…をする会」、目的を持った機能集団である。一人一人の会員が「護る」という実行動をしていくことで、会は機能するのだ。そのような人たちが、本会には「集まっているはずだ」と考えたのである。つまり、「同一目的でまとまっている」と考えたのである。(明日に続く)