岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

ハリギリの若い芽 / 今、樹木の葉と花が可愛い…タラノキ無残(3)

2010-05-22 05:04:26 | Weblog
(今日の写真は、ウコギ科ハリギリ属の落葉高木である「ハリギリ(針桐)」の若い芽である。どこかで見たことがあるし、何かに似ているなあと思ったら、それは「楤木(タラノキ)」の芽である。似ているのも当然だろう。同じ「ウコギ科」だからだ。
 この可愛いらしい「若芽」が、順調に成長していくと、果たして何十年後のなるのかは定かではないが、樹高が20mを越える大木になるのだ。
 そう思って見ると、感慨もひとしおである。愛しくいじらしく、その健気さに脱帽してしまうのである。
 「ハリギリ」は北海道から九州にかけての山地に生える。樹皮は灰褐色だが、老木は縦に深い裂け目が入る。若い枝や幹に棘がある。
 もちろん、岩木山にも生えているが、成長した「樹」には若木や幼木の面影はない。それこそ、どっしりと落ち着いた感じで生えている。その余りの違いに、観察会などで、これが「ハリギリ」ですと説明しても、参加者は直ぐには納得してくれないことが多い。
 そのような時は、「葉」を示して、その形が「桐の葉」に似ていることで解説しようとするのだが、高木になっていると、その「葉」すら肉眼で確認することが出来ず、困ることがある。
 その「葉」だが、単葉で枝先について、葉身は半円形か円形である。長さは20~30cmと大きい。
 表面は緑色で無毛だが、裏面は灰緑色だ。5つから9つに裂けて、各裂片には細かい鋸歯がある。しかも、5本から7本の掌状脈が見られる。
 これは、18日に撮ったものだ。現在このような「若芽」をつけている状態だから、花の咲き出しは盛夏である。7月にならないと咲かない。だが、今年はもう少し早く「開花」するかも知れない。
 盛夏、夏緑に覆われる森の中や林縁で、当年出た枝の先に「淡黄緑色の花」を散状につけて咲いている姿はよく目立つし、見事である。だが、花姿を見かける人は多くはない。
 花期は比較的短いようだ。やがて、花は球状の果実となり、次第に黒みを増して熟していく。
 ウコギ科ハリギリ属「ハリギリ」という名前を知らなくても、別名の「センノキ(腺木)」を知っている人は多いのではないだろうか。
 「センノキ」は建築材として優れている。特に「家具」や「木製工芸」の「材」として利用される。市内町田に工房を構えている職人で知り合いのOさんは、とりわけこの「センノキ」に惚れ込んでいる人である。
 材の肌、その触感が柔らかく、滑らかである。だが、材質は硬く、経年変化でも狂いが生じない。木目が美しい上に、作業がしやすい。塗る漆との相性がいいなどと、そのメリットを一生懸命に話してくれたものである。
 今、我が家にはその「センノキ」でOさんが造った「衝立(ついたて)」と小物台数点がある。
 名前の由来は「材や葉がキリに似て、針のような刺がある」ことによる。)

◇◇ 今、樹木の葉と花が可愛い…タラノキ無残(3)◇◇

 私は、この「ハリギリ」の若芽を見ながら、「タラノキ」を思った。
 「タラノキ(楤木)」はウコギ科タラノキ属の落葉性の低木で、幹は余り枝分かれせず、真っ直ぐのびる「樹木」である。高さは2から4m程度であるが、生育環境にもよるが1年で20~60cmほど伸び、5年ほどで3mに達するものも珍しくはない。
 だが、最近は、樹木としての「タラノキ」を見ることが少ない。それは、樹木として成長する前に、その「成長点」である「芽」を毟り取られたり、あるいは成長点を含んで幹ごと「切り取られて」しまうからである。「ハリギリ」も「タラノキ」も本を辿ると、「芹(せり)」の仲間である。「タラノキ」と同じように「ハリギリ」の若い芽も食べることが出来る。茹でてお浸しにしたり、和え物もいい。だが、「天麩羅」にするのが一番いいだろう。

 ところで、「タラノキ」は、「山菜、薬草の王者」などと喧伝され始めてから、山野で余り見かけることがなくなってきている。
 「見かけるもの」は「若芽の部分」をもぎ取られた「もの」だけではない。それよりも、樹頂を含めた木質部の切り取られたものがすごく多いということである。
 これは、春早く、まだ「タラノキ」が若芽を出す前に、「若い芽」を「タラの芽」とか「タランボ」という山菜として、「付加価値」をつけて売り出す業者の仕業である。秋遅くか、冬場に「タラノキ」の冬芽を含んだ幹を切り取って、それを「ビニールハウス」の中で育てるのだ。それは「水耕栽培」に等しい。これだと、野山から「タラノキ」が消えていくのも頷けるだろう。そして、僅かに残った「タランボ」は山菜採りの触手にかかり、消えゆく運命に拍車をかけるという構図である。
 だから、最近は「タランボ」を見ると、「丈夫で長生きしてくれ」と心密かに願うことが多い。(明日に続く)