岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

早く撤去を、山火事監視塔 / 観察会参加者の発言から…(その2)

2010-05-07 05:15:42 | Weblog
 (今日の写真は、「姥石」に設置されている「山火事監視塔」である。使われなくなって、すでに久しい。もう数十年になる。40年以上は経つと考えられる。
 そして、その経年変化は甚だしい。先ずはかろうじて「立っている」状態である。鉄骨は赤く錆び付き、一部は曲がっている。階上に登る鉄骨の梯子も錆び付いていつ折れるか分からない。
 階上のフロア部分にあたる鉄板も腐食が激しく、いつ落ちるかも知れない。屋根のトタンは剥がれ、屋根の一部は壊れて、裂けている。これが「吹き飛ぶ」のは時間の問題だろう。
 階下の板を張り巡らした「個室」も、その側板が剥がれ、板も朽ちて、風が素通りしている。もちろん、戸も壊れている。
 これを、一般的な「建造物」と見なせば、普通は「廃墟」と呼ばれるはずだ。とにかく「いつ、倒れて崩壊するか分からない危険な鉄塔」なのである。
百沢登山道を登り降りする登山者は、「絶対」に、この建造物に近づいてはいけない。ましてや、これは何だろうと「腐った梯子」を伝って登ったりしてはいけない。
 それに、この落ちかけた屋根裏には「スズメバチ」がよく、「巣」を造る。8月から9月にかけて、この、倒壊寸前の「監視塔」に近づいて「スズメバチ」に襲われた人は何人もいるのだ。)

◇◇ 早く撤去を、山火事監視塔 ◇◇

 岩木山百沢登山道のある尾根は、戦前に「伐採」されて、「採草地」として利用されていたそうだ。この尾根にブナが極端に少ないのはその所為である。
 この登山道中腹部に「焼止り小屋」がある。この「焼止り」という名称は、かつて採草地の「野焼き」をして、麓から焼けあがって行く「火の勢い」が大体、この「小屋」辺りで「収束」したことに因るとされてもいる。「火の勢い(野焼き)」が「止まる」という意味からである。
 農家で「馬や牛」を農作業の「動力源」として使わなくなると、餌である乾し草を採集する「採草地」は必要でなくなる。「採草地」はうち捨てられて「遷移」が始まり、陽樹がどんどんと生えてくる。尾根は「森」へと戻り始めたのだ。
その頃、国内の森林や原野では「山火事」が多かった。営林署の管理も戦前ほど厳しくはなく、人々も「森林や原野」に依拠する生活範囲が広く多かったので「森林や原野」によく入った。「火の管理」も現在ほど行き届いてはいない。よって、山火事は頻繁に発生したのである。
 人が入る山ほど「山火事」発生の頻度は高かったのだ。林野庁も「山火事」防止には躍起となっていた。そのような時代に、この「監視塔」は出来たのである。
 私は、これまで、この「監視塔」の撤去を「岩木山環境保全協議会」の席で「津軽森林管理署」に対して、数回要望をした。昨年も要望した。だが、「撤去」はならず、そのことに関する一切の「回答」もないのだ。
 白神山地「ぶな巨木ふれあいの径」では安全な空間造りと称して、「自然生態系」や「生物多様性」を無視し「危険木」を勝手に指定して、勝手に伐採することをするのに、この「危険な」監視塔の撤去のことは全然、眼中にないとすればこれは「甚だしい矛盾」ではないか。
 枯れ木ですら伐採すると、その「場所」の自然生態系は壊されるのである。もちろん、この赤錆びた「鉄塔」もこの場所の「自然生態系」を壊している。
 現在だけでなく、建設した時から「この場所」における異物として「生物多様性」の障害となり、「自然生態系」を壊していたのである。
 この「生物多様性」や「自然生態系」に対する林野庁の視点の欠如は、その頃から何ら変わっていない。だが、数十年前の視点の欠如は許そう。当時はそこまで、社会も人も理解していなかったからだ。
 だが、社会は変化した。「生物多様性」への関心も高まっている。森林行政の要にある林野庁、「生物多様性」を守るためにも、登山者が近づくことで危険な目にに遭うことを未然に防ぐためにも、一日も早く、今にも倒壊しそうな監視塔の「撤去」をしてほしいものだ。
 この「監視塔」を中心とした尾根は遷移が進み、周りの樹木は大きく成長している。この「監視塔」の高さからいっても、もはや、その役割は果たされない状況にあるのだ。
 機能を失った「器物」、それは「ゴミ」でしかない。このままだと、危険な「不法投棄」ゴミに等しいものである。
 この「監視塔」の下部左に「黄色」の「ホーロー引き」板が見えるだろう。その上部には「野鳥の絵」が描かれ、その下部には、縦書きの赤い字で「山を守る鳥を守れ」と書かれている。そして、「下端」には「黒字」で小さく「林野庁」と横書きされているのだ。
 これは、林野庁が自分で管理する「施設や建造物」に自分たちが貼り付けたものである.
「山を守る鳥を守れ」とは理にかなった表現である。鳥がいなければ山の樹木は虫に食い尽くされ枯れ木の山になる。当時の「林野庁」にはこのような考えをする人もいたのである。

◇◇ 観察会参加者の発言から…(その2) ◇◇

 5月2日に実施した観察会で、最後に参加者から感想を述べてもらった。
その発言の中に…

「ここ数年、岩木山の「開発による自然破壊」は影を潜めたらしいと思っていた。そして、これで『岩木山を考える会』の仕事もなくなっただろうと考えた。だから、そろそろ会を解散してもいいのではないだろうかと思っていた。しかし、今日あの『堰堤敷設のために造られた道路』を見て、その考えは消えてしまった。解散などしておれないし、あのような自然破壊は止めてもなうためにも頑張らないといけない…と強く思った」…というのがあった。

 確かにそうだ。遠くから眺めているだけでは「岩木山」の現場における「自然破壊」は見えない。ましてや、「生物多様性」が蝕まれていくようなことはまったく見えない。
 目に見えて、「一見、自然に対して優しく接しているようなこと」でも、実は「生物多様性」を損ない「自然を壊す」ことにつながっているものだ。山麓の環状道路やそれに続く道脇に「オオヤマザクラ」を植樹することだって、厳密的には「生物多様性」を損ない「自然破壊」につながっていくものなのである。(明日に続く)