(今日の写真は、ある樹木の若葉である。樹木と言っても高木ではない。高木ならば、丁度目線の高さで、このように撮ることは出来ない。樹高は3~6mほどであろう。よく、林の縁や、あるいは林の縁近くの中ほどに生えている。
だが、この「若葉」を見ていると、その「名前の由来」がにわかに信じられないものに思えてくる。この樹木は2つの名前を持っている。その由来の1つは「卵円形の葉の形を大きな亀の甲羅に見立てたこと」であり、もう1つは「葉によく虫がついて食べられるので『虫食われ』が転訛したこと」である。
だが、今日の写真の「葉」は大きくはない。そして、「虫に食われて」もいない。だから、名前の由来には当てはまらない。このようなことを考えるのも、この時季の山歩きの「楽しみ」かも知れない。
この葉は、スイカズラ科ガマズミ属の落葉小高木「オオカメノキ(大亀の木)」のものであり、別名を「ムシカリ(虫狩り)」というのである。)
◇◇ 今、樹木の葉と花が可愛い(1)◇◇
「オオカメノキ」は、そのような場所に生えているものだから、山歩きをする者にとっては、いつでも出会っている「馴染み」の樹木ということになる。しかも、これには、「春夏秋冬」四季をとおして出会えるのである。
春は、先ずこの若葉だ。しわしわで小さい。ごわごわとして硬そうだが、触ってみるとすごく柔らかい。その触感がすごく愛らしく優しいのだ。思わず、「大きくなれ」と声をかけたくなる。
そして、この若葉の傍では「花芽」も膨らんでいる。5月下旬、夏だ。初夏だ。白い花が咲く。枝先に直径6~14cmの散房花序をつける。これは、実に目立つ。山歩きをする者に「初夏」を教えてくれるものである。
花序の中心には両性花が咲き、その周囲に直径2~3cmの装飾花をつけた見事な白い花だ。花序には柄がない。
その頃になると、この写真に見られるような葉っぱの「皺」はすっかり浅くなって、表面が滑らかになっている。そして、大きく広くなっている。その大きく広い葉で陽光を十分に受けて「光合成」を盛んにする。
花弁は枯れて、結実する。受粉して、果実を育てる時季に入ったのだ。盛夏だ。暑い毎日が続く。果実はどんどんと大きくなる。その頃になると、大きく広い立派な葉には、「虫食い」の穴が目立つようになる。輪郭は若葉の形状だが、穴がいたるところに開いて無残な状態の葉も出現する。葉ばかりが目立つ時季だ。
やがて、谷すじや林縁に涼風が吹き始める。秋の始まりだ。果実に変化が現れる。少し楕円形をした実に色がついてくる。赤い果実へと変身する。果実がますます「赤く」なる頃には「葉」も緑から褐色に変わってくる。落葉の季節が始まったのだ。
冬、葉が落ち、果実も野鳥に食べられて全く残っていない。だが、春に出る「葉と花の芽」を、硬い莢で包んで、「人が万歳」をしているような格好の「冬芽」を見せてくれるのだ。この葉は、四季をとおして私たちを森に、山に誘ってくれる優しい樹木の若葉である。(明日に続く)
◇◇「安全」はすべてに優先するのか、またまた、「生物多様性」を無視した行政の愚行・それではどうすればいいのか…(8 最終回)◇◇
(承前)
この問題を根本から解決するには「反対行動の実績」を積み重ねて「自然に対する理解の薄い」罪深い「判決・判例」を変える機運を造るしかない。
そのためには、「自然とは何か」、「生物多様性」や「多様な生態系」とは何かを世に問い、世人に訴え、世論を喚起するしかないであろう。
そして、山林での「危険木除去」を公園や森林管理者に責任を負わせる「司法の判断」を覆すしかないのである。
「自然保護」に関しては「司法」も「行政」も途上国に負けている。途上国の方が、自然体で「自然を保護している」面が多々あるのだ。
この件に関して、ある人から次のような意見が寄せられている。
「危険木伐採に関して、津軽森林管理署は、事前にホームページに対象木の画像と場所を掲載し、一般の意見を聴取するというスタイルをとっている。県はこの手法を知っているはずだが、問題が広がるのがいやなのであろうか。そんな推測もしたくなる。
新聞社が載せなければわからないまま伐採が始まってしまうところであった。この辺を足場にして「要請」をすればどうかと思っている。
少なくとも対象木について情報を公開するように求めることは必要だろう。県も無視はできないと思う。
こんなにバサバサ伐られたら、歩道沿いに木がなくなってしまうのではないか。生物多様性年の趣旨とも反する行為である。
危険木の判断については、行政のみの判断では過剰伐採になるということは、去年のくろくまの滝で実証済みである。
まだ時間があるので、危険木の情報公開をさせ、こちらの意見なども入れさせるようにすべきと思う。」
だが、この「若葉」を見ていると、その「名前の由来」がにわかに信じられないものに思えてくる。この樹木は2つの名前を持っている。その由来の1つは「卵円形の葉の形を大きな亀の甲羅に見立てたこと」であり、もう1つは「葉によく虫がついて食べられるので『虫食われ』が転訛したこと」である。
だが、今日の写真の「葉」は大きくはない。そして、「虫に食われて」もいない。だから、名前の由来には当てはまらない。このようなことを考えるのも、この時季の山歩きの「楽しみ」かも知れない。
この葉は、スイカズラ科ガマズミ属の落葉小高木「オオカメノキ(大亀の木)」のものであり、別名を「ムシカリ(虫狩り)」というのである。)
◇◇ 今、樹木の葉と花が可愛い(1)◇◇
「オオカメノキ」は、そのような場所に生えているものだから、山歩きをする者にとっては、いつでも出会っている「馴染み」の樹木ということになる。しかも、これには、「春夏秋冬」四季をとおして出会えるのである。
春は、先ずこの若葉だ。しわしわで小さい。ごわごわとして硬そうだが、触ってみるとすごく柔らかい。その触感がすごく愛らしく優しいのだ。思わず、「大きくなれ」と声をかけたくなる。
そして、この若葉の傍では「花芽」も膨らんでいる。5月下旬、夏だ。初夏だ。白い花が咲く。枝先に直径6~14cmの散房花序をつける。これは、実に目立つ。山歩きをする者に「初夏」を教えてくれるものである。
花序の中心には両性花が咲き、その周囲に直径2~3cmの装飾花をつけた見事な白い花だ。花序には柄がない。
その頃になると、この写真に見られるような葉っぱの「皺」はすっかり浅くなって、表面が滑らかになっている。そして、大きく広くなっている。その大きく広い葉で陽光を十分に受けて「光合成」を盛んにする。
花弁は枯れて、結実する。受粉して、果実を育てる時季に入ったのだ。盛夏だ。暑い毎日が続く。果実はどんどんと大きくなる。その頃になると、大きく広い立派な葉には、「虫食い」の穴が目立つようになる。輪郭は若葉の形状だが、穴がいたるところに開いて無残な状態の葉も出現する。葉ばかりが目立つ時季だ。
やがて、谷すじや林縁に涼風が吹き始める。秋の始まりだ。果実に変化が現れる。少し楕円形をした実に色がついてくる。赤い果実へと変身する。果実がますます「赤く」なる頃には「葉」も緑から褐色に変わってくる。落葉の季節が始まったのだ。
冬、葉が落ち、果実も野鳥に食べられて全く残っていない。だが、春に出る「葉と花の芽」を、硬い莢で包んで、「人が万歳」をしているような格好の「冬芽」を見せてくれるのだ。この葉は、四季をとおして私たちを森に、山に誘ってくれる優しい樹木の若葉である。(明日に続く)
◇◇「安全」はすべてに優先するのか、またまた、「生物多様性」を無視した行政の愚行・それではどうすればいいのか…(8 最終回)◇◇
(承前)
この問題を根本から解決するには「反対行動の実績」を積み重ねて「自然に対する理解の薄い」罪深い「判決・判例」を変える機運を造るしかない。
そのためには、「自然とは何か」、「生物多様性」や「多様な生態系」とは何かを世に問い、世人に訴え、世論を喚起するしかないであろう。
そして、山林での「危険木除去」を公園や森林管理者に責任を負わせる「司法の判断」を覆すしかないのである。
「自然保護」に関しては「司法」も「行政」も途上国に負けている。途上国の方が、自然体で「自然を保護している」面が多々あるのだ。
この件に関して、ある人から次のような意見が寄せられている。
「危険木伐採に関して、津軽森林管理署は、事前にホームページに対象木の画像と場所を掲載し、一般の意見を聴取するというスタイルをとっている。県はこの手法を知っているはずだが、問題が広がるのがいやなのであろうか。そんな推測もしたくなる。
新聞社が載せなければわからないまま伐採が始まってしまうところであった。この辺を足場にして「要請」をすればどうかと思っている。
少なくとも対象木について情報を公開するように求めることは必要だろう。県も無視はできないと思う。
こんなにバサバサ伐られたら、歩道沿いに木がなくなってしまうのではないか。生物多様性年の趣旨とも反する行為である。
危険木の判断については、行政のみの判断では過剰伐採になるということは、去年のくろくまの滝で実証済みである。
まだ時間があるので、危険木の情報公開をさせ、こちらの意見なども入れさせるようにすべきと思う。」